第6話:現場の視察へ
アリアンナ夫人に伝えた通り、午前は私の持ってきた荷物を解いていく。そこまで量を持ち込んだ訳でもない。ドレスなんて袖を通す機会がそう来ると思えないし、いつもの騎士服ワンピースドレスは私の代名詞になりつつある。
プリシラとシャルネの手を借りれば午前中にはだいたい片付いていた。なので予定通り、私は午後に建設地の視察に出かける準備をしていた。
「王姉殿下、私はこちらに残らせて頂きます。お側には護衛とシャルネをお連れください。まだ細かな荷物が残っていますし、シアン伯爵家の方々と打ち合わせをしたいと思いますので」
「そう? じゃあシアン伯爵家との調整はプリシラに任せるよ。ガッくん、ナヴル、シャルネ、視察に行こう」
「はい! お供致します!」
ぴょん、と元気よく跳ねるように寄ってきたシャルネに思わず頬が緩む。シャルネの様子にガッくんは微笑ましそうに肩を竦めている。ナヴルは少し気難しそうな顔をしていたけど、私が視線を合わせて首を左右に振ったら静かに頷いてくれた。
こんなに慕ってくれてる子を咎めるのもね。公式の場ではもうちょっと落ち着いて欲しいけど、そういう時にはプリシラを連れていくのが無難かな。シャルネの教育もプリシラにお願いしてるしね。……余計な知識までは与えさせないように注意しないと。
三人のお供を連れて私は建設予定地へと向かう。工事現場はシアン伯爵邸からそう離れていない。そこでは怒号のように大きな声を張りあげて指示を下し、きびきびと働く人達の活気で溢れていた。
「街道整備以来だな、こういう活気を感じるのも」
「あぁ、アニスフィア様って大規模な街道整備の監督役をやっていたんでしたっけ」
「そうだよ。もう結構前になるけどね」
ガッくんに相槌を返しつつ、私は現場で働く人達を眺める。
建設現場はまず水道を建設する為に土を掘り返して、水の通り道となる溝とトンネルを築いていく。その為に土台を固めたり、資材を運び込んだり、逆に掻きだした土を運んだりと現場の動きは忙しない。
「上下水道は建設予定地に張り巡らせるように作成する予定と聞いておりますが……」
「うん、そうだね。今後、定住が出来そうな土地でこうして都市を建てる時に応用出来ないかって言う話も出てるみたいなんだ。ここが上手く行けば他にも応用されていく事になるだろうね」
「なるほど……」
ナヴルが興味深そうに頷いて、熱心に工事現場で働く人達を見つめている。ガッくんはそこまで興味を惹かれないのか、護衛として専念して周囲の気配を窺っている。
「街に張り巡らせるように水道を作るとなると、凄い労力になりそうですね……」
「うん。実際、かなりの人材が王都からも送られてきたって話だし労力は凄まじいと思うよ。人手は多いとは言ってたけど、流石に人力だけだと厳しそうなんだけどねぇ。こう、魔法でパパッと出来たら早いのかもしれないけど」
魔法で土を掘り返したり、トンネルを掘り進めたりする事が出来たらもっと早そうだけど。そんな事を呟くとナヴルがギョッとした目で私を見て来た。そしてすぐに表情を引き締めて、口を開いた。
「……王姉殿下、お言葉ですが」
「……あぁ、うん。わかってる。貴族のやるような仕事じゃないって事でしょ? 少し前だったら反発してたかもね。便利なら魔法でやれば良いのに、って。実際、そう思ってたけど……魔法の安売りはしちゃダメだ。何でも魔法使いがやれば良いって話になったら困るのは皆だ。……私の失言だったよ、ナヴル」
「いえ、王姉殿下は私が指摘するまでもなく気付いていらっしゃった様子。むしろ私が過ぎた真似を致しました」
ナヴルが一礼をするのを見て、私はちょっと申し訳なくて指で頬を掻いてしまう。
私は魔法を民の生活の役に立てる事が出来たらいいなって思ってる。だけど、魔法を使えるのが貴族という限られた人達である以上、自主的にやるのならともかく魔法をアテにしていくのは良くないと思うようになった。
けど、ついつい便利なものを有効活用したいという元々の性格は直らない。貴族にいきなり工事現場で働いて、魔法を使って工期を短縮しろって押し付けるのは話が違う。
……言ってしまうなら、それは全部魔法を使える者に、ひいてはユフィに任せてしまえば良いって言ってるようなものだ。それは絶対に違うし、認める訳にはいかない。
魔道具が普及し始めた今、魔法を使える貴族の姿勢も変化していかなければならない。だけど、だからといって価値を下げてしまうような軽率な真似をしてはいけない。バランスは取らないとね。
