第41話:お忍びの祭日 前編
「よいしょ、っと。……うん、これでいいかな」
ルークハイム皇帝との視察を終えた次の日、私は自分の部屋で着替えていた。
今日着ている服はいつもの騎士服ワンピースドレスじゃなくて、平民達が着ているような地味で質素な服だ。更に自分の髪を隠すように帽子を被って、鏡を見る。
「久しぶりにお忍び用の服を着たな……」
今日は待ちに待ったお忍びで城下町に出かける日だった。昨日は視察で城下町には出たけれど、お忍びでは久しぶりだから楽しみだ。
すると部屋をノックする音が聞こえた。どうぞ、と扉に声をかけると中に入って来たのはユフィだった。
ユフィも今日はその長い白銀色の髪を帽子にしまって、質素なワンピースに身を包んでいた。印象を変える為なのか、伊達眼鏡もかけている。
「アニス、準備は良いですか?」
「うん! 勿論!」
ユフィの問いかけに私は満面の笑みを浮かべて返す。するとユフィも釣られるように笑みを浮かべてくれた。
「お忍びで出かけるのも久しぶりですね」
「そうだね。昨日はルークハイム皇帝と視察で城下町には降りたけれど、やっぱり自分の足で歩いて見て回りたいし!」
お祭りはやっぱ自分で歩いてこそ、だよね! とはいえ、私もユフィも立場が変わってしまってからはお忍び自体が久しぶりだ。
何よりユフィと一緒にお出かけ出来る、というのが嬉しい。そう思ってユフィの顔を見ると、ユフィも笑みを浮かべて私に手を差し出してくれた。
「それじゃあ行きましょうか」
「うん!」
誘うように声をかけてくれたユフィに返事をして、差し出してくれた手を繋ぐ。そのまま手を繋いで、私達は離宮を後にした。
そのまま遠回りをするようにして、王城側とは逆側に回ってから城下町へと入る。祭りは二日目だけど、その賑わいは初日に劣ることはなかった。
行き交う人々に立ち並ぶ屋台。商人達の客を呼び込む声が響き渡り、旅芸人達が広場の一角で芸を披露している。
時折、親子連れの子供達が明るく笑いながら手に持った屋台の軽食を美味しそうに頬張っているのが見えたり、恋人と思わしき年若い二人が露店のアクセサリーを眺めていたり、そんな光景をそこかしこに見ることが出来た。
「うひゃぁ、凄い賑わいだ……実際に歩いてみると凄いね」
「えぇ、馬車で移動していると気にならないものですが、歩いてみると人が溢れてると感じますね」
眼鏡越しに祭りの喧噪を眺めていたユフィが感慨深げに言う。王都はパレッティア王国の中でも栄えている町の一つだけど、ここまで賑わっているのは初めてだ。
それが私達が為してきた改革や施策のお陰だと思えば達成感も沸き上がる。自然と笑みが浮かぶけれど、眺めているだけじゃ祭りは楽しめない。
「まずは軽食でも摘まもうか? 朝、何も食べてないし」
朝ぐらいは何か食べていったらどうですかと、イリアには言われたけれど断った。どうしても祭りの屋台でお腹を満たしたかったからだ! 普段は食べられないものだから尚更!
