44「アリス VS 仮面の女」
走っていくと、またクラムと会ったときと同じような造りの部屋に来た。そこで待っていたのは、予想通り、仮面を被った彼女だった。
「揃いも揃ってのこのこ来たわね。あなたたちは袋のネズミよ。決して逃げられはしない」
あたしはまず言った。
「そんな仮面、外して下さい。カルラさん」
「そう……。あなたも知ってたのね」
彼女はあっさりと仮面を外し、足元に投げ捨てた。
素顔を晒した彼女は、やっぱり信じたくなかったけれど、本当に紛れもなくあのカルラさんだった。ちょっぴり暴走しがちで、面倒見が良くて、後輩のことが大好きな、あのカルラさんだった。
そのことに改めて動揺がないわけじゃない。でも、あたしにはもう受け止める覚悟が出来ていた。
「アーガスに聞きましたから」
「あの男が生き延びたのだけは、誤算だったわね」
自然と、あたしとカルラさんは同時に構えていた。一触即発の張り詰めた空気が場を満たす。
やることは決まっていた。もう言葉だけでは解決しない。
それでもあたしは尋ねた。少しでもカルラさんの真意を知りたくて。
「戦う前に一つだけ聞きます。どうして、ミリアを一応生かしてくれたんですか?」
「そんなの決まってるじゃない。あなたたちを誘き寄せるための餌に――」
「いいえ。別にそんなことしなくても、誘き寄せるだけなら他にやり方はいくらでもあったはずです。ユウみたいにミリアを攫って人質にして、裏でこっそり殺してしまうことも出来た。カルラさんは、やっぱり殺せなかったんじゃないですか?」
「さあね。どうかしら」
口ではとぼけていたけれど、顔を見れば付き合いの長いあたしにはわかった。
カルラさんには葛藤がある。
これまでの経緯や目的はともかく、現状、あたしたちに対して心が揺れていることは間違いなかった。今まで他の人たちに対してしてきたように、非情に徹し切れていない。
この調子なら、きっとユウも無事でしょう。
なら、あたしがすべきことは、殺し合いじゃない。
「よーくわかりました。あたしは、あなたと喧嘩しに来ました」
気持ちは固まった。
あなたを懲らしめて、ミリアを元に戻してもらって、無理にでも話を聞く。心の内を曝け出してもらう。それからまた考えるわ。
カルラさんは少し驚いた顔をして、それからわざとらしく悪そうな顔でほくそ笑んだ。
「喧嘩ですって? 面白いことを言うのね。あなた、負けたら死ぬのよ?」
「そのときはそのときですよ。でもあたし、負けませんから! 半年前のリベンジをさせてもらいます! そのつもりで来ました!」
それを聞いたカルラさんは目を丸くして、俯いた。
何を思っているのかしら。
するとカルラさんは、肩を震わせて高笑いし始めた。
「くく……ふ、ふふ……あっははははははははは!」
笑い声は、あたしたち二人の他には誰もいない部屋の隅まで響き渡り、壁を反響してまた返ってくる。それが響くごとに、この場に張り詰めていた嫌な緊張が少しずつ解けていくような気がした。
「あんた、ほんと面白いわ! でもあんたって、そういう子よね」
「前向きだけが取り柄ですから」
あたしは胸を張った。あまり胸はないけど、精一杯張った。
カルラさんの顔から、少しだけ憑き物が落ちたような印象を受けた。
「いいでしょう。それが望みなら付き合ってあげる。かかって来なさい。今度は降参なんて許さないわよ!」
改めて身構える。
戦い、いや喧嘩が始まる。
風よ。あたしにその疾風の如き速さを授けよ。
《ファルスピード》
あたしが風の力を身に纏ったのを見て、カルラさんが感心を示した。
「《ファルスピード》ね。そいつには散々梃子摺らせられたわ。まさかウチのロスト・マジックと、ほぼ全く同効果の魔法を編み出すなんてね」
そしてカルラさんも何やら魔法を使った。魔力の感じからして、時空魔法かしら。話の流れからするに、あの魔闘技のとき《デルレイン》を避けた魔法をかけたのかもしれない。
森林でうっかり火魔法を使おうとして、ユウに怒られちゃったことをふと思い出し、辺りをきちんと見回した。
うん。この建物は耐火魔法がかかった石造りのようだから、火災の心配はあまりないわね。
灼熱の炎よ。
《ボルアーケロン》
《ボルアーク》の数倍はあろうかという獄炎が、カルラさんを包み込もうと迫っていく。対するカルラさんは、水流の上位魔法《ティルオーム》を使って相殺しようとしてきた。
でもこっちは、得意系統の超上位魔法よ。そう簡単に消せるものじゃないわ。
結局カルラさんは、魔法だけでは完全に火を消すことが出来ずに、炎の勢いが落ちたところで横に回りこんでかわすことで対処した。
すっかり戦闘モードに入ったカルラさんは、ギラギラした雰囲気を身にまとっていた。
「どうやら火魔法はあなたの方が上のようね。まったく大した成長ぶりよ」
そう言うと、カルラさんは風魔法を放ってきた。
それは、前のあたしがただ耐えるしかなかった魔法。
ユウも使うことの出来る風刃の乱れ撃ち《ファルレンサー》だった。
でも、今のあたしならなんとかなるわ!
