第54話:悍ましきもの
地が揺れる。なんとか踏み止まりながらも、私は唖然としてしまっていた。同時に、あまりの悍ましさに視線を外すことが出来なかった。
それは――本当に生物なのか? まず、真っ先にそんな疑問が過った。
人の何十倍も大きな巨体、異なる〝頭〟が無数につき、その中でも特に大きな三つの頭は獅子、蜥蜴、鳥と統一感がない。
大きく太い四肢には、まるで羽毛のように様々な動物の手足が〝生えている〟。
翼がある。けれど、それはとてもじゃないが空を飛べるような大きさではない。
尻尾がある。けれど、よく見ればそれは蛇だった。それが無数にのたうち回るように揺らめいている。
統一感もなく、無理矢理くっつけたような歪な形。思わず呼吸が引き攣る。到底、生物とは思えない姿に嫌悪感が腹の底から込み上げて来る。
『――――――ッ!』
低く、重く、醜い合唱。統一していない無数の小さな叫びが、不協和音として響いていく。獅子の頭が、蜥蜴の頭が、鳥の頭が、吼え、唸り、泣き喚く。全身の部位が震えてる様は醜悪さをこれでもかと主張している。
――〝キメラ〟。脳裏にそんな名前が浮かんだ。前世で語られていた、様々な動物が入り交じった怪物。それにしたって、あまりにも見た目が衝撃的すぎる。
「うぇ……っ、うぇぇええ……っ!」
後ろでシャルネが堪えきれずに吐いているのが聞こえた。けれど、私は意識をシャルネに割けなかった。ただ身体の奥から込み上げて来る嫌悪感や寒気、それをねじ伏せて睨み付けなければならなかった。
〝キメラ〟は既に私たちを認識し、意識を向けている。肌に絡みつくような気配から感じ取れるのは――飢餓だ。
「ガッくん! シャルネを守って!」
私は叫ぶのと同時に刻印紋に魔力を叩き込む。目覚めたように溢れ出すドラゴンの魔力をセレスティアルに纏わせながら構える。
私が動くのと同時に〝キメラ〟の尻尾のように揺らめいていた無数の蛇が、その牙を向けて噛みつかんと迫ってくる。
セレスティアルの刃を伸ばし、根元から一斉に斬り飛ばす為に振り抜く。手応えは呆気なく、蛇の胴体が無数に地に落ちた。
一振り、二振り、私がセレスティアルを振るって迎撃している。それならば必然的に数が減る筈なのに、驚くことに斬り落とした筈の蛇が生え替わるようにして伸びてくる。
「再生……!?」
再度、私に向かって蛇の頭が襲いかかってくる。迎撃しようとセレスティアルを振ろうとした所で――炎が吹き荒れた。
肌を焼くほどの熱気が膨れあがり、森が燃え始める。その中心にいるのは、先程の炎を纏った人型の異形だった。
「――――――ッ!!」
炎の異形もまた、強く吼えていた。身体の芯から震わせるような激情の叫び。先程まで私たちに襲いかかっていたのとは比べものにもならない程の感情のうねり。
そこには怒りがあった。そこには悲しみがあった。そこには憎しみがあった。そうとしか思えない姿と叫び、そして炎の異形はその溢れんばかりの熱気をキメラへと向けて解き放った。
「ちょっと、山ごと燃やすつもり!?」
もう、それは炎というレベルではなく、熱線と言うべきものだった。集束された炎が光線のように伸び、キメラの身体に突き刺さる。
そこから抉り、接触面を焼くほどの徹底ぶり。火で表面を焼かれれば、さすがに再生は難しいのか、肉の焼ける匂いが一面に広がっていく。
(もしかして、この周辺に何もいないのって、この二匹で縄張り争いでもしてたから!?)
