第39話:降誕祭、視察開始
「これは見事な賑わいだな! 帝国でもここまでの祭りと言われると思い浮かべるのが難しい程だ!」
遂に始まった魔学降誕祭の視察。私とユフィはルークハイム皇帝とファルガーナ様と一緒の馬車に乗って城下町を巡っていた。馬車の窓から見える祭りの風景をルークハイム皇帝は生き生きと楽しんでいるようだった。
結局、昨日から友好的にぐいぐいと押してくる姿勢は変わらないのか、今日もやけにフレンドリーな皇帝だ。視察に出発する前、見送ってくれた父上がげっそりしていたのは多分、気のせいじゃない。
「アーイレン帝国の方が規模も大きいので、祭りもさぞ華やかなものかと思っていましたけど」
「うむ。帝国の祭りと言えば戦勝を祝う祭りが多いな。確かに賑わいだけで比べるなら今日の降誕祭にも劣らぬだろう。だが、感心するのは祭りの中身よ。こうした屋台などで出されているのは王国で普及し始めた魔道具や、その魔道具を使う事で生み出された新商品なのであろう?」
「えぇ。魔道具を民が手に取れる機会を、と思って開催が決まった経緯があります」
「そこだ、私が感心しているのは。ただ騒ぎ、祝うだけの祭りではない。このような祭りはまだまだ帝国には根付かない文化であろうよ。パレッティア王国とは土台が違うとわかってはいても、伝統や文化の為の祭りというのは帝国では些か主導しにくい」
そう語るルークハイム皇帝の表情は少し引き締められ、友好的な態度から一人の皇帝としての顔を見せていた。
「帝国は数多くの国を呑み込み、併合してきた。勝者の権利と言えばそうだが、やはり帝国に併合するために不都合な文化や風習がある場合、どうしても廃さなければならない時も多い。こうした祭りを帝国で国が主導して行うには今は無理だと答えるしかあるまい」
「国の大きさが祭りの華やかさを決める訳ではない、という事ですか……」
「うむ。まぁ、かといってこの変化も近年のものだろう? パレッティア王国は元より貴族の権威が強い。祭りとは言っても精霊への感謝が主であり、ここまで華やかではなかったと記憶しているが?」
「そうですね。やはり、そこは魔学や魔道具の影響と言うべきでしょうね」
ユフィが一つ頷いてからそう言った。祭りの規模は年々、大きくなってるからユフィの言ってる事も間違っていない。
祭りは主導するのにもお金がかかる。お金がかかるのにわざわざ平民に向けた祭りを開こうとする発想は貴族になかったというか、ハードルが高い上に平民に労働力以上の価値を見出しづらかった、という事情があったのは認める。
けれど、魔道具によって民の事情も大きく変わっていった。民の手を借りなければ魔道具の大量生産なんて夢のまた夢だ。
だから貴族は改めて平民を労うという事に価値を見出し始めた。尽くして貰うのが当たり前なのではなく、働きに見合った対価を。優れた功績を残した者には、相応の賞賛を。
それは今までの貴族と平民の関係を一変させるものだった。その象徴が魔学降誕祭とも言える。
「王や貴族は国における頭脳だ。だが、頭だけがあっても国は成り立たない。だからこそ民を守らなければならない。彼等は国にとっての手足だからな。その手足をより長く、様々な分野へ羽ばたかせる魔学は素晴らしい思想であり、魔道具は歴史を変える発明とも言えるだろう」
「まぁ、それは……」
実際、歴史を変えてきた発明を横流しにしたとも言えなくない。前世の知識が無ければこの光景はなかったと思うし。育った環境のせいで、いつしか自分の為の発明になっていたけど、本当に最初の志はこんな光景を見たかったからで、私は魔法に憧れていた。
人が人らしく、夢や希望を語る世界。貴族と平民の価値が平等とは流石に言えないけど、それでも貴族だから優遇され、平民だから蔑まれていいとは思わない。
だから貴族と平民が相互に支え合い、尊重し合える関係性を築きたい。そうなれば良いと心の底から祈ることが出来る。
「魔学によって見出されるのは希望への道だ。この光景を見れば、やはり強く思わせられるのだ。勿論、その為の土壌を築き上げたオルファンス先王とシルフィーヌ王太后の功績もあってのことだと思うがな」
