06.シスター・マグノリアは憤怒する
シスター・マグノリアとナルキソスは目を合わせた。
教会の鐘は魔術回路が組み込まれており、自動的に昼に1回鳴らす設定がされている。
そのため、夜間に鐘がなることは無いし、教会で生活しているのがシスター・マグノリアと居候のナルキソスだけで、教会には現時点で誰もいない。
早朝から仕事をする村人達が寝静まった時間に鳴らす物好きはいない。
不気味な教会の鐘は鳴り止まない。
シスター・マグノリアは、ナルキソスの服の袖を掴むと不安そうな表情を浮かべた。
ナルキソスは翼を広げ、シスター・マグノリアを横抱きにすると、白い大きな翼を羽ばたかせた。
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上空から教会付近の様子を見て、シスター・マグノリアは思わず悲鳴を上げた。
教会付近のすべての民家が燃え上がっていた。
教会の屋根の上にある鐘楼に目を凝らすと、アンジュが泣きながら鐘を叩いていた。
「ナルさん、アンジュが鐘を!」
「1度、あそこに降りよう」
ナルキソスは鐘楼に降り立つと、アンジュがナルキソスの姿を見て驚いて目を丸くしたが、それでも鐘を鳴らすのをやめなかった。
「アンジュ!これは!いったい!」
「シスター!」
泣きながら一心不乱に鐘を鳴らすアンジュに、ナルキソスから飛び降りたシスター・マグノリアは駆け寄ると、アンジュは泣き崩れた。
「シスター!兄さんが!グレース兄さんが」
うわ言のように兄の名を連呼するアンジュの背をさするが、鐘楼から村の様子を見ていたナルキソスは目を疑った。
「帝国騎士団がアリストロ村を襲撃している!?」
見慣れた黒い馬の紋章が甲冑に刻まれていた。
黒馬騎士団……皇帝直属の騎士団。
主の任務は諜報、暗殺……紅薔薇騎士団が表であれば黒馬騎士団は帝国の裏、影の役割だった。
悪い夢を見ているのかと頭を抱えたナルキソスの元に1匹の鳩が舞い降りた。
足には皇帝の刻印の羊皮紙が括られており、慌てて取り出すとそこに書かれた内容に瞠目するしかなかった。
────ルピナス帝国は、反逆者を隠匿した容疑と紅薔薇騎士団の殺害容疑で
ルドベキア王国アリストロ村に攻撃を仕掛ける。
お主は、黒馬騎士団と合流せよ。
これが、1ヵ月待った皇帝の連絡とはあんまりである。
ナルキソスは、羊皮紙を握りしめると鐘楼から飛び降りた。
シスター・マグノリアはアンジュの背を摩っていると、叫び声がした方向を鐘楼から覗くと教会へ避難をしようとしていた村人達が黒い騎士に切りつけられ、血を流して倒れた。
よく見ると幼い子も血を流して倒れていた。
「シスター、グレース兄さん死んじゃった。黒い騎士が突然家に押し入って兄さんが抵抗したら斬られちゃった。私はずっとベッドの下に隠れていて、兄さんが止めてくれって叫んでるのに騎士の人笑いながら斬ってるの。正気じゃないよね」
アンジュは笑うと、目に力が徐々に無くなっているのに気がついた。
アンジュの右脇腹が赤黒くなっており、鐘楼に来るまでの道程で致命傷だった。
シスター・マグノリアはアンジュの手を掴むとアンジュの名を呼びかけた。
「彼女を助けたくないかい」
シスター・マグノリアは見上げると、あの悪魔クロッカスがニンマリと笑っていた。
「おい、悪魔!これは全部お前が仕組んだことか!」
クロッカスは、大袈裟に両手を振り首を横に振るが、貼り付けたような笑顔は胡散臭かった。
聖水をクロッカスに向けて投げつけるが、付着する前に蒸発してしまった。
「俺の話を聞いてよシスター」
「誰が悪魔の話を聞くか」
「シスターその素直じゃあないとこ嫌い」
クロッカスは指を弾くと、シスター・マグノリアは声が出ず餌を欲する魚のようにパクパク口を開いていた。
クロッカスは、「煩いから声消した」と言うと、シスター・マグノリアは銀色のリボルバーをクロッカスに向けて発砲するが、弾丸は直線から90度曲がり、鐘楼の柱に着弾した。
「危ない玩具も没収しますねー」
シスター・マグノリアの手の中にあったリボルバーも、いつの間にかクロッカスの手にあった。
「じゃあ、俺の話聞いてくれるよね?」
クロッカスの今までとは違うドスの効いた声に、力なく頷くしかなかった。
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「まずなんで、ルピナス帝国がこの村襲撃したのは俺を召喚した魔術師共の抹殺は建前で、このクッソつまんねーハルス・ビンドウィードの変革と統一。つまり、ここまでの流れはぜーーーんぶルピナス帝国の皇帝が仕組んだこと。皇帝はこの大陸で崇拝される聖母様を超える存在になりたいんだって~クッソ面白いと思わない?最高だよねーーーーーー」
