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「いいこと? ディックはとってもカッコよくて優しくて頭も良くて、特に唇が素敵なんですのよ! 絶対に、絶対に、絶対に! ディックの様子を見てきてちょうだいね! たとえ、あなたが美しくたおやかで可愛く可憐なあたくしが好きだとしても、嫉妬せずに見てきて欲しいんですの!」
「誰が嫉妬なんざするか、ボケ!」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん! ネクタイ、ネクタイ!」
「お、おー……」
「特にディックの横にいる女子ことアリスさんがちょっかいかけようとしたら、阻止してちょうだいね!」
「なにそれ、めんどくさ! 僕、それはしないからな」
「なんでですの? ディックへの嫉妬? あたくしを独り占めしたい気持ちはわかるけど、あたくしにはディックがいるから……」
「はいはい、ディッキーはかっこいいですねー。あと、僕、アリスって子には近づきたくないから、断る」
「近づきたくない?」
「そーそ。あんたと話してたら、面接に遅れるから行くわ」
妹はもう一度、僕のネクタイを締め、ジャケットの肩の埃を叩くと「いってらっしゃい、お兄ちゃん!」と天使の笑顔でそう言った。
ほんと最高の癒しオブ癒し。お兄ちゃん、頑張ってきちゃうからね! もうがつんと奴らのハートを握りしめてきちゃうから!
集合時間よりも少し早いが門のあたりで待てばいい話だ。
僕がアリスこと、あの外れと称した女子生徒になぜ近づきたくないかというと、彼女は人に踏み込みすぎるからだ。誘拐して攫ってきたはいいけれど、いろんな家庭事情に同情されたらたまったもんじゃないし、妹にストレスを与える。スザンヌは話は聞かない、勘違い女だけれども、同情しないどころか妹を動かすし、指図するし自由すぎる。それがかえって、妹にとってはストレスフリーだ。あんまりにもかわいそうだなんだのと言われると、そうなんじゃないかとか、ダメダメでとか落ち込んでしまう可能性が高いし、実際そうだった。
だから、あのアリスって子には近づきたくないのだ。
同い年なのに働いてるってことは、とか考えるだろうし、実際、話しかけられてイラついた覚えがある。
「手助けが欲しかったら……」みたいなことを言い出したので、断ったりとか。
普通に考えて、仕事取られたら大問題だわ。しかも、生徒に取られたらクビ一直線だわ。
まあ、そんなこんながあって苦手なのだ。
彼女の親切は本心からだろうが、ありがた迷惑な部分もある。
誘拐するために探ったりとかしたから知ってるけどな。彼女は心優しいし、いい子だし親切だけど、イマイチ考えが足りないっていうか、天然で済ませていいのかなーって部分がある。いい子なんだろうけど、僕はちょっとねえ……。
ともかく、この仕事をなんとしてもゲットしないと! 薬代に食費。薬代も一週間分のためてるし、家賃も二ヶ月溜まってるし……。子守と夜の仕事じゃ薬代は増えていく一方だろうし、家賃だってそうだ。食事を僕の分を抜けば、なんとかなるだろうけれど。
この仕事はさすがに給料はいいけれど、庭師よりは断然低い。夜の仕事と掛け持ちしてもいいけど、妹一人だと心配だし。今はあのお嬢さんがいるけれど、やっぱり心配だ。いつ発作が起こるともわからないし。
門の前には続々と求職者が現れている。中には僕と同じくらいの年齢だろう人たちだっている。でもね、僕はいっぺんここで働いてたんだ。働いてたってことは有利だってことだ。
ふふふふふ……、はーっはっはっはっはっはっ!!! いただいたぜ!!!
