第5話:新領主とのご挨拶
「んーっ、ついたーっ」
「王姉殿下、はしたないですよ」
新造都市建設予定地。馬車にのってようやく辿り着いた地で私はグッと固くなった体を伸ばす。すると馬車に同乗していたプリシラに注意された。
はいはい、と適当な返事をしながら新造都市の建設が進んでいる光景を見つめる。新造都市の建設予定地はパレッティア王国の王都から隣国の国境線がある地に築かれた城塞都市、その中間に位置する立地だ。
建設予定地は草原となだらかな丘が広がっている平原地帯で、開拓をすれば村落を築く事も容易いかと思うけれど、そうなったのはここ最近の話だ。
建設予定地は王都から見て北西に位置していて、更に進むと国境線の城塞都市に辿り着く。で、それの何が問題かというと建設予定地から北にはあの“黒の森”が控えている。
黒の森で発生したスタンピードで溢れ出した魔物はこの平原地帯に雪崩れ込み、ここは魔物の巣窟となっていた。
この新造都市建設の前にも幾つか村落が建てられたものの、度重なる魔物の襲撃から維持する事が叶わずに放棄してしまう事が多かった。だけど国境線を守護する城塞都市への道は確保したいという切実な事情があった。
これが黒の森を本格的に開拓した経緯だ。今は黒の森に沿うように発展した都市を経由して城塞都市へと向かう道が主流である。そして黒の森の開拓によってこの草原地帯に魔物が現れる頻度は格段に落ちた。
そこで維持が難しくて王家に返還されていた領地を新たに配分し直して、新造都市の建設が決まったというのが今回の立地決定までの流れだ。
「アニスフィア王姉殿下! お待ちしておりました!」
「シアン男爵……違う、シアン伯爵! ご無沙汰しております!」
熱心に働く人達を遠目から眺めていると、私達に向かって来る一団が目に入った。その先頭に立っていたのはシアン男爵改めシアン伯爵その人だった。
濃い茶髪に鋭い灰色の瞳、そしてその巨躯も未だに健在だ。伯爵という身分に合わせて用意された彼の装束はやはりどこか着られている感があって、なんだかおかしくなってしまう。
「この度は栄転、おめでとうございます。シアン伯爵?」
「ははは……正直、伯爵などと言われても分不相応で身に余りますが……改めてようこそいらっしゃいました。このドラグス・シアン、身分は変われど王姉殿下に捧げた忠誠に変わりなし。領主として未熟ではございますが身を粉にして働かせて頂きます」
「こちらこそよろしく、シアン伯爵。お互い頑張りましょう」
様になってきた礼をしてから、私はシアン伯爵と握手を交わした。私よりも二回りは大きい手だ。その手の剣ダコなどは、戦いの中で生きて来た事を感じさせてくれた。
「まずは我が屋敷へどうぞ。といっても比較的、損傷のなかった屋敷を修繕したものですので快適とは言いがたいですが……アニスフィア王姉殿下の為のお住まいが建設されるまでの辛抱だと思ってください」
「構わないよ。私は今回、王族と言うよりは一個人、魔学の見識者として来ているつもりだからね。必要以上に礼儀を尽くす必要はないよ。公式の場でもなければね」
私の返答にシアン伯爵は微妙な笑みを浮かべたけれども、すぐに私達を屋敷へと案内してくれた。
それは確かに年月を感じさせる風化した印象と、修繕の際に建て直した真新しい部分が混在した何とも心擽るような屋敷だった。
私達が運んできた荷物はプリシラとナヴルくんで運び出すという事で、私はガッくんとシャルネを連れてシアン伯爵に通された応接間に向かう。
「ようこそシアン伯爵家へ。アニスフィア王姉殿下、ご無沙汰しております」
「アリアンナ夫人、こちらこそご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
応接間には一人の女性が待ち構えていた。とても嫋やかな女性だ。ふわふわとして癒やしの空気を纏っている。質素ながら品の良いドレスに黒みがかかった青髪を腰まで垂らしている。その茶色の瞳は優しそうに細められている。
彼女はアリアンナ・シアン伯爵夫人、レイニの義母様だ。何度かレイニに関わる事でお話をさせて頂いた事があったけど、こうしてちゃんと顔を合わせるのは久しぶりだった。
