第55話:咲き誇る白閃花
シャルネを庇うようにして獅子の頭の前に立ち塞がった炎の異形――その正体は、男だった。
焦げ茶色の髪に、まるでどこかの民族衣装のような服。そのどれもが汚れに汚れて、草臥れきっていた。牙が貫いた血が、更に彼の身を赤く穢していく。
頭部には牛のごとき角、そして背を良く見れば尻尾もあることが窺えた。どこからどう見ても彼は亜人だ。ただ、私が知るどの亜人種の魔物に比べても、人により近しい。
けれど、その瞳は狂気に濁っていた。最早、正気とは思えない目だった。血走り、瞳孔が開き、到底人のものとは思えない魔獣の目。
その身に食い込む牙を太い腕で押さえ込みながら、その目がシャルネを見た。唖然としていたシャルネは、ただその光景を見つめることしか出来ていないようだった。
「……オォ、ォォォオオ――ッ!」
シャルネを見つめていた男は、興味を失ったように狂乱に吼えた。身に受けた傷を顧みず、炎が再び吹き荒れようとする。
しかし、彼の身体を包む程の炎は巻き起こらない。それでも男は吼え続ける。狂気に満ちた瞳で、どうしようもない執着をキメラに向けている。
「――おらァッ!!」
そこに先程、吹き飛ばされたガッくんが魔力刃を纏わせた剣で獅子の首に剣を突き立てた。無理矢理、引き千切るようにしてガッくんの魔力刃が首の半ばまで断ち切る。
それで力が緩んだのか、噛みつかれていた男は無理矢理口をこじ開けた。牙が引き抜かれ、鮮血が零れ出る。……常人であれば、既に即死していても不思議ではない傷だ。
「オォォォォオッ!!」
それでも男は止まらない。拳を握り締め、それを獅子の口の中に突っ込むように叩き込む。同時に放たれた炎の熱線が獅子の頭を貫き、焼き滅ぼしていく。
それでもキメラの本体は死んでいない。伸びた首が縮んでいき、また頭部を再生しようとしているのか、身を何度も痙攣させている。
「シャルネッ! 撃てッ!」
「――ッ!」
呆けていたシャルネにガッくんが発破をかける。ガッくんの声で呆けていた意識を取り戻したシャルネはすぐにケラヴノスを構えた。
シャルネを再び雷光が包んでいく。フェンリルを象ったオーラを纏いながら、ケラヴノスに番えた魔力矢が雷鳴を発していく。
そして解き放たれた一矢は過たず、キメラの本体へと到達。雷鳴を轟かせながら、キメラの無防備な身体に雷が迸っていく。
「アニス様!」
ガッくんが叫ぶように私を呼ぶ。それは苦渋に満ちた懇願だった。どうにかしてくれ、という自分の無力さを噛みしめながらも私に縋るような声で叫ぶ。
キメラはシャルネの雷撃を受けたことで麻痺している。再生がまだ始まらず、ただ藻掻くように痙攣しているだけ。その隙に、私はガッくんの叫びに応えるように意識を集中させた。
「―― 〝 架空式・竜魔心臓〟!」
私の魔力を呼び水として、刻印紋からドラゴンの魔力を呼び起こす。発生したドラゴンの魔力を纏わせるのではなく、自分の身体に取り込んでいく。
私の本来の魔力にドラゴンの魔力の色が混じっていく。力が満ち溢れ、思考が研ぎ澄まされていく。以前よりも早く、より強く馴染むドラゴンの魔力を取り込んだ私はセレスティアルを構えながらキメラへと突っ込む。
セレスティアルに展開していた魔力刃がその色を濃くしていき、光から結晶へと姿を変えていく。結晶の刃が形成されていく際の、奇妙な音が森へと響き渡っていく。
「――――ッ!!」
接近する私をどうやって知覚したのか、キメラが蛇だった身体を、いや、全身に生えていた奇妙な手足すらも無秩序に伸ばして私を貫こうとする。それはもう、手足ではなく触手と言うべきものだ。
私は串刺しにせんと迫るキメラの触手を斬り払い、逆に足をかけてキメラに更に接近していく。四方八方から襲いかかって来るキメラの触手はやがて私の逃げ道を塞いでいく。
「――〝ドラゴンクロウ〟!!」
セレスティアルを握っていない逆の手、そこにドラゴンの魔力を集束させ、爪を象る。魔力が迸るまま、振り抜いた爪の一撃は私の進路を塞いでいた触手を引き千切り、消し飛ばす。
その隙間を抜け、私はキメラの身体の上に降り立つ。そのまま、私は結晶の刃を更に分厚くしつづけていたセレスティアルを突き立てた。肉を突き破っていく感覚が両手に伝わってくる。
「――――ッ!?」
キメラは最初、私を叩き落とそうと触手を向けようとしていた。しかし、その触手が痙攣し、宙でうねり始めた。
(一部を斬り飛ばした所で再生されるなら、核ごと潰すしかない……!)
