第27話:夢追い人にエールを
「王姉殿下の構想はわかりましたが……確認してもよろしいですか?」
「勿論、何かな? ナヴル」
私の計画に渋い顔をしているのはナヴルだ。不安そうな表情を浮かべながらナヴルは私に問いかけてきた。
「あくまでルークハイム皇帝に寄贈する魔剣は人工魔石を使う、というのはわかりました。しかし、魔石である事に変わらないのであれば、いずれその技術は帝国に渡ってしまうのでは?」
「ないとは言えないけど。仮に技術が解析されたとして、実用レベルまで技術を模倣出来るかと言われれば可能性は限りなく低いと思う」
私はナヴルの不安に対して首を横に振って否定する。既存の魔道具と違って、魔石を前提とする魔剣の技術が帝国で普及するかと言えば、私は簡単な話ではないと思ってる。
「既存の魔道具と違って、人工魔石の製作過程には魔法が介入する。だから帝国が魔石を用いた魔剣を量産するにしても、量産するコストに対して見合う成果がないと投資の意味がない」
「量産コストに見合う成果……」
「そう。その成果を出すために必要な条件が厳しい。まず魔学に理解があって、かつ魔法にも詳しい人材がいて、そして魔法の腕前も並以上ある人がいて、加えて精霊石を魔石に加工して大きな効果を発揮出来るようにして、最後に魔石の研究や開発の為の資産があるという前提になる。少なくともこれだけの前提条件が求められるんだ。この点は、パレッティア王国がアーイレン帝国に対して優位に立っている点だね」
問題点を一つ一つ、指を上げながら皆に見せるように言う。パレッティア王国は人材にも資源にも恵まれているからこそ、魔石の開発に注力できる。その後、それを活かす方向性は幾らでもある。
でも、帝国では違う。まず間違いなく帝国の魔法使いはパレッティア王国の人口比に比べれば少ない。そしてパレッティア王国以上に魔法を学べる環境があるのかという問題がある。
そして、学べる程の地位があるのならば、本人か、或いは家が帝国でもかなり有力な人物になる筈だ。そんな人物が目立たない筈がないし、魔石を加えた魔道具を強力な武器として量産しようとするなら魔法使いに時間的な拘束が加わってしまう。つまり現実的じゃない。
この点、パレッティア王国は魔法使いの数が多い為、負担を分散させる事が出来る。
「……理屈はわかりました。確かに帝国では普及させにくい技術なのですね」
「そう。だからパレッティア王国とは良好な関係のままの方が良いと認めさせられたら上々って私は考えてる」
「帝国との関係を良好にする為にも、王国特有の技術として魔石を利用する価値を認められるものとしなければならない、と……。しかし、人工魔石はそんなに既存の魔道具と性能が異なるものに仕上げられるのですか?」
「それは実際にやってみないとわからない。でも、魔石が高い効果を発揮出来るのは私自身が証明だからね。魔石の質や本人との相性もあるとは思うんだけど……」
「……良くそんな不確かなものを己に施そうと思いましたね」
呆れたようにナヴルが溜息を吐く。私が自分にドラゴンの魔石を利用した刻印を刻めたのはドラゴンに〝呪われて〟いたという確信があったからなのもあるんだけどね。その呪いから研究、解析した結果があって行けると判断した訳だし。
勿論、その前提には魔石を素材とした身体能力の強化薬や、前段階の技術がしっかりしていたという積み重ねがあっての事なんだけども。その詳細を説明すれば、また冷ややかな目で見られそうなので黙る事にした。
「あの、王姉殿下? 天然の魔石は聞いた限り驚くような高い効果を発揮しますけど、人工魔石は天然よりも質が落ちるんですか?」
「んー。質が落ちるというか、開発思想が違うって言った方が良いかな」
「思想が違う、ですか?」
シャルネが手を上げて質問をしてくるけれど、私の返答にまたも首を傾げてしまう。
「人工魔石は魔道具の思想に寄り添ったものなんだ。つまり、魔法側から魔道具の方に歩み寄ったもの。だから開発の目的としては魔道具の延長線上にあるものなんだけど、天然の魔石を利用するのはこれとは逆で、魔道具側が魔法に限りなく近づいて行く技術なんだよ」