「これから末永いお付き合いになるかと思いますが、よろしくお願いしますね」
「はい。ここがレイニの実家にもなるのですから、あの子の為にも発展させて行きたいと考えています」
「まぁ、あの子も幸せ者ですね……」
くすくすと笑いながらアリアンナ夫人が着席を促す。私はソファーに座り、その後ろにガッくんとシャルネが控えるように立つ。
シアン伯爵とアリアンナ夫人は並んで座ると美女と野獣みたいだな、と思ってしまう組み合わせだ。けれど二人の間に感じるのはとても穏やかで良好な夫婦関係だ。なんだかとてもホッとする。
「長旅、お疲れ様でした。部屋は用意させてありますので、今日はゆっくりとお休みください」
「えぇ、そうさせて頂きます。どうですか? 都市の建設の状況は」
「まずは地盤作りですね。ここには元々村落があったので、その中でも補修出来る建物は補修して一時の仮住まいとします。今のままでは護衛の騎士達も野営と変わらない状態ですからね」
「最初から上下水道を盛り込んだ土台作りから始めていますからね。工事現場で作業されている方々は四苦八苦しているのでは?」
「それはそうですが、人手は十分です。給金も恵まれているとなれば皆、力が入るというものです」
この都市建設予定地で工事に訪れた人の中には王都の難民だった者達も多い。毎日働いた分だけ生活を保障してくれているというのだから、誰もが精力的に働いているという。
都市建設の計画の流れだけど、最終的に土地は円形状に作って行く事が決まってる。元々放棄されていた廃村区を半円として、もう半分の半円を新規に開拓していく。
廃村区のまだ使える建物を補修して一時の住まいとして、逆側の新開拓区にまず上下水道を張り巡らせて土台を完成させる。それが終わったら都市の政治を行う都庁の設立、更に魔学の為の研究機関や騎士団の宿舎を作る予定だ。
それが終わり次第、元廃村区となるだろう建物を崩して、ここにも上下水道を作っていって住民が住まう住宅区を整備していく流れが大まかな都市建造計画だった。
「建設の進捗は?」
「行政区予定地の上下水道はそう日も置かない内に完成の目処が立つでしょう。あとは実際に運用してみてからですね。それが終わればようやく建物の建造に着手する予定です。その頃には外壁の建設も目処が立つと思っていますので」
「じゃあ暫くはこの邸宅が私達の活動拠点になる訳だね。私に手伝える事があったら幾らでも言ってね。都市が出来ない事には本業も難しいからね」
「存じております。……更に詳しい話はまた明日にしましょうか。今日はゆっくり旅の疲れを癒してください。風呂の準備も済ませておりますので」
「流石、お風呂を布教しただけあって用意が良いね! あぁ、そうだ。今度から一緒に働く事が増えますし、ドラグス伯とお呼びしても?」
「……ご自由にどうぞ。王姉殿下にそう呼ばれるのは大変恐縮なのですが」
苦笑交じりに顎髭を撫でながらシアン伯爵改めてドラグス伯はそう言ってくれた。
どこか照れくさそうに笑う仕草は全然顔が違うのにレイニを思い出させてしまった。血の名残というのはやっぱりどこかに出るものなんだな、と私は笑ってしまうのだった。
そして私達は風呂を頂き、もてなしの食事を食べさせて頂いた。その後、それぞれに宛がわれた部屋で眠りについた。旅の疲れから、眠りに就くのはすぐの事だった。
* * *
「王姉殿下! 朝ですよ! おはようございます!」
「ん……シャルネ……? ん、おはよう」
元気な呼び声で朝の訪れを感じた。私の寝起きは悪くない、すぐに意識がはっきりとして覚醒する。私が起きたのを見て、シャルネは満足そうに笑みを浮かべて元気よく返事をした。
そのままシャルネに着替えさせて貰って、シャルネを伴いながら部屋を出る。
今日の午前の予定はない。午後からは軽く建設都市予定地の視察に出て全体を回る事、あとは騎士団やこの建設予定地に来ている人達への挨拶回りの予定だ。
「おはようございます、アニスフィア王姉殿下」
「おはようございまーす」
「おはよう、ナヴルくん、ガッくん」
部屋を出ると私を待っていたかのように護衛であるナヴルくんとガッくんが立っていた。
ナヴルくんは生真面目なほどに丁寧な一礼を、そのせいで隣に並ぶガッくんの粗が目立つこと。ちょっとだけ苦笑してしまう。