僕らは学校の事務の先生に促され、面接会場に向かった。やっぱり、この学校って無駄に広いし、金持ちだなあって思う。ここから、あのお嬢さん誘拐したのか。誘拐したのが内部からって思わないのだろうか。むしろ、これは罠だったりして……。いや、そんなわけないか。
面接官に呼ばれて、部屋に入ると以前頭を擦り付けて頼んだ時の面接官たちだった。彼らは僕を見た瞬間「合格!」と叫んだ。
僕は、は? と言った。
なになに、なんでそんなあっさりと言った? ただの余興か? それともなんかの試験か? は? どういうこと?
「いやあ、君は働き者だったし、体力も有り余ってるし、あと女生徒から苦情がきたから」
「は????」
「目の鋭いイケメンはどうしたんだって言われてね」
「は????」
「女子の集団の力はすごいよ。それじゃ、合格だから明日からよろしくね。はい、これ給与とか条件とか色々書いてある書類。今日中に目を通しておいてね。はい、それじゃあ、帰って。次ー!」
「あ、は? ん、失礼しましたー……」
なにこのあっさり感! いいのかよ! 御都合主義的な?! っていうか、なに、女生徒がなんだって? 意味がわからない。なんの意味もわからないが、仕事にありつけたことはわかった。万歳!! 今日はちょっと豪華にしよーっと!
僕は早速家に帰ろうと廊下をスタスタ歩いた。廊下、無駄に長いんだよなあ。なんでこんなに広いんだよ、ここ。
悪態をつこうとしたところで、誰か二人組が出てきた。うわ、あのお嬢さんによろしく言われてた二人じゃないか。
さっと廊下の柱に身を隠した。
「アリス、どうせあいつのことだから、私に心配させようとしているだけさ。それにどうせ、くだらないことに決まってる」
「そうかなあ……。でも、どうしてかな?」
「それは……。最近、少しあったから、じゃないかな?」
「なにがあったの? 私、心配だな」
「アリス……」
おいおい、さっさとどっか他のところに行ってくれないか。
僕はイライラしながら、その場に座り込んでいる。
彼らの話を聞くに、あのお嬢さん、ただ単に心配かけるために脱走したって思われてるぞ。
と、いうことはだ。さらわれたんじゃないって家の方でも思われてる可能性もあるぞ!? それじゃあ、ちっともうまいこといかないんじゃないか?!
でも、次々に手紙を出してたら、もっと変だ。ここは少し時間を空けとくべきじゃないか? いつまであけとけばいいだろうか一週間? 一週間もあのお嬢さん監禁しとくとか大変だぞ。主に僕のストレス的なものが。
どうしたもんかなー。
「だけど、誘拐だって聞いたよ?」
「きっと、金を払って振りをしてるんだ。あれはバカだし、ずる賢いからな。そうやって私の注意を引きたいだけなんだよ」
「そうかなあ。もし、本当だったら、どうするの?」
「ふ、いい気味だよ。やっと大人しく、常識人になるだろうさ。アリス、心配することないんだよ。それより、ここは冷えるから中に入ろう?」
「うん」
あれのどこが優しくてイケメンなんだ?
いや、まあ、とにかく、誘拐だとは伝わっているらしい。らしいけど、本当かどうかわからない。ディックが言ってたように演技だと思われている可能性もあるし……。そこは、本人に聴きだすとして、これうまくお金、手に入れられるのかなあ。
どうやったら、逼迫している状況だって思わせられる……。
僕は考え、考え家に帰った。
妹はベッドで寝ていて、その近くにお嬢さんが座って、心配そうに見つめている。発作か?
「どうした。なにか、咳き込んだりとかした?」と僕は妹のおでこを触り、失礼して背中を触った。熱はなさそうだ。水とこの間、おばさんにもらった塗り薬を胸あたりに塗って、お湯も沸かしておかないと……。
僕がパタパタ準備しようとし始めたところで、さっきまで大人しかったお嬢さんが「あなたも痩せてるのね!」と言った。
は?