「おぉ、ナヴルが高位貴族っぽい事を……」
「私もつい王姉殿下に同意しそうになっちゃいましたけど、何でも貴族に頼ってたら周りが成長しないですか。……ちょっと耳が痛いですね」
「ガーク、貴様は黙ってろ。そしてシャルネ、君に関しては時と場合という言葉もある。君の身の上の話は少し耳にした程度だが、時には貴族が体を張って率先して責務を背負わなければならない時もある。それは状況次第だ、君は魔法で解決した方が良かった事も多く見て来たのだろう。王姉殿下と行動を共にすれば、その見極めをつけられるように目を養う機会を恵んでくださるだろう。心してお仕えすると良い」
「……ナヴル様。はい! わかりました! これも勉強という事ですね! 参考に致します!」
う、うぅむ、思わずナヴルの言葉に唸ってしまった。こういう所はしっかりとした考えを持ってるんだな。あの一件から心を入れ替えて、次期伯爵としての心構えを身につけて来たのかもしれない。これは私もぼんやりしてられないな。
そんな事を考えていると、作業の手を進めていた男性の一人が私達に向けて声をかけてきた。
「おぉい、そこの貴族のお嬢さん方! そんな所に突っ立ってますと危ないですぜ!」
「あぁ、ごめんね! 作業の邪魔にならないように気をつけるよ!」
「……んん? あれ!? もしかして……アニスフィア王姉殿下ですか!?」
『なにぃっ!?』
私に声をかけた男性の驚愕の声に、作業をしていた人達が一斉に手を止めて私へと振り返った。一気に集まった視線に私は思わず一歩退きそうになりつつも、手をひらひらと振ってみる。
「ほ、本物か?」
「間違いねぇ、あんな気さくそうに手を振るのは間違いなく王姉殿下だろ!」
「お、お前等! 手を止めるんじゃねぇ! 大恩のある王姉殿下にみっともねぇ姿を見せるな! 働け!!」
ざわざわと騒ぎ始めた作業員達をリーダーと思わしき男性が慌てたように叱り飛ばす。怒声が響き渡れば、誰もが慌てたように作業へと戻っていく。
……気のせいかな? 心なしか作業の速度が上がっているような気がする。それに大恩って何の話かな?
これ以上、足を止めてても作業の邪魔になるだけだと私達は移動を再開する。その先にドラグス伯の姿を見つけた。
「ドラグス伯。お勤め、ご苦労様です」
「王姉殿下。もう既にこちらにお越しでしたか、お出迎え出来ずに申し訳ございません」
「そこまで気を遣わなくても構わないよ。案内ならともかく、護衛なら十分信頼出来る者を傍においてますし。それに現場の自然な姿を見たかったの。以前、街道の整備にも関わった事があったからこの活気は懐かしいです」
私が笑みを浮かべながら言うと、ドラグス伯はまるで仕方ない人を見るように目元を和らげて苦笑をした。
「あぁ、王姉殿下。この者は建設現場の責任者を務めて貰っている者です。是非ご挨拶をさせてください」
「王姉殿下に足を運んで頂き、光栄でございます。現場の責任者を務めさせて頂いているダールマ・セルと申します」
ドラグス伯に紹介されたのは中年に差し掛かった齢と思われる男性だ。厳つい顔付きだけどどこか愛嬌を感じる。髪は剃っているのかつるりとした禿頭で、名前と体型から前世の達磨を思い出してしまう。
「ダールマさん、お勤めご苦労様だよ。今回の新造都市計画はパレッティア王国の歴史に残る大工事だと思ってる。だから不慮の事故などで人命が損なわれるような事がないように、皆でこの事業を成し遂げて欲しい」
「ありがたいお言葉、胸に刻みたく思います。……それと、今回の現場に関わる者の多くが王姉殿下に感謝の言葉を届けたいと思っている事でしょう。現場の者の代表として私からお礼を伝えさせてください」
「お礼?」
はて、お礼とは一体、何の事だろう? 私が不思議そうな顔をしたのに気付いたのか、ダールマさんがニッと笑みを浮かべた。
「この現場には王都の、サーラテリアのスラム街の難民が数多く働いているのはご存知ですか?」
「それは、聞いているけど」
なんか久々に王都の名前を耳にした気がする。私、基本王都住まいだからサーラテリアって呼ぶ事はないんだけど。王都住まいの人達も王都ってだけで呼ぶ人も多いし。
こうして改めて王都の名前が口にされると外に出てきたんだなぁ、と実感してしまう。こんな風に思うのは私だけかな。
「難民の者達は王姉殿下に心から感謝しているのですよ。働く事も出来ず、貧困に喘ぎ苦しんでいた者達を救う為に手を尽くしたと」
