62「空中都市エデル」
辛うじてバリアを突破した私たちは、そのまま空を進もうとしていた。だが、市街区の上空に差し掛かったところで、突如、私の身体に恐ろしいほどの重さがかかった。
気を抜けば押し潰されてしまいそうなこの苦しい感覚は、前にアーガスとの魔闘技で味わったことがある。
「これは……!」
重力魔法だ!
見渡すと、どうやら私だけじゃない。みんなも同じように、加重に苦しんでいた。
空間一帯にかけられているのか!
「アルーン! しっかりして!」
アリスが叫んだ。
はっと見たとき、アルーンを始めとした大鳥が、苦しそうな鳴き声を上げていた。やがてへし折れるように落下し始める。
まずい! このままじゃ墜落だ!
「ちっ! 《グランセルリビット》!」
アーガスの反重力魔法が、六羽全てにかかった。身体からは重さが消え、アルーンたちはどうにか体勢を立て直してくれた。
「ずっとかけっ放しじゃ保たない。近くに下りるぞ!」
「あそこが良いでしょう」
ミリアが指差したのは、すぐ近くに見える比較的大きな通りだった。アリスが指示をすると、すぐにそこへ向かってアルーンは進んで行った。後ろから他の大鳥たちもついてきて、どうにか全員が無事に下りることが出来た。
もはや空を行くことが叶わなくなった私たちは、アルーンたち大鳥を安全そうな場所に待機させることにした。
「お疲れ様。アルーン。あとはあたしたちがやるから、ゆっくり休んでてね」
アリスが労いの言葉をかけて、アルーンの頭を撫でている。私も隣で一緒に頭を撫でてやった。
本当にお疲れ様だ。アルーンの力がなければ、まずここまでは来られなかった。アルーンが敵の攻撃を上手く避けてくれなければ、私たち四人はとっくに死んでいたかもしれない。
アルーンはキュルルと、心配そうに小さく鳴いた。聡明なこの子は、アリスたちがこれからさらなる死地に向かうことがわかっているのだろう。
ふと目を向けると、合流したカルラ先輩が、腕を組んだままの格好で、どこまでも果ての見えない通りの向こう側を、うんざりした顔で見つめていた。
「ここからは、地道に歩いていくしかないってことかしらね」
「困ったわね。上から見た限りじゃ、この町は相当入り組んだ構造をしてたわよ」
ケティ先輩の言う通りだった。すぐにあんなことがあったから、少ししか様子を窺い知ることは出来なかったけど、その限りでは、エデルは普通の車がやっと一台ずつ通れそうなくらいの幅しかない通りがほとんどで、あとは小道が網の目のように入り組んだ構造をしていた。
車が通れそうとは言ったが、そもそも今立っているこの通りは、道と呼べるものには違いないだろうけど、車線のラインは引かれていないし、標識らしきものも一切見当たらなかった。どうも車道というわけではなさそうだ。
もしかすると、車で移動する必要のない文化だったのかもしれない。だから、あまり綺麗に道に沿った街作りをする必要がなかったのだろうか。
また、すっかり未来都市なのかと思えば、実はそうではないことにも気付く。
よく見れば、一部にはサークリス以前の文化レベルを思わせる、旧態染みた建物の姿も散見された。それらは、まるで見たこともない素材で出来た丸い形の民家や、向こうに立ち並んでいる高層ビルと全くもって馴染んでいない。
あまりにもちぐはぐなのだ。まるでスパゲッティのようにぐちゃぐちゃした都市。それがエデルを間近で見た正直な感想だった。
その統一的美観のなさは、よくごちゃごちゃしてると言われる東京よりもずっと酷いかもしれない。一見壮麗ではあるが、実のところ相当にいびつな発展をした都市なのではないかと思われた。何か不自然な歪みのようなものを感じるのだ。
「あそこにあるのは、もしかして交通機関か何かではないでしょうか」
ミリアが指した方を見ると、エデルが浮上するときにも目撃した、宙に浮かぶチューブ状の何かがあった。チューブは透明で、こちらは細い道と違って、電車が通れそうなくらいには大きい。ミリアは何となく鉄道に近いものを感じ取ったのだろう。私にもそんな気がした。
どうも見たことがあると思ったら、ずっと昔、小さい頃に友達とみんなで一緒に観たSFアニメに出てくる、スカイチューブってものに見た目がそっくりなんだよね。乗り場まで行くと、宙に浮かぶリフトがすぐにやってきて、好きなところまで乗せて行ってくれるってやつ。
まあ今はそんなことはどうでもいいけど。懐かしんでいる場合じゃないし。
「そうかもしれんの。だが、もしそうだとしても、あれを利用するのはやめた方がいい。敵に狙われるのがオチだ」
ディリートさんが長い顎鬚をさすりながら冷静に諭すと、ミリアは肩を落とした。