「えぇ。義父上と義母上が地盤を整え、国を守り続けた結果です。今、この光景があるのは私達が健やかに育つ事が出来たからだと、そう思いたいです」
父上達が歩んで来た道は、決して楽な道ではなかったと思う。健やかに育ったとユフィは言うけれど、教育に関しての問題はとても大きかった。
精霊省の前身である、今は解体された魔法省が強勢を誇っていた時代。極端な精霊信仰を推し進める姿勢、王権を脅かすほどの権力志向によって歪んだ価値観を育ててしまった者は多い。
精霊契約の真実が公表されてから教育も見直され、精霊信仰に傾倒する者は少なくなってきた。それでも既存の考えを捨てられない人はいる。逆に今までの考えを強く否定するようになってしまった者もいる。
変化は良い面も、悪い面もどちらも生み出してしまう。こればかりは時間をかけてどうにかしていくしかない。
その変化を促せるだけの土壌を用意してくれた父上達に恥じないように、私はユフィと一緒に国を導いていかなきゃいけない。私なりの方法で、だけど。
「しかし、見た限り武器や防具というよりも日常生活に使う道具が多いのだな、魔道具は」
「元々、精霊石は民の生活を支えているものでしたから。ただ精霊石を使うのではなく、魔道具という形で加工する事でできる事の幅を拡げたり、利便性を上げたりするのが目的です」
「ふむ。しかしアニスフィア姫は王族だろう? ここまで民の生活に目を向けた魔道具を作るにしても、かなりの下調べをしたのではないか?」
「下調べもしましたけど、何より私が便利だから作ったものが大半だと言うか……」
「うむ? そうなのか?」
「私は冒険者として活動していた時期もありましたから。ですから野外の炊事や、民の生活に触れる機会が多かったので……」
「あぁ、なるほどな……」
納得したようにルークハイム皇帝が頷いてみせた。その顔には少しばかり苦いものが感じられた。
「昔、皇族の務めで、戦地に将として向かった事があるが……野外の活動は堪えるものがあるからな」
「えぇ、飲み水の問題から火の取り扱い、風雨を凌がなければならなかったり、備えることは無数にあります」
「あぁ。帝国では王国のように精霊資源が潤沢という訳ではないからな、ここまで生活に取り入れられている訳ではない。しかし、行軍先で水や火の精霊石に助けられた事も多い。国内でもっと数を、と望む声が上がるのは理解が出来るのだが……」
ちらり、とルークハイム皇帝が獲物を見つめるような笑みを浮かべてユフィを見る。応じるユフィも澄ました綺麗な笑顔で迎え撃つ。
「残念ながら、まずは国内への供給が優先ですので……」
「まだ何も言っていないぞ? 女王陛下。しかし、そこを何とかもう一声頂けないか?」
「確約しかねます」
「残念だ」
口では残念とは言うけれど、ルークハイム皇帝に残念がっている気配はまるでない。多分、じゃれ合いみたいなものなんだろうと思う。
「しかし、今以上の、と言うのは実際に厳しいものがあるからな」
「と、言うと?」
「アーイレン帝国とパレッティア王国はあくまで対等でなければならないと私は考えている。この対等という天秤を崩せば、帝国の過激派がまた息を吹き返すだろうからな。こちらが譲りすぎれば弱腰の皇帝など不要と言われ、かといってパレッティア王国に譲らせてばかりでは併合を目指すべき、との声が出かねない」
「……それはまた」
先程まで軽い調子だったルークハイム皇帝が表情を引き締めていた。私も自然と居住まいを正す。
「幸いなのはパレッティア王国の野心が大きくない事だな。良くも悪くもそちらは他国から干渉されても影響が通りにくいからな」
「それは国民性と言っても良いのかもしれませんね。未開拓の領土を広げたい、という思いこそありますが、他国と戦争してまで領土が欲しい訳ではないですからね。私達が欲しいと思う領土は精霊資源の採掘地です。だから魔物こそが王国の敵とも言えます」
「人と戦争をしている場合ではない、か。帝国も魔物の問題は無視は出来ないのだがな。国が変われば求める品も変わるものだ」
眉間を指でそっと抑えながらルークハイム皇帝が溜息を吐く。諦観混じりの疲れた溜息だ。
