第51話:東の採掘地へ
一般的にパレッティア王国の東部というのは、田舎のように扱われる。
その理由は、アーイレン帝国を始めとした外国の窓口として、西側は防衛力を充実させなければならなかったからだ。
一方で、東側には目立った脅威は魔物以外に存在していない。だからパレッティア王国が最初に注力したのが西側の開拓であり、それが転じて北側にある黒の森などの開拓が行われた。そして西や北の開拓に力を入れたことで東側の領土の発展は遅れていった。
開拓村を建てても魔物に滅ぼされてしまうこともあり、発展していく西側の領土に比べて、最も魔物との戦いが深刻化していたのが東側と言える。それ故に辺境騎士団という、騎士団の中でも大きな騎士団が結成されたりしてるんだけどね。
さて、そんな東側で今最も栄えていると言われている街がある。街の名前はフィルワッハ。北にある〝黒の森〟に続くとされる一大採掘地の開拓拠点であり、今までは防衛拠点として重要な役割を果たしてきた街だ。
フィルワッハは城壁が街を取り囲むようにして作られた円形の都市だ。とはいえ、城塞都市と呼ばれる西のカルリーゼに比べると見劣りしてしまう。それでも魔物と戦い続けてきた防衛拠点は結構見応えがあったりする。
そんな拠点から向かえる採掘地、それは実り豊かな山であった。
「いやぁあああああッ! 追いかけて来るぅーーーー!」
そんな森の中に悲鳴が響き渡る。悲鳴の主はモニカ、山篭もりするにあたって相応しい格好に着替えている。そんな彼女が涙目になりながら必死な形相で山の中を駆けている。
その後ろからは猿に近い姿の魔物――ビックエイプがキーキーと奇声を上げながら追いかけて来る。声の調子からして、明らかに怒っているだろうなぁ、と思うような声だ。
「落ち着け、モニカ!」
「む、無理ですぅーーー!」
そんなモニカの護衛を務めているのはナヴルだ。だが、彼も困ったような表情を浮かべてモニカを追いかけている。
ティルティからモニカに出された宿題は自分の力で魔物退治をしてくる事。その目的は魔法の腕前向上や、覚悟を決めさせる為に出されたものだと思うのだけど、そんな簡単にできたら誰も苦労なんかしない。
魔法は使えても、魔法を実戦で使うようなことがなかったモニカは当然ながらパニックを起こして、何度もナヴルに救出されていた。
本当に音を上げたら私からティルティに口添えするしかないかなぁ、これは……。
「……大変そうですね、モニカさん」
騒がしく悲鳴を上げているモニカと、その補佐に四苦八苦しているナヴルを見つめながらシャルネがぽつりと呟いた。その顔には苦笑が浮かんでいる。
「そうだねぇ。だから私たちは、せめて美味しいものでも用意してあげようよ。久しぶりに現地でご飯作りするけど」
「王姉殿下、本当に野営の準備に手慣れててビックリしました」
山には川もあったので、私たちは川の傍にキャンプを張っていた。そこで手頃な石を集めてきて即席の竈を作っていく。冒険者をしていた頃に野外活動が長引いた時にはよく作ったから、その感覚はすっかり手に馴染んでいる。
モニカが魔物退治に勤しむ間、私たちはキャンプを作って、それが終わったら現地の調査をしようと考えていた。
「事前に冒険者ギルドで聞き込みしても、特に何かおかしな事があった訳じゃないけど……ここも開拓地として見ればまだまだ歴史が浅いからね。調べられる時に調べておいて損はないでしょ」
「それもそうっすねぇ。っと、木の枝拾ってきましたよ、アニス様」
「お疲れ様、ガッくん」
森の中で火の燃料に出来そうな木の枝を集めに行っていたガッくんが会話に交じってくる。モニカと、そのモニカの世話をしているナヴルは大変そうだけど、私たちキャンプ設置組は平和そのものだった。
「ガークさんも戻られましたし、私もちょっと様子見がてら狩りに行ってきても良いですか?」
「いいよ。ここに来たのは息抜きでもあるんだから、私のことは気にせずに行っておいで」
「そういう訳にはいかないんですけど……何か獲物が捕れたら良いんですけどね。それじゃあ行ってきます」
私が快く送り出そうとするとシャルネは何とも言えない表情を浮かべた。そしてケラヴノスを一度撫でてから、軽い足取りで森の奥へと消えていった。
「大丈夫ですかね? シャルネ」
「大丈夫じゃない? 領地では狩りもしてたって話だし、無茶をするような子じゃないでしょ」
「……それもそうですね」
心配そうにシャルネを見送っていたガッくんだけど、私が大丈夫だと念押しするとあっさりと頷いた。シャルネには久しぶりの狩りをのびのびと楽しんで欲しいと思う。
「よし、ガッくん。私たちは食料調達だよ!」
「食料調達って……何するんですか?」
「釣り」
「釣り」
「さっき確認したけど、川魚はいるみたいだから。生態調査も兼ねてね」
「……まぁ、いいですけど」
いいのかなぁ、みたいな表情で未だに悲鳴を上げてるモニカたちの方を見ながらガッくんが頷く。
「というか釣り竿なんて持って来てたんですか?」
「冒険者時代の頃に欲しくなってね、組み立て式で分割して持ち運べるんだ」
「へぇ……なるほど」
私の分の釣り竿と、予備の釣り竿を組み立てて二人で餌をつけて糸を垂らす。