一礼を解いて私に向き直ったナヴルくんだけど、ちょっとだけ苦虫を噛み潰したような顔を浮かべてる。
「……その、王姉殿下。失礼ですが、そのくん付けは止めて頂けませんか? 呼び捨てにして頂いて構いません」
「そう? じゃあ……ナヴル?」
「はい」
「じゃあ、俺もガークで!」
「じゃあ行こうか、ガッくん」
「なんでだよぉっ!?」
うるさいな、ガッくんはガッくんなんだよ。ナヴルは少し吹き出していたので、ガッくんから肘打ちをされていた。
シャルネもまだ私に仕えている喜びと緊張からか、やや硬かった空気が和んでいる。良い傾向だな、と思いながらまずは朝食だという事で食堂へと案内された。
食堂へと入ればプリシラが給仕の方達と何か会話を交わしている所を見かけた。プリシラの方へと歩み寄りながら挨拶をする。
「おはよう、プリシラ」
「おはようございます、王姉殿下。よくお休みになられましたか?」
「えぇ。暫く馬車の旅は遠慮したいけどね」
「それはようございました」
相変わらずの細目に微笑を浮かべた顔から変化がないプリシラだ。何度も見てれば見慣れるものかな、と思ってると先に席についていたアリアンナ夫人から声がかかった。
「おはようございます、王姉殿下。夫はもう既に仕事に出てしまっておりますので、私がお相手させて頂きますわね」
「ドラグス伯の朝は早いですね」
「現場に足を運んで指示を出すのは性に合ってるのでしょう。このような仕事の機会に恵まれて嬉しいのでしょうね」
穏やかにアリアンナ夫人がドラグス伯の事を思っているのか、ニコニコと笑っている。そんな夫人の柔らかい雰囲気に癒されながらも食事の席に着く。
出された食事は王族の規準で見ればまだ質素と言えた。けれど、逆にそれが良かった。離宮で食べ慣れてるような献立だったからだ。これはありがたい、たまに貴族の朝食でも胃にもたれそうな食事を出された事があるんだよね。
「今日の献立はプリシラさんからお聞きしてご用意させて頂きました。我が家の朝食とそう変わらないので驚きました」
「離宮に住んでいた頃は私の専属侍女が料理を作る事が多かったので、こういった家庭料理の方が口に合うのですよ」
「レイニからも聞いていましたが、アニスフィア王姉殿下は随分と気さくな方なのですね……」
しみじみとアリアンナ夫人が呟く。そこにはホッとしたような気配を感じた。アリアンナ夫人もやっぱりどこか緊張は隠せないんだろう。相手が幾ら気さくであっても王族だしね。
……それにしてもアリアンナ夫人って本当に若いなぁ。ドラグス伯と並ぶと美女と野獣みたいな印象を受けてしまうのもアリアンナ夫人の可憐さもあっての事なんだと思うけど。
「失礼ですが、アリアンナ夫人はおいくつで……?」
「私ですか? 私、二十二歳となりました」
「二十二歳!?」
えっ、ちょっと待って。だってレイニが今年で十七歳の筈だから……五歳差のお義母様!?
「えっ、失礼ですがドラグス伯は……?」
「夫は三十六歳となります」
「……じ、十歳以上も離れていらしたんですね……?」
「貴族では珍しくもないお話でしょう?」
クスクスとアリアンナ夫人は楽しそうに笑っている。養子だからそうなるんだろうけど、レイニはこんな年の近い人をお義母さんって呼んでるんだ……感覚的にはお義姉さんの方が近いんじゃないの?
あまりアリアンナ夫人と接点がなかったから、今度レイニに聞いて見よう。お義母さんの事をどう思ってるのって?
っていうか確かイリア、レイニの事で家に挨拶しに行ってるよね……?アリアンナ夫人よりもイリアの方が年上じゃん! 挨拶に行ったとは聞いてたけど、どんな会話してたのか凄く気になってきた……。
「それで、本日の王姉殿下のご予定は午後から視察に回られるとか」
「えぇ。午前は荷ほどきなどさせて頂ければ。あと現場の進捗の資料などを後で頂ければ助かります。後日、目を通したいと思いますので」
「畏まりました、そのように手配させて頂きますね。お時間がある時にでもレイニの事も聞かせてくださいませ」
頬にそっと手を当てながらアリアンナ夫人は微笑む。なんというか嫋やかさの中に強かさもあって不思議な魅力を放つ人だなぁ、と私はアリアンナ夫人の印象を纏めたのだった。