「……えっと?」
「つまり、どういう事ですか!」
シャルネがよくわからないと言うように小首を傾げて、便乗するようにガッくんが首を捻りながら勢い良く問いかけてきた。思わず溜息が出そうになってしまった。
「……ガッくんのその潔い姿勢、嫌いじゃないよ。そうだねぇ、人工魔石はちゃんと〝作りたい目的〟があって作るもので、天然の魔石は〝そこにある力を利用出来るように仕立てる〟もの、こういう違いかな。使えるようにするという意味では同じなんだけど、出発地点や過程がまるで違うんだ。技術そのものは応用出来るんだけどね」
私の説明でも釈然としないのか、シャルネとガッくんは首を傾げたまま戻らない。
すると、プリシラが小さく咳払いをしながら私に声をかけてきた。
「……実際どんなものが出来るのか、その違いは明確なのですよね?」
「え? あ、うん。天然の魔石は、その魔石の魔物の能力を再現して使うもので、人工魔石は特定の魔法に特化して使えるようにするもの、かな」
「……あれ? でもそれなら別に人工魔石を使っても今の魔道具と変わらないんじゃ?」
「いや、ガーク。恐らく人工魔石というのは誰でも汎用的に使える魔法ではなく、人工魔石に手を加えた者によって、その魔法の質すらも変わってしまうものなのだ」
私の答えに疑問を感じたガッくんだったけど、私よりも先に答えたのはナヴルだった。
「例えばの話だが、二人の魔法使いが同じ魔法を人工魔石に込めるとする。だが、その加工した者の技量によって魔法の質に差が出る。確かにこれだけ聞けば今までの魔道具とどう違いがあるのかは分かりづらい。だが、魔道具は誰にでも使えるように限りなく簡略化したものだ。……似たような話を聞いた覚えはないか?」
「……あっ! 魔法の再定義! つまり、人工魔石を用いた魔道具はその〝逆〟なのか!」
「そうだ。魔法の再定義の際、術者の力量などの余分な情報を排除して簡略化する。それがアンティ伯爵夫人の研究であるが、恐らく人工魔石はその使用者の癖や特性を消さずに魔道具として使えるようにするものなのだ。なるほど、確かにそれなら帝国で同じ技術が仮に広まったのだとしても、パレッティア王国とは環境が違いすぎて応用が出来ない」
「ナヴルの理解で概ね正しいよ。そして、これが今後の貴族の身分を保障していく一つの指針になると思ってるんだ」
成る程、ナヴルの説明で話せば良いのか。魔道具は確かに〝簡略化された魔法〟を使うものだけど、魔道具に人工魔石を加える事で限定的に〝簡略化されてない魔法〟を使えるように出来るかもしれない、と。
そして、その人工魔石は作成者の質によって異なる。精霊石を人工魔石に加工するのは魔法使いにしか出来ない。だから必然的に貴族という身分と立場は国から保証され続けなければならない。
魔道具によって平民が貴族の手を絶対必要としなくても、それでも貴族は高い需要を誇る事が出来る。だから不要とされるような世の中にはそう簡単にはならない。それは平民に対して抱いてしまうだろう危機感を払拭する事に繋がるという訳だ。
「……ここまで考えていたのですか? 一体、いつから?」
「ユフィが即位する前には、似たような事は考えてたよ」
「……でなければ精霊省を自ら主導して設立しない、か。私は本当に貴方を見誤ってたようですね、王姉殿下」
畏れ多いと言わんばかりにナヴルが頭を下げるので、何とも言えない顔になってしまう。
だから、あんまり畏まられるのは苦手なんだって。普通でいいよ、普通で。
「とにかく! これで魔石を利用する利益! 天然と人工の違い! それが帝国とどう関係していくのかはわかったかと思う。この目論見を実現する為に、皆には色々と手伝って貰うよ! 魔巧局、最初の大仕事だ!」
私は両手を打ち合わせて、無理矢理にでもこの話の流れを打ち切るのだった。
* * *
