63「その男、ヴィッターヴァイツ」
ジルフさんにユウが撫でられているところを見て、やっぱり師弟愛って素敵だなと思う。
私には直接の師匠はいないけど……ユウを通じてたくさんの愛情を受けてきた。ユウが嬉しそうだと、私も嬉しくなるよ。
そのうち、ジルフさんは私の存在にも気付いて驚いたみたいだった。私とユウを見比べて、
「ありゃ。ユウが二人?」
「ああ。それはな――」
説明しようしたレンクスを遮って、私も深く頭を下げた。
「ユイです。ユウの中にいたもう一人の人格です」
この流れも二回目だ。ジルフさんも私の存在自体は知っているから、これでわかるでしょう。
顔を上げると、ジルフさんはふむと頷く。
「なるほどな。嬢ちゃんの方か」
そこにユウが、まるで仲の良い親戚にでも話しかけるような気軽な調子で、ジルフさんに耳打ちした。ジルフさんはにやっと笑って、私を手招きした。
「なんだ。ほら、嬢ちゃんもこっち来な」
「えっ。私は……」
「いいから。遠慮するなって」
「は、はい」
そろそろと側に近寄ると、ジルフさんは私にも同じように撫でてくれた。
ごつごつしてて、力強くて、温かい手。痛いくらい安心する。
隣でユウが、わかってるよって顔でウインクしていた。
別に平気だったのに。ありがとね。ユウ。
するとジルフさんは、両腕でがっちりと私たちを組んで引き寄せた。ユウと並んで、息が苦しいくらい強く抱き締められて、頬をすりすりされる。薄く生えた髭が擦れて、チクリとした。
「はっはっは! お前たちはいくつになっても可愛いな。孫でも出来た気分だぜ」
「子供のままフェバルになりましたからね」
「と言っても、もうそろそろ26歳なんですけど……」
さすがに恥ずかしいよ。ユウも顔を赤くしている。
「ほんと見えねえよな。俺たちにとっちゃずっと可愛い子供のままだよ」
「うんうん。なーんか見守りたくなるのよねえ」
レンクスにエーナさんまで。……この場に他の人がいなくてよかった。みんな年上だし。
でも、そうだよね。私もだけど、特にユウ見てるとね。普通の大人っぽくないっていうか。もうそろそろ私たちが子供の頃の母さんの年齢に追いつくはずなのに、あんな風に大人らしくなっている感じはしない。肉体が多感な時期で止まっちゃったから、独特な成長をしてるのかなあと改めて思う。
創作物でも、何百歳と生きてる精霊やエルフが可愛いと愛でられてたりしている。こういうお人形的な扱いも、ある程度は仕方ないのかもしれない。
やっと私を解放してくれたジルフさんは、ユウの身体をまじまじと確かめるように見回した。
ユウが少しの緊張を持って彼を見つめていると、やがて彼はニヤリと笑って、ドン、と一発腹を突いた。
「ユウ。ちゃんとイネアの言いつけは守ってきたみたいだな」
「はい。時間のあるときは毎日鍛えてましたよ」
「えらいぞ。よし。今度また稽古を付けてやろう」
「本当ですか!?」
飛び上がりそうなくらいユウの表情が輝いている。わかりやすいところがかわいいよね。あまり言うと拗ねちゃうからこっそり楽しんでるけど。
「ああ。サークリスのときと違って、今回は時間もたっぷりあるしな」
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
もう。あんなにはしゃいじゃって。ふふ。これじゃ子供みたいと言われても仕方ないよね。
「よかったじゃないか。ユウ」
レンクスが保護者目線で、ユウに微笑みかけている。
「うん。相手になるレベルの気剣術の使い手ってもう中々いないものだからさ。ちょうど行き詰まりを感じていたところだったんだ」
「ほう。そこまで腕を上げているってのか。楽しみだな」
「相手がジルフさんなら、胸を借りるつもりで全力で挑めますよ」
「望むところだ。イネアの代わりにバシバシ鍛えてやろう」
「はい!」
ああ。やっぱり師弟関係っていいなあ。私もミティのこと、大事にしてあげよう。
しばらく立ち話に花を咲かせた後、『アセッド』に戻り、またそこでゆっくり話をしていた。ミティと私が二杯目のお茶を配った頃、話題はジルフさんがこの世界に来た目的に移った。
レンクスが口火を切る。
「で、ジルフよ。お前もやっぱりたまたま来たってわけじゃないんだよな」