山から魔物を含めた動物の気配が無かったのは、この規格外の二匹の魔物の争いによって逃げたり、食われたりする事でいなくなったのかもしれない。そう考えれば納得がいく。
そこまで考えていた所で、キメラに動きがあった。キメラは何度も熱線を受けて身体が穴ぼこになりつつあった。小柄でありながらも、あの炎の異形は畏るべき力を秘めていると見て良いのかもしれない。
すると、キメラがぶるぶると身体を震わせた。無数に散らばっていた尻尾の蛇が一つに纏まるようにして束ねられていく。そして――ずるりと肉体が溶けて変形する。それは四つ目の大きな頭の蛇へと変化してしまった。
その蛇の頭が――自分の身体を抉り取るように食いちぎった。
「は――?」
どう考えても自傷行為だ。理解が出来なかったのも一瞬、〝焼けた表面〟を抉ったキメラは巻き戻していくかのように身体を再生させた。
先程まで焼き払われ、このまま絶命しても不思議じゃないと思っていたキメラが悪夢のように何事もなかったようにそこにいる。そして巨大な蛇の頭が炎の異形へと迫る。
炎の異形も狂ったように熱線を吐き出しているものの、蛇はその熱線をものともせずに丸呑みにせんとその口を開く。
「――させないッ!」
魔石を取り込まれでもしたら、ただでさえこの厄介なキメラが強くなる。そんな危機感から私は蛇の頭を切り落とす為に魔力刃を展開し、上段から振り下ろした。
跳躍と合わせた一撃はあっさりと食い込み、蛇の頭を切り落とした。頭を失った尻尾がびくりと震え、引いていくようにキメラの本体の方へと戻っていく。
その間にまた、傷口からずるりと新しい頭が生えていく。その光景を見た私は思わず舌打ちしてしまう。
「なんなのよ、この再生力は……!」
着地して態勢を整えながら私は舌打ちをしてしまう。助ける格好になったとはいえ、炎の異形は味方という訳じゃない。
けれど、炎の異形は私には襲いかかってこなかった。その代わり、目と思わしき光がジッと私を見つめているような気がする。……こっちもこっちで変な魔物よね、一体何なのよ。
キメラと炎の異形、どちらも警戒しながら構えているとキメラの四つの頭が私と炎の異形を同時に凝視してきた。獅子、蜥蜴、鳥、蛇、その四つの目に妖しい光が揺らめいていると認識した途端――まるで、甘ったるいような感覚が全身を蝕んだ。
「――ッ、はっ、ぐぎ……!」
甘い感覚は思考を蕩かし、膝から力が抜けそうになった瞬間に背中に激痛が走った。ドラゴンの刻印紋が魔力を貪り、無理矢理その力を高めたからだ。それはまるで何かに抵抗するような衝撃だった。
「これ……〝魅了〟!?」
この衝撃には覚えがあった。こんな強い抵抗を感じたのは初めてだけど、かつて魅了に抵抗した感覚を何倍も強めたような衝撃だった。
恐らくあの目は魔眼だ。だから視線が合った時に魅了をかけられそうになってしまった。まるで無抵抗に、食われるのを待つように。
「……異常な再生能力に魅了の魔眼……? 冗談でしょ? ――ヴァンパイアの力も持ってるの!?」
かつて、パレッティア王国を揺るがした大きな事件。そのキッカケとなった存在、ヴァンパイア。
その力の研究は、レイニとアルくんという二人の協力によって進められている。だから私でもよく知っている魔物だ。
その力が今、この悍ましい異形の魔物によって振るわれた。つまり、このキメラはヴァンパイアであるか、もしくはヴァンパイアの力を取り込んだものか。
とにかく言えることがある。――こいつは、ここで確実に始末しなければならない。
「ウォァォォォァアアアア――――ッ!!」
魅了の影響を振り払っていると、炎の異形も強く吼えていた。その執着は、あのキメラへと向けられている。……よくわからないけど、この異形はキメラに執着している。圧倒的なまでの殺意を以て、魅了を物ともせずに。
或いは、魅了を物ともしない程にキメラを憎んでいるからなのかもしれない。枯れ果ててしまいそうな声で吼える異形を見ていたら、そう思ってしまう。
再び炎を集めて、熱線として放ち始めるが、その力は少し弱い。もしかしたら魅了の力に抵抗している影響なのかもしれない。キメラも今度は熱線を受けても、再び自分の身も捕食することなく悠然と構えている。
それぞれの首が奇妙に動き、まるで笑っているかのように揺らめいているように見えた。どこまでも醜悪な姿に眉が寄ってしまう。
「こっちに襲いかかって来ないなら、お前からなんとかしてやるわよッ!」
全身にドラゴンの魔力を纏いながら、私はセレスティアルの魔力刃を伸ばして炎の異形の邪魔にならないようにキメラを切り刻む。
しかし、私が斬撃を叩き込んでも避けるそぶりも見せない。斬られた傍から再生すれば良い、そんな余裕がキメラから感じ取れる。
しかも環境が悪い。炎の異形が周囲への影響も考えずに熱線を放っているせいで、どんどん森が燃え続けている。それは熱気となって私を焼いて行き、私の体力をどんどん奪っていく。
頭を潰しても、首を飛ばしても、手足を飛ばしても、とにかく再生される。炎の異形が焼いても、その身ごと食われて再生されてしまえば意味がない。
滴り落ちる汗を拭いながら、私は歯を噛みしめる。……ダメだ、私じゃ相性が悪すぎる。手がない訳じゃないけれど、この状況では下手に使えない。
「……なら、退く? いや、退いた所でこの二匹を暴れ続けさせる訳には……」
でも、炎の異形を先に倒した所で退くことが出来る? そして退いた所で、こいつを倒せる戦力が揃っているかどうか。そもそも魅了の力を使うようなキメラに対抗が出来るのか? あまりにも未知数すぎる。
けど、このまま消耗して私が倒れる訳にはいかない。せめて、もう少し隙があって動きが止まっていれば……!
