「あの日私に起こったこと」
私たちには両親がいない。幼いときに二人とも事故で死んでしまった。
一応親戚が引き取ってはくれたけど、彼らはあなたのことを鬱陶しく思っていたようで、何かと辛く当たられたね。
あまり迷惑はかけたくないからと言って、あなたは中学卒業を機に一人暮らしをすることにした。彼らも喜んでくれたし、あなたとしてもせいせいしていたよね。
高校はというと、あなたは勉強を頑張ってたから、学費免除で入れるところが見つかって良かったね。お金はないから、部屋は学校の近くにある安いボロアパートを借りていたね。
生活費を稼ぐために夜遅くまでバイトをして、帰ってきたら勉強。それであなたの一日は終わってしまう。ほとんど友達とも遊べていなかったけれど、あなたは別にそれで不幸だとは感じていなかった。何のことはない平穏な毎日。それこそが、あなたの望んでいたものだから。
それだけの、至って普通の高校生というにはちょっと変かもしれないけれど、まあ常識的な範囲内の人間だった。けれどそうだった日々は、今は遠いことのように思える。
事の発端から始めましょう。
あなたは最近、よく変な夢を見ていた。
夢の中で、あなたは真っ暗な空間に立っている。あなたの目の前には、肩の少し上まで伸びた黒髪を持つ女の子、私が立っている。あなたは私と見つめ合っている。
あなたは私のことなんて全く覚えていない。けれど、不思議と赤の他人のような気はしなかったと思う。なぜなら、私たちはとっくの昔に出会っているから。
あなたは、声も高めで顔つきも割と中性的だけど、それでも体つきはそこそこがっしりしているし、背も平均的にはある。小さいときに比べたら、ちょっとは男らしくなったよね。
夢の中のあなたは、私に向けて手を伸ばす。同時に私もあなたに向けて手を伸ばす。それは鏡合わせのように対称的な動きだった。
そしてあなたの手と私の手が触れた瞬間、二人の手は境界を無くし、互いにすり抜けるようにして入り込んでいった。そこを始めとして、少しずつあなたの体が私に融け込んでいく。
あなたは身体中に蕩けるような快楽と、燃えるような熱さを感じて――
って、ちょっと待て。私があなたの中に入り込むとき、別にそこまでは気持ち良くないからね。もう。変なこと考えて。少し思春期の妄想入ってるんじゃないの。
とにかく、あなたは最近そういう夢をよく見るようになった。これはきっと、能力が目覚める兆候に違いない。もうすぐ会える。私は楽しみだった。
だけど、違ったの。
十六歳の誕生日を迎えた夜。その日もあなたは夜遅くまでバイトだった。帰り道の途中で、あなたは異様な人物が目の前の電柱にもたれて立っているのを見かけた。
その金髪の女性、エーナにあなたは危うく殺される羽目になった。私はあなたの中でただ見ていることだけしか出来なくて、本当にもどかしかった。
それからあなたは、彼女の口から、フェバルとして目覚めることをとうとう聞かされてしまった。
彼女が語る、過酷なフェバルの運命。これまでのことがあったから、私にとってはとっくに推測出来ていたことだったけれど、何も知らなかったあなたは酷く動揺していた。
でも、負けないで。たとえこの先どんな運命が待ち受けていたって、私はずっとあなたを支え続けていくつもりだよ。だから、一緒に頑張っていこ――!?
その瞬間、突如として心の世界が荒れ狂い始めた。
なに!? 一体、何が起こってるの!?
白い光を伴った膨大な力の激流があちこちで生じ、私はとてもその場に立っていられなくなってしまった。
おかしい。こんなこと、あり得ない。
まだ能力だって、覚醒していないはずなのに。
――いや、目覚めつつある!?
まさか。どうしてこんなことが!?