「それもそうですよね」
「まあ仕方ねえよ。作戦通り行こうぜ」
アーガスの言葉に、全員が頷く。
エデルに入った際の行動については、予めみんなで話し合っていた。
エデル突入班の目的は二つ。エデルを地上へ落とすこと、そしてトールとクラムを倒すことだ。
後者については、もちろん言うまでもない。
前者については、ある仮説による。
どうやらエデルは、稼動し続けるために、常に大気中の魔素を集めて濃縮し、それを利用しているらしい。そして、上手く利用し切れなかった余剰分が、活性魔素として月に流れているようだ。
特にエデル自身を浮かせ続けることに最も大量の魔素を使っていると考えられ、その余剰分が非常に大きいと思われる。
よって、エデルを地に落とせば、その分だけ魔素の集積と使用も大幅に減少し、月への魔素の供給も大きく減るだろうと予想された。
もしかしたら、月を動かすに足る量の魔素ではなくなって、落下が止まってくれるかもしれない。それにもし止まらなかったとしても、地上の仲間たちと協力することが出来るようになる。それだけでも意義は非常に大きい。
とにかく、最終的にどうにかしてエデルの機能を完全に停止させれば、魔素の供給も止まるはずだ。
そこで、どうやってエデルを落とすかなんだけど。それについては、カルラ先輩が重要な情報を教えてくれた。
彼女によると、トールは、それを何に使うのかまでは教えてくれなかったが、とにかく反重力オーブなるものが必要だと語り、部下に集めるように命じていたそうだ。
仮面の集団が集めたオーブは、全部で八つ。各地の遺跡などに、まるで奇跡のように綺麗な状態で残っていたという。
おそらくエデルは、この強力な反重力オーブの力によって浮いているに違いなかった。オーブを破壊すれば、エデルはもはや浮いていることが出来なくなるはずだ。
そういうわけで、私たちの目的の一つは、エデルのどこかに設置されたオーブを探し出して破壊することだ。
八つもあるけれど、全てを壊す必要はない。一つ一つ壊していけば、そのうちあるところで、浮き上がる力が重力に負けて、エデルはゆっくりと地に向けて移動を始めるだろう。そこまでで十分であり、それ以上の数を壊せば、急速な落下を招きかねない。こちらの身まで危なくなってしまう。
サークリスよりも広大なこの大都市の中で、八つしかないものをたった二十四人で探すというのは至難の業のように思われた。しかものんびり探している時間はない。早くしなければサークリスが危ないし、世界そのものが終わってしまう。本当ならまとまって行動したいところだが、人手を分けなければならなかった。
二人一組で十二組に分かれることになった。手分けをして、この都市にある重要そうな場所を探し尽くす作戦だ。何かあったときには、連絡を取って互いに協力し合う。
連絡は、カルラ先輩が用意してくれた、仮面の集団手下用の通信装置を使って行う手筈になっていた。この通信装置は、カルラ先輩の持っている幹部用のエデル製通信機の模倣品らしい。使い始めからほんの数時間で機能を失ってしまうという、ぶっちゃけ酷い劣化版だが、数キロくらいまでの距離なら問題なく声が届くように出来ているそうだ。
いくら目一杯手を広げなければならないとはいえ、さすがに二人一組では危険かもしれない。それでも、ここまで強気な配分にしたのは理由があった。
一つは、この町はさっきも言ったようにかなり入り組んでおり、隠れられそうな場所が多々あるということ。
私たちは防衛班と違って、トールとクラム以外の敵を無理に倒す必要はない。そもそも二十四人では、まともに戦っていては絶対に勝ち目がない。基本的に敵は避ける必要がある。少人数で動いた方が、隠れながら進むのには効率が良い。
もう一つ。これはあくまで予想なのだが、エデルは外からの攻撃には滅法強いがゆえに、万が一入り込まれた際のことをあまり想定していなかったのではないかと思われる節があるのだ。
少なくとも、こうして侵入者がいるという状況は、おそらく奴にとって想定外であることは間違いないだろう。何しろ、敵である黒龍の炎まで利用しなければ、到底進入することは出来なかったのだから。本来だったら、どう足掻いたって入り込めるはずもなかったのだ。
実際、本当ならとっくに敵が襲い掛かってきても不思議でないのに、辺りは未だに何事もなく静かなままだった。じきに騒がしくなるとしても、敵の対応が遅れているらしい今がチャンスだと思う。
私はアーガスと組んだ。アリスとミリア、カルラ先輩とケティ先輩がそれぞれペアを組む。ディリートさんは、信頼の置ける彼の元部下の一人と組んでいた。
