第10話:マローダー・プリンセス
スタンピードは魔石持ちの魔物が突如として力を高め、周囲の魔物が影響されて集団で動き出すのが一般的な発生要因である。
魔物達にとっては生存の為の逃避であり、生き残る為には新天地を目指さなければならない。生き残りたいと必死になるのはごく自然な事だ。
もしも敢えて魔物達に伝えるとしたら。脅威から逃れる為、黒の森から飛び出した彼等に不幸があったとすれば。それは“魔物は素材になる”という現実があった事だろう。そして、その素材を刈り取る者がこの場にいた事だろうか。
「大漁、大漁……! 今回は結構大きな規模じゃない!」
アニスフィアは笑みを浮かべて溢れ出す魔物の群れを見た。パッと見ただけで3桁を軽く超えるのは間違いない。スタンピードの規模としてもかなり大きなものだ。
それでもアニスフィアが顔に浮かべる表情は歓喜だった。そこに恐怖はない。ただ魔物という存在を“素材”としてしか認識していない。
「森から出てこなければ良かったのに、なんて貴方達に言っても仕方ないしね。それに出てきてしまった以上は狩らないと困るのはこっちだから。だから――有意義に使ってあげるからさぁ!! 私に向かって来なさいよぉ!!」
アニスフィアは歓喜のあまりに笑みが歪む。普段、この規模での狩りなどすれば過剰だと怒られるが、スタンピードであれば過剰だと思われない。放置する方が圧倒的に不利益を招くからだ。
だからこそ許される。……そもそもスタンピードを“素材の掴み取り”などと言えるのは、世界広しと言えどアニスフィアのような奇人・変人の発想であり、溢れ出る魔物の対処で素材など意識もしてはいられないのだが。
しかし、世界のどこにでも例外というものは存在し得る。そしてアニスフィアによる蹂躙が始まった。
「ちょっとばかし、今回は本気で行こうかぁ……!」
アニスフィアは背に刻まれた“刻印”に魔力を通す。竜の魔石を溶かした、竜の力を宿す刻印はアニスフィアの魔力を代償として喰らい、力を与える。
普段よりも多くの魔力で、普段よりも力を引き出す為に。やがてアニスフィアを覆うようにぼんやりとしたオーラが浮かび上がる。
それはアニスフィアの体に取り憑き、竜の角や、爪を象るように。アニスフィアの瞳の色彩と瞳孔が変化していき、縦に瞳孔が裂けた爬虫類じみた瞳へと変わる。
竜の力を引き出せば引き出す程、そのものに近づいて行く。それは一種の呪詛とも言える。自らを屠った者への怨念、そして敬意を込めて。同じく竜であれと、強き者であれと言うかのように。
「い……っくよーーーーっ!!」
刻印による身体強化が馴染んだ所で両手にマナ・ブレイドを構え、アニスフィアが地を蹴った。アニスフィアの魔力を注がれ、マナ・ブレイドは魔力の刃を展開する。
接近するアニスフィアに気付いたのか、魔物達の視線が一気にアニスフィアへと向けられ――そして、視線を向けた最前列の魔物からその首を落とされた。しかし、それだけではアニスフィアは止まらない。
「1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ、7つ、8つ、9つ」
両手に握ったマナ・ブレイドの刃が呆気なく魔物の首を次々と落としていく。その様、まるで円舞のようだ。魔物の群れ、その中央へと一気に踏み込んだアニスフィアは回転するかのように取り囲む格好となった魔物達の首を飛ばしていく。
一手遅れるようにして魔物達が飛びつくようにアニスフィアを屠ろうとするも、近づけば割断されて地に落ちる。スキップを踏むかのような気軽な足取りでまた1つ、アニスフィアは魔物の首を落とす。
「グレイウルフ、キラーエイプ……あ、コカトリスもいた! きゃぅーん! 素敵ぃ!」
恍惚とした笑みでアニスフィアは身を震わせる。これだけの素材を回収出来れば一体どれだけ懐が潤うだろうか、と。
しかし、そんなアニスフィアの喜びは水を差される事となる。アニスフィアに向かって飛びかかろうとした魔物達が、アニスフィアの屠った死骸と化した魔物を踏みつけていくのだ。
「ちょっと」
それを見たアニスフィアは笑みを消した。淡々と、迫ってきた魔物達を撫で切りにするようにして払い除ける。
「素材が傷つくじゃない!!」
