40「ユウ、トレヴァーク初日を終える」
ほぼ間違いなく地球みたいに法整備やセキュリティが発達しているだろう。自由な身動きの取りにくい世界だろうというのは容易に想像が付く。エルンティアのときのような非常事態であれば、犯罪人で構わないと開き直っても良いのだが、それなりに滞在する予定なので出来れば事は穏便に済ませたい。
「えっと、それは……あ、そういうことか」
リクがあっと気が付いた顔をして手を打った。俺は頷いて答える。
「俺はいきなり来たわけで、つまり国籍から何から何まで、身分を保証するものが一切ないんだ。困ったことにね」
「そうですよね。あの、もしかしてお金とか、ないんじゃないですか? 僕出来ることはするつもりですけど、バイトして何とか生活してる身なので、ずっとはちょっと」
声が弱々しくなる。責任を感じる必要はないのに、自分が言ったことに対して負い目を感じているらしい。でもまあその辺りは、俺は普通の浮世離れしたフェバルとは違うからあまり心配は要らないよ。
「お金のことは大丈夫。その気になればいつでも作れると思う。ただ、身分の保証がないことには一々危ない橋を渡らないと身動きが取れない」
まず、住所がない。アルバイトを探すにも履歴書が書けない。きっとそういうの要るんだろうし。各種ライフラインも、ラナソールのときのように自分で勝手に作ってしまうというわけにはいかない。契約が必要だ。しかし今のままでは当然出来ない。別にホームレスだって生きていけるから要らないと言ってしまえばそれまでなのだが、一定の社会的身分を得ておいた方が何かと都合が良いだろう。
「いずれその辺りは何とかするとして、渡る橋は少なめにしておきたいんだ」
「なるほどです。では、僕は何をしたらいいでしょう」
「とりあえずは君の名義を何度か使わせてもらいたい」
「ええ? はい、いいですけど」
素直に頷くリク。君はお人好しが過ぎてそのうち詐欺に遭わないか心配になるよ。
「大丈夫。変なことには使わないよ」
君の名義ではね。
「必要なときに身元保証をしてくれるだけでいい。君も一応法律上は大人なんだろう?」
「まあ」
「じゃあ遠い親戚って感じにしておいてくれ。適当に」
「ええ。まあ……」
どうにも浮かない顔をしていた。話が具体的になってきて、気後れを感じ始めたかな。
いざという時は仕方ない。自分一人で何とかするか。通報とかされないだけでも感謝しておかないとな。
俺は立ち上がった。窓の外を見れば、日が傾き始めている。初日のうちに出来ることは済ませておこう。まずは簡単なことから。
「さて。この町に本屋か図書館はあるよね」
「あ、はい。本屋なら近くにミニーモップがありますし。図書館だったらトリグラーブ市立図書館がありますね。でもそうか。図書館は住民カードがないと利用出来ないんだった」
「じゃあ本屋に行こう。お店が閉まる前に」
ようやくというか、俺は部屋の外の世界を見ることが出来た。
結論から言えば、地球の我々が都市と聞いて思い浮かべるものとほとんど似たような風景が広がっていた。
外側に歩道があり、内側に車道があって、車が走っている。この車はラナソール産と違って浮いていたりはしない、普通にタイヤでもって地面を走る車だ。木製の家屋や鉄筋コンクリート製らしき建物が整然と立ち並び、人通りの多いところへ行くにつれて高い建物も目立ち始める。日本のものと色こそ違うが、茶色の電柱が等間隔で立ち並んで、上には電線がごちゃごちゃと張られている。
あまりにも普通だ。俺の感覚からすれば。
ともすれば、ここが異世界であるということも忘れてしまいそうなほどだった。唯一その事実を思い出させてくれるのは、たまに歩行者がリードで連れ歩くペットだった。
モコだ。小さい羊のような愛くるしい姿。それらは空想上の存在ではなく、実際にこの世界で当たり前に親しまれているようだった。
「あそこですよ」
ミニーモップというのが見えてきた。リボンの付いた可愛らしいモコのキャラクター看板が目印のようだ。
本屋に着くと、早速俺は包装の付いていない本を手に取り、高速でぱらぱらとめくり始めた。ものの数秒でめくり終わると、次の一冊を手に取って、同じことをひたすら繰り返す。
はたから見れば、本で遊んでいるようにも見えるだろう。異様な行為に、リクがそわそわした様子で声をかけてきた。
「ユウさん。何してるんですか?」
「大丈夫。これでいいんだ。こうすれば頭に入るから」
「マジすか」
「マジすよ」
怪訝な顔をする彼を放っておいて、地理、歴史、法律に関する本をまず最優先に、たっぷり4時間はかけてこの世界に関する情報をインプットしていった。途中で、
「もし飽きたら先に帰っててもいいし、違うところで時間潰しててもいいよ」
と言ったのだが、
「いいえ。見てます」
頑として俺を目の届かないところに置きたくないらしいリクは、きっぱりとそう言った。
「ああそう」
書物さえ発達した世界ならば、本から情報さえ頭に叩き込んでしまえば、その世界の常識から大きく乖離することはない。こんな真似が簡単に出来てしまう【神の器】は、やっぱりとんでもないチート能力かもしれないとこんなときは思う。性別の異なる二つの身体といい、これといい、俺がどんな異世界でも男女問わず誰にでも上手く溶け込めるように与えられた力ではないかと感じるのだ。あるいは、俺がそれを望むからそういう能力の形になったのかもしれない。
