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「お嬢さん、もういいかい?」
「そうですわね、行きましょう」
「……もうちょっといたら? 私、全然いいわよ」
報奨金の額が上がって、一週間経ったので、僕らはお嬢さんを親元に返すことにした。お嬢さんの計画通りにいけば、僕らは最高にハッピーになれるらしい。
しかし、妹は存外にこのお嬢さんになついていたらしく、寂しそうな顔をしまくる。最後は一緒にいたいだろうと思って、マフラーやジャケットで着膨れさせまくっているところだ。妹は「暑いよ、お兄ちゃん」と言うが、知ったこっちゃねえ。寒さ対策万全に!
「でも、もうそろそろ帰らなくちゃいけませんわ。あなたと離れるのは悲しいけれど」
「スージー、本当の本当に帰っちゃうの?」
「ええ」
「どうしても?」
「そうよ。両親が心配してますもの」
「そっか、そうだよね……。私、スージーとあえてよかった! 今まで楽しかったわ。ありがとう」
「ええ、こちらこそ」
二人は握手をかわした。
しょうがないことさ。どっちにしろ、彼女には帰ってもらわなきゃいけなかったんだし。彼女が帰れば、食費は浮くし、部屋が広くなって僕はベッドで寝れる。
「それじゃあ、行こう」
「ええ」
「うん!」
僕らはゆっくりと歩きながら、学校に向かった。
お嬢さんは首筋を撫でて「寒いわ」と言った。髪の毛がないだけで寒いのはわかるぜ。僕も一時期、女の子のふりしたりしたことあるし。黒歴史だけど、まあ、面白い体験だと思えば、ちょっとは救われる。
お嬢さんは下町の生活が面白いらしく、あちこちに顔を出しては僕らにあれこれ聞く。あんた、さらわれてたとは思えないな。監禁されてたんだぞ、軟禁じゃなく、監禁を。このお嬢さん、たくましいよな。
妹は彼女にべったりとくっついていて、僕はちょっぴりさみしい。
ちなみに、今日はどうせお嬢さんのことで仕事にはならんだろうと思って、休ませてもらった。休ませてもらってるのに仕事場に行くって変な感じだよな。
門の前に到着して、僕は警備員に彼女のことを話した。すると、慌てて彼らは門を開け、一緒に校長室に向かってくれた。妹は学校というものに初めて入ったので、キョロキョロしている。
もしも、攫ったのが僕だってバレたら、どうなっちゃうのかなあ……。とにかく、お嬢さんに任せとくか。
校長室に通され、僕らは校長先生と教頭先生の前にいる。
お嬢さんは堂々としている。あんた、本当に僕の家に監禁されてたお嬢さんかよ。
「スザンヌさん! よかった、よかった!」
「ええ、本当に」
「彼らが? 犯人はどうしたんだね?」
「申し訳ない。犯人は逃げちゃいました。夜の仕事が終わった時だったので、路地裏で暗くて顔がよく見れなかったんですよ」
「わたくしも背後から襲われてしまって、茶髪だったのはわかるんですけど、それ以外は男性としか……。残念ですわ。あたくしをさらおうとした犯人を捕まえられないなんて」
「それにしても、そんな早くに助かったのに、どうして早く戻ってこなかったんです?」
「あ、それは僕の判断です。もしかしたら、近くにその犯人がいるかもしれないから、時間をおいた方がいいかなって。時間置いてたら、知らない間におおごとになってて、慌てて出て来たところです。さすがに一ヶ月半も姿が見えなかったら、別の人間を捕まえますよ」
「手紙がきてたんだがなあ」
「あら、そりゃあ、助かってるなんて知らないと思ってるでしょうから、あっちも威そうと思ったんですわよ。お金が欲しいんだもの、できることくらいはするでしょう?」
お嬢さんは冷静な姿であれこれと校長と教頭の質問を、バッサバッサと切って行った。そして、僕らに報奨金を渡すようにと言い、僕らはしっかりとお金をいただいた。妹と僕は初めて見る額のお金に手汗が出た。
僕らがあれこれと喋っていると、校長室のドアが勢いよく開き、地味だけど高そうな服を着た奥さんとおじさんが現れ、スージーを強く抱きしめ、涙を流した。