アーガスの合図で、全員が一斉に散っていった。
みんなから十分離れたところで、私は男に変身した。
「おっ。やっと男になったか」
「こっちの方が身のこなしは軽いからね」
言いながら、俺はすぐに気力強化をかけた。
「飛ばすけど、遅れるなよ」
「お前こそな」
彼自身が俺のよりさらに改良したらしい《ファルスピード》で、彼は遅れることなくついてくる。
敵に見つからないように注意しながら、二人で慎重かつ迅速に通りを駆け抜けていく。時折魔導兵らしき奴や、もっと強そうな奴も見かけたが、どうにか見つからずにやり過ごした。所詮操り人形の目を欺くのは、そんなに難しくはなかった。
トールが何を思ったのか、クラムを除く仲間を全て切り捨てていたことが、ここに来て、奴にとって裏目に出ていた。
奴が約束通り、ここに部下を多く引き連れていたならば、もっと苦戦を強いられていたかもしれない。
奴はきっと、エデルの力が、何よりそこに住む人間の力によって成り立っていたのだということを軽視していたんだと思う。いくら武力を揃えようと、それをきちんと活用する者がいなければ、真の力は発揮出来ない。
奴が人の力をとことん甘く見ていることが、こうして俺たちに付け入る隙を見出した。
ある程度進んだところで、俺は言った。
「今のうちに《アールカンバー》をかけてくれないか」
その言葉の意味をすぐに理解したアーガスは、表情を引き締めると了承してくれた。
「いいぜ」
俺の周りに光のベールがかかる。その後で、アーガスは自分にもそれをかけた。これで時の止まった世界を認識することが出来る。
そう。俺たちが今から目指すのは、クラム・セレンバーグのところだ。
俺はずっと奴の気を辿っていた。まだ時間はかかるだろうが、いずれは中枢部に近いところに着くだろう。ぼんやりとだが、奴のすぐ近くにトールがいるのも感じる。
オーブなら、きっとみんなの力で破壊出来る。
だが奴だけは、一筋縄ではいかない。
俺たちは最初から二人でクラムに挑む気だった。奴と戦うのは、俺やアーガスでなければ厳しいと感じていたからだ。
別に他のみんなが足手まといだと考えているわけではない。
ただ、あの時間操作魔法を肌で感じたことがあるかどうか。その経験の有無が容易に生死を分け得る最上級に危険な相手なのは、間違いないと判断したからだ。
だからこそ二人ずつに分けた。四人にすれば、絶対にアリスとミリアはついてくる。止まった時の中で、何も出来ずに二人が殺されてしまうかもしれない。そんなもしもの光景を、絶対に見たくはなかった。
俺とアーガスは、よく話し合って作戦を練った。
俺たちは覚悟を決めていた。この戦いに命を懸ける覚悟を。
たとえ俺たちが死んだとしても、クラムさえ倒せたならば、トールにはもう何も後ろ盾がない。
だったら、きっとエデルはどうにかなる。たとえ俺がいなくなっても、この世界の人たちがなんとかしてくれる。もし死んだらもうみんなには会えないけど、みんなが無事ならそれでいい。
ただ一人アーガスだけは、最後まで付き合わせることになるけれど、俺は彼の決意も性格もよく知っている。だから一緒に付き合ってくれることに感謝はするけど、止めはしなかった。
そして死は覚悟したけれども、生を諦めるつもりはない。
「絶対に勝とう。勝って一緒にみんなのところへ帰ろう」
「ああ」
少し前を走っていたアーガスは振り返ることなく、しかし力強く頷いた。
広大な空中都市の内部を、クラムの気という指針のみを頼りに手探りで進む。時に道に迷ったり、敵が道を塞いでいてルート変更を余儀なくされたりしながらも、着実にその場所へと近づいていった。
途中、ディリートさんたちとカルラ先輩・ケティ先輩のペアから、オーブを一つずつ破壊したとの連絡が入った。
いつしか日は落ちかけていた。最後の夜を迎えようとしている。
ついに、王宮の前に辿り着いた。
夕日を背に、白と赤のコントラストが映えるそのきらびやかな建物へと続く長い階段の前に、偽りの英雄は立ちはだかっていた。
「待っていたぞ。まさか生きてここまで来るとは思わなかったがな」
「お前を倒しに来た」
「仇は取らせてもらうぜ」
「ほう。では――」
クラムが剣を構える。突き刺すような威圧感が、全身を一気に襲う。
「この私に手も足も出なかった貴様たちに、一体何が出来るというのか。見せてもらおうか」
「言われなくても見せてやるさ」
俺は女に変身すると、すぐに《ファルスピード》をかけた。
この戦いは、「見せるまで」が勝負になる。
私が奴に《アールリバイン》を当てられるかどうか。
全ては、その一点にかかっている。
行こう。己の持てる全てを賭けて。




