3「ユウ、魔力を測定する」
アリスの叔母さんがいつも作ってくれた美味しい料理の甲斐もあって、数日ほどで私は全快した。
治ったけれど行く当てがなかった私を、親切にも二人は引き続き泊めてくれた。そればかりか、私の着替えがないからと、何着も服まで買ってくれたのだ。
連れて行ってもらった服屋で、アリスに着せ替え人形にされたり、初めてのブラジャー(ここではインマーというらしいが)の付け心地に戸惑ったりしたのだが……それはまた別の話だ。うん。思い出すのも恥ずかしいから、別の話にして欲しい。
少し暮らしてみてわかったことがある。どうやらこの世界、地球と全く共通点がないというわけでもないようだ。平均すると地球より文明レベルは劣ってはいるが、地球に存在するものの対応物はかなりある。それに、光魔法を使った光灯が夜の町を明るく照らしていたり、火魔法による調理器具、水魔法を利用した水道設備など、魔法が補っている部分も相当多い。なので、そんなに不便ということもなかった。
それと驚いたこともある。なぜか私は、この世界の文字読み書きまでも出来るらしいのだ。日本語で考えると、頭の中で勝手に翻訳されていく。どういうからくりなのかは知らないが、あまりに便利過ぎる能力だと思った。少なくとも、変身能力なんかよりはずっと便利なんじゃないか。
さて、アリスの入学もすぐそこまで迫ってきたある日、私は魔力を測るために、役所に出かけることにした。
アリスがいつものようについて来ようとしたが、役所の場所はもう教えてもらっているし、一度は一人で町を歩いてみたいと言って断った。彼女はかなり残念そうな顔をしてたけど、ごめんねと謝って宥めておいた。
もちろん私だって理由もなく彼女の誘いを断ったわけではない。彼女と一緒にいては、変身する隙がないからだ。
私は一応、男の状態でも魔力を測っておこうと考えていた。もしかしたら、男のときと女のときでは魔力値が違う可能性があるかもしれないと判断してのことだ。
サークリスの街並みは、石造りの建物が中心だった。レンガ積みの家が多く、一部は木造のものもあるけれど数は少ない。町の中心部には立派な時計塔がそびえ立っていて、一日四回綺麗な鐘の音を鳴らしてくれる。建物だけ見れば、まるで中世ヨーロッパのような景観であるが、先にも述べたようにあちこちに電灯があったりと違いも多い。
ちょっと驚いたのは、この町には駅があって、魔法の力で動く鉄道が存在することだった。それが各地の町を結んでいて、通商が盛んに行われている。地球視点で言うならば、一部は既に近代化されているというわけだ。
一方で、旧態依然とした部分もある。この町の住民は、平民と貴族に大きく分かれている。そして貴族だけに参政権があったりと、彼らは様々な特権を有している。住む場所も市民街と貴族街で分かれていて、特別な用もないのに貴族街に一般人が立ち入ることは、基本的にタブーというか、御法度らしい。
ちなみにアリスと叔母さんは平民である。
家を出てしばらく大通りを歩いていくと、役所にはあっさりと着いてしまった。けれどもすぐにはそこに入らず、まずは近くの公園に入っていく。中を歩くこと少しばかり。
あった。目当ての場所、公衆トイレだ。私はここの個室で変身するつもりだった。
周りにも中にも誰も人がいないことを確認してから、ささっと男子トイレに入る。女子トイレにしなかったのは、もちろん変身後の性別を考えてのことだ。外から個室に入るときよりも個室の中から出るときの方が、中からでは周りの様子がわかりにくい分だけ、人に見つかってしまうリスクが高いと判断したからである。もし女子トイレから男が出てきたのを見られたら、即刻通報ものだ。それだけは何としても避けたい。
入ると立ち並ぶのは、掃除の行き届いてない小便器。そこから世界を跨いでも共通らしい、むわりと漂うアンモニア臭がした。鼻についてしまい、少し顔をしかめる。
それにしても。男子トイレなんて入り慣れているはずなのに。
なんでだろう。
女の子になっているいま、とてもいけないことをしているような気がして、なんだかとてもドキドキしてくる。
高鳴る胸の鼓動に応えるように足は逸り、最速で個室に滑り込むと、私はすぐさま鍵をかけた。
はあ……はあ……
思いがけない興奮に息を乱しながらも、ほっと胸を撫で下ろす。
とりあえず、これでもう誰にも見られる心配はない、って……
うええ……この個室、なんか男臭い。
ほのかにイカ臭さまでする……誰か、ここでしたのかな。
うう、気持ち悪い。
もしかして、女だから男の匂いに敏感になってるのか。
でも、せっかくここまで来たんだ。我慢だ。我慢。
気を取り直して。まず変身する前に服を着替えないと。そうしないと、女の服を着た変態男になってしまう。
ミニスカートにブラジャーをした男の自分をつい想像して、ぶんぶんと首を横に振った。
背負っていたリュックを適当な場所に下ろす。
アリスの目もあったせいで、さすがに男物の服は買えなかった。だがこの日のために私は、上に着るものとして二着ほどユニセックスっぽいものを選んで買っておき、叔母さんから借りたこのリュックに詰めてきたのだった。
そのうち一着は今着ている。もう一着は、一度男になって役所で測定を終えてから、また女になったときに着ようと考えている。
そうするのは、いくら性別が違うとは言っても、この世界では変わった名前であり、しかも全く同じ名前を持つ人物が、同じ日に魔力を測りに来て、さらに全く同じ服を着ていたら、もしや変に思われるかもしれないと思ったからだ。