アニスフィアの怒りに呼応したのか、両手に握ったマナ・ブレイドの刃が勢い良く伸びていく。アニスフィアは自分を中心にして一回転するように水平に刃を振り抜いた。
魔物の群れの体が、まるで空間が上下をズラしたかのように寸断されて地に落ちていく。一瞬にして地獄絵図と化した光景を見て、アニスフィアは眉を顰めた。
「しまった。今の切り方だと素材に使える部位が減るじゃない!?」
失敗、失敗と。どこまでもいつもの調子でアニスフィアは呟く。そんなアニスフィアに本能的な恐れを感じたのか、魔物達は威嚇するようにしながらもアニスフィアと距離を取る。
距離を取られたアニスフィアはマナ・ブレイドの刀身の長さを戻しながら、その顔に再び笑みを浮かべて魔物の群れを見る。
「どうしたの? もっとかかって来なさい? じゃないと後続が来ちゃうじゃない。そしたら私の取り分が減るのよ? ほら、ねぇ、来ないならさぁ……! 私から行くしかないじゃない!!」
近づいて来ない魔物達に業を煮やしたようにアニスフィアが再び旋風となり、魔物達は捌かれていく。アニスフィアという存在の脅威を認識したのか、魔物達はアニスフィアから距離を取ろうと逃げだし始める。
それを逃そうとする程、アニスフィアは甘くない。すぐさま逃げだそうとする魔物達の背に追いつき、魔力の刃を突き刺す。
「逃げるな! 効率が落ちるじゃないッ!!」
憤慨の声を上げ、アニスフィアが追いすがるように魔物へと飛びかかっていく。
「あ、相変わらず酷い……!」
「あれが……“狩猟の略奪姫”……!」
「どっちが魔物かわからん……!」
「急ぐな! 隊列を整えろ、準備は怠るな! 早く着きすぎればマローダーの取り分が減ると自分が喰われるぞ!」
そんなアニスフィアの姿を遠目から眺めていた冒険者達は恐怖に慄いていた。準備の手を進めながらも、功績に目が眩んで勇み足を踏むという事もない。
今の魔物達はアニスフィアの獲物だ。下手に手を出せばアニスフィアに目を付けられるかもしれない。アニスフィア本人からすれば、フィーバータイムが終わっちゃった、と軽く流すのだろうが、そんな彼女の思考を知る者はここにはいない。
苛烈に舞い踊るように戦うアニスフィアの姿を見たユフィリアは、自然と手に力が篭もるのがわかった。
強い。それも圧倒的なまでに。縦横無尽に走り回り、逃げ惑う魔物達を屠っていくアニスフィアの姿は人離れしすぎている。両手に持った魔剣がまた1つ、魔物の首を跳ねていく。
1度振るだけで命を1つ刈り取る。時には一気に、そして剣だけではなく蹴りで魔物を粉砕する身体能力まで見せ付けている。あれが先日見た竜の刻印の力なのだと思えば凄まじいの一言に尽きる。
あれは竜だ。竜が乗り移って、人の姿で暴れているのだと言われれば一切否定する事は出来ない。それ程までに圧倒される光景だった。
「……私、わざわざ来なくても良かったでしょうか……?」
思わずユフィリアがそう思ってしまう程にアニスフィアは圧倒的だった。
あの人は狂っているのだろうか。そんな考えがふと過る。アニスフィアには魔法が使えない。魔法とは貴族のステータスで、使える魔法が多彩で強力であれば誰もが目を向ける。
そんな魔法をあの人は一切持っていなかった。持っていなかったからこそ、生み出した。その成果が今、ここにある。それを怖いとユフィリアは思った。彼女の発想は、彼女の力はどこまで伸びていくのだろうか、と。
「……魔学は、恐ろしいもの」
これも、その1つなのだろうか。以前、アニスフィアが口にしていた言葉を思い出す。魔学が恐ろしいものだからこそアニスフィアに恐れを抱くのか、或いはアニスフィアが生み出した魔学だからこそ恐ろしいのかわからない。どっちかではなくて、両方なのかもしれない。
何がアニスフィアをそこまで駆り立てるのか。魔法を使えなかった為に生み出された魔学とはなんなのか。
ただ目が離せなかった。恐れを抱きながらも、それでもアニスフィアを見つめる。あの人はどうして――あんなにも生き生きと幸せなのだろう、と。
そんな風にユフィリアの意識が思考に取り憑かれていた所、轟音が響き渡った。
何の音かと顔を上げれば、黒の森の奥地から何かが出てくる。それは今、ここに溢れ出してきた魔物達とは比べものにならない程の巨体。
咆哮が響き渡る。耳にした者を恐怖に凍らせるような叫びだ。その姿は人によく似ていて、しかし人にしてはあまりにも歪な存在だった。その姿を見てユフィリアは息を呑んだ。
