50「ユウ、ゲーマーになる 5」
リク。今、リクと言った。「ランド」ではなく、リクと。
リクは「シルヴィア」を操るプレイヤーに会ったことはないと言っていた。なのに、「彼女」はリクを知っている。俺のことも。
『なぜ君がリクのことを知っているんだ』
『私の趣味は人間観察なの』
俺はあまり驚かなかった。むしろ腑に落ちてしまった。
うん。大体知ってた。中の人同じっぽいねこれ。
『なるほど。宝石店を始め、何度も感じた視線は、もしかして君だったのかな』
実は誰かの視線を感じたのは、一度や二度ではなかった。食材を買いに外に出たりするたび、何者かがこちらを監視しているのがわかった。
それも相当遠くから、決して正体を窺い知ることの出来ない位置からだ。気配を察知して近づこうとすると、さっさと気配を消してその他大勢の一般人に紛れてしまう。
フェバルほど生命力の強い者だと位置まではっきりわかるのだが、一般人並みに弱いと探し出すのは骨だ。特に何かしてくるわけでもないので、放置していたのだが。
『……バレたのは初めて。あなたは、普通じゃないわね。こちら側の人間かしら』
こちら側の人間かと言われても。どちら側なのか知らないけど。
思ったままの言葉を返すと、「彼女」は疑わしげに目を細めた。本当によく出来てるよな、このゲーム。
『そんなことより。私の質問に答えなさい。ただの一学生にあんな大金を持たせて。どうするつもり?』
ああなるほど。やっとわかった。「彼女」はただリクが心配なのだ。トレヴァークでも、「シルヴィア」はシルヴィアだった。微笑ましいじゃないか。
『確かに心配させるようなことをしたな。すまなかった』
『別に心配なんてしているわけじゃない。ただゲーム仲間の身に何かあって、一緒にゲームが出来なくなるような事態は避けたいのよ』
顔をぷいっと背けて、そっけなく言う「シル」。それを心配していると言うんだよ。
『俺の身分がないことは君も知っているだろう?』
彼女はこちらを睨みつけたまま、頷く。
『だから色々と便宜を図るために協力してもらったんだ。他意はないよ。元々リクの方から頼んできたことでね』
『頼んできた? あの子が?』
『ああ。好奇心からだよ。よほど俺が珍しかったらしい』
『そう……少し納得。あの子は……確かに、自分の知らない世界に憧れがあるというか。首を突っ込みたがるところがあるわね』
リクのことは人間観察とやらでよく知っているのだろう。「彼女」は勝手に一人で納得していた。
俺への敵意も少し緩めてくれたらしい。声が幾分柔らかくなっている。
「彼女」は肩を竦めて、呟くように言った。
『馬鹿な人。今の幸せに気付いてもいない。楽しいことばかりじゃないのに』
『よくわからないけど、君はリクとは違う側にいる人間みたいだね』
俺には筒抜けだったとは言っても、ただ者ではない身のこなしだ。それに正体バレは避ける慎重さと、引き際の良さも心得ている。
その手のプロではないだろうか。そんな気がした。
『どうだっていいでしょう。そんなこと。今の私はS級冒険者のシルヴィアよ』
『そうだな。確かに今の君はシルで、それ以外の何者でもない』
『シルって呼ばないで。慣れ慣れしい』
あれ。思いっ切り拒否の姿勢で睨まれた。
彼女は溜め息を吐いて――それで感情を一旦リセットしたのだろう――落ち着いた調子で尋ねてきた。
『リクのことはまあ一応、わかった。完全に信じたわけじゃないけど。もう一つ尋ねたいことがあるわ』
『答えられることなら』
『あなた、相当やり込んでいるわね』
『君も人のこと言えないんじゃないのか』
「ランド」の30レベル上昇にも驚いたが、「シルヴィア」は50レベルも上げていた。どう考えても課金様のお世話になっている。
『うるさいわね。私のは……そう、趣味よ』
『趣味なら仕方ないな』
『ええ。仕方ないわ』
にやりと笑い合う。心なしか打ち解けたというか、会話が噛み合ってきた気がする。