僕らは罪悪感で胸を痛めた。妹は僕を睨んで目には「お兄ちゃんがこういうのしなければ、彼らはこんなことになってない」と書いてあった。反省してるよ。でも、お金をもらえたんだ。オールオッケーさ。
「まあ、こんなに痩せて! 髪の毛だって、まあまあまあ!」
「お母様、ご心配おかけしました」
「ええ! でも、無事でよかったわ!」
「お父様も、ごめんなさい」
「いいんだ。無事なら、それでいい」
三人はぎゅうっと抱きしめあった。
僕と妹はお互いに目配せして微笑んだ。
厳格そうなお父さんの方が僕らの方にやってきて「君が助けてくれたんだね?」と言った。僕は頷いた。
ごめんなさい、本当は誘拐したの、僕です。
「ありがとう。お母さんとお父さんはきていないのかな?」
「あー、僕らの両親、えっと僕らを捨てて、どっかに行っちゃってて……。あー、気にしないでください。今まで僕ら二人でやってきたんで。ね、ギャビー」
「うん。お母さんとお父さんがいなくても、全く問題ないので、気にしないでください」
僕らはこの多分心優しいおじさんにあれこれと、気にしないように言いまくった。だが、このおじさんは結構気にしてしまったらしく、少しオロっとしている。だから、気にすんなって。いなくなって五年くらい経ってんだし……。
「そんな大変な生活をしてるのに、娘を……!」
「そうなのよ、お父様。この人たちね、あたくしに親切にしてくださいましたのよ。犯人がいるかもと匿ってくださって、その上、自分の食事を削ってご飯をくださったり、お洋服もくださいましたし」
「そうなのか! なんといい子たちなのだ! 天使のようではないか!」
「お父様、あたくしお礼をしたいから、お家に呼んでもいいかしら?」
「いいとも! 君たち、ぜひ、うちに来てくれたまえ!」
「あ、はあ」
「君たちの家の前に馬車を迎えに行かせよう!」
話、ややこしくなってない?
妹は嬉しそうにはしゃぎ、天使、おじさんに「ありがとう、おじさま!」と言った。天使。ここの部屋にいるみんながお前に癒されてるよ。僕の妹だからな、僕の! はあ〜〜〜、天使……。
お金をいただき、おじさんとおばさんにあれこれと感謝の言葉を送られて僕らは学校を出た。これで家賃を払って、次にもらえるだろうお金でもう少しいい部屋を借りる。妹の病気も今よりもっとよくなって、来年の春には完治だろう。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「次はこんな出会いがないといいね」
「嫌味な奴……。はいはい、お兄ちゃんが悪うございましたよ。もうしないよ」
「私のためでもよ?」
「それは約束できないなあ」
「お兄ちゃん!」
「布団、買って帰ろうか」
「本当?」
「二人でぎゅうぎゅうになって寝るのもいいけど、なんだかんだで冷えるだろ?」
「うん」
「安くてあったかい奴買うぞ!」
「おー!」
僕らは布団屋さんで安くて良さそうなものを探しまくり、近所のおばちゃん連中にアドバイスをもらいながら、やっと布団を購入した。家に帰り、そのままおばさんに家賃を渡した。次は溜め込まないようにって叱られてしまった。でも、今月分と一緒にしたから、チャラだろ。
妹は服を脱ぐと、すぐさまタンスを開け放して「どれがいいかしら!」とそこそこいい洋服たちを並べた。
「お前は何を着てもかわいいよ」
「もう! お兄ちゃん、適当なこと言ってないで一緒に選んでよ!」
「はいはい」
「これがいいかなあ、こっちがいいかなあ。ねえ、お兄ちゃん、どっちがいいかしら?」
「僕的にはこっち」
「なんで?」
「そっちの方が首が詰まってるから」
「もう! おしゃれかとか可愛いかとかで選んでよ。本当にお兄ちゃんってば心配性なんだから」
「しょうがないだろ」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「そうかなあ。それよりも、もう少ししっかりした部屋に越そうと思ってるんだけど、どう?」
「引っ越し? いいけど、このお金なくなった後とかでもちゃんと払っていけるとこじゃないと厳しいよ」
「そうだけど、これ以上寒さが厳しくなる前に決めないと。最近胸の方のが結構出てるだろう?」