「あれは……オーガ!?」
オーガ。それは食人鬼として恐れられる亜人種の魔物だ。見つければ即討伐対象として指定される程の人間にとっては危険な種族。
その体躯は人間よりも遙かに大きく、丸太のような棍棒には血痕が無数に残っている。その顔は、人が集まっているのを見て醜く笑っているかのように歪んでいた。
人の肉を好むオーガだが、他の生き物を食べないという訳ではない。だからこそ黒の森のスタンピードの原因となったのは、あのオーガだろうというのは間違いなかった。
そんなオーガが餌として人間を見つけ、認識した。その事実にユフィリアの背筋にゾッとした悪寒が駆け回る。
「で、デカイ……!」
「あれは“名付き”クラスのオーガだ! 通常種でも厄介だってのに!」
「あんなもの、人里に近づかれてたら壊滅だぞ!?」
「スタンピードが起きた方がマシだったな……!」
スタンピードが起きていたからこそ、オーガの存在に気付く事が出来た。それは不幸中の幸いと言えたかもしれない。オーガが黒の森でスタンピードを起こさず、真っ直ぐに人里に降りてきていたらもっと悲惨な事になっていたかもしれないと。
一方で、魔物達がオーガの出現に蜂の巣を突いたかのような騒ぎを起こす。後ろからはオーガが迫り、前にはアニスフィアがいる。正に挟み込まれたようなものだ。
「……うへぇ、オーガかぁ。魔石ぐらいしか素材に使えなさそうなんだよなぁ」
そんな渦中のアニスフィアだが、明らかにどんよりとした空気を纏っていた。先程まで嬉々として魔物を狩っていた姿はそこにはない。
亜人種の魔物は素材として使える所が少ない。故に、アニスフィアのやる気は著しく削がれた。しかし、スタンピードの渦中でオーガと戦うのははっきり言って危険だった。こんな乱戦では間違いなく被害が大きくなると。
「……フィーバータイムは終わり、か。仕方ないなぁ」
やれやれ、と言いたげに溜息を吐いて。散歩にでも行くような気軽さで歩き出すアニスフィア。
魔物達は近づこうとはせず、代わりに距離を詰めてきたのはオーガだった。真っ先に傍にいた人間を食い散らかそうと疾走してくる。
そんなオーガの突撃をアニスフィアは回避し、そのまま飛び上がって横顔に思いっきり蹴りを叩き込む。
アニスフィアの蹴りを受けたオーガが勢い良く地を滑って森の入り口まで押し戻される。着地したアニスフィアはマナ・ブレイドを両手に構え直しながら叫ぶ。
「騎士団及び冒険者諸君! オーガは私が引き受ける! スタンピードは任せたよ!! いいかな? 私が引き受けたんだ! だから、この場所で、この戦いで! なるべく死ぬな! 以上!!」
強く叫ばれた言葉にユフィリアはアニスフィアの背を見る。
例え彼女は変人で、奇人で、とても王女らしく思えなくても。それでもアニスフィア・ウィン・パレッティアは王族である。王位を欲しいと思っていなくても、彼女は動機がなんであれ結局は民の為に立つ。
それがなんだか可笑しくてユフィリアは肩の力が抜けてしまった。腰に差していたアルカンシェルを抜き放つ。そして、近くにいた騎士へと声をかける。
「もし、そこの貴方。王女殿下はいつもあんな調子なのですか?」
「え? あ、はい。そうですね、なんだかんだで危険な所は一番に引き受けてくれます」
「ならば、こちらのスタンピードを収めるのは私共の役目という事ですね」
「え、えぇ。……あの、つかぬ事をお伺いしますが、貴方様はもしかしてユフィリア・マゼンタ公爵令嬢様では……?」
「ふふ、まだ伏せておいて貰えますか? 社会見学の為のお忍びのようなものでして」
「社会見学!? こんな状況に公爵令嬢様が?!」
「何を無駄口を叩いている! スタンピードを制圧するぞ!」
遠くから騎士団のまとめ役と思わしき年配の騎士が怒声を向けてくる。それに肩を竦ませた騎士に微笑みかけながらユフィリアは一歩を踏み出す。
戸惑う事は多く知らない事も多い。こうも破天荒な事をされては未来なんて予測も付かない。それが酷く恐ろしくて、けれどどこか期待をしてしまう自分がいる事にユフィリアは気付く。
「本当にちぐはぐで、見てて目が離せない人ですね」
少しでも追いつけるでしょうか、と。魔力をアルカンシェルに込めてユフィリアは魔法を解き放つ準備をする。今は、ここが自分の戦う場所なのだと実感しながら。