そのとき、心の世界の中に、何か異質なおぞましい力が忍び込んできた。その力は、さらに一層心の世界をかき乱していった。
そして気が付いたときには、なんと私の精神は、宿っていたはずの肉体から引っぺがされてしまっていたの。
抜け殻となった私の肉体は、そのまま力の流れに乗って流されていき、精神体のみと化した私からはどんどん離れていった。
向かう先には、心の世界の果て――現実世界に面している、あなた本体の心身があった。
まもなく、私の肉体だけがあなたの元へ辿り着いた。そのとき、あなたもまた、宿っていた己の肉体から無理に精神を剥がされようとしていた。そして、まったくあなたの望まないままに、女の身体に押し込められようとしている。
大変! ユウが苦しんでる! 能力が狂って、無理に変身が起きようとしてる!
早く助けにいかないと!
そうは思うものの、荒れ狂う力の流れに翻弄されて、ほんの少しでも気を抜けば、私の心はたちまち引き裂かれてしまいそうだった。
ダメ! どうしても、ユウがいるところまで辿り着けない!
必死にもがいてどうにか向かおうとしたけれど、やがて荒れ狂っていた流れが次第に落ち着いてくる方が先だった。
そのときには、あなたの心はもう、すっかり私の身体に入り込んでしまっていた。
ともかく落ち着いたタイミングを見計らって、私はあなたが宿る自分の肉体へと辿り着くと、すうっとそこへ入り込んだ。
よかった。これでやっとあなたの力になれる。
すぐに精神を同調させて、あなたの心を直接感じ取る。激しい動揺が伝わってきた。私は、それを落ち着かせるように必死に働きかけてやる。
するとそこで、私たちの能力に謎の暴走を引き起こした男、ウィルが目の前に現れた。
彼を見たとき、なぜかしら。一瞬、見覚えがあるような気がした。
だが、気のせいに違いなかった。私はこんな奴なんて知らない。
心の世界にだってこいつの記憶はないから、間違いないはず。
いくらか嫌味なことを言ってくれた後、彼は突然服を引き裂いてきた。
胸が露わになったとき、私は激しい怒りを覚えた。
なにするのよ! ひどい! こんな奴に見られるなんて!
その後も彼は、散々好き勝手なことを言ってくれた。
どういうことよ! おもちゃにするって!
心の底から恐怖に震えるあなたを感じたとき、私はもう我慢ならなかった。
成長した今なら、少しくらいなら能力を使っても大丈夫かもしれない。
ねえユウ。こんなふざけた奴なんか、一緒にとっちめてやろう。
私とあなた、二人で力を合わせれば、きっと恐れることなんてないよ!
そう決意したとき、彼はあなたの顔を突き刺すような目で覗き込んできた。
これほどまでに凍てつくようなおぞましい目は、かつて見たことがなかった。
怖い……なんて恐ろしいの……
やっつけようと思っていた気持ちなんて、簡単に萎えてしまった。圧倒的な恐怖が、私にまで一気に込み上げてきたの。
それでも、私がしっかりしなくちゃ。あなたの心が完全に折れてしまう。
私は懸命になって、襲い来る恐怖に耐えようとしていた。
でもそのとき、なぜ。
急に私の気が遠くなっていった。
信じられなかった。
どう……して……
私がしっかり支えてあげなくちゃ、あなただけでは満足に力を発揮出来ないのに。
朦朧とし始めた意識の中で、私はあなたの目を通じて、ウィルの姿を心に焼き付けていた。
彼は何も言わず、ただじっとあなたのことを見つめていた。瞳の奥を覗き込むように、あなたのことを。
いや――
まさか……!
気付いたときには、手遅れだった。迂闊だった。
彼が狙っていたのは、最初からあなたじゃなかった。あなたに潜んでいる、私だったの。
おそらく、邪魔な私を眠らせようとして――
そんな。そんな……!
ダメ……意識が……
なくなる。なくなってしまう。
私は最後の力を振り絞って、聞こえているかもわからないまま、あなたに向かって必死に警告した。
ユウ。こいつは、あまりにも危険よ。
気を付けて――――――――




