第43話:お忍びの祭日 後編
「ごめんね、ファルナ。忙しいのに騒がせちゃって」
「いえいえ! 気にしないでください!」
冒険者ギルドでいつものように受付の席に座っている受付嬢のファルナ。疲労からか、いつもよりも元気がないように見える。目の下には少しクマができてるので十分な睡眠が取れてないのかもしれない。
身長が高いのに気弱な気質から猫背気味のファルナだけど、今日の一段と背が曲がっている姿は彼女の疲労の度合いを伝えている。
「調子はどう? って聞こうと思ったけど、見ての通りよね……」
「あははは、お陰様でスタンピード発生かってぐらいに忙しいですね。ただ、嬉しい忙しさとも言えますよ」
「やはり王都に足を運ぶ冒険者の数は増えていますか?」
ユフィが会話に加わるように声をファルナにかける。ファルナはぺこり、と頭を下げてからユフィに返答する。
「えぇ、過去最高と言っても過言ではないでしょうね。おかげでこの忙しさですが……良くもあり、悪くもありという所ですね」
「やっぱり問題点も出るよね」
「準備はしておいたとはいえ、冒険者ギルドもここまでの人数を抱えたことがありません。なので、ちゃんと働いてくれているかというのは少し不安の種ですね。流石にないとは思いたいのですけど……」
「そういう弊害も出てくるよね……」
冒険者ギルドにも降誕祭の間の警備を依頼で出していたけれども、騎士と違って冒険者は自由だ。自由であるが故にいい加減な仕事をする悪質な冒険者がたまにいる。
依頼を受ける段階で弾ければ良いんだろうけど、人を見定める作業もまた膨大になる。冒険者ギルド側も初の試みに近いから手探りでやっていくしかない。だからチェックをすり抜けてしまうことが起きても仕方ないと思う。
「一応、条件も設けた上で依頼を受ける資格を取って貰っていたんです。王都での依頼を最低でも一つは受けて、これを達成していること。その仕事内容に問題ないかどうか依頼者に確認して、問題がなければ警備の仕事を受けてもらうように、と」
「なるほど……」
「でも、どうしても冒険者さん達の良心を信じるしかない状況なのです。その点はちょっとどうにかしないと、とは思います。制度の整備など、ギルド側でできることはまだまだあるでしょうから。ですので質の管理までは現状、ギルドでは手に余りますね……もしこれで悪評が立つなら、こういった大規模な仕事は冒険者ギルドで請け負いかねることになりますし」
「うーん……そっか。雇用にもなると思って冒険者ギルドを頼ったけど、人材の質の問題か……」
冒険者ギルドが引き締めてるなら問題はないと思うけど、規模が規模だ。見る限り、冒険者ギルドも人が足りないと見える。
依頼に出してる金額に満足してるのか、仕事の内容と見合っているのかどうかも冒険者にアンケートを取って今後の課題にした方が良いかな。動いてみないとわからないものもあるだろうし。
「冒険者ギルドで難しいなら、やっぱり騎士の雇用を増やしてかなぁ……」
「そうですね……騎士団の拡大となると、施設の問題も出てくるのですが……」
「冒険者ギルドとしても積極的にお話を受けたくはあるんですけどね……アニス様が狙ってた日銭稼ぎとしての需要は大きいと思うんですよ。そのお金で魔道具を購入したいって声は多いですし。今や魔道具は冒険者に欠かせないものとなりつつありますから」
「国でも量産体制を整えて、基盤を作りたいですね」
難しく大変な話だけど、冒険者だけでなく国の将来を考えても良い方法を見つけていきたいと思う。
それからファルナと軽く世間話をしてから、私たちは冒険者ギルドを後にした。外に出る際、中にいた冒険者たちが一礼してたのが凄く印象的だった。
「悩みは尽きないものですね」
「そうだねぇ。変わらなくても、変わろうとしなくても生きていれば悩みの一つや二つ、すぐに出てくるよ」
見たい所は見て回ったし、お忍びで羽を伸ばすことはできた。そろそろ王城に戻ろうかな、と考えながらユフィと並んで歩く。
その何気ない会話の際に、不意にユフィが足を止めた。ユフィが足を止めたのに合わせて私も足を止めて、振り返りながらユフィの顔を見る。
「……ユフィ?」
ユフィの視線はどこか遠くを見つめているようだ。冒険者ギルドから出て、少し外れたこの周辺は人の姿が少ない。静かなこことは違い、ユフィの視線の先には賑わう人達が行き交っているのが見える。
そんな景色を眺めていたユフィが一度目を伏せてから、そっと息を吐く。
「生きていれば悩みの一つや二つも出てくる。えぇ、そうですよね。当たり前のことなんです」
「……うん? まぁ、そうだよね」
「私は婚約破棄されるまで、悩んだ記憶がないんですけどね」
そう言ったユフィの表情を、私はどんな表情だと言えば良いのか迷ってしまった。
悩んだ末に出てきた感想が、透明な表情という表現だった。視線が吸い込まれてしまいそうな不思議な表情を浮かべているユフィは、少し人間離れしていて、遠くへ行ってしまいそうにも思えた。
「子供の頃から何でもできました。苦手なことがなかったとは言いませんが、苦手なだけで済みました。公爵令嬢として厳しく育てられたことも苦にしたことがありません。何も疑問に思わず、ただ与えられた役割をこなす。だから、悩んだことなどなかったんです」
「……でも、今は違う?」