「やはり帝国は膨れあがり過ぎたな。パレッティア王国も一枚岩という訳ではないのだろうが、帝国よりはまだマシだと思っている」
「……お互いの国の事情は比較するようなものではありません。お互いにより良い道を模索していくことが重要ではないでしょうか?」
「うむ。それもそうだな、ならば尚のこと、今日の祭りは楽しまなければなるまい!」
空気を変えようとするかのようにルークハイム皇帝が膝を叩いて朗らかに笑った。この切り替えの良さにはいっそ、惚れ惚れとするのだけど。
「そういえばさっきから黙ってるけれど、大丈夫です? ファルガーナ様」
「ん? あぁ、いや。兄上が喋りたそうにしているからな、邪魔をするのも忍びないと思っているだけだ。気にかける必要はないぞ?」
先程から黙っていたファルガーナ様が気になって、つい声をかけてしまう。私に声をかけられたファルガーナ様は朗らかに笑って肩を竦める。
「正直、オルファンス先王に代替わりしてからのパレッティア王国との関係は微妙だったんだ。パレッティア王国の政変に、その政変に合わせて突き崩したい父上。それを防ぎきってみせたシルフィーヌ王太后。兄上が皇帝に代替わりしてもパレッティア王国を狙いたい奴等はいるし、兄上も思うように身動きが取れなかったからな」
「……その結果が私の暗殺未遂ね」
「それに関しては本当に悪いと思っているし、アニスフィア王女に何事もなくて本当にホッとしているさ。ただ、立場やしがらみが絡めば思い切って全てを詳らかに語る訳にもいかないだろ」
「それは、まぁ……」
お互い、国のトップという立場がある。どんなに好ましく思っていても、立場というものがある。
「それでも今、こうして兄上がパレッティア王国に訪れることが出来て、祭りにも参加させてくれる。本当にありがたい事なんだ、帝国は王国に比べれば荒々しい奴も多いしな」
「だが、だからこそ帝国はここまで大きくなることができた。それは一つの長所でもあろう、ファル」
ファル、と愛称で弟を呼びながらルークハイム皇帝は腕を組んだ。
「確かに帝国民は喧嘩っ早く、荒事にも事欠かない。喧嘩や私闘も珍しくはない。だが、だからこそ強い民が育ってきた。それが転じて戦好きであったり、戦の功績が評価されやすいのは悩ましい点だが、私はそんな帝国民を愛しているよ。だからこそ、か。パレッティア王国と友好的な関係でありたいと望んでいるのは」
「だからこそ?」
「強き者が得られるだけ得る、というのは私は当然のことだと思っている。しかし、だからといって弱き者ばかりが虐げられていたら国は先細りしてしまう。帝国は膨れあがり、多くの火種を国内に抱えることとなった。手を打つなら早い方が良い。武の誉れを捨てずとも良い。しかし、それだけではダメなのだと学んで欲しい」
それは切実な祈りを込めるように、ルークハイム皇帝は目を閉じながらよく通る声で告げる。
「その先駆者がオルファンス先王であり、そして貴方だと思っているよ。アニスフィア姫」
「は、はぁ……」
「もしアニスフィア姫が魔学の発展のためには多くの犠牲もやむなしと、そういった人間であれば今の貴方はこうしていなかっただろう。それだけにアニスフィア姫の影響力は危うく、紙一重のものだ。それは姫自身が一番弁えているように思えるがな」
「…………」
ルークハイム皇帝の言葉に私は何も返すことが出来なかった。
もし、この魔学の知識を自分の欲望の為に、それも人の迷惑も犠牲も考えないで進んでいたら。確かにそんな風になってしまったら私は王女としてこの場にはいられなかったかもしれない。
紙一重とルークハイム皇帝は言った。私は危うい存在だと、それは私自身も感じていることだし、多分父上と母上も私に感じていたと思う。それでも私は王女としてこの場にいられる。
目を閉じれば、父上の背中と母上が私を叱責する声がすぐに浮かんできた。思わず苦笑を浮かべてしまう。
(……本当に偉大な人達だよ、父上と母上は)
あの人達に育てて貰ったから今の私がいる。その実感に私は胸が温かくなるのを感じて、恥ずかしくなって頬を朱に染めた。