「それは、結果的な話であって私が貴方達を直接救った訳じゃないよ。政策を決めたのも女王陛下の采配があったからだ」
「それでも貴方様は日頃から城下町に降りては民の話に耳を傾けてくださいました。先王陛下の時代にも、そのようにお心を尽くしてくださっていたのではないですか?」
「それは、まぁ、父上に進言したりはしたけど……私が直接政策を決めた訳じゃないから」
「それでも、です」
強く言い切るようにダールマさんは目に力を込めて、私を真っ直ぐに見つめる。
「先王陛下の治政を非難する訳ではないのですが、ユフィリア女王陛下の即位から貴族様方からの対応も横暴な振る舞いが減り、軟化してきたように感じるのです。そしてすべき事を導き、日々の糧を与えてくださる。そんな日々を送れるように尽力していた方といえば、皆が思い浮かべるのはやはり貴方様なのですよ。アニスフィア王姉殿下」
「……そう、ですか」
なんというか、恥ずかしいな。改まってそんな風に言われると。熱くなった頬を誤魔化すように片手を頬に添えて少しだけ首を傾げてしまう。
「今回の新造都市計画は、そんな貴方様の魔学を中心とした都市となるとお聞きしております。これも恩返しと張り切る者達も多いのです。そんな者達を代表する者として、感謝の言葉をお伝えしたく思っていたのです。改めて本当にありがとうございます。私達の働きが王姉殿下の願いの大成に繋がるなら、建築屋としてこれ程の名誉はありません」
「……私の為してきた事が皆の誇りになるなら、私にとっても喜びになる。私からもお礼を言わせて欲しいぐらいだ」
「それは都市が無事完成した時に、晴れ舞台で受けとらせて頂きたく思います」
厳つい顔に愛嬌のある笑顔を浮かべてダールマさんが言ってみせた。私も自然と釣られるように笑みを浮かべてしまった。
私は自然とダールマさんに手を差し出してしまう。ダールマさんが少し慌てたように手を拭ってから握手をしてくれた。その大きな手は働く人の皮が厚い手だ。
「貴方達に期待しているよ。どうか、私の夢を助けて欲しい」
「お任せ下さい。心血を注いで力となりましょう」
* * *
「王姉殿下は、凄いですね」
「うん?」
ダールマさんと別れて、そのままドラグス伯に案内されて現場の視察に回っている途中でふとナヴルが呟いた。
その呟きを聞かれた事にナヴルが一瞬、焦ったような顔を浮かべたけどすぐに表情を引き締めた。
「失礼しました」
「いや、いいけど。……急にどうしたの?」
「いえ。……先程のダールマとの会話を聞いていた際、素直にそう思ってしまっただけです」
「うーん。なんか持ち上げすぎじゃない? って思う気もするけど」
「そんな事ないです!」
「えぇ、そうです!」
今度はガッくんとシャルネまで乗っかってきた。なに? 突然どうしたの、君達。
「貴族を嫌う平民ってやっぱりいるんですよ。そりゃ悪いのは平民に圧政を敷いた貴族なんですけど、だからって全部纏めて貴族だから信用ならないって言う平民も多いですし」
「私の領地は天災があった事もあって領主と民の距離感が近かったのでそういう事はありませんでしたが……でも、私が出来たのは今を凌ぐだけで、アニスフィア王姉殿下のように平民達が誇りを持って仕事に励みたいって言わせたのは凄い事だと思うんです!」
ガッくんがふて腐れたように唇を尖らせる。シャルネは少しだけ沈んだ表情を見せたけど、すぐに表情を切り替えて畳みかけるように体を寄せてくる。
シャルネの勢いにちょっと押され気味になりつつも、どういう反応したものかと困った顔を浮かべてしまう。
「アニスフィア王姉殿下は、少々自分の評価を見誤る事が多いとは私も思いますな」
「ド、ドラグス伯まで何なんですか……」
「貴方が自分で思うより、貴方は立派なのです。その行いで救われた者も多い。王姉殿下はもっと己の評価を正しく受け止める努力をした方がよろしいですな。過ぎたる謙遜は己ばかりか、周囲の者を低く見積もらせる事に繋がりますよ」
「……上ばかり見て足を掬われるのが恐ろしいものですから」
「その慎重な姿勢も美徳ですが、あまりにも度が過ぎれば貴方を真摯に見つめる者にも気付けませんぞ」
「……心に刻んでおきます」
ドラグス伯の窘めるような言葉がちょっと耳に痛かった。それ以上に心に刻まなければいけないと思ってしまった。
……この人がレイニのお父さんなんだなぁ。話せば話す程、なんかレイニを思い出しちゃっておかしな気持ちだ。
まだ離れてそんなに経ってないのに、少しだけ離宮が恋しくなってしまった。




