50「研究所から脱出せよ」
イネア先生のところまで辿り着いたところで、残り時間は約四分。タイムリミットは刻一刻と迫っていた。
先生は力なく倒れたままの状態で、気による治療を自分に施していた。
「先生! 大丈夫ですか!?」
先生はこちらを向いて、少し無理をして笑ってみせた。
「なんとかな。まだ動けないが」
「奴の放送は聞きましたよね?」
「ああ。まずいことになった。転移魔法が使えないというのにな」
「やっぱりそうですか……」
そのとき、俺の後ろに負ぶさっていたカルラ先輩が、まだとても話せる状態じゃないだろうに、弱々しい声で教えてくれた。
「転移魔法妨害装置。確かそんな名前のものが、この地下施設の奥の方にあるわ」
一筋の希望が見えた。
「じゃあ、それを破壊すれば!」
「ええ。脱出出来るはずよ……。わたしが案内するわ。わたしにしか、出来ないことだから」
見るからに辛そうな様子の彼女は、それでも俺たちのためにと、懸命に出来ることを果たそうとしてくれている。
動けない彼女を手助けして、誰かが一緒にそこへ向かわなければならない。最も適任なのは、自分だった。
「先生。俺がカルラ先輩と一緒に行ってきます」
そう言うと、先生は血相を変えた。
「おい。だが戻る時間は!」
「おそらくないでしょうね……」
カルラ先輩の沈んだ声に、アリスも動揺の声を上げた。
彼女の口ぶりから何となくそれはわかっていたから、俺は驚かなかった。
やっぱりか。つまり彼女は、とっくにこの施設と心中する覚悟だったということだ。けど同時に責任も感じていて、せめて逃がせるだけの人を逃がそうとしている。トールにあれだけのことを聞かされて、生きる希望を失くしてしまっているのかもしれない。
でも、カルラ先輩を犠牲になんてさせやしない。俺は彼女を助ける。そして、俺自身も助かってみせる!
意を決すると、俺はみんなに告げた。
「大丈夫です。俺に考えがありますから。先生は転移魔法の準備をお願いします。転移出来るようになったら、俺のことはおいてすぐに転移して下さい。アリスはアーガスと、もし仮面の集団の人がいたら連れられるだけ先生のところへ連れて来て欲しい」
彼らもまたトールの被害者には違いない。あんな裏切られ方をされて、きっともう戦意は喪失しているだろう。助けられる命を見捨てるような真似はしたくなかった。
先生とアリスは、この一見自己犠牲にしか思えない提案にぎょっと驚いて、必死になって止めようとしてきた。
「それでは、お前とカルラは……!」
「そんなのダメよ! また自分を犠牲にするようなこと!」
俺は心配ないと、グッと親指を立てた。本当はかなり心配だけど、少しでも安心させるためにちょっと強がった。
「俺を信じて下さい! たぶん生きて帰ってみせますから!」
それだけ言うと、まだ何か言いたげな二人に背を向けて走り出した。きっと二人は、俺が行くことに絶対納得はしないけど、それでも行ってしまえば、すぐに自分の仕事に取りかかってくれるはずだと信じて。
「カルラ先輩。どっちですか?」
「少し戻るわ。わたしとアリスが居た部屋の前に分かれ道があったでしょう。まずそこを右に行くのよ」
「わかりました」
全速力で通路を駆け抜ける。とにかく時間との勝負だった。
言われた通り分かれ道を右に行くと、しばらくしてまた二手に道が分かれていた。
「今度は左よ」
「はい」
走っている途中、後ろから耳元に寄せて、申し訳なさそうな声で彼女が謝ってきた。
「ごめんなさい。あなたに最期まで付き合わせて……」
「いいんですよ。カルラ先輩こそ、自分からこんな役を買ってくれてありがとう」
「ええ。せめてあなたたちだけはね」
「そんな言い方しないで下さいよ。みんなで生きて帰るんです」
「わたしは、もういいの……。なんかどうでもよくなっちゃった」
俺の肩に、彼女の冷たい涙が触れた。
俺はなるべく穏やかに、彼女を宥めるように優しく声をかけた。
「生きるのを諦めるなんて、そんなこと許さないですよ。生きてきちんと罪を償って下さい。亡くなった彼に、顔向けが出来るような生き方をして下さい。俺たちも付いてますから」
彼女は何を思ったのだろうか。しばしの間黙り込んていた。
そして次に口を開いたとき、声にはわずかに明るさが戻っていた。
「そうね。でも、やっぱりわたしとあなたは助からなさそうよ」
「いや。死なせない」
強い口調で言うと、彼女はちょっとだけ笑ってくれた。
「ふふ。そこまで言われると、なんだか本当になんとかなりそうな気がしてくるわね」
「ほんとはちょっと自信ないんですけどね」
少しだけ弱音を吐いたら、彼女は呆れたような口調で諭してきた。
