53「光の矢《アールリバイン》」
途中、人目に付かないところで女に変身した私は、ミリアと共にサークリスのエデルがある方角とは逆方向、オルクロック側へと向かった。
ロスト・マジックを代々家に遺すような家系は、上流層が多い。例に漏れず、ミリアの実家であるレマク家は、炎上したオズバイン家と同様貴族街にある。
といっても、後者はサークリス一、二を争う名家であるのに対し、レマク家はせいぜい下流貴族だそうなので、貴族街の中でも家のある区画が全く違う上に、ほとんど交流はなかったとのことだ。
ともかく彼女は、いわゆるお嬢様なのであるが、学校ではそれをひけらかさずに過ごしたいと、普通の服を着て寮で生活していたのだった。
まあそんな風に聞いているけど、実は彼女の家に行くのはこれが始めてだったりする。というか、貴族街にも入ったことはなかった。
戸籍も何もない私が、勝手にこんなところなんて入って、もし職務質問でもされたりしたら、怪しまれて捕まってしまうしね。サークリス魔法学校が、身分経歴一切不問の開かれたところで本当に良かった。
貴族街に入ると、夜を照らす魔法灯のデザインがお洒落なものに変わるので、入ったことは一目でわかった。
辺りには、まるでルネサンス建築のように美麗で調和の取れた石造りの建物が立ち並んでいる。敷かれた道も、この世界における馬ポジションの生物ドズー(見た目は黒牛と黒馬を足して二で割ったようなイメージ。角があって牛っぽい顔してるんだけど、体付きは黒馬のようにすっとしてるというか。わかりにくいかな)が引く荷車が通りやすいようにしっかりと舗装されており、ごく一部の家には最新式の、魔素を燃料とする魔力車まであった。
やっと車や鉄道が現れ始めたところなのに、既に寮にはカードキーだとかマッサージチェアだとかが普通にあったりして、こっちからすればなんとも色々とちぐはぐな印象を受けてしまう。まああと百年か二百年もすれば、エデルを除いたこの世界も、地球の現代レベルにはすっかり追いついて、一部分では追い抜いてしまうかもしれない。
やがて、ミリアが「ここです」と言って立ち止まった。
周りに比べるとやや小さく、施された装飾も慎ましいものではあったが、それでも平民からすれば十分に立派な家だった。手前には門があり、そこにはおそらくレマク家の家紋だろうか、開いた青い花が描かれた丸いマークが付いていた。
中に入ると、青を基調とした綺麗な絨毯が敷き詰められているエントランスに出た。すぐ見えるところに立派な階段がある。そこから、メイド服を着た若い女性が駆け足気味で降りてきた。彼女は、やや黒がかった艶やかな赤髪を後ろにまとめている。
ミリアが、私にそっと耳打ちした。
「メイドのセアンヌです。うちはあまり大きくないので、メイドは彼女だけですね」
間もなく私たちの前にやってきたセアンヌさんは、深々と頭を下げてこちらを丁重に迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。ミリア様」
「ただいま。セアンヌ」
「お邪魔します」
頭を上げたセアンヌさんが、私をちらりと見てから言った。
「こちらのお方は、ご友人でしょうか」
「ええ。何度か話したことがあるでしょう。ユウ・ホシミです」
すると、彼女の顔が途端にぱっと明るくなった。
「ああ! あのホシミ様でしたか!」
人に様付けされたことなんて全然なかったから、ちょっとくすぐったい気分になった。まあ仕事上の行儀だってことはわかってるけど。
それにしても「あの」って。一体ミリアは私をどんな風に話したんだろう。