「あたくしね、この子が着替えるところを見てて、痛ましく思いましたわ。あばらが出てて、瘦せぎすで。あなたの方はそうでもないかと思ったら、そうなんですもの!」
「は? ここらじゃ、標準体型だけど?」
「まあ! なんてこと! あ、それと咳き込んだりはしてらっしゃらなかったわ。ただ、眠くなっただけですって。あたくし、本当に心配だわ、こんな痩せてて」
「なんだよ、かわいそうってのか」
「んー、かわいそうっちゃかわいそうですわ。だって、これじゃあ、ドレスを着た時に胸元の魅力が半減ですわ」
「そこかよ! ドレスとかきねえから、関係ないよ!」
「あたくしは、身体面でも美しくたおやかで可愛く可憐だけど、この子の場合はあれですわ。儚げすぎるんです。これじゃ、ダメよ。もっと太らないと! でも、胸が育つかは別問題……」
「ちょっと黙って?! 妹の胸の話はしないで!」
「あら、恥ずかしがることないですわよ。兄貴分として心配でしょう」
「やめて! 変態くさいじゃないか!」
「変態?」
「あー、もう、勘弁しろよ……」
僕が椅子に座り込んで、お嬢さんを睨んでいると、寝ているはずの妹の背中がプルプル震えて、大きな声で笑い始めた。
狸寝入り決め込んでたな、お前……。
ふふふ……、と目尻をぬぐいながら起き上がった妹は僕におかえりと言うと、ベッドサイドの水をいっぱい飲んだ。
「お兄ちゃんったら……。大丈夫よ、心配しないで、ちょっと疲れちゃっただけだし。このお水ね、スージーが入れてくれたのよ」
「あー、そうかい」
「胸の件は確かに余計だけど、気にしないわ」
「あら、気にすべきよ。あったら、ウエストとの差ができて魅力的だわ」
「ご忠告どうも。それよりお兄ちゃん、どうだった?」
僕は妹たちに渡された紙を見せて「合格だよ」と言った。二人はそれぞれお祝いの言葉を述べてくれた。
僕らがあれこれと喋っている間にお嬢さんはじっくりと労働条件の記載された書類を読んでいる。妹は、あれこれとディック青年の話をしている。だいたいこのお嬢さんが言ってたことだろう。
ふうーんと僕が聞いていると、お嬢さんが一言「これが、労働条件ですの?」と言った。僕はそうだと頷いた。
「少なすぎますわ」
「そんなもんだよ」
「そうですの? でも、敷地面積を考えたら、もう少し多くても構わないと思うんですの。人を多くするにしてもこれでは条件に見合いませんわ」
「ふうん。でも、僕らが言ったところでだよ。クビにはなりたくないんでね! あと、あんたが誘拐されたっての、自作自演だと思われてるよ」
「まあ! あたくし、そんな真似しませんわ。たとえディックに心配してもらいたくたって、彼の前から逃げ出すような真似したくありませんし、あたくしがいない間にアリスさんとお付き合いなされたりされたら……。だから、あたくし、そんなのしませんわ!」
「まあ、えらいわ、スージー! そうよね、そうよね! 真っ正面から向かっていくのがいいんだわ!」
「ガブリエルさん、わかってくださいますのね?」
女どもは手と手を取り合って喜んだ。
はいはい、友情、ゆうじょ……、友情?! 知らんまにそんなの芽生えてたんか!! お兄ちゃん、驚きだよ!
「オホン! それでだ、あんたのディッキーを見かけたんだけど……」
「あたくしのだなんて! 大正解ですわ! まあ、美しくたおやかで可愛く可憐なあたくしにしか、ディックの相手は務まりませんし?」
「ちょっと黙れよ」
「あら、嫉妬ですの? わかりますわ。あたくし美しくたおやかで可愛く可憐な乙女ですもの……、少し違う男性の名前が出てくるとムッとしちゃうことくらいお見通しですわ!」
「違う! 話きけよ! 僕は、黙れって言っただけだ! 素直に黙れって思ったから、黙れって言ったんであって、お前の勘違いしてることとは全く違うからな!」
「まあ……、素直になってもよろしいんですのよ?」
このアマ〜〜〜〜!!!!