我ながら慎重過ぎるとは思うけど、万が一この能力が世間にばれたときの計り知れないリスクを考えれば、出来ることはした方がいい。こんな変な身体を持っているなんて知られたら、一体どんな珍物の扱いをされてしまうのか。下手すれば、人体実験されてしまうかも。考えるだけで怖かった。
下に履くものについては、残念ながらあの服屋に男女兼用出来そうなものがなかったから、この世界に来たときに履いていたジーンズを履くことにする。ちょっと目立つけど仕方ない。
いつの間にかじっとりと汗ばんでいたシャツをめくり上げ、ブラジャーのホックに手をかける。
さすがにもう何度も付け外しをしている。慣れた手つきでホックを外すと、ワイヤーによる抑圧を失った胸がぷるんと震えた。
もうとうに見慣れた、張りのあるそれを見下ろしながら、私は小さく溜息を吐いた。
胸があるってのもいいことばかりじゃないな。揺れると痛いし、肩は凝るし。何より男の視線が気になるし。
自分がなってみないとわからない感覚ってあるものだと思う。ブラだって面倒なときもあるけど、どうしても付けないと乳首が透けちゃってまずい服もある。毛だってちょくちょく処理しないと恥ずかしくていけない。女の人って、何気ない顔してかなり苦労してたんだなって、今ならわかるよ。
まあ、男なら男で別の苦労があることを私は知ってるんだけど。お互い様か。
めくっていたシャツを戻し、ミニスカートを脱ぎ、パンツも脱ぎ。それらを丁寧にリュックにしまって、代わりにトランクスとジーンズを取り出して履いていく。ちょっとぶかぶかだ。
準備完了っと。
うん。逆パターンほど許されないわけじゃないけど、女の恰好にこの服は、やっぱりミスマッチ感がやばい。アリスが変に思ったのも無理はないか。
では、変身。
またあの全身に電流が走るような感覚がして、俺は男になった。
よし、行こう。
気付けば、あれだけきつかったはずの男臭さも、いけないことをしていたような妙な気分も、すっかり消え失せていた。
魔力測定機は、役所の魔法係で使用を受け付けているという。そこまで行くと、役所仕事にしては随分とフレンドリーなお姉さんが応対してくれた。
「この用紙に名前等の情報を記入して下さい。証明書の発行等にも使用するので、正確に記入をお願いします」
そう言われた俺は、渡された紙に記入事項を順番に書いていく。全く知らないはずの文字がすらすらと出て来るのは、相変わらず気味が悪い。
全てを書き終えてお姉さんに渡すと、名前を確認された。
「ユウ・ホシミ様でよろしいですね?」
「はい」
「では、こちらが測定機になります。使い方は機械音声での指示がありますので、そちらに従って下さい。それでももしわからないことがございましたら、遠慮せず私に聞いて下さいね」
「わかりました」
機械音声の指示に従うのだが、何せ血圧計と計り方がそっくりなので困ることはなかった。違いは、血圧を計っているわけではないので腕を圧迫されないということか。
ただ。腕を出したはいいけど、この測定機、数値の表示がゼロからうんともすんとも言わないのはどうしてだろう。
それを不思議に思っているうちに、測定終了を知らせる音声がかかった。結果を横から眺めてきたお姉さんが、驚いた顔で言った。
「ゼロ、みたいですね」
ゼロ、だと……
俺は愕然とした。
つまり、俺は全く魔法が使えないということになる。魔法というものにかなり期待はしていただけに、落胆は大きかった。
「魔力が全くないなんて、非常に珍しいことですよ。普通はどんな方にも、必ず少しはあるものなのですけどね」
「そうなんですか……」
「魔力値鑑定書を発行する必要はありませんね」
「はい……」
「大丈夫ですよ。魔力がほとんどない方も多いですから。あまり気を落とさないで下さいね」
「はい……」
とぼとぼとした足取りで役所を去る。
くそ~、俺は所詮地球人だ。魔法なんて無理だっていうのか。
いや、まだわからない。俺は自分を奮い立たせた。
まだ、女の自分が残ってる。さすがにすぐに行くとまずいから、ちょっと時間を空けてから再挑戦だ。もし女でもダメなら仕方ない。アリスには悪いけど、強くなるための別の手段を考えなくてはいけない。
俺は役所を出て、すぐにあの公園の公衆トイレへ向かった。また誰もいないことを確認して、今度は女子トイレに入る。
ああ。すごく緊張する。女が男子トイレにいても、「間違えましたっ!」とか可愛く言えばなんとなく見逃してもらえそうな気がするが、男が女子トイレで見つかったら即逮捕って感じがしてやばい。
変身がばれないようにするためとはいえ、こんな変質者みたいなことをするはめになるなんて。もっと良い方法が浮かばなかったのが残念だ。
個室に入って鍵をかけ、今度は先に変身してから服を着替える。
男のままだと、女の服はぱっつんぱっつんでまともに着れないからね。
無事身も服装も女になった私は、適当に近くのお店でウィンドウ・ショッピングを楽しんでからまた役所に向かう。
現れたのは、再びあのお姉さんだった。また用紙に必要事項を書いていく。一回目よりもすんなりと書き終えた。
「ユウ・ホシミ様ですね。あら?」
「どうしたんですか?」
「先ほども同じお名前の方が来られたんですよ。失礼ですが、珍しいお名前ですから。といっても、先程の方は男性の方でしたけどね」
「へええ! 不思議な偶然もあるものですねえー!」
「そうですねえ。すみませんね、関わりのないことを申し上げて」
「いえいえ」
ふう。ちょっとだけ冷や汗かいたよ。やっぱり服も変えておいて正解だったみたいだ。
さて、やってきました測定機。頼む。魔力よ、あってくれ!
