第8話:王都への帰還
「よいしょ、と。それじゃあ王都に戻るよ、皆。準備は大丈夫?」
新造都市の建設予定地に来てから、時間はあっという間に過ぎていく。今日は約束の王都への帰還の日だ。
この休日まで私は書類との格闘に追われていた。こっちに残っている間に終わらせておきたかった書類をプリシラとナヴルの手を借りてなんとか目標の分を終わらせた。文官でもないのに手伝わせてごめんね、ナヴル。
シャルネは書類作業に追われる私達の世話を一生懸命やってくれた。ガッくん? 書類関係の仕事にまったく役に立たなかったので、逗留している騎士達に色々とお話を聞きにいって貰ったりした。ガッくんの人柄もあってか、騎士達とは良好な関係を築けているようなので人材は適材適所にだね。
「アニスフィア王姉殿下。お見送りに上がりました」
「ドラグス伯、アリアンナ夫人まで」
帰還の準備を進めているとドラグス伯とアリアンナ夫人が見送りに出てくれた。
「休日が過ぎましたら戻ってきますから、わざわざ見送りはいりませんよ?」
「そう仰らないでください。何があるかわからないのが世の中というものですから」
「えぇ、ですから道中の無事をどうか祈らせてくださいませ」
「ようやく任された仕事を放り出すような事にならないように気をつけます」
見送りに来てくれた二人に苦笑しながらも、私はエアバイクをそっと撫でた。
王都への帰還は今後、このエアバイクで帰る事になる。私とガッくん、ナヴルはそれぞれ一人で、シャルネはまだ幼い事を考慮してプリシラの後ろに同乗して貰ってる。
エアドラちゃんだったら私がシャルネを後ろに乗せても良かったんだけど、エアドラちゃんは魔道具の歴史を語る貴重な資料として文化的に保存価値があるという事で、保管を強く望んだ精霊省に引き渡してある。
なので本当にエアドラちゃんが必要な時になるか、或いはユフィが必要になったら使う事になってる。今の私の外出時に使う足となれば改良も踏まえて安全性・安定性が増したこのエアバイクだ。
「アニスフィア王姉殿下、そろそろ出発しましょう」
「そうだね。それではドラグス伯、アリアンナ夫人。また戻りましたらよろしくお願いしますね」
「えぇ、お気を付けて」
「お待ちしておりますわ」
プリシラに促されて、私達はドラグス伯とアリアンナ夫人に挨拶をしてからエアバイクを宙に浮かせた。
先頭はナヴルくんが、その後ろを私が追いかけて、プリシラとシャルネ、最後尾にガッくんが列を組んで飛翔していく。
馬車で来る時に比べれば全然違うスピードだ。風を切る感覚がやはり気持ちよい。どんなに形は変わっても、空を舞うというのは止められそうにない。
特に何か起きる訳でもなく、私達は風を切りながら王都へと続く道を飛んでいくのだった。
* * *
「やっぱり空を飛べると移動も早いですね」
「ただ馬を走らせるならともかく、馬車だとねぇ。馬もずっと走らせたままに出来る訳じゃないからね」
「実際に使ってみるとそのありがたみもよくわかりますね」
ガッくんがしみじみと言い、私の相槌にナヴルが強く頷く。王都に戻ってエアバイクを管理を担当している魔学省の施設に置いていき、私達は王城内を歩いていた。
その間にも私の心は少し浮ついていた。約一週間だけど、離れていた離宮に戻れるからだろうか。それに新造都市で自分がやってみたい事も見えてきた。その実現に向けてユフィにも相談したい事があるから、早くユフィに会いたいと心が急いてしまう。
「アニスフィア王姉殿下、我々はここで。騎士団長に挨拶に向かいますので」
「うん、ガッくんもナヴルもお疲れ様。一日ゆっくり休んで」
「はい。それでは」
「アニスフィア様もごゆっくり。また出発の日に。行こうぜ、ナヴル様」
ナヴル、ガッくんとそれぞれ言葉を交わしてから別れた後、私はプリシラとシャルネを連れて離宮へと戻る。離宮へと辿り着けば、最近離宮に勤めるようになった侍女が一礼をして出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、アニスフィア王姉殿下」
「ご苦労様。いま戻ったよ」
「新造都市予定地でのお勤め、大変お疲れ様でございます。ごゆっくりお休みください」
「うん。じゃあプリシラとシャルネも今日は一日ゆっくり休みで。またよろしくね」
「はい。ではまた出発の日に」
「失礼致します!」
ずっと付き添ってくれたプリシラとシャルネの二人も休みに出して、彼女達は離宮からまた王城へと戻っていく。彼女達の私室として宛がわれた侍女向けの宿舎が王城の方にあるからだ。
そんな二人を見送って離宮に入ると、私が帰ってきた報せを受けたのか待ち構えている人物がいた。
「アニス」
「ユフィ!」
すっかりお馴染みになった騎士服ワンピースドレスを身に纏ったユフィがそこに立っていた。登城する際はちゃんとしたドレスを着ているけど、今日は私服という事は完全にお休みである事を示している。
平日は怒濤の勢いで政務をこなしているユフィだけど、ちゃんと休みの日も設けている。だからその日に合わせて私も帰ってきたんだけどね。勿論、緊急のトラブルとかがあれば城に上がらなきゃいけないんだけど。
「お疲れ様でした、アニス」
「うん。ただいま」
ユフィに歩み寄って、抱きつく。ユフィの方が少し身長が高いから首元に顔を埋めるような格好だ。
ユフィも私の背中に手を回してぎゅっと抱き締めてくれる。こうして抱擁を交わすと帰ってきたなぁ、って感じがしてホッとする。
「……アニス」
「ぐぇっ……」
ホッとしてたらユフィに思いっきり抱き締められた。えっ、ちょっと、ユフィ? ぎゅっとした力加減から抱き潰すぐらいに力が強まってない? いた、いたたたたっ!?