火よ。その熱によりて風を引き込み、あたしの力とせよ!
《ボルフリード》
あたしの前に放った炎が、風を吸い込んでいく。そこにカルラさんの放った《ファルレンサー》は全て飲み込まれた。数は多い代わりに、一つ一つの刃が小さいからこそ、避けるのは難しくても吸い寄せてしまうのは簡単だった。
しかも、防ぐだけでは終わらないわ。この炎の中は、あたしのテリトリー。相手の魔法はコントロールを失い、逆にあたしが操ってやることが出来る。
火によって熱を帯びた空気は、より力強い刃に姿を変える。あたしは方向を逆転させ、逆に無数の風刃をカルラさんに向けて飛ばし返した。
驚いたカルラさんは、慌てて地面に手を付けようと身を屈めた。
おそらく土魔法を使って、ここにある石を壁として利用する気ね。
そうはさせないわ。
あたしも遅れず、地に両手を付けた。
使うのは、お手つき封じの雷魔法。
雷流よ。地を走れ。
《デルプレイグ》
足元の地面から、雷撃がカルラさんの元へ一直線に走る。雷魔法はスピードが速いから、カルラさんはゆっくり土魔法を使う暇もない。
顔をしかめたカルラさんは、仕方なく地面から手を放した。
そこに強化した《ファルレンサー》が飛来する。
カルラさんは腕を顔の前に交差させ、身をもって攻撃に備えるしかなかった。
あのときとは逆に、風刃で身が傷付いていくのはカルラさんだった。苦痛に顔を歪めているのが見える。
もちろん黙ってずっと見ているつもりはなかった。カルラさんが動けず防いでいるしかない今こそ、攻撃のチャンス。さらに畳み掛ける!
超高速の火球。かの者を撃ち抜け。
《ボルケット・レミル》
威力はそのままに、ユウの《ボルケット・ショット》よりもさらに速くした、《ボルケット・ダーラ》とは違うタイプの《ボルケット》の完全上位魔法よ。
ものの一瞬で眼前に迫る豪火球を目の当たりにした、カルラさんは叫んだ。
「調子に乗らないで!」
瞬間、不思議なことが起こった。
なんと、《ボルケット・レミル》の速度が急激に下がってしまったの。
もう誰でも避けられるくらいに遅くなっている。
それだけじゃなかった。
はっと気付いたときには、《ファルレンサー》の速さも、そしてあたしの動きまで鈍くなっている!
その中を、カルラさんだけが普通の速さで動いていた。
きっと何かの時空魔法を使ったに違いないわ!
「死になさい」
カルラさんは、土魔法を使った。両手から金属で出来た二柱の巨大な杭を生成すると、動きの鈍ったあたしに思い切り投げつけてきたの!
このままでは、二本とも身体の芯に命中する。死は必至だった。
動いて! お願い!