シスター・マグノリアは、クロッカスの話に耳を疑った。
ここまでの流れは、仕組まれていたのであればルドベキア王国に反逆者の魔術師が亡命し、悪魔を召喚したこと。ナルキソスが所属する紅薔薇騎士団が壊滅したこと、村が襲撃されていること。
クロッカスは全部、ルピナス帝国の皇帝が仕組んだと言うのか。
「まあ、誤算だったのはナルキソスがフリージアに似ていたから生まれ変わりと思って遊んでいたら、実はただのソックリさんで生まれ変わりでもなんでもないことと、退魔師のお前が赴任していたこの村にナルキソスが逃げ込んだことかな!やっぱり、あの時に素直に引き渡していたら、この村は襲撃されなかったからねえーー」
「うるさい!うるさい!」
施された術を気力で解除すると、シスター・マグノリアは怒りをにじませた瞳でクロッカスを睨みつけた。
「で、本題に入るけどその子。助けたくない?」
既に虫の息のアンジュは、もう限界だった。
クロッカスは、燃え上がる1軒の家……アンジュ、グレースの家を指すと、
「あの家の中で、既に息絶えた彼女の兄も助けたくないかい?ねえ、シスター。君は知っているはずだよ……死者の蘇生方法」
シスター・マグノリアは目を閉じた。
方法はただ1つ。
「彼らを贄に、悪魔を召喚してその魂を空になった死体に注ぐ禁術……」
クロッカスは、100点満点の回答に満足そうに笑った。
シスター・マグノリアは、考える前にアンジュを贄に悪魔の召喚術を行おうとアンジュの手を握った。
「シスター……悪魔の言う事聞かないで……」
アンジュは最期の力を込めてシスター・マグノリアの手を握り返すと、まるで天使のような笑みを浮かべた。
「グレース兄さんも私も、十分幸せだったよ。だから、大丈夫。あと、私、知ってるよ。禁術って使うと、不幸になるから使っちゃダメなんだよね。使ってはいけないことはダメだよ。シスター、私は大丈夫。シスター、私、幸せだよ」
静かに息を引き取ったアンジュは、幸せな表情を浮かべていた。
シスター・マグノリアは、慟哭した。
この村でできた初めての友達は、シスター・マグノリアにとって特別な存在だった。
燃え盛る大切な友人が住んでいた家は、大きな音を立てて崩れていった。
偉大なる友に、シスター・マグノリアは祈りを捧げることしか出来なかった。
『2人に永久に幸せに過ごせますように……』
「ねえ、友情ごっこは終わった?」
クロッカスに向けて、シスター・マグノリアは内腿に隠していた銀色のナイフを投げた。
クロッカスの右頬を掠め、赤い線が1本伸びていた。
「お前も、ルピナス帝国の皇帝も、みんな赦さない」
シスター・マグノリアは立ち上がると、両手を翳すとダークウッドのライフルが突然出てきた。
ふわふわと浮かぶライフルを構えると、クロッカスの心臓にねらを定めた。
クロッカスは「やべえ」と零すと、鐘楼から飛び出していった。
シスター・マグノリアは、後を追いかけるように鐘楼から飛び降りた。
「お前、この村のシスター……」
教会の前には松明を持った騎士がいたが、シスター・マグノリアは無言でライフルの被筒で騎士の頭部を殴り付け、気絶させた。
そして、数メートル先の上空で羽を羽ばたかせているクロッカスに向けてスコープで狙いを定める。
銀色の弾道がクロッカスの右肩に着弾し、もう1発を左肩に着弾した。
「チッ、両肩落としてもまだ飛べるか……」
クロッカスの頭部に狙いを定めえているが、相手は空を飛んでいるためうまく狙えない。
もう1発、背中に見舞ってやろうと、スコープを覗いた。
「シスター、危ない」
鬼気迫るようなナルキソスの声が響くが、シスター・マグノリアは聖水を周りにかけると、一瞬で結界が生成された。
シスター・マグノリアに向けて剣を振りかざした騎士は、結界に阻まれ綺麗に磨き上げた剣は無残にも折れてしまった。
騎士の背後に近寄ってきたナルキソスは、折れた剣を見て狼狽える騎士を関節技で一瞬で気絶させた。
シスター・マグノリアはその間にもクロッカスに3発撃ち込むが、ふらふらと飛び続けていた。
「ナルさん!飛んで!」
クロッカスを指差して、興奮しているシスター・マグノリアにナルキソスは、小さく「すまない」と詫びると、うなじを手刀で叩くとシスター・マグノリアは視界がグラッと反転した。