「ユフィ、痛いよ」
「……ぁ、ごめんなさい」
ユフィも自分に吃驚したのか、パッと手を離してくれる。その顔には不安げな色があって、オロオロというか、ソワソワしてる。え、こんなユフィ初めて見た。
ユフィはまるで名残惜しいと言うように手を虚空に彷徨わせていたけど、おずおずと私の手に触れるように指を伸ばしてくる。もしかすると本人も無意識なのかもしれない。
なんだかその様子がおかしくて、私はユフィの手を握ってあげる。すると自分が手を伸ばしていた事に気付いたのか、とても驚いた顔をする。だけど、その顔がすぐにふにゃりと柔らかく微笑む。
(――ッ……無理でしょ、ユフィが可愛い……ッ!)
お互いに唯一の存在として認識してから、ここまで長期間離れるのは初めてだった。私だって心が浮ついたり、不安を抱いたり、寂しかったりもしたけどユフィは私以上に堪えたのかも知れない。
それをこんな可愛い仕草で表現されたら感情が極まってしまう。あの普段は余裕で何でも冷静にこなすユフィが、自分の感情に振り回されて無意識に手を伸ばして来るとか。こんなにも自分が求められている事が嬉しいと感じてしまう。何よりユフィが可愛い。可愛いったら可愛い。
「……今日はずっと一緒にいようね、ユフィ」
私がそう言うと、ユフィは花でも咲いたかのようにニコニコと笑った。互いに握り合った手に少し力を込めて、愛おしそうに指で私の手をなぞる。
(あ~~っ! 可愛くて無理……ッ、今日のユフィ、可愛くてどうにかなりそう……!)
内心、身悶えしながら私は顔が熱くなってきたのを感じた。そこでハッと侍女達がちらりと私達を見ている事に気付いた。一気に気恥ずかしくなって、私はユフィの手を引く。
「ユフィ、人目があるから移動しようか」
「……では、サロンに」
そのままユフィと一緒に並んでサロンへと向かう。道中、何人か侍女と擦れ違ったけど皆、一礼をした後に微笑ましそうに見たり、目を丸くしたりと様々な反応をしてくれた。
サロンへと辿り着けば、そこには誰もいない。ここを利用するのは私とユフィ、あとは休日のレイニとイリアぐらいでお客さんもいなければ使われる事はない。
私はソファーに腰を下ろして、改めてユフィと向き直ろうとする。けれど、その前にユフィが押し倒す勢いで抱きついてきた。
「ちょっと、ユフィ!?」
ソファに押し倒された私はユフィを見上げる。ユフィは私の胸元に顔を埋めていたけど、手をついて身を起こす。
私を見下ろすユフィは見るからに余裕がない。苦しさや切なさをこれでもかと切実に訴える表情で私を見下ろしている。
「……アニス」
ユフィの声色が震えていた。私でも感じられる程の堪えきれない愛おしさを滲ませて。私は何度かユフィのこの状態を見た事がある。その状況はいつだって――。
「いやいや、待った! ここサロン! サロンだから! ユフィ、止まりなさい!」
「……人は来ません」
「いや、そうかもだけど、ダメッ! 夜までお預けッ!」
「……私室にすべきでした」
失敗した、みたいな顔で舌打ちをするユフィ。あぁ、さっきまで可愛かったユフィはどこに!? というか女王陛下が舌打ちなんてしちゃダメだよ!?
