Another Story:呪われ令嬢は斯く語りき 02
ティルティの衝撃的とも取れる発言の後も授業は普通に続いた。しかし、シャルネは上の空になってしまっていた。お陰で授業の内容の半分も聞き取れたかどうか。
シャルネが気になっていたのは他の人達の反応だった。プリシラは無表情に見えるけれども、どこか不満そうに授業を聞いていた。モニカは特に何も気にした様子は無さそうだった。
そんな不穏な空気の授業が終わり、次の日になった。シャルネは廊下を歩きながら、昨日の授業について思いを馳せていた。
(どうしてティルティ様はあんな教え方をするんだろう……?)
ティルティの授業のやり方は、プリシラほどではないけれどもシャルネも反発を覚えそうだった。今から教える事に意味なんてない、けれど無駄にはならない。結局どっちなのかはっきりしない。
(他人から教えられた通りに魔法を使うのは、そんなに悪い事なのかな……)
もし、それが悪いと言うのならアニスフィア達がやっている事を否定されたようにシャルネは感じてしまうのだ。
誰もが魔法を使いやすいように魔法を解析する。実際にその偉業を担ったのはユフィリアや魔学省のハルフィスだが、切っ掛けとなったのはアニスフィアだ。
それをシャルネは尊敬していた。けれど、ティルティの言い様ではそれが無意味だと言っているように聞こえる。
それがシャルネの心に小さくない反発心を生み出していた。どこか気分がスッキリしないまま、シャルネは廊下を進む。
「あぁ、シャルネ。丁度良かったわ」
「え?」
曲がり角を曲がった所で、その先にいたティルティに見つかった。
「あの、私に何か?」
「アニス様が戻ってくる前に工房が完成したら、貴方の弓を作ろうと思ってたのよ」
「私の弓……例の魔石を用いたものをですか?」
「その試作品ね、だから打ち合わせをしたかったの。今、時間あるわよね?」
それは肯定しか求めていない問いかけだった。実際、特に予定もなかったシャルネは頷いた。アニスフィア付きの侍女であるシャルネは、主が不在であれば割り当てられた仕事というものはない。
好んでティルティと一緒にいるような気分ではなかったが、シャルネはあくまで子爵令嬢。身分が上の侯爵令嬢であるティルティに逆らうような事は出来ない。どんなにティルティが自分の身分を気にしていないとしても、シャルネには気にしないという事は出来なかった。
そのまま無言で二人で歩く事になったシャルネとティルティ。その間、シャルネはずっと気まずいままだった。つい、何度も視線をティルティに向けてしまう。
けれどティルティはシャルネに興味がないのか、視線を向ける事はない。そのままシャルネが黙っていると、ティルティから声をかけてきた。
「そんなに私の授業が気に入らなかったかしら?」
「……っ、別に、そういう訳じゃないです」
「別に気を使わなくて良いわよ? 嫌われるつもりでやったもの」
あっさりと言ったティルティにシャルネは信じられないという思いで視線を向ける。ヴェール越しで顔は見えないが、ティルティの視線は自分に向いている事がシャルネにはっきりとわかった。
「……わざとなんですか?」
「えぇ」
「どうしてですか?」
「一から説明しないと意図まで読み取れない?」
わかる訳ない、思わずシャルネは心の中で呟いた。そもそも、ティルティは他人との友好的な関係を築こうとしない。本心をはぐらかそうとするような人の考えをシャルネに読み取れる訳がない。
シャルネが答えあぐねていると、ティルティが小さく溜息を吐いた。
「まぁ、良いわ。別に隠しているような事でもないし、話してあげる。私はね、魔法が嫌いなのよ」
「……それは、なんとなく聞いています」
「貴方、昔の私について聞いた事あるかしら?」
「昔のティルティ様……ですか?」
それは知らない、とシャルネは眉を寄せた。流石に何か事情があるという事は聞いている。クラーレット侯爵家という身分の高い家に生まれたものの、婚約者もいない、社交会にも顔を出さないという事は知っている。でも、その理由や経緯まではシャルネは知らない。
「私はクラーレット侯爵家の唯一の汚点、そう言われてたのよ。今もだけどね」
「……汚点?」
「私の体質はアニス様から少しぐらい聞いているでしょう? 私は魔法を使うと加虐性が増したり、理性のたがが外れるのよ。魔法を使えば暴走しやすいって事ね。だから貴族令嬢として、私は落第も良い所なのよ」
思わずシャルネは息を止めてティルティの表情を見た。ティルティの表情に陰りはない、ただ事実を語っている程度にも見える。