ジルフさんは、両手の指を組んだ姿勢で頷く。こうして見ていると、落ち着きというか、貫禄がある。
「この広い宇宙で、フェバルが一つの世界にこれだけ集まるというのは中々の珍事よね」
「確かにね」
エーナさんの言葉に、ユウも同意していた。
「なんですかぁ? そのフェなんとかというのは?」
「気にしなくていいよ。こっちの話だから」
ひょこっとテーブルに首を出したミティに、私はやんわりと頼んだ。
「料理の下準備進めてて。お願いね」
「はーい」
少し気になってはいた様子だったけど、ミティは素直に自分の持ち場に戻っていった。
キッチンへ行ったミティを見送ってから、話が続く。
「俺からすると、まさかお前たちがいるとは思わなかったから驚きだったのだが。そちらの事情を先に話してくれてもいいか?」
「俺はいつもの通りだぜ。ユウとユイの世話を見るために追っかけてきた」
「むしろ世話を見てあげてる気がしないでもないのだけど」
ちくりと小言を言うと、ユウも強く頷く。レンクスはうっと言葉を詰まらせた。
「相変わらずってことだな」
ジルフさんが楽しそうに笑う。レンクスはからっと笑って頬を掻いた。
「私は、この世界で起きるという『事態』を突き止めるために」
エーナさんは、やや深刻な面持ちで言った。頭に巻いてるモコちゃんバンダナのせいで微妙にしまらないけど。
「『事態』か。【星占い】でそう出たわけだな?」
「ええ。それも、この世界だけで済みそうって感じじゃなかったわ。もっと大きな」
「何か具体的なことは、わかっているのか」
「何も」
「そうか」
歯噛みしたエーナさんに、ジルフさんは難しい顔を返した。組んでいた指を解き、手を顎に添えて、しばらく何か考えているようだった。そのうち考えがまとまったのか、彼はエーナさんを見つめて重々しく口を開いた。
「もしかするとだが。エーナ。お前の言っている『事態』というやつは、俺が追っている男と少しは関係しているかもしれん」
「それが、お前がこの世界に来た理由ってわけだな?」
「そうだ。そいつはな。昔から宇宙の星々を気ままに暴れ回っては、最後には滅茶苦茶にして去っていくそうだ」
「なんつーか。ウィルみたいな野郎だな」
「ウィルか……」
今度はユウが難しい顔をしている。あいつは今頃どうしているのかな、と考えているみたい。
「ある意味じゃあウィルよりタチが悪いかもしれん。何せ、そいつは100パーセント自分の愉しみのために世界を弄んでいるのだからな。やり方も、人の心を踏みにじるようなえげつないものと聞く」
「それは、許せないね」「うん」
私とユウは、揃って頷いた。私たちは人の心の痛みがよくわかる。だからこそ、余計にそんな真似をする奴は許せないと思うのだった。
「そいつが最近、この辺りの宇宙で暗躍していると聞いてな。ちょっと人づてに頼まれたのもあって、追っていたというわけだ」
「そして……ジルフさんも、落っこちて来てしまったというわけですか」
ユウの指摘に、ジルフさんは苦々しく首を縦に振った。まああの落ち方は、予定通りに来たという感じじゃなかったものね。
「まったく。どうなってるんだ。ここの星脈は。なぜか能力も使えないしな」
ジルフさんが苛立ちを隠せない様子で机を叩き、場を沈黙が包む。みんなそれぞれ、思うところがあるみたい。
星を繋ぐ星脈――そんな大きなものの流れがおかしくなっているということは。それこそが、『事態』の深刻さを表しているように思えてならなかった。
沈黙を破ったのは、またレンクスだった。彼がいると、不思議とそれだけで場の雰囲気が和らぐような気がする。
「なるほどな。事情はわかったぜ。けどよ、どうすんだ。そいつもフェバルなんだろ? 真の意味じゃ殺せねえじゃないか」
「そうだな。殺すに殺せないが。少しばかり灸を据えてやろうと思っている。この世界、ブラックホールみたいになっているようだから、そのうち奴も落ちて来るかもしれん」
「待ちというわけね。ところでそいつ、なんていう奴よ? 胸糞悪いわねえ」
エーナさんは、いつになく気を悪くしているようだった。
「そうだな。お前たちも、もしかするとどこかで名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。名を、ヴィッターヴァイツと――」
グシャアァッ!