すると今度は、測定機に腕を入れた途端、見る見るうちに数値が上昇していった。そして一万を少し超えた辺りでようやく止まった。
一万。ゼロじゃない。
よかったあ。私には魔力があるみたいだ。これでアリスを悲しませなくて済みそうだ。
別に勝ち負けなどないのだが、何か勝負に勝ったような気がして、ちょっと得意な気分でお姉さんの方を見やる。
すると、お姉さんの方は――男のときとは比べ物にならないほど驚いていた。
「まあ! なんてこと!」
「えっ?」
「私、魔力値が一万を超える人なんて、この目で初めて見たわ!」
何をそんなに驚いてるのだろう。というかお姉さん、仕事中なのに口調が素に戻ってるよ。
「それってそんなに驚くことなんですか?」
「ええ、とても凄いことですよ! だって魔力値の平均は数十ほどですし、魔法使いの方でも普通は数百から千数百ほどなんです。それが、一万ですよ! 一万! これほどの方は国中探しても滅多にいませんよ!」
「それほどなんですか……」
若干引いてしまうほどハイテンションなお姉さん。そんなに珍しいということか。彼女の話が本当なら、普通の魔法使いの十倍ほどの魔力があるということになる。なるほど。それは確かに凄いかもしれない。
「さっそく魔力値鑑定書を発行しますね!」
「あ、はい」
鼻息が荒くなったままの彼女に、押し付けられるようにして鑑定書をもらい、外に出た。鑑定書には私の魔力値10276と、役所が発行したという旨が記されている。そしておそらく魔力が使用されているであろう、きらきらと光り輝く特殊な印が押されていた。どうやらこの印によって、本物であることを保証しているようだ。
そして大事なことがわかった。どうも私の二つの身体は、単なる性別の差以外にも性質が違うらしいということがこれで判明してしまったわけだ。というか、男の私が惨め過ぎるような。
片やゼロ。片や国でも滅多にいないという一万。魔法なんて身につけた日には、男の自分が塵になってしまいそうな圧倒的格差だ。もうちょっと男女のバランスなんとかならなかったのだろうか。
とにかく用事はもう済んだ。叔母さんの家へ帰ろう。
家へ帰ると、アリスがすぐに出迎えてくれた。
「ただいま」
「おかえり。どうだった?」
ちょっと心配そうに私を見つめる彼女に、私は鑑定書を見せながらわざとそっけなく言った。
「一万だってさ」
「そう、一万なの……って、えええええええええーーー!?」
予想通りの面白い反応をしてくれた彼女は、さらに私の肩を両手でがっしりとつかんでがくがくと揺らしてきた。
「ユウ、それって凄いわよ! かなり素質があるって言われたあたしだって、四千五百くらいなのに!」
彼女はまるで我が事のように喜んでくれた。
「そうね。そのレベルになると――アーガス・オズバイン。サークリス魔法学校始まって以来の天才生徒と言われてるその彼が、確か魔力値一万五千だって話だわ」
「へえ。上には上がいるんだね」
でもそんな天才で一万五千ってことは、私も相当なのか。男の魔力がゼロだったのはいただけないけど、強くなりたい私としては、これは相当に運が良かったと言って良いだろう。
「それでも十分すごいわよ。女子の中ではたぶん一番じゃないかしら」
「そっか。ともかく、これで私は入れそうなのか?」
「ええ、もちろんよ! 本当なら魔力を見るだけじゃなくて、学力試験とか色々あるんだけど、その魔力値ならすぐに学校は受け入れてくれるでしょうね。もしかしたら特例で入学に間に合わせてくれるかも。やったね! ユウ!」
アリスがにこやかに笑った。その全く裏のない温かく素敵な笑顔に、右も左もわからないこの世界で心細かった私は、どれほど元気付けられたかわからない。気付けば、私も自然と笑顔になっていた。
「うん。嬉しいよ、アリス」