「あまり時間はありませんが、まずはお母様に挨拶に行きましょう。セアンヌ。案内してもらえますか?」
「かしこまりました」
セアンヌさんに案内されて、私とミリアは廊下を歩いていった。途中、壁にかけられた綺麗な絵にうつつを抜かしながら。
歩きながら、セアンヌさんに小声で話しかけられた。
「ミリア様、幼い時にご親戚とお父様を亡くしてから、人と接するのが苦手になってしまったのですよ。それが今や、大層明るくなりまして。あなた様とラックイン様のおかげです。ミリア様のお母様であるテレリア様も大変喜んでおりました」
そう言えば、前にミリアが自分で言ってた。父親は八年前に病気で亡くなって、今は母親が当主をやっているんだったっけ。
面と向かって感謝されるのは照れるなと思いつつも、私は素直に思うところを小声で返した。
「そうですか。でもたぶん私じゃなくて、主にアリスのおかげですよ」
散々人前にミリアのことを引っ張り回して、彼女をすっかり変えてしまったのは他ならぬアリスだ。私は普通に友達として仲良く接していただけで、特別何かをやったわけではない。
すると、小声でもミリアの耳にはしっかりと聞こえていたらしい。彼女は微笑んで言った。
「ふふ。謙遜しなくていいですよ。私が変われたのは、あなたとアリス、二人のおかげです」
「そう? 私、何かしたっけ?」
「はい。数え切れないほどいっぱいしてくれましたよ」
彼女は、素敵な笑顔でにこっと笑った。
テレリアさんは私室にいたようだ。部屋に入ると、にっこりと笑って温かく出迎えてくれた。ミリアと同じくサラサラとした銀髪を持つ、若々しく美しい方だった。
案内を終え、テレリアさんに何かを耳打ちしたセアンヌさんは、ユーフ(紅茶のような色をした飲み物。紅茶系の味がするけど、少し辛みもある独特な味わい。ちなみに最後のフの発音が弱いので、たまに自分の名前を呼ばれているのと勘違いしてしまうことがある。うっかり返事しちゃって、ミリアとアリスに笑われたこともあった)をお持ちしますと言って、足早に去っていった。
「おかえり。ミリア」
「ただいまです。お母様」
軽く挨拶を済ませたテレリアさんは、こちらを向くと、横にいる誰かでもよく見たことあるような、含みのある笑みを浮かべた。
「あなたがユウちゃんね」
まさかいきなりちゃん付けで呼ばれるとは思わなかった。面食らったけれども、とにかく頷いた。
「はい」
「いつもミリアに良くしてくれて、ありがとうね」
「いえ。私こそ、ミリアにはいつも良くしてもらってますので」
「ふふ。そんなにすました顔で謙遜しなくたっていいのよ」
彼女はにこにこしながら、こちらへと歩み寄ってきた。そのまま止まることなく、お互いに手が届く距離まで近づいた。
わずかに緊張が身を包む。何をするつもりだろう。
するといきなり、胸の先を指でつんと突かれた。
「ひゃっ!」
くすぐったい感覚に、思わず変な声が出て、身じろいでしまう。そんな私を見て、彼女は楽しそうに笑い出した。
「あらあら。本当にここが弱いのね。可愛い声出しちゃって」
急に顔が熱くなる。
ここが敏感なことは、初めてアリスとお風呂に入ったときにまず彼女が知って、そのうちミリアに教えたらしくて。
つっつかれたときの私の反応を面白がった二人が一緒になって、お風呂で身体中をまさぐってきたときの恥ずかしい記憶が蘇る。
そんな秘密を、この人が知ってるってことは……
なんてこと話してんだよ! ミリアっ!
キッと睨むと、ミリアはしらっと顔を背けた。こいつ……!