何かが、粉々に割れる音がした。
全員の視線が、一点に注がれる。
「………………」
「ユウ……?」
掌から、砂よりも遥かに細かく――分子の如く砕けた湯呑みが、サラサラとこぼれ落ちていた。
瞬時に、寒気が走った。
目が――何も見つめていない。ただ真っ直ぐ。何も、見ていない。
ああ。あの目。真っ暗な闇に塗りつぶされたような瞳。
――見たことがある。見せつけられたことがある。
ウィル。あいつと、とてもよく似ているの。
どうして。
私は、急に恐ろしくなった。怖くて仕方がなかった。
あの黒い力が。破滅的な力が。すぐそこにあるような気がして。
喉が震えて、肩が震えて。
ダメ。ダメだよ。しっかりしなくちゃ。ユウを、見なくちゃ。
息を呑んで、勇気を振り絞って、声をかける。
「ねえ、どうしたの……? 怖いよ……」
「…………ん。あ、あれ?」
ユウの様子がおかしかったのは、時間にすればほんの数舜だけ。そこまでだった。
もういつもの優しい瞳に戻って、あれほど刺すようだった冷たさも消え失せている。
まるで自分のしでかしたことがすっぽり抜け落ちているかのように、きょろきょろ辺りを見回して、それから、顔を青くしている私たちの方を不思議そうに見つめて、尋ねてきた。
「どうしたんだ。みんな」
みんな言葉を失って、すぐには何も言えない様子だった。
「いや……お前がどうしたんだよ。急に怖い顔して、湯呑みぶち割るからよ」
「粉々じゃないの。どれだけ力込めたのよ」
「え!? 俺が、そんなことを……?」
はっと気が付いたように、ユウは自分の掌を見つめ下ろした。分子のように砕けきった湯呑みが、彼の視界に落ちる。
一体どれほどの力を使えば、物体があのようになってしまうというの。とてもユウがやったとは思えない。出来るとも思えない。わからない。
どうして。あの名前を聞いてから。
みるみるうちに、ユウの顔も青冷めていくのがわかった。
「これ、俺が……?」
ピーッ!
今度はなに!?
また全員の視線が注がれる。音はキッチンからだった。
「あ、あああ……」
そこには顔を青くして、茫然として突っ立っているミティがいた。鍋から、激しく湯気が膨れ上がっている。
「ミティ! すぐ火を止めて。吹きこぼれてるっ!」
「は、はひっ!」
はっと我に返ったミティは、慌てて火魔法を止めた。
ほっと一息を吐く。
でも……あのミティがするとは思えない、初歩的なミス。
きっと彼女も一瞬だけ豹変したユウに当てられて、我を忘れてしまっていたに違いない。
突然の出来事に、話は浮いたまま止まってしまっていた。
ユウは、何が何だかわからない。自分が怖くて、今にも泣きそうな顔をしている。
やがて、俯いたまま、震える声で言った。
「ちょっと。みんなはそのまま話を続けていてくれ。俺は……」
「ユウ……」
「少し……一人にしてくれ。ごめん」
ふらふらと立ち上がる。足に力が入っていない。少し何かに引っ掛けただけで、転んでしまいそう。
ユウの背中が遠くなっていく。みんな、声をかけるにかけられない。そんな様子だった。
でも、私は……私がそうなっちゃいけない。
すぐに追いかけた。ユウの袖を強く引っ張って、引き留める。
「一人なんてダメ。絶対ダメだからね。私も付き合うよ」
ユウは、こういうとき一人にすると変に思い詰めてしまうタイプだ。
わかってる。あなたは私だから。
ユウは、何かを言おうとして。きっと「ほっといてくれ」と、否定の言葉をぶつけようとしたのだろう。でもそれをぐっと飲み込んで、大変そうに飲み込んで、弱々しく頷いた。
「そうだね……。ユイ、付き合ってくれるか」
「うん。部屋いこ」
こういうとき、素直に頼れるのがユウの良いところだよ。
大丈夫。そんなあなただから、きっと大丈夫。
ユウの肩をしっかり支えて、自分にもそう言い聞かせるようにして、私たちは二階へ向かった。




