47「ユウ、己の秘密を少し思い出す」
私は心の世界をひたすら歩き続けた。どこまでも真っ暗な空間が続いていた。道標になるようなものは何もなく、適当に進んで行くしかなかった。それでも何かに導かれるような、不思議な感覚があった。
やがて、たった一つだけ淡白く光る球体を見つけた。そっと触れてみると、頭の中に情景が浮かんできた。
いつかの記憶だろうか。映ったのは、私の良く知る金髪の青年だった。
レンクスだ。レンクス・スタンフィールド。
(彼は、とても名残惜しそうに言った。)
『そろそろお別れの時間だ』
いつの日のことだろう。確か毎日のようにお別れしてたっけ。でも「じゃあな」とか「またな」とかで、こんなに改まって言われたのは聞いたことがないような気がするけど。
(やっぱり。レンクスは、もういなくなってしまう。)
(最後にユウと素敵な思い出を作ってくれた。そういうことなのね。)
そこで私は、強い違和感を覚えた。
待ってよ。ちょっと待ってくれ。
何を考えているんだ? 当時の私は。
だって、ユウは私のことだろう?
なに他人事みたいに自分のことを言ってるんだよ。おかしいよ。
それに最後ってどういうことだよ。
どうしてそんなに女っぽい言葉遣いをしているんだ?
次から次へと疑問が溢れてきて、抑え切れなかった。
『いいの? ほんとにちゃんと言わなくて』
『ああ。散々泣きつかれて敵わないだろうからな。その代わり――』
(レンクスは、懐から一枚の手紙を取り出した。)
あの手紙は、気付いたら家の中に置いてあったものじゃないか。どうして私は彼があれを取り出すところを見てるんだよ。変だよ。
知らない。私はこんな場面なんか知らない。
『こいつを残しておくことにした。ユナと違って、魔法はあまり得意じゃないんだが……』
(瞬間、身体が何かで満たされるような、そんな不思議な感覚を覚えた。力が沸いてくる感覚。)
この力は、まさか。魔力!?
(まさかと思って見ると、彼はいつもの調子の良い顔で頷いた。)
『お前は魔力が強いみたいだな。【反逆】で魔力許容性を弄った。ちょっと魔法を使うからな』
『魔法、ねえ』
こんな会話もした覚えがない。魔法だとか魔力だとか、まるでこの世界みたいな会話をしちゃってるよ……
【反逆】と魔力許容性。また聞いたことがないものが出てきた。
いや――
許容性って言葉だけは聞いたことがある。
レンクスもエーナも使っていた。それも、どちらも何かを試すような動きをしたときに。
おそらくフェバルの常識である重要な概念なんじゃないだろうか。一体どういうものなんだろう。
そのとき、ほんの少しだけ別の記憶が流れ込んできた。まるで説明してくれるかのように。
『んー。まあ詳しく説明してもしょうがないな。とにかく気力という力があって、この世界における気力の限界値の基準みたいなものが気力許容性だ。で、治療にはこの気力を使うんだが、この世界は限界値が低過ぎて、このままではまともに治療が出来ない』
どの場面かはわからないけど、このレンクスの言葉を信じるならこういうことになる。
言い換えれば、魔力許容性とは、この世界における魔力の限界値の基準のようなものらしい。
潜在魔力値が三十万もあると、トールの奴に言われたことを思い出した。
本来、私が持っている魔力値は一万だ。ならば、私の力の大半は、普段は表に出ることなく眠っていることになる。
突拍子もない発想だが、それはこの世界が私の力に制約を課しているからと考えることは出来ないだろうか。許容性による限界という鎖によって。
(またとんでもないものをと思っていたら、彼の手から本当に魔法のように手紙がぱっと消えてしまった。)
『転送っと。これでお前の部屋に届いたはずだ』
間違いない。魔法だ。
それも、この世界のものとは原理が違うようだ。地球には魔素がないから、何か別のものを魔素の代わりにしているみたいだ。それが何かまではわからないけど。
(もうあまり驚かなかった。本当に何でもありだな。この人は。)
(感慨深そうな表情をしながら、彼はしみじみと言った。)
『ユウは十分明るくなった。もう俺は必要ないさ。あと少しで、お前もひとまず役目を終えるだろう』
『そっか。今まで色々とありがとね。ちょっとうんざりしたこともあったけど、楽しかった』
(数々の執拗な絡みを思い返しながら、私もまたしみじみと言った。)
あ。あ。なんで。
知ってる。
私は、レンクスに色んなことをされたことがある。
抱きつこうとされたり、ほっぺにチューしようとされたり。
愛してるぜって。その度にちょっとだけ嫌な気分になって。
呆れて。あいつを蹴り飛ばしたり、怒ったりして。
いや、私じゃない!
私はそんなことされてない。あり得ないよ。
あのときはずっと、男だっただろう!?
――違う。私は九年前にとっくになってた。女の子に。
違う! そんなこと知らない。私は知らない!