――その時だった。熱気に包まれた森の空気を貫くように〝光〟が走った。
「――射貫いて、〝ケラヴノス〟ッ!!」
それは雷光。炎の異形が熱線で抉り取るように、雷光の矢が空気を引き裂きながらキメラを射貫いた。
雷が落ちるような衝撃音と共にキメラの身体が揺らめいた。雷光の矢を放ったのはケラヴノスを構えたシャルネだった。そのシャルネを守るようにガッくんが剣を構えている。
「シャルネ!」
「王姉殿下、下がってくださいッ! ッ……二射目、行きますッ!」
シャルネは全身に雷を含んだオーラを纏っていて、狼の耳のようにオーラが揺れている。ケラヴノスが完成する以前、暴走状態となった時とよく似ている。
繊細なコントロールが出来ないのか、シャルネが雷光の矢を番える度に雷鳴の音が喧しく響き渡る。苦痛に顔を歪めながらもシャルネは弓を引くことを止めず、宣言通りに二射目の雷光を放った。
今度は身体の中心に向かって放たれた矢を、蛇の頭が叩き落とすように防ごうとする。しかし、その蛇の頭も食い破って身体に突き刺さる。その瞬間、弾け飛ぶように雷がキメラの全身に駆け巡った。
「――――――ッ!」
天を仰ぎ、全身を震わせるキメラ。低く、重かった声は今度は甲高く、絶叫のような声色に変わっていた。
何度も痙攣するキメラ、そして私は気付く。シャルネによって射貫かれた蛇の頭部が再生してない事に。
「まさか、痺れて麻痺してる!?」
雷を直接その身に受けたようなものだ、幾ら再生能力が高いキメラと言えども、身体を痺れさせてしまえば即座に再生出来ないのかもしれない。
シャルネがまだ矢を打てるなら、私にも有効な手が打てる。そう思って、シャルネに声をかけようとした時だった。
キメラの残った三つの首、その首が〝伸びていく〟。まるで顔だけが違う蛇のように、その頭部は三方向からシャルネに襲いかからんと首を伸ばしていく。
「シャルネ! ガッくん! 下がりなさい!」
私は慌ててセレスティアルで頭の一つを落とす。私が斬り裂いたのは蜥蜴の首、これで残った獅子と鳥の首がシャルネたちとの距離を詰めて行く。
ガッくんも残っているけれど、ガッくんの魔法の出力じゃ一気に首は落とせない。だからガッくんも回避しようとしていたのだけれど、問題はシャルネだった。
「ッ、ぁ……!」
かくん、とシャルネの膝が曲がって、膝をついてしまう。シャルネの意識も一瞬、飛んでいたのか、どこか茫然と迫る首を見つめていた。
私は無理矢理、セレスティアルの魔力刃を伸ばして、伸びきった首を斬り飛ばそうと振るう。けれど、鳥の頭が私の魔力刃の勢いを自分を犠牲にすることで抑えきり、獅子の頭の勢いが落ちない。
「シャルネッ!」
ガッくんが立ち塞がろうとするけれど、獅子の頭は頭突きの要領でガッくんを吹き飛ばしてしまった。踏み止まろうとしたガッくんだけど、蹈鞴を踏んだ瞬間に駄目押しの二度目の頭突きを受けて地に転がってしまう。
そして、立ち上がろうと手をついていたシャルネに向かって獅子の頭が口を開く。
「――ぁ」
呆けたように、シャルネは自分を噛み砕かんとする獅子の口に目を見開くことしか出来なかった。
シャルネが噛み砕かれると思ったその瞬間――何かが勢い良く間に入った。
「オォォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
身を盾にしながら、炎の異形がシャルネの前に立ち塞がって獅子の牙を身に受けていた。牙が食い込んだ身からは血が溢れている。
その血がシャルネを汚しているけれど、シャルネはただ茫然とするしかない。そのシャルネを庇った炎の異形、その身に纏われていた炎が萎んでいく。
「……ひ、と……?」
そして――炎が晴れたそこには、頭に牛の角があれども、人としか思えない男がいた。