ユフィとの距離はそのままに。ユフィに向けて私は問いかけた。すると、ユフィの不思議な表情が微笑へと変わる。先程とは一転して、その微笑は人間らしい笑みだ。
「恐らく、私は婚約破棄されて一度壊れたのでしょう。ただ与えられた役割をこなそうとするだけではいられなくなりました。そう思えば、私は魔道具とそう変わらなかったのかもしれません。与えられた役割をこなすための器。次期王妃という名の、国のために必要なもの。以前の私はそんなものでしかなかった」
淡々と、それでいて懐かしむように語るユフィは明確に過去と違うのだと感じさせる。かつてのユフィがそんなに淡々としていたのだとしても、もうユフィは思い悩まない人形なんかじゃない。
「思い悩まない人生と言えば、それはそれで幸せだったのかもしれません。悩みも苦しみもなく生きていける。それは人の理想の一つでしょうから」
「……うん。そうかもね」
「でも、私はもうこの苦悩も、苦悩を越えた先にある達成感も手放せそうにありません」
ユフィの視線が私へと向けられる。そして距離を詰めながら眼鏡を取った。
「国のためになる施策も、以前であれば数字や臣下からの言葉を聞いただけで良しとしたかもしれません。実際にこうして民の生活を間近で見ようとは思わなかったかもしれません。私は普通の人ではない、人を萎縮させてしまうのならば私はそこにいなくて良いと、そう思っていたでしょう」
「……ユフィ」
「確かに私は普通じゃないです。人より優れていて、人より遠くへ手を伸ばすことができて、人よりも多くのものを守ることができます。でも、それが人との繋がりを断つ理由にはならないとアニスが教えてくれました」
ユフィの手が私へと伸びる。私の頬を撫でて、そのまま髪に挿した花の髪飾りに触れた。
「できるからするのではなく、私がしたいから望むのだと。そう教えてくれたのは他でもないアニスです。この光景を見て、幸福に感じられるのもアニスのおかげです」
「……大袈裟だよ」
「えぇ、きっと些細なことなんでしょう。それでも、私にはどんな宝よりも大事なものです」
ユフィが蕩けそうなほどに幸福そうな笑みを浮かべた。見惚れてしまう程の笑顔が近づいてきて、視界が埋め尽くされてしまう。
頬に添えられた手が僅かに顔を持ち上げるように上に向けさせて、ユフィのキスが降ってくる。触れるだけのキスなのに、唇に触れた熱がずっと残り続けているみたいだ。
「今日、お忍びで城下町を一緒に巡って改めて思ったんです。私は、確かにまだ人でいられているんですね」
「……なに、馬鹿なことを言ってるの」
「真面目ですよ、私は」
もう一度、火傷してしまいそうな触れるだけのキスが落ちて来る。今度は二度、啄むように唇に触れられた。
「あの日に貴方が連れ出してくれたから、私は本当に幸せなんです。私を掬い上げてくれた人が貴方で良かった。ただの人未満だった私に人間らしい彩りを与えてくれた。だから、いつ言おうか迷ってましたけど、今言いますね?」
まだ吐息がかかるぐらいの距離で、額を合わせてユフィは瞳を閉じる。
「――私を、人に落としてくれてありがとう。アニス」
……あぁ、人に落ちるなんて。それは一体、どんな口説き文句だと言うのか。
鼓動が嫌でも速度を上げていく。全身に巡って行く熱は、甘く痺れてうっかり膝を崩しそうになる。
それでも負けじと足に力を込めた。今度は私からユフィの唇を奪った。ユフィが目を開いて丸くするのを見ながら、私は不敵に笑ってみせる。
「――空だって飛べたんだ。流れ星だって拾ってみせるよ」
星に願いを。私が諦めずに上を見上げ続けることができるのだとすれば、ユフィがいてくれたから。それならユフィは私の星だって言える。
ユフィは、一度落ちた星だ。誰も手の届かない頂点にいて、世界を睥睨していた。それはユフィの才能を思えば当然のことで、そして同時にとても悲しいことだった。
精霊契約者となったユフィは、その感性が精霊に寄っている。でも、精霊契約者となる以前からその片鱗がユフィにはあった。
望めばユフィは何も悩まずに、何も疑問を持たずに生きていくことが出来るだろう。それを望めるだけの力がユフィにはある。
それでもユフィは言った。人として生きられることが嬉しいと。そんな口説き文句を言うなら、私だって負けたくない。
私は、この人が世界で一番愛おしいのだから。この思いだけはユフィにだって負けたくない。
「大好きだよ、ユフィ。愛してる」
「……はい。私も、貴方を愛してます。貴方の手を掴めたことがこんなにも嬉しいんです」
最初に崩れ落ちた彼女に手を差し出したのは、私。
遠ざけようとして離した私の手を掴んだのは、彼女。
掴んで、掴まれて、離れることはない。たとえ、この出会いが偶然だったのだとしても、もう偶然なんて名前をつけられない。
互いに運命の相手でありたいと、そう願っている。誰よりも私の魔法を肯定してくれた人。私の全てを受け入れてくれた人。私が全てを受け止めたいと思える、愛おしい貴方。
「ユフィ」
「はい、アニス」
「今、幸せ?」
「……アニスは幸せですか?」
「……うん。幸せだ」
「なら、一緒ですね」
もう一度、どちらから寄せた訳でもなくキスが交わされる。いつの間にか、自然と繋ぎ合わせていた手に力が篭もる。
「……帰ろうか、離宮に」
「えぇ、帰りましょう」
手を繋いで、このまま一緒に。私達に幸福を感じさせてくれた喧噪を背に向けて歩き出した。
 




