第8話 少年の形をした何か
ここへ来てからの数少ない記憶を掘り起こしてみるものの、当たり前だがその少年に見覚えはない。
と、言うか。
本能が
『ヤバイ!逃げろ!』
と、警告を発する。
これは、少年の見た目をした、明らかに別の生き物だ。
怖い。
怖い怖い。
けど。
逃げられる気もしない。
「おーい、螢子ちゃーん?
あれー?もしもーし?」
気を抜いたつもりはなかった。
なかったのだが、まだ5mほどは離れているように思われた少年の形をした得体のしれない何かは、ほんのまばたきをした間に目と鼻の先まで迫っていた。
じっ、と覗き込まれるように眼が合う。
「お、よかったよかった。
見えてないのかと思って心配したじゃーん」
「あ、いえ、はい……」
ようやく言葉を絞り出す。
『ヤバイヤバイヤバイヤバイ!』
『逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!!』
警告がさらに強くなる。
けど、一体全体どうして逃げられようか……。
「あれあれ?
もしかして怖がってる??
やだなぁ、ボクは怖いものじゃないよ?
大丈夫、ね? 安心して?」
覗き込んだまま優しく微笑む少年。
そのまま、ぽん、と軽く肩を叩かれた。
その瞬間。
ふ、と、何か温かいものに包まれているような感覚に陥る。
これまで頭痛がするほどに繰り返されてきた警告が、嘘のように消え去った。
なんだ……怖いものじゃないのか。
きっと勘違いだったのだろう。
『警告』も『頭痛』も、気のせいだったのだ。
よかったよかった……。
って!!!
そんなわけない!!
ただ見ただけで恐怖を感じたあれが! 全くの気のせい?
警告は勘違い??
ありえない!!
今、何をした?
ちょっと微笑んで、ぽんっと肩を叩いた、それだけで私の心はひっくり返った。
ぞくっ
得体の知れないものへの恐怖が、背筋をかけ上がる。
本能の警告は止まったままだが、最初に感じた以上のヤバさから、からだの震えが止まらなくなった。
「おお、すごいすごい。
さすが 、あの『眼』を持っているだけはある。
うんうん、そうこなくっちゃね」
「『眼』……知ってるんですね」
「そりゃもう、当然」
当然、か。
ん? そうか。
『眼』だ。
うん、そうだ。
得体が知れないからどうしようもないのであれば、知ってしまえばいいんじゃないか?
今まではそんな使い方をしたことなかったが、本来は相手の全ての情報を丸裸にできるくらいの力はあるらしいし。
『近くを凝視するように、全体を俯瞰してみるんだ』
って、ラビエン局長が言っていた。
なんとも矛盾した言葉ではあったが、日々の業務で使い続けているうちになんとなくわかりかけてきている。
うん、やってみ――
「あ、先に言っておくけどね?
ボクには、その『眼』……使わない方がいいよ?」
力を込めようとしたタイミングにあわせて、手のひらで眼前を塞がれてしまった。
何もかもが上手だ。
「あの、ごめんなさい……私……あなたのことわからなくて……」
「ん?
おや、そうか。
忘れちゃってるんだね。
むかーし、1回だけ会ったことあるんだけどね」
「そう、なんですか……」
「うんうん。
っても、その後はボクが一方的に見てただけだけど」
「…ストーカー……?」
「ぷっ!
あはははははは!!!
や~、面白いね! うんそうだね!
確かにストーカーっぽいよね!
あはははは!」
声が、視線が、入り込んでくる気がする。
安心していいよ、と、心に働きかけてくる。
けど、それを感じるほどに私の震えは止まらない。
無邪気に笑い転げる姿はまさに少年そのものだというのに……。
「そうだねー、簡単に言うとボクは神様みたいなものなんだ。
君がその『眼』を『もらった』時に居合わせたんだよ?