魔巧局としての会議を終えても、工房が出来るまで実際の研究開発はお預けになる。それまで皆にはいつも通りの業務に戻って貰った。
そして、私は都庁の執務室で魔学都市を運営する為の雑務を片付けていた。
「うーん……そろそろ商会を誘致した方が良い頃合いかな」
今までは定期的に騎士団が資材を運んだり、行商人が足を運んできた事もあったけれど、今後は資材の買い付けの為に商人も呼ばないといけないと思う。
都市も大分形を整えてきてるし、そろそろ本格的に商会を呼びつけても良いかもしれない。建設に携わっている人達や、逗留している騎士達にも良い娯楽になる。その企画書を仕上げて、ドラグス伯と相談してから王城に持ち込むつもりだ。
「そうなると商人達の護衛に騎士達に人員を割いて貰うか……。もしくは、ちょっと早いと思ってたけど冒険者ギルドに声をかけて、ここに支部を置いて貰うのも良いかも。これなら定期的に商人達の護衛依頼を出しておけば冒険者の稼ぎにも出来て、冒険者にも留まって貰えるかな」
冒険者ギルドは元々、魔学都市には不可欠なものとなるとは思っていた。帝国との一件があって早まったけど、魔石の研究も行く行くはするつもりで、その魔石を冒険者から買い取る事も計画にあった。
だから冒険者ギルドの支部はいつか作る予定だったんだけど、時期が早まりそうだ。その内、冒険者やお忍びとしてじゃなくて王姉として冒険者ギルドに行かなきゃいけなくなりそうだ。それを思えば渋い顔を浮かべてしまう。
「……絶対からかわれる」
流石に王族として正式に顔を出す以上、不敬な態度は控えてくれるとは思うけど、後で絶対からかってくるんだろうな、と苦虫を噛み潰した顔を浮かべてしまう。
思わず幻聴でからかってくる冒険者達の声が聞こえてきて、一人で憤ってしまう。人を不名誉な名前で呼ぶのと笑い声の幻聴を振り払っていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「アニス様、今良いか?」
「トマス? 良いよ」
ドアの向こうにいたのはトマスだった。私が許可を出せばトマスが部屋に入ってきた。その手には書類が握られていた。その手の書類を差し出しながらトマスが言う。
「離宮から持ってきた素材の目録を確認し終わった。目を通しておいてくれ」
「ありがとう。私がやっても良かったんだけどね」
「いや……アニス様はアニス様でやらなきゃいけない事があって忙しいだろう。これぐらいなら俺にでも出来る事だ。任せてくれて構わない」
「そう言って貰えて助かるよ」
トマスから受けとった目録に軽く目を通す。ここへ持ち出す前に私も目録は作ってたけど、荷下ろしも兼ねてトマスに確認して貰っていた。
トマスは私よりももっと細かく区分けして素材を纏めてくれていた。真面目なトマスの気質が見えているようで、思わず笑みが浮かんでしまった。
「……なぁ、アニス様」
「ん? なに?」
目録を確認し終えた所で、ふとトマスが声をかけてきた。私は顔を上げてトマスの顔を見る。
トマスはいつもの無表情だったけれど、どこか悩んでいるように見えた。私はそんなトマスを急かす事無く、ただ言葉を待つ。
「……すまねぇ。上手く言葉にならん」
「いいよ。私のせいでトマスには色々と悩ませちゃってるからね」
「あぁ。……会議の時も思ったが、アニス様は本当に立派になったな」
「な、何? 突然」
トマスに褒められてしまって、私は思わず目を丸くしてしまった。というかトマスが私を褒めるなんて珍しいような気がする。
「……いいや、違うな。アニス様は昔から凄かった。ただ、それが認められなかっただけだ。だから、アンタが認められるようになって……俺は、もう良いんじゃないかと思ったんだ」
「……トマス?」
「迷わないとは決めたつもりだった。だが、アニス様がどんどん王族らしくなって、それに釣られて俺も貴族になるかもしれないって聞いて、肩の荷がどんどん重くなってきやがる」
……ここまでトマスの苦悩に満ちた声は聞いた事がなかった。トマスは本当に真面目で、だから思い悩むのも仕方ないと思ってた。