「私は構いませんよ。まずは屋台を見て回りますか」
「そうだね!」
ユフィと並んで行き交う人の波に合わせて移動する。食べ物を扱っている屋台のエリアからは鼻をくすぐる良い匂いが漂ってくる。
時間は本来の朝食の時間からは少し過ぎて遅めだけれど、食事を購入する為に足を運ぶ人は多い。目移りばかりしてるだけじゃ決められない。
そんな中でふと目に入った屋台があった。販売している商品はコッペパンサンドだ。具材の肉はその場で焼いて、冷蔵箱で保管している野菜と一緒にパンに挟まれている。
「あ、これなら食べやすそう。すいません、これ二つお願いします!」
「あいよ!」
注文を受けたオジさんが眩しい笑顔を浮かべて快く返事をする。手早く具材を挟んだコッペパンサンドを二つ受け取って、支払いを済ませる。
「はい、ユフィ」
「ありがとう、アニス」
受け取ったコッペパンサンドを一つ、ユフィに手渡してからコッペパンサンドを片手に持ちながらかぶりつく。
肉に絡んだタレの味がまた良い。くどくなりすぎないように野菜の味が歯ごたえと爽快感を口の中に広げてくれて、パンのほんのりとした甘さが具材の味を引き立てている。
うん、これは素直に美味しい! そう思って食べていると、ユフィが慎ましく一口囓って目を丸くしているのが見えた。
「……これは美味しいですね」
「あれ、ユフィが食事で美味しいって言うのは珍しい」
「もうかなり前ですが、以前に城下町で食べたものと比べるととても洗練されているというか……」
「それって、もう二年ぐらい前じゃない? お祭りだからって言うのもあるけど、やっぱり調理器具が発達して、全体的に料理の質だって上がってると思うよ」
「それもそうですね。これも貴族向けの食事とは言えませんが……いえ、ですが手軽に食べられて良いですね。執務が忙しい時には、これで食事を済ませるのも……」
「ユーフィー?」
また一口、コッペパンサンドを食べて思案しているユフィの鼻を指で押した。
鼻を押されたユフィは少しだけ後ろに仰け反ったけれども、すぐに眉を寄せて姿勢を正す。
「もうっ、今はお仕事の話はなしだよ。あと食事はちゃんとゆっくり食べなさい」
「……アニスだって半分食べ終わってるじゃないですか」
「こういうのは良いの! 軽食だもん!」
私がそう言うと、ユフィは納得いかない、という顔をしながら食事を進める。手が汚れそうな具材はパンで挟まれているから、そのまま二人でゆっくり歩いて行く。
コッペパンサンドは食べやすいサイズだったけど、これだけじゃちょっと足りない。次に目についたのは腸詰め肉の一本焼きだ。
前世のお祭りと言えばフランクフルト、そんな記憶が不意に蘇った。懐かしさもあって、私は次の狙いを腸詰め肉に定めた。
「オジさん! 二本くださいな!」
「まいどあり! ……ん? アンタ、どっかで見たような……?」
「気のせいだよ!」
私の顔をまじまじと見ようとしたオジさんを誤魔化して、串に刺された腸詰め肉を受け取る。そのまま自分の分を咥えて噛み千切る。
良い歯ごたえと音を立てて肉の味が口いっぱいに広がっていく。良い塩加減だ、ただ肉汁がちょっと熱くてはふはふと息をしてしまう。
「うん! こういうのも良いよね! はい、これ。ユフィの分!」
「待ってください、まださっきのパンが食べ終わってなくて……」
ユフィはコッペパンサンドをようやく半分食べ終わった所だった。両手で抱えながら小さな口で食べているのだけど、なんとなくハムスターを思い出してしまった。
そんなユフィに頬が緩んでしまうのだけど、つい悪戯心が出てユフィの口元にユフィの分の腸詰め肉を差し出す。
「ほら、美味しいよ。あーん」
「……アニス」
「あーん?」
「……」
私に差し出された腸詰め肉を見てユフィが困惑したように眉を寄せるけれど、すぐに諦めたように口を開けて腸詰め肉を口に運ぶユフィ。
小さな一口だけれど、私が立てた音のように良い音を立てて噛み千切るユフィ。その瞬間、ユフィが目を見開いた後、ぎゅーっと目を瞑ってしまった。
そしてはふ、はふ、と口が開閉して熱さを逃がそうとしている。両手が食べかけのコッペパンで塞がっているのだけど、その両手が上下に小刻みに揺れている仕草がまた可愛らしい。
「……あふっ、……あついです」
「ぷっ……く、ふふふ……!」
「……アニス」
「ご、ごめん……! でも、ほら、美味しいでしょ?」
少し目を釣り上げたユフィだけど、頬に僅かに朱色が差しているのを見て更に笑いが込み上げてくる。こんな可愛いユフィを見れただけでもうおつりが出る程だ。
そうして笑いを堪えていると、ジト目になったユフィが片手でコッペパンを掴み直して、空いた片手で私の肩を掴んだ。そのまま私が動かないように力を込めると、私が囓った腸詰め肉の方をユフィが半分以上も囓っていった。
「あっ!」
「……そうですね、美味しいですよ? アニスの食べかけ」
私が食べていた方の腸詰め肉を咀嚼し、呑み込んでからユフィは微笑んだ。その際にぺろりと唇を舐めたのが挑発的で思わずカッと頬に熱が上る。
ユフィの得意げな表情に頬を染めてしまった。よ、よくもやってくれたわね……! 意趣返しにしてはやりすぎでしょ……!