「うん……」
少し落ち込んだ妹の肩を抱いて揺さぶり「まあ、それはもう少し後でもいいし、また戻って着てから考えよう。な?」と笑ってみせると、妹は頷いた。いい子だ。
服を選んで着替えている途中に馬車がやってきたらしく、大家のおばさんが驚いてやってきた。僕らは少し濁しながらも出来事を話して納得してもらった。妹の着替えを手伝ってもらった後、僕らは初めて馬車に乗り込んだ。妹ははしゃいでいて、後々疲れて倒れたりしないか心配になった。
馬車に揺られながら、僕はちょうど良さそうな家はないかと探した。これ、便利だな。
「お兄ちゃん! 見てみて! すごい!」という声に僕は振り向いて、反対の窓を見た。あのお嬢さんの家だ。僕は何回か見ているので驚きはしないが、何回見てもでかいなあ、金持ってんなあと思う。
馬車から妹はエスコートされて降りて、僕に「お姫様になった気分」と言った。僕もどこぞのお坊ちゃんになった気分だよ。
初めてこんな金持ちの家に入るので、僕らはどぎまぎしながら玄関先を通った。
「まあ! やっときましたのね!」とどこからともなくお嬢さんが駆け寄ってきて、僕らの手をつかむとずんずん歩いて行く。妹も僕もなんとも言えずにそれについていくしかない。
「今日は楽しんでいらっしゃってちょうだい! それから着替えていただきますわ! お客様もいらっしゃるんですのよ。そう、あなた方を養子に欲しいっていう伯爵がいらっしゃいますの」
「養子だって?! 冗談じゃない!」
「まあ、お聞きなさいな。養子とは言っても、別に執務をするとかじゃないんですの。お金の工面をしてくれるだけですわ。もちろん、一緒に暮らすもよし、暮らさないのもよしですわ。ギャビーさんにはちゃんとした暖かい家が必要ですわ。ですから、その家を提供できるようにと思いまして」
「そんなうまい話があるかよ。僕らは二人で生きてきたんだから、これから先だってそうするさ」
「今年の冬は今まで一番寒くなるそうですわよ。あんなあばら家ではいけませんわ」
「悪かったな、あばら家で」
「あら、悪いとは思いませんわよ。とにかく、養子に欲しいって方がいるんですの。会うだけ会ってほしいわ」
「あんた、踏み込みすぎ」
「ごめんあそばせ。あたくし、そういうの気にしない質ですの。それに、見たくありませんこと? ギャビーさんが綺麗なドレスを着てるとこ」
「よしきた! 僕、会っちゃう!」
僕らは着替えるために別々の部屋に連れて行かれそうになり、僕は大声で「貴族には変態も多いって聞いたから絶対にはなれないぞ!」と叫んで地団駄を踏みまくったおかげで同じ部屋に通された。
昔、友人が貴族の人間に親切にしてもらったら、おかしなことになったって言ってたからな。うちの妹は天使だから、さらに危ないだろうし。僕が守ってやんなきゃ。
妹は初めてきるお高くておしゃれなドレスにはしゃぎ「お兄ちゃん見て!」と何回もその場でくるくる回って見せた。僕は何回も、かわいいと言った。僕の方は着替えを拒否したので、来た時と同じままだ。どう考えても、あの服は締め付けられて息苦しそうだし、動きづらそうだ。
妹と一緒に部屋から出ると、お嬢さんはまず妹をべた褒めし、僕が着替えなかったことに不満を漏らした。
「まあ、いいですわ。さ、こっちよ。いらっしゃい」
「養子縁組する相手って安全だろうな? 絶対に変な趣味とかないよな?」
「大丈夫ですわ。あたくしの親戚ですもの。お父様のおじですわ。とっても言い方ですから、ご心配なく。言っておきますけど、養子云々の話はあたくしじゃなくて、父が考えましたの」
「余計なことを……」
「一回くらいは社交界の土を踏ませてあげたいとは思いませんこと?」
「一回ならね」
「お兄ちゃんたち、なにコソコソ言ってるの?」
「あなたがとっても綺麗でびっくりしたって話ですわ」
「本当? 嬉しい! 私にこんな綺麗なドレスに合うかなって思ってたのよ」
「よく似合ってますわよ」
「天使みたいにかわいいよ! いつでもそうだけどね」
「もう!」
天使! そのふくれっ面、ほんと天使! かわいい! あざといけど、かわいい!