けれど、まだトマスの悩みがどこから来ているのか掴めない。トマスもまだ何か言いたそうだ。だから、ただジッと黙って待つ。
「……怖い、な」
「怖い?」
「……俺の親父は、貴族と取引が出来るぐらい腕の良い鍛冶師だった。鍛冶だけじゃなくて細工師でもやっていけるってぐらい器用で、けれど豪快な人だった。その分、俺以上の偏屈者だったけどな」
「……良いの? その話、私が聞いても」
トマスの親について、私は詳しくは知らない。今まで知ろうとしてこなかった。トマスがそれを望んでいない気がしていたからだ。
トマスが貴族を苦手としているのは身分だけじゃない。トマスは貴族を嫌っていた。それも相談役として一度招いてから、随分と治ったみたいだけど。
けれど、どうしてトマスが貴族を嫌いなのかは聞いた事がなかった。聞きたいと思わなかったし、知ってしまう事でトマスとの関係が変わってしまう事を過去の私は恐れていたのだと思う。
でも、今の私ならきっとトマスの過去を打ち明けられても冷静に聞けると思う。でも、トマスはどうなんだろう? きっと話したいから口にしたんだとは思う。でも、それでも確認してしまうのはトマスとは浅くない付き合いだからだ。
「あぁ。……俺が貴族を嫌っていたのは、母親が貴族に殺されたからだ」
「殺された……?」
「直接って訳じゃないがな。それに、その貴族だけが悪いって訳じゃない。親父も偏屈だったからな、不幸な擦れ違いがあったんだと……そう思いたいと思えるようになった。ただ、その貴族との取引が無くなって工房から一気に客足は遠退いた。暮らしが貧しくなって、母さんは流行病にやられて死んじまった」
「……そうだったんだ」
「あぁ。親父も相当なショックを受けたんだろう、日に日に背中が小さくなっていった。それでも俺が鍛冶師としてやっていけるだけのものを詰め込んでくれた。俺が一人前として認められるようになったら、安心したのかぽっくり逝って、母さんの後を追ったさ」
「それでトマスがガナ工房を継いだんだね」
私の相槌にトマスが頷く。平民と貴族の間に横たわる溝は大きい。最近の改革で鳴りを潜めるようになったけど、それでもまだ最近の事なんだ。人の記憶から薄れてしまうには、その時間は短すぎる。
「俺は貴族が嫌いだった。彼奴等は特権を振り翳せば平民が簡単に死ぬなんてわかってないし、理解しようともしないと。そう思って、ずっと関わりたくなかった」
「……それじゃあ、私はさぞかし鬱陶しい存在だったろうね?」
「あぁ、本当にな」
「否定してよ」
「出来ないな。……貴族を嫌って、腐ったままだったらここまで悩まなかったしな」
「……何を、どう悩んでる?」
核心を問う為に私はトマスに声をかける。トマスは私から視線を逸らして、自分の手を見つめた。
「……アニス様と知り合ってなきゃ、俺は偏屈な貴族嫌いの鍛冶師で終われた。だが、俺は自分の力を認められて、まさに貴族になんてなろうとしてる。自分の腕に不安がある訳じゃない。それだけ努力を重ねてきた、志半ばで折れてしまった親父の分まで挑戦したいと思ってる」
「……うん」
「だけど、俺がどんなに頑張っても認められなかったらそれまでだ。ただ俺が認められないだけなら良い。……俺は、俺を見込んでくれた人が、俺のせいで不幸な目に遭うんじゃないかと思うのが、怖い」
トマスは重苦しい声で、静かにそう言った。
「覚悟はしていたつもりだった。アニス様、アンタはやっぱ凄いんだよ。俺は嫌でも知ってる。そしてアンタが優しい事も知ってる。一度、懐に入れた人間にとことん甘い事も、自分が傷つこうとも守ろうとする気質も、ずっと見てきた」
「…………」
「アニス様が叶えたい理想も凄い立派だって、もう何回繰り返すんだって思われるだろうけど、俺は何度でも繰り返すぐらい、アニス様を尊敬している。だから、俺はそれに付いていけるのか不安で堪らない。……俺には、鍛冶の腕しかない。それ以外でアニス様の力にはなれねぇ」