キメラの核――つまりは魔石。
セレスティアルが纏った結晶の刃が、まるで葉脈のように細分化して、キメラの全身を貫いていく。際限なく魔力が引き摺り出されながらも、私は意識を途切れさせないように力を込めながらキメラの全身に刃を〝奔らせていく〟。
魔石の魔力は反発し合う。体内に入り込み、侵蝕しようとしてくるドラゴンの魔力を嫌うようにキメラが暴れ始める。全身に入り込んで、蝕む毒を排出しようとするかのように。
その抵抗によって魔力の圧が強まり、私に反動が返ってくる。それでもセレスティアルは手放さない。そして、私は目当てのキメラの魔石の位置を特定した。
「――見つけた!」
一瞬にして核を消し飛ばし、そして魔石が再生する隙も与えない。その為にセレスティアルが葉脈のように伸ばした結晶の刃に私は魔力を込める。
私の空色と、ドラゴンの深紅の入り交じった魔力が溶け合い、そして白く染まっていく。結晶と化していた魔力が、その形を維持出来ないように再び光に戻り始めている。
私はキメラに根を張ったセレスティアルを握り直し、その根を引っこ抜くように全力で力を込める。キメラの全身で展開されていた魔力刃は、キメラの全身を内部から切り刻み、全身を軋ませる。
勿論、キメラとて無抵抗じゃない。けれど触手の一本一本にまで芯となるように魔力刃を巡らせて、抵抗を封じ込める。
キメラの抵抗が魔力を反発する形で襲いかかってきて、全身に軋むような痛みが走った。それを歯を噛みしめながら堪える。そして、臨界点を迎えた魔力刃がキメラの身体を内側から照らすように輝き始める。
「――光に還れッ!」
――そして、セレスティアルがキメラの身体から引き抜かれた。
キメラの内部を中心にして魔力が爆発する。例えるなら、それは全てを呑み込むドラゴンのブレスを凝縮させて結晶刃の中に封じ込め、対象の内部で爆発させたようなもの。
刃の形をしたブレスを解き放てば体内で起爆した爆弾と同じだ。キメラの魔石がある核周辺から、そして全身に奔らせた刃まで衝撃が伝播して魔力が連鎖して弾けていく。
全てを白く染め、結晶の形を解かれた魔力の波動が花弁が花開くかのように広がる。キメラの身体はその白き光の中に飲まれていき――……跡形もなく消滅した。
「――ッ、うぅ……! はぁっ……はぁっ……!」
セレスティアルを引き抜くと同時に、ブレスの波動の反動で吹き飛ばされていた私もなんとか着地に成功する。けれど膝が笑ってしまい、そのまま両手両足を地面についてしまう。
キメラの動きが緩慢で助かった。全身を掌握するのにかなりの集中力と魔力を使ったけれど、確実に魔石ごと始末することが出来た筈だ。
欠片でも残って、それが再生するとなったらもう笑えない。そんな祈るような気持ちで、私はキメラがいた場所を見つめる。
白い花のように開いた閃光は、スプーンで抉り取ったような痕だけを残して消失していた。そこにキメラの姿はなく――再生の気配もない。
「……ふぅー……あぁ、疲れた……」
以前ほどドラゴンの魔力を使うのに抵抗はなくなったけれど、それでも疲れるものは疲れる。疲労感にぼやきながらも、私はなんとか立ち上がろうとする。
「――オォォォオオオオオオ……!!」
そんな時に聞こえてきたのは、叫び声だった。
叫んでいるのは、炎を纏っていた異形の男。彼は空を見上げながら、ただ吼えていた。
その瞳からは――止め処もなく涙が零れ落ちていた。表情こそ、憤怒に歪んでいるようにも見える。それでも彼はただ泣き叫んでいた。
慟哭。もう、そうとしか見えない。彼が一体何者で、何の経緯があってキメラに執着していたのかはわからない。
狂気に侵されながらも、彼はシャルネを助けてくれた。だから私は、彼への対応を図りかねていた。
「……オォオォォォ……」
やがて、その慟哭も火が静まるように小さくなっていく。私がキメラを消し飛ばした余波で火の勢いも弱まっている。これならナヴルたちと合流して、エアバイクに乗って上から消火活動をすれば延焼を防げる筈だ。
……結局、彼をどうするべきなんだろうか。多分だけど、魔石持ちなのは間違いない。このまま放置することは出来ない。正気を失っているようだけれど、でも、例えば闇属性の治癒魔法で正気に戻すことが出来るかもしれない。
そう思っていると、男がゆっくりと私を見た。そこに激情の色はなかった。狂気の色も和らいでいるようにも思える。ただ、あるのは虚無に満ちた、ごっそりと気力が抜け落ちた表情。
「……ァ、アァ……」
がぱ、と口を開いた。その目に、やはり正気はない。ただ、ただ――腹を空かせたような獣のような気配が私に向けられた。
私が悪寒を覚えるのと同時に、男は地を蹴った。私に喰らい付かんとする獣のように飛びかかってくる。
「ま、ず――」
私は反動で足がまだ完全に動ききっていなかった。致し方ないと、セレスティアルを握り直して迎撃しようとする。
――けれど、私が迎撃するよりも早くに全力で男を殴りつける影が割って入った。それは表情を憤怒に染めたガッくんだった。
「……っち、いてぇ。岩かよ、こいつ」
「ガッくん……!」
「下がっててください、アニス様。……こいつは、俺がやるから」
男を殴りつけた拳を振りながら、剣を構え直してガッくんはそう宣言した。
ガッくんが睨み付ける先、ガッくんに殴り飛ばされた男が不気味な動きでゆらりと立ち上がったのが私にも見えた。
「……アンタ、狂っちまってるんだな。よくわかんねぇけど、アレがそんなに憎かったんだろうな。それ以外どうでも良くなるほどに。正気でいられないぐらいに。――でもなぁ、違うだろ」
ガッくんは怒りと、それとどうしようもないやるせなさが入り交じった表情で続ける。
「それでも、アンタはシャルネを守ろうとしただろう。偶然なんかじゃない、俺はそう思いてぇ。そう思いてぇのに、さっきのアレが消えたらアンタはただの化物になんのかよ? ……そんな話、あってたまるか馬鹿野郎」
何かを振り切るように剣を振りながら、ガッくんは胸を張って宣言する。
「近衛騎士団及び魔巧局所属、ガーク・ランプだ。――テメェをぶった斬る!!」