さらに語学、生活のコーナーへと手を伸ばしているうちに、閉店の時間を知らせるアナウンスが入った。今日のところはこのくらいでいいだろう。十分な戦果があった。
外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。時刻を尋ねると、彼は携帯電話のようなものを取り出して、
「21時ですね」
「もうそんな時間か」
本で知ったのだが、この世界もラナソールと同じく24時間制である。そして地球に換算すれば、約25時間であるところも全く一緒だ。つまり、違う世界にも関わらず一日の時間は全く同じということになる。
ところで、これまでもそうなのだが、時計が24時間制であることが何度もあったというのはやや面白い事実だ。どうも時間を丸時計というデバイスで表示する歴史的事実があった場合は、そうなりやすいらしい。一日が12時間や16時間、あるいは8時間というのもあるようだが、原理は全て同じ事だ。
つまりどういうことかと言えば、円は360度なので、これをぴったり分割出来る数が見た目的には綺麗になる。なので1時間の角度の幅は360の約数であることが要求される。そして円を真っ直ぐ縦横に割りたいとき、つまりぴったり90度刻みの時間が欲しいとなればさらに制約は強く、1時間の角度の幅は90の約数でなければならない。そうなると、見た目にごちゃごちゃせず適度に割れ切れる数字は、45度(8時間)か30度(12時間)辺りに自然と落ち着いてしまうというわけだ。別に円一周が360度とされているとは限らないわけだが(一周100度とするという世界もあった)、しかし円を綺麗に分割出来る数は、円一周が何度であるかという、各世界の人間が勝手に決めた定義には依存しない。こんなちょっとしたことからも、世界の枠を飛び越えた宇宙共通の定理があるように思えて、中々に面白い。
「お腹空きましたね」
「確かにな。悪い。長居しちゃって」
「いいですよ。予想してましたから。帰り道にスーパーがあるんで、そこで何か買って帰りましょう。あ、お金はいいですよ。持ってないの知ってますから」
「ありがとう。けど世話になってばかりじゃ申し訳ないな」
何か出来ることはないだろうか。
「そうだ。君は料理は出来る方かな」
「一人暮らししてるから全く出来ないわけじゃないですけど、そんなには。ユウさんは出来るんですか?」
俺は笑って親指を立てた。この世界でも似たような意味合いになる。
「だったら任せろ。美味しいもの作ってあげるよ。これでもプロの料理人の下で修業したことがあるんだ」
「ほえ~」
いつもユイが、私の方が簡単に作れるから自分でやるって言って聞かなかったからな。たまには俺も腕を振るわないとなまりそうだ。よし燃えてきた。
するとそんな俺を見て、リクがぷっと吹き出した。
「ユウさん。輝いてますよ」
「え、そう?」
そんなに変に見えたかな? まあいいか。
買い物を済ませ、リクのアパートに帰ってから、俺はぱぱっと料理を仕上げた。お腹も空いているだろうし、ここは腕によりをかけるよりも手早く美味しいものを作り上げるに限る。もちろん限られた材料と時間の中で、少しでも美味しいものにするための工夫はこらした。
最後に隠し味として、『心の世界』から醤油を取り出し、それを少量鍋肌に垂らした。
万能調味料の威力を思い知るがいい。
ジューと香ばしい湯気を立てているフライパンを、もう二、三度あおった。
出来上がりだ!
出来立ての熱さを届けるべく、さっと盛り付けをして、PCデスクの前に座って待つリクの下へ届ける。
リクは目を丸くしていた。
「見たことない料理ですね」
「炒飯というんだ。うちの故郷の料理でね」
断じて母さんの暗黒炒めではない。ありもので作りやすいのでこのチョイスになった。
「美味しいから、食べてみるといい」
「なんか見るからに美味しそうですよね」
勧めて、様子を見守る。
リクはおずおずとスプーンを手に取って、まずは慎重に料理を眺めていたが、立ち上る匂いにとうとう我慢出来なくなったのか、掬い上げて口へ運んだ。
よく咀嚼し、ごくりと飲み込んで。第一声が。
「うまい!」
心からの唸りだった。俺もぐっと拳を握る。
次から次へとスプーンが止まらない。物凄いがっつきようだ。のどに詰まらせるんじゃないか。
「やっばい! 超うまいですよこれ! ユウさん!」
「よかった」
「マジで店出せますってこれ!」
興奮気味にまくし立てるリク。普段あまり美味しいもの食べてなかったんだろうか。
「うっ!」
突然苦しそうに、どんどんと胸を叩く。
ほら言わんこっちゃない。
俺は水道からコップに水を入れて、差し出した。
「ほら。美味しいからって急いで食べ過ぎない」
「~~っ~~!」
彼は勢い良くコップを奪い取ると、そのままの勢いで水を流し込んだ。
あまり激しく飲むものだから、今度はむせたらしい。何度も咳き込んでいる。
「ゲホッ! ゴホッ!」
「大丈夫? 君、案外おっちょこちょいなんだね」
優しく背中をさすってあげた。
「ゲホッ……ウェ! ……うう、すみません」
涙目になって呟くリク。まあそれだけ美味しかったということかな。
ベッドは一人分しかなかったので、その日は彼にタオルケットだけ借りて、それに包まって寝た。『心の世界』には寝袋もあるのだが、それを彼の見えるところで取り出すのは良くないだろうと判断したのである。こうして、俺のトレヴァーク初日は何事もなく過ぎていった。