確かに、『あまり使わないように』とは言ったけど、まさか全く使うこともなくここに来る、なんて思ってもみなかったけどね!」
「『もらった』???」
あれ、そういえば、私はいつからこの『眼』を持っていたんだろうか。
生まれつき、だと思っていたけど……。
ズキンッ
頭の奥を痛みが貫く。
「うぐっ」
「あらら、大丈夫?」
「だい……じょうぶ……です」
脳を刺すような痛みが、続く。
ちっとも大丈夫なんかじゃないが……そんなことを言ったらどうなるか恐ろしくてひたすら耐える。
「そう?ならいいけど?
それにしても、そっか。
君、あれを覚えていないんだねぇ」
……何かを言っているみたいだけど、それどころじゃない痛みで頭に入ってこない。
『あれ』……って、なんだ?
◇
子供が泣いている。
後ろでは横転した車からガソリンが漏れ出ており、いつ爆発してもおかしくない。
たが、子供は動かない。
すでに息絶えているであろう両親を前に、声がかれるのもお構いなしに泣き続けている。
これは、私だ。
両親を亡くした時の光景。
まだ物心がつく前の、記憶にない記憶。
バヂッ
ドガァアアーーーン!!!!
電気系統から出た火花がついにガソリンに引火し、大爆発が起こる。
どう見ても私ごと巻き込まれているであろう巨大な爆発。
あれ?
育ててくれた叔父夫婦に事故の話を聞いたことがあるけど、私はほぼ無傷だった、と言っていたはず。
しかし、どう見てもこれは無傷で済むはずのない爆発だ。
その直後。
強い風が吹いた。
普通であれば、そのまま火の粉を飛ばし、辺り一面火の海になってもおかしくないレベルの突風。
けど、その風は。
立ち込めていた煙を吹き飛ばし、燃え盛っていた炎を全て消し去っていた。
その後に残っていたのは。
黒焦げの車と、大きな爆発にびっくりして泣き止んだ幼い私と――
「大丈夫かい?」
先程まで眼の前にいた少年と同じ姿をした彼だった。
「うー?
あは!」
あれだけ泣き叫んでいたのが嘘のような笑顔になる私。
見るだけで全てを委ねてしまいそうになる、あの力によるものだろう。
「おーおー。
うん、問題なさそうだね~。
いや……『眼』は間に合わなかったかー。
うーん、ま、しょうがないか。
そうだなー、あんまり使いすぎないようにねー」
「あーうー?」
「あはは、ま、わかんないよねー」
◇
「そろそろ帰っておいでー?」
過去の光景を見ていた私が急激に現実に戻される。
乗り物酔いにでもあったかのように気持ち悪い。
「ごめんごめん、一気に引き戻しちゃったよ」
「あ、いえ……」
「で?
思い出した?」
「思い出した、というか……見てきた、というか……」
『自分の記憶』という感じはしないが、それが事実であったことだけは確信できた。
「あなたが、助けてくれたんですね」
「お?
……ふむ、そうなるのか。
あーー……うん、なるほど、そういうことか」
わざとやってるんだろうか? ってくらい、何を言おうとしているのかが全くわからない。
「よくわからないですけど、命の恩人ぽいですし、ありがとうございました」
「はいはーい、どういたしまして。
んじゃ、ボクは行くねー」
「あ、はい……。
えと、あれ?
何か用があったんじゃ……?」
「ただ顔を見に来ただけだよん。
元気そうでよかった。
んじゃねん~」
言うだけ言うと、くるっと向きを変えて去っていく。
最後の最後まで掴みどころのない人だった。
気がつくと頭痛も、震えも消えていて……。
得体が知れない、どこか薄ら寒い不気味さのある人だったけど、敵ではない、とは思う。
自信はないけど。
気を緩めないように気をつけておけば、大丈夫……かな。
あ、そうだ。
この無防備に後ろを向いている今なら、『眼』が使えるかも。
ゆっくりと歩いていく背中を見つめる。
一点を凝視しつつ、そのまま視野を広げていって…
「え?」
それは『情報の奔流』とでも言えばいいのだろうか。
私の感覚では捉えきれない量の流れに飲み込まれる。
「み……ろ………………く…………?」
かろうじてそれだけ理解した所で、私の記憶は途切れた。
「だから、その『眼』はボクには使わない方がいいよ、って言ったのに」
遠くに彼――弥勒さまの言葉を聞きながら……。
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