「うんうん。聞いてた通り、とっても面白い子ね。確かに弄り甲斐があるわ」
そう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべたテレリアさんと、ミリアがそうしてるときの姿が完全にかぶった。
ミリアのルーツが判明した瞬間だった。この親にしてこの子ありだ。
「お母様。そんな暢気なことやってる場合じゃないんですよ」
ミリアは可愛らしいじと目で母親を諭した。それを受けて、テレリアさんもやっと表情を引き締める。
「ええ。わかってるわ。大きな地響きがして、私も起きたの――あれは伝説のエデルね」
「そうです。仮面の集団の目的は、エデルの復活にありました」
すると、テレリアさんは「そう……」と憂いを秘めた顔で俯いた。だがすぐに顔を上げると、その目には決意が込められているように思えた。
「ミリアとユウちゃんが、何の用で来たのかはわかっているわよ」
彼女は横の棚から、古びた四冊の本を取り出した。
光の魔法書だった。
そして彼女は、当主としての威厳をもって私たちに告げる。
「それらに、我がレマク家に伝わる光魔法の全てが記されています。持って行きなさい」
あまりの察しの良さに驚くも、それだけ彼女が知らないところで娘たちの動向を気にかけてくれていたのだとわかった。感謝はすぐに言葉となって、口から出てきた。
「ありがとうございます!」
「お母様。ありがとう……!」
テレリアさんは満足そうに頷くと、今度は母親としてこちらを案ずるような顔を見せた。
「魔法の才がない私は、残念ながら直接力になることは出来ないけれど。ここであなたたちの無事を祈ってるわ。ミリア、ユウちゃん。必ず無事に帰って来なさい。お祝いのパーティーを準備して待ってるからね」
「「はい」」
部屋を出るとき、ミリアは振り返って力強く言った。
「いってきます。お母様」
「いってらっしゃい。ミリア」
テレリアさんもまた、力強く送り出した。
帰りに、ユーフを運んでいたセアンヌさんと鉢合わせになった。彼女はひどく驚いていた。
「もう行かれるのですか!?」
「ええ。どうしても急がないといけないんです」
「せっかく用意して下さったのにすみません。ユーフはまた今度お願いします。次はみんなで来ますから!」
何やら事情を察してくれたらしい彼女は、明るく笑顔を作って言ってくれた。
「承知しました。次いらしたときは、とびきり美味しいのを入れて差し上げましょう。どうかお気を付けて」
「はい!」
「いってきます!」
私たちはレマク家を出て、道場へと急ぎ戻った。
道場に戻ると、外でアーガスが魔法の訓練をしていた。おそらく、対クラム戦を想定したものだろう。
私とミリアの姿に気付いた彼は、訓練を中断して迎えてくれた。
「よう。おかえり」
「ただいま」
「ただいまです」
「他のみんなはどこ行ったかわかる?」
「アリスは、アルーンとかいう鳥の世話に向かったな。イネアは、本人が言ってた通りだ。カルラは、今頃町中を駆けずり回ってるだろうよ」
と、彼は私が持っている光の魔法書に興味を示した。
「《アールリバイン》だったか。ちょっと見せてみろ」
「うん。いいよ」
手渡すと、彼はその場に座り込んで読み始めた。最初の三冊は涼しげな顔をして、パラパラめくるほどの勢いで眺めていた彼だったが、最後の四冊目に入ったところで、なぜか途端に顔を険しくし始めた。
本をめくる速度は急激に遅くなり、ついに手が止まる。彼は後ろまで一気にめくって何かを確かめると、顔をしかめたまま私に本を突き返してきた。
「オレが言うのもなんだが、こいつは恐ろしく難しいぞ。本一冊丸々《アールリバイン》だけに当てられてるぜ」
「なっ!?」
本一冊丸々だって!? 二百ページは下らないぞ。そんなに難しい魔法なのか!?