けれど、それはパレッティア王国の貴族としては異端の反応だ。普通、貴族の令嬢にとって魔法が使える事は評価項目になる。
ティルティはその評価をどうでも良いと、そして魔法そのものを嫌っている。だからこそ昨日の授業での態度に繋がるのかとシャルネは納得する。
「そんな体質だから私は魔法が精霊から賜った加護だとか、貴族である証明だなんて思ってない。魔法を使える事は呪いで、人の身に余る力なのよ。使える奴は運が良かっただけ。運が良くない奴にとって魔法は迫害の対象になり得る」
「そんな……」
「私みたいな体質の奴に限らない。例えば、平民の身分に身を窶した貴族との間に生まれた平民の子供、それが魔法の才能を持っている事もまた不幸の種になる。貴族という枠組がなければ、魔法は恩恵たり得ないのよ」
ティルティの言葉にシャルネは反論の言葉を持たなかった。魔法の力はパレッティア王国で権威や尊敬の象徴として扱われている。けれど、それは決められた枠組の中にあってこそ成り立つもの。
異端は嫌われる。今は少しずつ、精霊や魔法への絶対視が和らぎつつあるが、それでも最近になっての事だ。それまで、異端とされていた人達の扱いは酷かった。それはシャルネには縁遠い世界の話だった。
「なんであんな授業のやり方をしたのかって言えば、貴方達の固定観念を壊す為よ。魔法は深く広く、究められるのはごく一部。今までは精霊への信仰こそが正しい魔法の深奥への迫り方だと思われていた。それもまた事実よ、けれど全てじゃない」
「……全てじゃない」
「大事なのは魔法を〝どう定めるのか〟決める意志よ。だからこそ自分を知り、魔法を知り、世界を知る。魔法を磨くだけで究められる奴もいれば、信仰心に殉じて魔法の極みに辿り着く奴もいる。最初から極みを知る位置にいる奴もいれば、まったく何も持たないくせに魔法という真理を解体していく奴もいる。だからね、魔法における〝他者からの価値観〟なんて、そのまま倣うだけならその程度なのよ」
くるり、とティルティは足を止めてシャルネの胸に指を当てる。とん、と胸を押されたシャルネは少しだけ後ろに下がってティルティの顔を見上げる。
「他人からの受け売りなんて無意味よ。えぇ、これは極論。でも覚えておきなさい。自分の意志を貫く為に必要な受け売りは、それは自分の中にあるものから来ているの。自分の為にならない教えは忘れちゃっていい。ただ意志を貫く者にだけこそ、魔法の真理の鍵は与えられるわ」
「……最初からそう言ってくれれば、反発なんてなかったんじゃないですか?」
「放牧されてる家畜にでもなりたいの? 与えられた物だけを食んでても意味がないわよ。魔法は魔の法則を知る事によって成り立つ。私達が目指す究極は魔物のような領域なの」
「ま、魔物……」
「そう、つまりアニス様やユフィリア様ね。人の道でも外れるのが手っ取り早いのよねぇ」
ケラケラと笑うティルティにシャルネは口元を引き攣らせて黙り込んでしまった。あまりにも不敬が過ぎる態度にシャルネがどう反応して良いか困ってると、ティルティが落ち着いた表情を見せた。
暗い赤色の瞳は、まるで底無しの闇に思えた。その深奥を覗き込んでしまったシャルネは思わず肩を震わせた。このまま引き摺り込まれてしまいそうになり、目を逸らす事が出来ない。
「人を辞めれば良い、って訳じゃないわよ。〝誰もこれだけは人に譲れない〟って拘りよ。アニス様やユフィリア様はね、外れるべくして外れただけなの。人は誰しも己の内に怪物を飼っている。それを目覚めさせるか、手なずけるかは自分次第よ。よく覚えておきなさい、シャルネ」
そっとティルティはシャルネの肩に手を置いて、耳元で囁くように言った。
「――〝人でなし〟である事は、意外と隣り合わせなのよ。私達」
* * *
「……何か、落ち込んでるのか?」
「へ?」
シャルネはまだ建設中のトマスの工房へとやってきていた。まだ未完成ではあれど、ほぼ完成に近い工房はトマスの持ち込んだ道具などが搬入されつつある。
ここではアニスフィアが生み出したい魔道具が次々と作られる事となるだろう。その生産拠点となる工房は、夢の宝箱と言っても良いのかもしれない。
ティルティに言われるまま、自分が将来使う事になるだろう弓……〝魔弓〟と呼んでも良いだろう新たな魔道具の製作の為、トマスとの打ち合わせに来ていた。
肝心のティルティは用事があるからとさっさと退散してしまった。それでティルティの指示を受けていたトマスはシャルネと打ち合わせをしていたが、不意にトマスが話題を変えてシャルネに問いかけたのだ。