落ち着け、落ち着くんだ、アーサー。お前は冷静な男、そうだろ? そうさ。
僕は深呼吸してから話はじめた。
「あんたのディッキー、ちっとも心配してないどころか、その性格が治って大人しくなるかもだし、もし本当だったらいい気味だって言ってたよ。それから、八割型嘘だろうって言ってた。あんた、学校でどういうことしてきたの」
「あたくし? あたくしは、アリスさんがあまりにもディックにベタベタ親しげにするから、注意したり、時にはもちろん鉄拳制裁してきましたわ。でも、当然の権利よ。だって、あたくしは彼の婚約者。取られそうならば、行動して悪いことなんてないでしょう?」
「その意気よ、スージー! 鉄拳制裁がどんなことか知らないけれど、私はいいと思うわ。もちろん、泣かせるようないじめみたいなことはいけないけど」
「あら、それじゃあ、あたくしはいけないことをしてたわね。泣かせたもの。ひどい言葉だって投げかけたし、他の子だって使ったもの。でも、あたくしはディックが好きなんだもの。取られるなんて耐えられないわ……。発狂してしまいそう」
そのアリスって子と一緒にいたって言わなくてよかった〜〜〜!!!!
妹は同情するように、彼女の背中を撫でている。やはり、妹は天使だったのだ。心優しい天使なのだ。だれにでも優しく朗らかで、そんな妹が天使じゃないはずはない!
「あー、それでだね、お嬢さん。彼の注意を引くために、なんか今まで似たようなことしてきた?」
「してませんわ。怪我した時には心配してって言いましたけど」
「しょっちゅう?」
「いいえ。でも、しつこく私にもっと構うべきだって言いましたわ。でないと、離婚よ! みたいなことも言いましたわ。脅しとしては一番でしょう?」
「両思いならな……」
「お兄ちゃん!」
「ごめん。多分、そのことがあったから、そう思われてるんだと思う。お嬢さんの家の方もそうだったら、困るんだけど。もっと、こう逼迫した状況みたいにできないかなあ」
そう言うと、お嬢さんは自分の髪の毛をじっと見て「じゃ、髪の毛を切って、送ったらどうかしら? あたくし、ちょうど髪を少し切りたかったんですの」と言った。それに妹が飛び上がって驚いて「そんな綺麗なのにもったいない!」と言った。
それにお嬢さんは「あたくしね、この長さからちょとすぎると横にひろがってしまうんですの」と悲しそうに言った。それに妹はなるほどと頷いた。
「さ、お切りになって。それで手紙にでも入れればいいわ」
「本当にいいんだな?」
「数センチですわよ」
「そんなの脅しにならないだろ……。首のあたりをばっつり少しだけもらいたいんだけど」
「いいですわよ」
「え?! 本当にいいの?」
「いいのよ。どうせ本当に誘拐されたんだったら、心配してほしいもの。あたくしのこと考えてほしいもの……」
「スージー……」
「だからいいのよ」
僕と妹は目を合わせて、互いに頷いた。
「やるぞ」と声をかければ、どうぞと返ってきた。ハサミが首筋の少し束になっている部分に入った。僕はそれを手紙の中に入れ込んだ。
お嬢さんは真面目そうな顔をした僕を見つめて「たしかに、このあたくしの髪の毛がもったいないのはわかるけれど、そんな物欲しそうな顔してはいけないと思うわ。それこそ変態くさいですわよ」と言った。
「物欲しそうな顔なんざしてねえよ!!」
「あら、それじゃあ、あたくしの髪の毛の美しさに惚れ惚れしてましたのね? わかりますわ」
「話聞けよ!!!」
ほんと、さっさとこのお嬢さんを家からおっぽり出したい。