すると驚くべきことに、なんとあの天才アーガスが、白旗を振ってしまったのだった。
「可能ならオレも覚えようかと思ったが、パスだ。時間をかけりゃ問題なく習得出来るとは思うが、そんな悠長なことを言ってる暇はないからな。こいつはやっぱりお前が覚えろ。本読み込むのは、オレより得意だろ」
確かに私は、本を読んで何かを覚えるのが昔から得意だった。おかげで勉強はあまり苦労したことがないし、こっちに来てからも呑み込みが相当早かったと思う。
だが今回は、アーガスでさえすぐに習得するのは諦めざるを得ない魔法だ。私にやれるだろうか。
いや、やるしかない。時間はあまり残されていないんだ。
「うん。わかったよ」
私は四冊目を手に掴み、道場へと入っていった。
周りに目もくれず、一心不乱に読み込む。すると必死の思いが乗り移ったのか、まるで本から教えてくれているかのように、内容がするすると頭に入ってきた。
幸いにして、何事もなく時間は過ぎていったようだ。
私はついに、二百ページ以上は下らない難解な本を、一息に読破してみせた。自分でも信じられないけど、やり切ったんだ。
頭が無理に使ったみたいにどっと疲れていたけど、清々しい達成感があった。
「終わった!」
早速試してみよう。
外へ出ると、既に日は登っていたどころか、もう傾いて沈みかけていた。半日以上ずっと本と睨めっこしていたらしい。
私は精神を集中し、魔素を全身に目一杯取り込んだ。そしてイメージする。本に則ったやり方で、正しいイメージを。
左手が、バチバチと黄色い光のオーラに包まれる。同時に右手は、光の弓を作り上げた。
弓を構え、左手をその湾曲部に添えると、そこから光の矢の先端が現れる。左手を引くに従って、矢は次第に生成され伸びていき、ちょうど弦に当たったところで矢は完成した。
さらに引き絞ると、弓は強くしなり、細腕の筋肉もいっぱいいっぱいに強張る。
これで準備は整った。目標は空。
時を貫く光の矢。
《アールリバイン》
瞬間、放たれた光の矢は、音を置き去りにした。
キィィィィンと唸りながら、一直線に天へと突き抜けていく。そしてほんの数瞬だけで、矢はエメラルド色の空の彼方へと消え、全く何も見えなくなってしまった。
これまで習得したどの魔法をも遥かに超える、圧倒的なスピードだった。撃った当の私も、驚いて腰を抜かしそうになった。
さすがに魔法自体が光速とまではいかなかったようだ。だけどそれでも、この魔法には強力な光の力が込められているのは明らかだった。
これならいけるかもしれない。時間だって打ち破れるかもしれない!
「やったー! 出来たー!」
ガッツポーズを決めたところで、突然、ひざががくんと折れた。
あれ?
おかしいな。身体に上手く力が入らない。
そのままくず折れて、ぺたんと女の子座りになってしまった。
そんな。こんなことって……
まさか。
念じて残り魔力を調べたら、すぐに原因がわかった。
たった一発で、総魔力の八割くらいが持っていかれてしまっている。
あまりに急激な魔素の使用に身体が付いていけず、力が抜けてしまったらしい。
私は、愕然とした。
なんてことだ。厳し過ぎるよ。
絶対に一発で決めないといけないじゃないか。外したらもう次はないどころか、まともに動くことすら出来なくなって、一巻の終わりだ。
しかもこの魔法、恐ろしく速いけど、逆に言えば取り柄はそれだけだ。軌道は一直線で修正が効かないし、矢だから比較的細い。
もし放つ動作に入ってしまって、もう引き返せないところで、時間を止められたとしたら。奴が少し横にずれるだけで、簡単にかわされてしまう。
準備動作も目立つし、上手く不意を突かなければ、おそらく当たらない。
私は深く頭を悩ませた。
しっかり作戦を考えなくちゃいけないな。イネア先生にもっと話を聞いて、みんなとも一緒に考えてみよう。
そこに、アリスが手を振りながらこちらへやってきた。
「やっと出てきたね。もうみんな、魔法学校と剣術学校の演習場に分かれて集まってるよ! 最初はユウの言う通り、集合ここにしようと思ってたんだけど、納まり切らなくて。もうすごい人数なんだから!」
興奮気味にまくし立てる彼女に、私までその興奮が移ってくるような、嬉しい気持ちになった。
そうか。この町の危機に、そんなに多くの人が集まってくれたんだ。
戦うために。この町を守るために。
「早くおいでよ!」
「うん。今行くよ!」
どうにか身体を起こすと、私はアリスと一緒に魔法学校へと向かった。