「あの、その……」
「どうにも表情が冴えてないように見える。……疲れているなら急ぎじゃない。また別の機会にしても良いが」
トマス・ガナという男は無愛想な男だ。鍛冶師で力仕事も多いからなのだろうが、その体には筋肉がつき、人よりも大柄に見える。その容姿は人に圧迫感を与える事があるとトマスは知っていた。
だからこそ、トマスは貴族令嬢というだけではなくて、シャルネという少女をどう扱って良いのか分かりかねていた。
トマスの問いかけに対して、シャルネは沈黙してしまっている。どう答えれば適切なのか悩んでいるようだった。シャルネが言葉を発するまでトマスは静かに構えている。
「……ごめんなさい」
「いや、いい。……悩み事があれば聞くぐらいは出来るが」
普段、アニスフィアやユフィリアといった規格外の者達と話している為か、シャルネのように年相応の表情を見せている姿は親しみが湧きやすい。
だからこそ悩んでいるなら、とついお節介にもなりそうな提案をしてしまった。アニスフィアがここにいれば、トマスってなんだかんだでお人好しだよね、と言われてしまいそうだ。
「……トマスさんにとって、魔法ってなんだと思いますか?」
きゅっ、と。自分の膝の上で拳を握ったシャルネがトマスへと問いかける。
シャルネから問われた内容にトマスは少しだけ眉を上げた。一度、目を伏せて腕を組む。暫し、言葉を選ぶ為に黙り込んでいたトマスはゆっくりと口を開いた。
「……魔法は貴族のもので、俺達にとっては……そうだな。便利で、怖いものだ」
「怖いもの?」
「あぁ。魔法の力は凄い、平民の俺達には逆立ちしたって使えないものだ。実際、だから魔法を使える貴族ってのは凄いし、それが俺達の生活の役に立ってくれてるなら感謝するべきだと思う。……同時に、それが俺達に向けられると考えると、恐ろしいな」
「そんな……」
シャルネの呟いた言葉には複数の意味が込められた響きがあった。そんな事はしないという、反発心にも似た怒り。そして、魔法を使えるという事は恐れられる象徴にもなるという事に対しての驚き。
シャルネの実家の領地であるパーシモン子爵領は、実に牧歌的な領地と言えた。狩りを主体とした獣の肉と、そして現れる魔物から得る素材が主な収入源だ。その収入で買った肥料などで農地を潤していく、そんな生活を送っていた。
パーシモン子爵が温厚な人物だったのも、領地が牧歌的になった一因であろう。だからこそ領主への感謝や尊敬はあっても、その魔法の腕前が畏怖の対象になり得るというのがいまいちシャルネにはわからなかった。
「シャルネは、俺の知る貴族らしさがないからな」
「貴族らしさ……?」
「平民は顎で使って当然、そんな貴族が多いのさ。王都だけかは知らんが」
トマスにとって貴族とは横暴であり、不敬を働けば自分達の生活など簡単に脅かせる相手だった。トマス自身、貴族に思う事があり、忌み嫌っていた時期があった。
アニスフィアとの出会いでトマス自身の貴族への嫌悪感は和らいではいるものの、嫌悪感と畏怖は同じものではない。貴族への蟠りは減っても、身分の差による壁そのものまで変わった訳ではない。
「貴族が貴族たる由縁は魔法だ。その魔法は平民にとっては使えない、圧倒的な力だ。簡単に俺達をどうにかしてしまえるような、な」
「……」
「シャルネがそういう事をする奴じゃないってのはわかるさ。それでも、魔法があるってだけで俺達は違う生き物だって思う時がある」
違う生き物。トマスの言葉はシャルネに少なくない衝撃を与えた。
貴族も、平民も。敬い、敬われる関係はあっても同じ人だ。少なくともシャルネはそう思っている。
領地が飢饉で苦しかった時期も、貴族だとか、平民だとか、身分なんか関係なかった。
誰もが働かなければ明日の糧を得る事は出来ない。だから手を取り合い、苦境を乗り越えようとした。
領民は家族のようなものだ。血のつながりはなくても、それでも守るべき人達だ。貴族である自分は、だからこそ率先して立たなければならないとシャルネは思っていた。
だからこそ魔法の力は素晴らしい力だと、そんな力を授かったのだから自分が頑張らなきゃいけないと、そう思っていた。
でも、――魔法の力は、そうじゃない事もある。人に恐れられ、互いの距離を遠ざけかねない物にもなり得るのだとシャルネはこの時、初めて実感した。
『――〝人でなし〟である事は、意外と隣り合わせなのよ。私達』
先程、ティルティに呟かれたその言葉が、シャルネの耳にこびり付くようにして離れる事はなかった。