……トマスの言葉に、私は思わず頭を掻いてしまった。困ったな、上手く言葉が纏まると良いんだけど。
「……あの、さ。トマス」
「……あぁ」
「私さ、自分が皆が言う程凄いのかって、正直わからない」
なるべく自分に向けられる賞賛は受け止めたいと思ってるけど、それでも今まで積み上げられた経験がそう簡単に呑み込ませてくれない。
私はずっと認められずに生きて来た。あるべき者ではないと、そう思って自分を抑え込んで来たから。
「でも、私は知ってる。自信を持って言える事がある。魔道具が価値を認められてなかった時も、私はずっと魔道具に価値があると思って、それが誰かの為に、何より私の為になると思って信じ続けてきた」
「……あぁ、知ってる」
「なら、私はトマスを信じられる。私は信じるものを守る為なら、確かに傷ついてでも守りたいって思ってる。でも、ね? その信じたいものが、最近になって私を守ろうとしてくれる事も知ったんだ」
私は信じたいんだ。人でも、物でも、自分の価値があると思ったものが正しく認められるって。
そして、私が信じて、私を信じてくれる人が私を守ろうとしてくれる事もここ数年で思い知った。
「だから……上手く言えないんだけど、一人で抱え込まないで欲しいんだ。トマスは鍛冶の腕しかないなら、他の事は任せて欲しい。それが負担をかけてると思ってるなら、鍛冶の腕しかないって悩むなら、もうそれ以外で悩まなくて良いよ」
「……何?」
「私はトマスの鍛冶の腕を信じてる。貴方がその悩みに向き合い続けるなら、何も心配してない。いつか、きっと辿り着けるよ」
トマスが本当に胸を張る日が来る事を、私は信じてる。それが生きている間なのか、それとも最後に人生を振り返った時なのかはわからないけれど。
「私が夢を叶えたかったのは、皆にも夢を見て欲しかったから。確かに夢見るのは怖い。叶わないのは辛い。でも、私は叶った。叶えて貰った。だから私はその為に出来る事をする。皆の夢を叶えるのを助けたい。それが一番最初の、私が魔法に望んだ願いだから。空に憧れて、不可能を可能に出来るってそう思った日からずっと」
そこまで言って、私は改めてトマスを真っ直ぐに見つめる。視線を逸らしていたトマスは、いつの間にか私に視線を戻していた。
「聞いた事、無かったよね。トマスには、夢はあるかな?」
「…………あぁ、あるよ」
「そっか。なら、応援する。トマスが私の夢を応援してくれたように、私が貴方の夢を応援するよ」
「……アニス様の前で弱音なんて吐くもんじゃねぇな」
気まずそうに頭を掻きながらトマスが言う。そして深く、大きく溜息を吐き出す。
息を吐き出したトマスがゆっくりと背筋を伸ばす。トマスの視線が私を真っ直ぐに見つめる。今までにないぐらい澄んでいて、力強い瞳で。
「――俺の夢は、アニス様の夢が叶う事だ。俺にだってもうわかってる。アニス様の夢が叶った世界はきっと多くの人が誇らしく生きられるって」
「……正面から言われると、気恥ずかしいな」
「あぁ、俺だって小っ恥ずかしい。……いつか、ずっと叶えば良いって思ってたよ。叶ったと思ったから身を退いた。でも、アンタはまだ先に行くんだよな。なんだよ、それ。全然まだまだ足りてないって事じゃねぇか」
「あったり前だよ!」
私は、知ってる。この世界の素晴らしさも、そして、ここじゃない〝いつかの世界〟の素晴らしさも。その二つを知る私だからこそ、私はまだまだこの世界が足りないって胸を張って言える。
「それが夢なら叶えてよ、トマス。まだ始まったばかりだよ?」
「……本当に、付いていくのがしんどい人だよ」
トマスの表情は、まだ悩みが晴れきったようには思えない。でも、トマスは笑っていた。
いつか、その悩みの曇りすらも晴れた時。私達はどんな顔で笑い合えているんだろう。そんな想像をしてみて、私は笑みが浮かぶのを止められそうになかった。
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