「……夜も一緒に寝てあげるから。我慢、我慢」
まったく、と思いながら身を起こそうとするとユフィがそれを許さない。私の肩に手を置いてソファーに縫い止める。何度か力を入れて身を起こそうとするけど、ユフィがそれを許さない。
私は引き攣った笑みを浮かべてユフィを見上げる。ユフィはまるで獲物を睥睨する捕食者みたいな目で私を見下ろしている。お互い、無言で睨み合う。
「……アニス」
「ダメ」
「アニス」
「ダメ」
「……アニス」
「ダ、メッ! 何かあって呼び出されたらどうするの! せめて日中は止めなさい!」
「――……お義姉様」
ぐらり、と自分の心が思いっきり揺れた。甘えたような声で姉と呼ぶ切実なユフィの声に腕にグッ、と力を込めて平常心を保ってみせる。
「ッ、……だ、め……です!」
「…………チッ」
まさかの二回目の舌打ちをされた。あぁ、私が離宮から離れたばかりにユフィがやさぐれてる!? そんなに私と離れてるのが嫌だったの、ユフィ……!
まったく、仕様が無い子だなぁ。そう思いながら私はユフィに手を伸ばした。ユフィの頭を抱え込むようにして抱き寄せて、そのまま唇を重ねる。
ユフィの抵抗はない。私が何をしようとしたのか理解したのか、すぐに力を抜いて私に身を預けてくれる。
唇を濡らすように、魔力を送り込むようにイメージを脳裏に描きながらユフィの唇を啄む。ユフィはただ大人しく私からのキスを受け入れる。
「……ぷは。はい、続きはまた後でね」
ユフィを解放して、ユフィの頭を撫でながら言う。するとユフィは無言で私の首筋に顔を埋めてきた。まるでミルクをせがむ小猫のように舌を這わせて来て、私は一気に鳥肌が立つ。
首の側面にかぷり、とユフィが歯を立てた。ちくりとした痛みが走ったのと同時にユフィの肩を掴んで起き上がらせる。まったく油断も隙もない!
「こらっ!」
「……」
「ふて腐れた表情しないの!」
「……」
「拗ねてもダメ!」
あー、もう。絶対痕つけたでしょ。首隠さないと……。
唇を尖らせて私に馬乗りになったユフィがむくれている。可愛いんだけど小憎たらしい。
やれやれ、と思ってると、扉の方から視線を感じた。見えたのは赤色の瞳と、青色の瞳。そこに二人分の目が扉の隙間から覗き込んでいるのが見えた。
「……イリア! レイニ! こっち来なさい!」
「はわわっ」
「お帰りなさいませ、アニスフィア様」
私が怒声をドアに向けると、バランスを崩したレイニが倒れ込むように中に入って来て、そんなレイニを猫を持ち上げるように襟を掴んで倒れるのを阻止するイリア。
レイニは顔を紅くして目を泳がせているけど、イリアは平然としている。そんな二人の顔を見て、私は安堵するようにホッと息を吐いてしまった。
「ほら、ユフィ。退いて」
「……はい」
嫌そうに返事しないで。ほら、手は繋いでてあげるから。まったく今日のユフィは仕方ない子だ。
対面のソファーにイリアとレイニが腰を落ち着ける。二人とも、今日は休日なので私服姿だ。レイニはともかく、イリアの私服姿はまだまだ何とも新鮮だ。あまり私服を持って無かったイリアだけど、最近はレイニが私服を買い与えているので見る機会が増えた。
レイニは白のシンプルなワンピースだ。ふんわりと膨らんだ袖が可愛いアクセントになっている。レイニの純朴さを表していて似合っている。ここに麦わら帽子でもあれば更に似合うだろう。
イリアは胸元をフリルで飾った濃い灰色のシャツに茜色のフレアスカートだ。キュッとイリアのウエストとバストが強調されていて、女の魅力をこれでもかと醸し出している。
「とりあえず、ただいま」
「はい、お帰りなさいませ!」
「盗み見するぐらいなら止めてよね……」
「あ、あははは……」
「それは失礼しました。お茶を用意しましょうか」
改めて帰還の挨拶をしながら恨み言を言うと、レイニは困ったように視線を泳がせた。隣に座っていたイリアはつんと澄ました表情で、そのまま何事もなかったかのようにお茶を用意に行く。まったくもって本当にイリアらしい。
……あぁ、帰ってきたんだな。遅れて追いかけて来たような実感が胸に広がって、私は自然と笑みを浮かべていた。