『ああ。楽しかったな』
(何を思ったのだろうか。彼は少し遠い目をした。)
(しばらく無言の間が流れる。お互いに何を言ったら良いのかわからない。)
(やがて彼は、意を決したように口を開いた。)
『じゃあな。俺はもう次の旅に出ないといけない』
(旅か。どうも外国人みたいだし、世界中を飛び回っているのかな。)
彼がフェバルだからだ。次の異世界に行かなくちゃならなくなったんだ。
『また会える?』
『ああ。いつか必ずな。なんなら、俺から会いに行ってやるぜ?』
『しつこそう』
『よくわかったな』
(彼は苦笑いした。それから、別れ際とは思えないような清々しい顔で言った。)
『だからさよならは言わない。また会おうだ』
(そんな彼を見て、私も自然とすっきり言えた。)
『うん。また会おうね』
『おう』
そこで、記憶の再生は終わった。
私はすっかり混乱してしまっていた。
どうなってるんだよ。私はこんな記憶なんか持ってないはずだ。レンクスとの別れ方はもっと――
いや――
知ってる。私は、ちゃんとレンクスと別れの挨拶をした。
違う! 私はレンクスに手紙だけ残されて。それで散々泣いて。
それも真実。だけど、また会おうって聞いた。私は聞いた。男の私は散々泣きつくだろうからって、レンクスが手紙だけ残して。
ああ! もう! わけがわからない!
どうしてだ。どうして記憶がこんなにおかしなことになってるんだ!?
さっきから頭の中で思考をかき乱しているのは何だ!?
初めて自分の内側にしっかりと意識を向けてみると、私を内から満たす何者かの存在を感じることが出来た。
「君」は誰だ!?
「君」がいるから混乱するんだ! 私から出ていけ!
瞬間、私の内から何かが抜け出ていくような感覚があった。
間もなく、自分と瓜二つの女の子が分離して、目の前に仰向けで倒れた。
出ていけと思ったらそれが本当に出来てしまったことに驚きつつも、突然現れた彼女をまじまじと眺める。
彼女は肉体を持たない精神体のようなものといった感じだった。先程触れた記憶のかけらと同様に、淡く白い光を全身に湛えている。
彼女は眠っていた。
彼女を追い出したとき、心のあり方がすっかり変わったのがすぐにわかった。
身体こそ女のままだが、今の自分は自分のことを私ではなく、俺だと思っている。
つまり、どうやら心は男のときと一緒の状態になっていた。ということは、彼女が俺の内側から何かしらの影響を与えて、俺自身を女だと思い込ませていたことになる。
俺は眠る彼女に、もう一度問いかけた。
「君は誰だ? どうして俺と同じ姿形をしている? なぜ眠っているんだ?」
反応はない。よほど深く眠っているらしかった。
とりあえず起こそうと思い、彼女の頬に触れた。
するとなんと、俺の手が彼女の頬に溶け込みだした。まるで能力に覚醒する少し前に見ていた、あの夢の中で起こっていた出来事のようだった。
そこを起点として、彼女の精神体は再びするすると俺の中に入り込んでいく。身体中に熱さと、何かが満たされていく感覚が湧き上がる。そして、あの夢のときに感じた蕩けるような快楽とも、強制変身のときに感じた苦痛を伴う強烈な快楽とも違う、むしろ心が温まるような安らかな心地良さに包まれた。
気が付けば、彼女はまたすっかり私の内側を占めていた。そして私は、自分のことを私だと思っている。
やっぱりだ。彼女が私を私たらしめている。女たらしめている。
一体何の目的があってそんなことを。
そのとき、眠りについている彼女から記憶が流れ込んできた。まだ小さい「俺」と彼女が、この場所で話している記憶だった。
『ねえ。もし女になっても、ちゃんとやれるかな』
『最初は苦労するんじゃない? まあそのときは、私があなたの中に入り込んで、ちゃんと女の子として振舞えるように助けてあげるよ』
『そっか。助かるよ』
そうか。そうだったのか。
私が苦労しながらも、今までなんとか女子として生活してこられたのは、全て彼女の協力があったからなんだ。彼女が支えてくれたからこそ、アリスもミリアも私が女の子だと思ってくれた。認めてくれた。そうでなければ、ただでさえ大変だったのに、こうして大切な友達に囲まれて学園生活を送ることなんて、到底不可能だったに違いない。
おぼろげながらに思い出してきた。
ここは心の世界。ここには大きな力が眠っている。彼女はそう言っていた。
私は小さいとき、一時期ここで彼女と毎日のように話していたことがある。
そうだ。彼女はもう一人の「私」だ。
私を支えるために現れた、もう一つの人格。いつだって私の最も側にいてくれた一番のパートナー。この能力が目覚めたとき、再会する約束をしていたはずなのに。どうしてそんな大事なことを忘れてしまったのだろう。