川のせせらぎと、森で木の葉が揺れる音が耳に心地良い。時折モニカの悲鳴が聞こえてくるけれど、それもなんだかご愛敬。
糸を垂らして暫く待ってみるけれど、当たりは来ない。ただ川の流れに釣り竿が揺らめくだけだ。その間、私とガッくんの間に会話はない。とても静かに思える時間だけが過ぎていく。
「……アニス様」
「んー?」
お互いに当たりもなく、糸を垂らしているとガッくんが声をかけてきた。それに私はのんびりとした相槌を打つ。
ガッくんは私に声をかけてきたけれど、なかなか続きの言葉は吐かない。ただゆらゆらと釣り糸が揺れるだけだ。
「昔からこんな事してたんですか?」
「うーん、昔と言っても冒険者やってた時期って長かった訳じゃないよ。私だってまだまだ若いんだから」
「そうっすよね……」
「でも波瀾万丈ではあったかな。スプラウト騎士団長からお墨付きを貰って、父上や母上から許しを貰って冒険者になって、色んな所に行ったし、苦労もあった。後で説教される大物と戦ったこともあった」
今思えば無謀に思われて当然の命知らずなワガママ娘だったよね、我ながら。良くも悪くも噂になるような存在になって、王族であることを隠すのも途中で力を入れなくなってしまった。
あの頃は自分の悪評が立つことはそんなに気にしていなかったし、他人からの評価なんて気にもしなかった。ただ、手に入れたい夢や理想があった。届かせるために我武者羅に走り続けた。
「私の人生にどれだけ意味があったのか、正直私もよくわかってない。大きなことをしてきた自覚はあるけれど、それが必ずしも良いとは言えなかったかなぁ」
「……そうなんですね。でも、迷わないんですよね?」
「迷わない訳じゃないけど、結局のところ、私が譲れなかっただけなんだろうと思うよ。ただそれだけのことだ。私は自分が納得したかっただけなんだよ」
「自分が納得するために、ですか?」
ガッくんの視線が私に向いた気がするけど、私は釣り糸の先を眺め続けた。
「魔法が使えなくても王族らしく振る舞って生きる道も、確かにあったんだ。でも私はそれじゃあ納得できなかった。どんなに否定されても、周りから諫められても進みたい道があった。勿論、反省はいっぱいあるよ? でも、これからも後悔しないように生きていきたいって思えてる」
「……後悔しないように、ですか」
「これがなかなか難しいんだけどね。……私だったらアルくんの事とか、もっと上手くやれたな、とか。ちゃんともっと話し合っておくべきだったな、とか。完璧に生きるのは、とても大変だよ」
それはユフィですら為し得なかった生き方だ。だから生きていれば後悔の一つや二つ、どうしても出来てしまう。反省しないといけない事だって増えていく一方だ。それでも、胸を張って生きるために呑み込んでいかないといけない。
「ガッくんは今まで生きて来た中で、自分の選択を後悔してることってある?」
「……後悔ですか。俺は馬鹿ですからね。もうちょっと考えておけば、って思う事はありますけど、それでも……後悔するようなことを選んではいないと思います。ただ、努力が足りないなって思うだけで……」
「それならガッくんと私は同じだよ。但し、後悔で躓く前の私とね。良くも悪くもあるけれど、本当に後悔したくなるぐらいの何かが起きるまで、真っ直ぐ走ってれば良いんじゃないかな。私なんてきっとガッくんより途方のないものを追いかけてたんだからさ」
私は魔法が使えなかった。どんなに焦がれても使うことができなかった魔法を、それでも諦めることが出来なかった。
その結果、今の私がいる。ユフィと出会うまでに積み上げた努力と時間が、ユフィによって齎されたキッカケで変化した世界が、今まで狭かった世界が広がったことで私は多くのことを思い知った。
「ガッくんは私より年上だけど、キッカケがまだならきっと大丈夫だよ」
「……そうなんすかねぇ」
「少なくともガッくんの働きには不満はないからね。義務を果たしてるなら、後は許される範囲で自由にやれば良いんじゃない? 少しの無茶ぐらいなら大目に見てあげるからさ」
だから、頑張れ。
ガッくんの悩みは私もわからない訳じゃないから。どうしようもなく抱えなきゃいけない気持ちの扱いに困るのも、少しは寄り添ってあげられると思うから。
自由に生きれば良い。果たすべき義務はあるけれど、それさえ果たすなら人は自由だ。強くなる為に考えて、修行したり、考えたりすれば良い。
「思い悩むくらいなら当たって砕けてみるのも一つの手だよ。まぁ、お節介に聞こえるかもしれないけどね」
「……そうっすね。まだ当たって砕けたことはないんで、もうちょっと無謀なことに挑んでも良いかもしれませんねぇ」
「ナヴルに怒られない程度にね」
クスクスと私は笑ってしまう。横目でガッくんに視線を向けて見ると、表情を選ぶのに困ったような顔を指で掻いていた。
「あっ! ガッくん、竿引いてるよ!」
「うぉ! 当たりか!」
ガッくんが握っていた竿が揺れて、糸が引かれる。ガッくんは慌てたように竿に力を入れて、必死の形相で魚を釣り上げようとしている。
そんな様がおかしくて、私は心からの笑い声を上げてしまうのだった。