「あら。こんなときくらいちゃんと格好付けなさいよ」
「すみません」
「ふっ。まあいいわ。わたしの命、あなたに預けるから。きっちり救ってみせなさい!」
今度は力強く頷いた。
「任せて下さい!」
やがてついに、妨害装置のある部屋にまで辿り着いた。
おそらく残りは一分くらいしかない。
ドアには鍵がかかっていたが、ドアそのものをぶち破った。それから一旦カルラ先輩を部屋の横に置いて、さっと進入した。
中には、金属製らしき謎の球体装置があった。他にはそれらしいものがないから、こいつが転移魔法妨害装置で間違いないだろう。
破壊の際に爆発があるかもしれないから、身を守るため強固に気力強化をかける。そして左手に気剣を出して、さらに気を集中する。刀身はいつものように青白く輝いた。
《センクレイズ》
一息に振り下ろすと、球は真っ二つに綺麗に割れた。
直後、先生とアリスとアーガス、そして何人かの気が道場の方へ一瞬で移動したのがわかった。どうやら上手くやってくれたみたいだ。
あとは俺たちだけだ。
すぐに部屋を出ると、女に変身して、カルラ先輩の手を決して離さないように強く握った。
あと三十秒。
ここまで何度も生きて帰ると言ったけど、それは嘘じゃない。保障はないけど、私には生きて帰れる望みがあった。
おそらくトールの奴の頭の中では、こういう計算だったはずだ。イネア先生を確実に殺すか動けなくし、アリスとアーガスにはとりあえず敵を宛がっておいて、そいつへの対処に追われるようにしておけば、どうしようもないと。
だがここで、私が自力で抜け出すというイレギュラーをやってのけた。そして私は、放送のときあえて一切喋らなかった。だから奴は、知らないんだ。私が自由に動けるということを。ここに一分の隙がある。
そして失敗だったな。
奴の不用意な発言と実験が、私に自らの能力を自覚させてしまった。
すなわち、私が記憶したものの力を利用出来るということを。
魔力が暴走したときのようにかなり無茶はあるだろうけど、今なら原理上は先生の転移魔法が使えるはずだ。
何度も体験してるんだ。上手く記憶から引っ張り出して来ることが出来れば。
出来るかどうかはわからないけど、やるしかない。出来なきゃカルラ先輩を助けられないんだ。絶対に成功させてみせる!
目を瞑って念じ、心の世界へと入っていく。ここのどこかに、転移魔法の記憶がある。
先生。どうか私に力を貸して下さい!
気付けば、ウェストポーチをぎゅっと強く握り締めていた。
そのとき、暗闇の彼方より、淡く光る記憶のかけらがこちらへ向かって飛んできた。
触れてみると、それは私が始めて先生と一緒に転移魔法で飛んだときの記憶だった。
私はすぐに現実世界へと戻った。目を閉じたまま、必死にイメージを練る。
行き先は道場。対象は二人。私とカルラ先輩。
頼む! 飛んでくれ!
《転移魔法》!
瞬間、天井が崩れ落ち始めた。あわや潰されるという間一髪のところで、私たちの身体は音も立てずに消えた。
気が付いたときには、見慣れた道場の中にいた。カルラ先輩を握った手はしっかりと繋がったまま。彼女自身もちゃんと無事だ。
ふう、と一つ息を吐いた。それと一緒に、肩の力も抜けていくようだった。
見回すと、アリス、ミリア、アーガス、イネア先生、そして何人かの仮面の集団の人たちがそこにいた。
横になっていた先生が、本当にほっとした顔で言った。
「ユウ! 私は信じてたぞ! この馬鹿者め!」
アリスが、真っ先に飛びついてくる。
「ほんとに心配したんだよ! もう!」
アーガスはちょっと離れた位置で壁に背を預け、照れたようにやや顔を背けていた。
「てめえ。いっつも心配ばっかさせやがって」
そして、すっかり元通りになったミリアも、アリスに少し遅れて私に抱き付いてきた。珍しく、彼女は目に一杯の涙を溜めていた。
「ほんとですよ。いつも無茶ばっかりするんですから……!」
横にいたカルラ先輩を見ると、彼女もにこりと頷きかけてくれた。
――うん。ここには、こんなにも心配してくれる人たちがいる。こんなにもかけがえのない繋がりがある。
私だけじゃない。他の人にもみんな、同じように繋がりがあって。目には見えないけれど大切なものでこの町は、サークリスは溢れているんだ。
それを踏みにじろうとする奴がいる。繋がりを力で断ち切ろうとする奴がいる。
――終わらせない。
この町を、そして世界を奴の好きになんかさせない。繋がりを断ち切らせたりなんかしない。
そう決意を新たにした。
でも今だけは、無事に帰って来られた喜びをみんなで分かち合おうと思う。
「みんな。心配かけてごめん。ただいま」
「「おかえり」」