能力が目覚めて一年以上も経ったこのときまで、ついに再会は果たされなかった。
いや、正確に言えばちゃんとした形ではまだだ。彼女はなぜか眠っている。さっきからいくら呼びかけても、全く目を覚ます気配がない。
考えられる原因は一つしかなかった。
ウィルだ。あいつが正常じゃない能力覚醒の方法を取ったから、心の世界が滅茶苦茶になってしまったんだ。それに「私」は巻き込まれて――
考えてみれば、レンクスにしてもあいつにしても、瞳の奥をじっと覗き込んで「私」の存在を確かめていた節がある。わかる人にはきっとそれでわかるんだ。
そうだよ。だからあいつは、あのとき黙って私のことをじっと見ていたんだ。あいつが何を考えていたのかわからなかったけど、やっとわかった。
あまりの恐怖から深読みし過ぎて、すっかり勘違いしていた。
あいつは私のことなんてどうでも良いなんて思っちゃいない! むしろ逆だ。重要視しているからこそ、真っ先に現れて先手を打ってきた。
イネア先生も言ってた。私の能力はきっと、単なる変身能力なんかじゃないんだ。
この果てしなく広い心の世界そのものかもしれないと、「私」はそう言っていた。心の世界は、あらゆる経験を溜め込む宇宙のように大きな器だと、「私」は言っていた。
とするなら、あいつの【神の器】という命名は、そう外したものではないのかもしれない。あいつが私の能力の真の姿を見抜いて【神の器】などという大層な名前を与えたのも、私にこれが変身出来るだけの下らない能力だという先入観を植え付けたのも、全部わかっていてのことだったとしたら。
おそらく真実は逆だ。私の能力には、奴が警戒するに値するだけの力がある。
どうにかすればその力が使えるはずだ。そう思った。
そしてそのことをはっきりと認識した今、なぜだかなんとなく使い方はわかる。もしかしたら、覚えていないだけで、前に力を使ったことがあるのかもしれない。 たぶんここに溜まっている経験から、使うものを引っ張り出してくればいい。
ちょうど私のすぐ横には、先程見た記憶があった。レンクスとの別れのシーンだ。
そこで彼は、【反逆】とかいうのを使って魔力許容性というものを弄っていた。記憶の通りにすれば、きっと自分にも出来るはず。
他に出来ることはないんだ。やってみよう。もしかしたら、私の高い潜在魔力が利用出来るようになるかもしれない。それで上手くいけば、拘束から抜け出せるかもしれない。
私は心の世界を出て、現実に戻った。相変わらず手足と胴には分厚い錠をかけられ、全身の吸盤と針で力が封じられている。
よし。早速やってみよう。
【反逆】《魔力許容性限界突破》
瞬間、私の内側を満たす魔素の絶対量が一気に膨れ上がり始めた。魔力がみるみるうちに上昇していくのが肌でわかる。間もなく、力を封じていた装置でも魔力が抑え切れないほどになった。
これならいけるか。
だが、様子がおかしかった。魔力の上昇がどこまでも止まらない。
え、ちょっと。待って。高い、高過ぎる!
身の丈に合わないあまりに高過ぎる魔力に、身体は悲鳴を上げていた。全身が激しく軋み、口からは血反吐が飛び出す。
暴走した力が、身体に張り付いた全ての吸盤と針を一挙に弾き飛ばし、さらには実験室の計器が次々と壊れていく音が聞こえてきた。
「あああああああああああああーーーーーー!」
頭が割れる! 気がおかしくなりそうだ!
止まれ! もういい! 止まってくれ!
しかし、一度使い始めた能力は、全く収まりを見せようとしない。むしろ時とともにますます激しさを増していった。
ダメだ! 制御出来ない! 止まらない! このままじゃ壊れる! おかしくなっちゃう!
ついに発狂してしまうかと思ったとき、単純ではあるが神懸かった思い付きが身を助けた。
そうだ! 魔力が暴走しているなら!
変身!
私は男に変身した。魔力値ゼロの肉体に。影響を及ぼす対象を失った【反逆】は勝手に解除され、心の世界にも次第に落ち着きが戻った。どうやら助かったらしいことに、心から安堵する。
「はあっ……はあっ……!」
危うく、敵の手にかかる前に自滅するところだった。
とんでもない能力だ。全くまともに使えないじゃないか……!
何はともあれ、これで脱出することは出来そうだった。
俺は気力強化をかけると、力を込めて手足の錠を破壊し、それから胴のものも外して立ち上がった。
近くにはアリスと弱っているカルラ、もう少し遠くにはかなり弱った状態のイネア先生、さらに遠くにはアーガスの気を感じる。よかった。三人ともまだ一応無事だ。
見ると、横に俺の服とウェストポーチが丁寧に畳んで置いてあった。急いで着てから、すぐにアリスの元へ向かう。
みんなごめん。俺が不甲斐ないせいで、危険な目に晒してしまった。今行くから、それまで無事で待っててくれ!