* * *
オーガとは正直ついてない。オーガの魔石はあまり魔学には有効活用出来なさそうなものなので回収して手元に置くのも旨みが無い。
折角の素材狩りのフィーバータイムだったというのに、やる気がみるみるうちに減っていく。脅威ではあるけれど、相手に出来ない訳でもない。むしろ余裕を持って撃退出来る相手だし、さっくり終わらせて帰ろうかなと思う。
オーガとの戦いの最中、ふと轟音に横目で視線を送ってしまう。魔物の群れに魔法が次々と打ち込まれていく。その中で目立つのはやっぱりユフィリアだ。彼女が先頭に立って次々と魔物を討ち取っているのが見える。
……ユフィリアが倒した分の素材は私にも貰えないかなぁ。そう考えると、いつもは大物を相手にしている内は私の取り分が少なくなってしまう不満を解消出来るかもしれない。まぁ、根こそぎ取り尽くすと他の冒険者達が困るから程々にしないといけないんだけど。
「もっと自由に使えるお金があれば、わざわざ仕事を奪いにも来ないんだけどなぁ」
別に好き好んで戦いたい訳じゃない。私の本分は研究者だ。だから素材が安く手に入って、お金も手に入るから出張して来てるだけ。バトルマニアという訳ではないのだ。
あと王女ともあろうものが最前線に飛び出して魔物狩りなんてしてたら、王族らしくないとか言われていいかな、なんて打算もある。
そんな思考が出来るぐらいには余裕がある。今更、“名付き”のオーガぐらいじゃ私は崩せない。ドラゴンと比べるのは可哀想かもしれないけれど、一度あの戦いを経験してしまうと感覚が麻痺してしまってる気がする。
「ま、だからって手は抜かないけど」
さぁ、そろそろ解体の時間と行こうか。意を決して私は両手に握るマナ・ブレイドに力を込める。
オーガは力任せだ。力任せと言っても人間の身体能力なんて超えてるし、その力だけで叩き潰される程だ。なので基本、当たらないのが大事だ。
周囲を観察し、相手を観察して、状況を読み取って行動を予測する。過去、戦っていたオーガとの差を修正していって、自分の理想の感覚に近づけていく。
この没頭していく感覚は、堪らなく好きだ。バラバラになったパズルを組み立てて完成させていくような感覚。また1つ、また1つと齟齬が消えていく。
「――定義、証明開始」
動きが理想と一致する。思考と感覚、その一致を見せたオーガを打ち倒す一撃は理想通りに放たれた。
カウンター気味で振り抜いたマナ・ブレイドによって首を飛ばす。頭部を失ったオーガの体がびくり、と震えて思い出したかのように倒れていく。
……素材を集めるのに傷つけたくなくて、ついつい首を飛ばすのに拘っちゃうな。拘らなければもうちょっと楽に倒せたかな?
オーガが倒れたのを確認すれば、私を迂回するように魔物達が森へと戻ろうと逃げていく。まるで私を中心に避けて流れていく川のようだった。
逃げるなら無理して追わなくても良いか。結構、数も減らしたし。スタンピードじゃなくても暫くは森の奥に引っ込んでるんじゃないかな。
「一仕事、終わり、と」
マナ・ブレイドの刃を魔力へと還してホルダーに収める。それでようやく気が抜けたのか、自然と大きく息を吐いてしまう。
刻印への魔力供給を止めていつもの状態へ。刻印がじんわりと熱を持った感覚はつい気分が高揚する。熱が抜けるまで、少しだけ昂ぶったままなのはいつもの事だ。
周囲からは歓声が響き渡っていく。騎士団が、冒険者の皆が鬨の声を上げている。まぁ、スタンピードって言えば命がけの討伐だしね。自惚れじゃないけど、私がいなかったらもっと苦戦していただろうな、って思う。
「……私は、やっぱりこうして自由気ままに生きてる方が性に合ってるんだよなぁ」
王族らしくないと言われても、こればかりはどうしたって譲れない。手が届く距離で、手が届きそうなものを守る。自分の好きなものを追い求めて、自分の力で手にしたい。
敬われたい訳でも、傅かれたい訳でもない。ただ、自分が求める分だけ手にして、求めた分だけの幸せを手にして生きたい。そんな生き方が私には、アニスフィア・ウィン・パレッティアには似合っている。
「……さぁて、素材を回収しないとね!」
待ってて、素材ちゃん達! ついでに報酬金! 抑えきれない思いに私は笑みを浮かべるのを止められなかったのだった。