『あなたのやり込みは異常。資金も大量に投入して。あれほどの速度でSランクまで到達した者はいないわ。あなた、今じゃ全世界注目の的よ』
『え、ほんとか。そんなに注目されてるの?』
俺、別に巷の評判とか見てないからな。あまり実感がないんだけど。ちょっと、いや結構恥ずかしいかな。
俺の反応に、「彼女」は肩透かしを食らったようで、虚を突かれたような顔をした。
『注目されること自体は全く目的ではなかったと。そう言いたいわけ?』
『いや、その辺はあまり考えてなかったというか。ラナクリムには、何か秘密があるんじゃないかなと、そう思ってね。内側から調べられないかと、一生懸命プレイして……いま、した……』
怖いって。睨みの強さにたじろいで、最後は弱々しい声になってしまったが、何とか言い切った。今思うと、秘密があるとか、そんなことまで言わなくても良かった気はする。
――秘密があるんじゃないかと、そう思ってはみたけど、思ったより大した収穫は得られなかったんだよな。この頃には、ユイに言われるまでもなく、そろそろ潮時かなという気がしていた。彼女の一声が止めになったのは間違いないけど。今後は、違う方向からもアプローチをかけてみるべきだろう。
『一生懸命プレイしてました、ですって……? もしかして、本当に……それだけ……?』
なじるような視線に脅されて気圧されながらも、俺は素直に首を縦に振った。
『それだけだよ』
『は? あなた、自分の課金額わかってるの? 一カ月で5万ジットよ! 5万! 車が買えるわ! 底なしの馬鹿なの?』
はっと我に返ったような気分だった。確かにやばい。いかれた金額だ。でもさ。
『そこまで言わなくてもいいじゃないか……』
『言うわよ。全市民総ツッコミよ! 庶民が5万稼ぐのに何年かかると思ってんの!』
スビッと指をさされて、俺は人気の無い路地を一歩後ずさった。やっぱりこんなときは、笑うしかない。
『お金は大事にしなさい。しろ』
『はい。すみません』
なんで謝ってるんだよ俺。
肩で息をしている「彼女」は、何とか呼吸を整えて澄まし顔に戻していた。もう取り繕っても無駄な気もするけど。
『余計なことツッコませるんじゃないわ。話が迷子になったじゃない』
『君が勝手に脱線したんだろ』
『不思議な人。こうして話してると隙だらけのくせに、どうして隙が無いというか……あら、ほんと何話そうとしてたのかしら。あーもう。いいわ』
改めて、彼女は俺に向き直った。
『とにかく。リクは、初めて出来た仲間なの。例えそれがゲームの中だけだとしても……。もし万が一、リクに危害を加えるつもりなら――』
ごくり。思わずリアルで喉が鳴る凄みだった。
『殺す。バラバラに斬り裂いて、殺してあげる。覚悟なさい』
――というわけで、今に至る。
こうして走っていると、熱烈なストーカーの視線をそこはかとなく感じられる、素敵な朝だった。
もう監視してること、隠そうともしてないよね。こちらから近付こうとすると、やっぱりささっと消えてしまうんだけど。
女の人、かな。髪は黒い。それ以上のことはわからない。一言も喋ってくれないし。
一度《パストライヴ》で追い込んで驚かせてやろうかなと思ったけど、そこまでするのも大人げないかなと思ってしていない。ゲームの中だと一応普通に接してくれるようになったし。
彼女は、朝や昼の時間はしょっちゅう張り付いているのだけど、夜になるとぴたりと消えてしまう。「シルヴィア」先生のお仕事は、どうも夜間に行われているらしい。
数日後、短い手紙と共に嬉しいプレゼントが届いていた。
『身分証明書、パスポート、口座はこちらで用意した 使用は自己責任で
一般人のリクを危険に巻き込まないこと 私について詮索をしないこと
リクには他言無用 絶対にしないこと
あなたのことは引き続き監視させてもらう
あと、シルって呼ぶな』
「シルヴィア」さん。一体何者なのだろうか。