「自分の分を食べなよ……! 半分以上も食べた!」
「そうですね。私は十分満足したので、私の食べかけをどうぞ召し上がってください」
「そういう事する……!」
素知らぬ顔でコッペパンを食べ始めたユフィに思わず歯噛みする。仕方ない、と両方ユフィが囓った腸詰め肉を手早く食べてしまう。
間接キスだとか、あんまり意識はしない。意識をすればユフィの思うツボだもの……!
「少し喉が渇きましたね。あぁ、アニス。スイカジュースが売られてますよ」
「ん? あ、本当だ」
ゴミ箱に食べ終えた串を投げると、ユフィが屋台で販売されているスイカジュースに目をつけた。
喉が渇いたのは私もだったので、二人分のスイカジュースを購入。ただ、このジュースは店の前で飲んで器を店に返す販売形式だった。
まだ使い捨ての容器とかがないから仕方ないか。祭りが盛んになってきたら、そういう容器も需要があるかもしれないけれど……。
「ん、よく冷えてるね。これ」
「えぇ、スッキリして美味しいですね」
スイカジュースはとてもよく冷えていて飲みやすい。ほんのりとした甘さと、程良い冷たさが爽快感を感じさせる。
「ジュースにする前に果肉と水を冷やしておいてあるんですよ。冷蔵箱のお陰でさ」
「屋台の軽食でも冷たいものが提供出来るようになったのは良いね、人気も出てるんじゃないですか?」
「はははっ、お陰様で器を洗うのが大変ってね!」
ミキサーでスイカジュースを作りながら屋台のお兄さんが笑う。すると、お兄さんが小さな串に刺した水瓜を差し出してきた。
「こっちもサービスでどうぞ」
「え?」
「……お楽しみ頂ければ私共としても幸いですのでね、アニスフィア様」
小声でお兄さんが囁くように言った。そして茶目っ気たっぷりのウィンクをしてくる。うっ、やっぱりわかる人にはわかっちゃうよね。
それでも声を潜めてくれたってことは、私達がお忍びで散策しているというのをちゃんとわかってくれてる証だ。サービスだという水瓜を受け取りつつ、私はお礼の言葉を返す。
「バレましたか」
「まぁ、ね。流石にわかる人にはわかっちゃうよ」
屋台から離れた所でユフィが小声で確認するように聞いてくる。私も肩を竦めながらユフィに返答する。
「でも、声を潜めて頂きましたし、良い方でしたね」
「そうだね。はい、ユフィ。水瓜」
ユフィに串に刺した水瓜を手渡す。ユフィはそれを受け取ったと思えば、自分の口には運ばず、私の口元に運んできた。
「はい、あーん」
「…………意趣返しやりすぎじゃない?」
「食べないのですか?」
「…………」
ニコニコと笑って聞いてくるユフィに、私は眉を寄せながらユフィが差し出した水瓜を一口で食べる。
ひんやりとした果肉が口の中で解れるように崩れていく。ジュースの時とはまた食感が違う甘さが口の中に広がっていく。
けれど、口の中の清涼感とは対照的に頬の熱は上がりっぱなしだ。
「……はい、ユフィ。あーん」
「はい、頂きます」
ささやかな仕返しのつもりでユフィに自分が持っていた水瓜を差し出す。私と同じように一口で水瓜を食べて、頬を綻ばせた。
「甘いですね」
「うん、ひんやりしてて食べやすい」
「食料の保存という観点で注目していた冷蔵箱でしたが、料理の幅を拡げるのにも役立っているみたいですね」
「あぁ、そうだ。それならあれがあるんじゃないかな? 氷菓!」
「ありそうですね、探してみますか?」
「うん! 行ってみよう!」
次に買いたい商品を思い浮かべて、私は先に進もうとする。そんな私の手をユフィが手を取って指を絡める。
少し驚いてユフィの顔を見たけれど、ユフィは穏やかに微笑んでこっちを見ている。私も自然と頬が緩んで、ユフィが握ってきた手を握り返した。
まだ、お忍びは始まったばかりだ。