祈りが通じたのか、間一髪のところで身体の動きが元に戻った。《ファルスピード》で速度を上げていたあたしは、身体能力を最大限に生かして懸命に横へステップする。
それでも避け切れなかった。一本の杭が、あたしの左腕の一部を抉っていった。
あまりの痛さに、叫び声も出なかった。気を失いそうなほどの激痛が走る。左腕に力が入らない。
腕を伝い、ダラダラと血が流れ落ちていく。石造りの床に雫が次々と垂れて、血溜まりを成していく。恐る恐る見ると、肩の下辺りの肉がごっそりと削られ、生々しい血肉が曝け出されていた。骨は見えていないのだけが、唯一の救いだった。
苦痛に顔を歪めるあたしを見て、カルラさんは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「あら。よく避けたわね。でも――あはははは! 形勢逆転のようね!」
確かに一気に苦しくなったわ。それでもまだ左腕で良かった。利き腕が無事なら、まだ戦えるもの。
「これで勝ったと思ったら、大間違いですよ。あたしの諦めの悪さくらい、わかってますよね?」
「ええ。だから、二度とそんな口が利けないように、きっちり止めを刺してあげるわ!」
カルラさんは、金属の柱を次々と出しては飛ばしてきた。あたしは左腕をかばいながら痛みに耐え、懸命に逃げるだけで精一杯だった。
「ほらほら! 逃げ惑いなさい!」
必死になってかわし続ける。あちこちを擦り剥き、心臓が破れてしまいそうなほどに息が上がっていた。
はっとしたときには、カルラさんは既に地に手を付けていた。哀しみをその瞳に浮かべて。
「さようなら。アリス」
次の瞬間、あたしの周りにドーム状に石が展開され、覆いかかった。あたしはその中にすっかり閉じ込められてしまった。
「あなたはそこで潰されて死ぬのよ。あとほんの数秒でね」
言われた通り、三百六十度逃げ場のない中で、徐々に壁が迫ってきた。
このままでは押し潰されてしまう。絶体絶命の危機。
でもあたしは、諦めなかった。
あたしは、冷静に感じ取っていた。
近くならわかる。あれほどよく知っている人ならわかる。
見えなくても、カルラさんの気配が。
『イネアさん』
『なんだ』
『やっぱり少しだけ、気を教えてくれませんか?』
『なぜだ。頑張っても実用レベルに達するとは思えないが』
『それでもいいんです。もしかしたら、いつか役に立つかもしれないじゃないですか。暗闇で敵に襲われたときなんかに、近くにいる仲間の位置を把握したりとか』
『ふっ。そうか。まあいいだろう』
『ありがとうございます!』
イネアさん。ちゃんと役に立ったよ。
あたしは、最後の魔法を構えた。
これが決まらなければ、あたしは死ぬ。
だけど、あたしには決まるという確信があった。
これだけは使いたくなかったけど、ここで負けるわけにはいかないから。
何より、あなたにこれ以上、人を傷付けて欲しくないから。
『ねえ、ユウ。ちょっと教えて欲しいの。もっと強い魔法を考えたくて。地球には、もっと強力な火はあるのかしら』
『あるよ。例えば、バーナーっていう火を出す道具の青い炎とか』
『へえ。でも、《ボルバーナー》じゃちょっと響きがかっこ悪いわね』
『そういうの気にするタイプなんだ』
『うん。なんかもっとかっこ良くならない?』
『そうだなあ。バーナーの炎って、ゴーって噴き出す感じなんだ。あれをもっと強力な魔法にしたら、色んなものを突き抜ける熱線みたいになるかもね。元々ある魔法に、私の世界でそういうのを表す言葉であるレイでも付ければいいんじゃないかな』
『あっ! それいいかも! よーし。イメージ練りたいから、詳しく教えて!』
『いいよ。じゃあちょっとこっちにきて』
狙うのは肩よ。
届け!
《ボルアークレイ》!
右手から放った高速の熱線は、分厚い石の壁を容易く突き抜けて次第に収束し、一直線に狙いに向けて飛んでいった。
気でわかる。カルラさんは、一歩も動くことが出来ていなかった。
あなたは、視覚外からのいきなりの攻撃に反応出来ない。
あたしが死ぬところを「見たくないから」、閉じ込めたことが仇になったのよ!
間もなく、あたしはぴくりとも動かなくなった石の壁を見て決着を悟った。
《ボルアークレイ》で開けた穴から、なんとか這い出る。
目の前には、右肩を貫かれた惨めな姿で倒れている、カルラさんの姿があった。
カルラさんは、力なく悔しそうな顔で横たわっていた。
「まさか……こんな魔法を、持っていた、なんて……」
「奥の手は、最後まで取っておくものですよ」
カルラさんの命に別状がなさそうなことにほっとしたところで、彼女は納得がいかないという顔で尋ねてきた。
「なぜ、わたしを殺さなかったの? あの魔法なら、心臓に当てればわたしなんて簡単に殺せたでしょう?」
あたしは、わかってないなと思いながら笑った。
「言ったじゃないですか。喧嘩だって。思ったより、ずっと激しくなっちゃいましたけどね」
「ふふ。そう……」
カルラさんは、涙を流した。心に溜まった色んなものを洗い流すような、綺麗な涙だった。
「わたしの負けよ」