僕らじゃ想像できないような大きさの食堂と机があり、先にいたおじさんとおばさんに歓迎された。僕はまず馬車のお礼をいい、妹のお礼も言った。二人は大したことじゃないと言って、スージーの言っていた養子に欲しいとかいう伯爵を紹介した。
白髪で品のいい髭を生やした爺さんだ。僕らはとりあえず、挨拶をした。
「こんにちは。突然で驚いただろう? そう警戒しないでくれ。君たちがスザンヌを助けてくれた子たちだね?」
「はあ、まあ……」
「まず、養子が欲しいって言っていたのは、前々からでね、甥の彼が私に教えてくれたんだよ。君たちのような素晴らしい子供がいるってね。しかも、両親もいないと聞いた。それを幸か不幸かはわからないが、苦労していることは確かだろう。だからね、手助けをさせて欲しいんだ。本当のところは私の家に来て、家族のように過ごさせて欲しいんだが、難しいだろう?」
「そうですね」
「ふふ、きっぱりという子だ。スザンヌから話を聞いたよ。妹さんの方が病気で身体が弱いんだってね? 今年の冬は一段と寒さが厳しいらしい。よかったら、うちに来て暖かくなる春までの間、暮らさないかい? もちろん、養子縁組した後になるけれど」
「脅されてるみたいだ……」
「お兄ちゃん!」
「ガブリエル、少し黙ってろ。正直、僕はあなたを信用できない。昔、友達は貴族の変態に変なことされて死んだことがある。さすがに僕はいいよ。身体もしっかりしてるし、逃げ出すだけの気力はあるつもりだ。だけど、妹となると違う。あんたの目的がわからない。わからないから信用できない」
そういうと、目の前の爺さんは肩を揺らして笑って「しっかりした子だなあ!」とおじさんの肩を叩いた。なぜかお嬢さんが自慢げにしている。なんであんたがしてんだよ。
爺さんは柔和に笑って「目的は老人の寂しさを紛らわすためだよ」と言った。
ああ、老人の孤独ってやつね。よく聞くよ。
「私はね、結婚もせず、子供もおらず、ずっと一人でねえ。使用人たちはいるんだが、皆、そうそう目の前ではしゃぐこともないし。若い頃は一人でいいなんて言っていたが、この年になると寂しくってね。子供もいないし、奥さんだっていない。友人も死んだりして少ないし。大きな家に一人で訪ねてきてくれる人なんかもいない。寂しくてね」
「それで慰めて欲しいってわけ? 純粋に?」
「純粋にだよ。私はね、美術が好きでそればっかり集めて来たおかげで、お嫁に来てくれる子もいなくて、この年さ。私は家族が欲しいんだよ。家族というよりも子供や孫みたいなものがね。君たちの話を聞いて、私はそんな良い子たちならばと思って、それで頼んだんだよ」
「……」
「警戒するのもわかる。一度、うちに来てみてから考えないか?」
僕はどうするべきか妹を見た。妹はじいっと爺さんの瞳を見つめている。妹は人を見る目がある。
「お前はどうしたい?」と妹に耳打ちすると、妹はすぐに「一回お家にお邪魔させてもらいましょうよ。一人じゃたしかに寂しいもの」と言った。
僕は頷き、爺さんに手を差し出し「一度、あんたと過ごしてみてから考えるよ」と言った。爺さんは嬉しそうに笑って僕の手を取った。少しかさついていて、だけども大きく暖かい手だった。
それにまわりのお嬢さん一家は喜び、やんややんやとわいわいがやがや色々な話をしながらご馳走を食べた。妹はご飯が美味しいからかよく食べ、よく笑っていた。僕はそれだけで、今日は十分幸せだったな、と思えた。
僕らは一旦家に戻ってから、爺さんの家に向かう馬車に乗った。妹は疲れたのか、馬車の中でぐっすり眠っていて、僕も少し眠かった。
爺さんの家は少し郊外にあって、静かな場所だった。ガヤガヤしている下町育ちの僕にしてみれば、少し落ち着かないし、寂しい感じがする。
こりゃ爺さんも寂しかろうな。
爺さんの家は、お嬢さんの家よりはこぢんまりしているが、やはり大きなものだった。妹を起こして、運ばれるか起きるか聞いた。妹はしっかりと起きると言った。
家の中では、すでに爺さんが待っていて、ニコニコしながら、家中を案内して回ってくれた。さすがに年齢も年齢だからか歩く速度もゆっくりで、疲れている妹にはちょうどいいテンポだった。僕らを気遣ってくれ、二人で一緒の部屋を用意してくれた。妹は爺さんにお礼を述べ、僕も後から述べた。
爺さんは「家が少し明るくなった気がするよ。次の日の朝に起こすからね」と言って、自分の部屋に戻って行った。
僕らはふかふかの、マシュマロみたいなベッドやたかそうな絨毯にガタガタしない椅子に感動しながら、さっさと就寝した。どっちにしろ、明日は仕事だ。