22「エディン大橋を渡って」
「魔法料理コンテスト?」
「うん。魔法を使った料理の腕を競うコンテストが行われるんだって」
ユイが街路で配られていたというチラシを見せながら、楽しそうに言った。
どれどれ。開催地は――ナーベイか。エディン大橋を渡ったところにある港町だったな。
「私、出て来てもいいかな?」
「もちろんいいけど。どうして急に出る気になったんだ」
「んー。まあ、せっかく平和だし。旅がてらにちょうどいいかなって」
「そうだなあ」
毎日のように騒がしい事件が起こるが。レジンバークは平和と言えば平和そのものだった。非常時にはキリッとするレンクスが、毎日ぐーたらニート生活やれるくらい。
ちらりと横目であれを観察すると、あれは緩み切った顔で昼寝していた。ぽかぽかと日に当たって。そのうち頭から植物が生えてきそうである。こいつはもうしょうがないなあ。
おっと思考がそれた。うんそうだよな。なんだかんだ仕事に追われてほとんどこのミッドオールから出てなかったし。確かに旅をする良い機会かもしれない。
「それに、この世界でディアさんの味がどこまで通用するか、ちょっと気になるじゃない? あとついでに『アセッド』の名を売るチャンスかと」
「なるほど。一石二鳥だね」
ただ、大陸の向こうに渡るとなれば、それなりの間はお店を空けることになる。依頼は帰ってからまとめてやれば良いとは思うが、受けるべき依頼を受け、受け切れない緊急の依頼は冒険者ギルドに回す人材が必要だ。適任と言えば……
「はいはい! 俺も行きたい! ユイの手料理食べたい!」
俺の隣でやけに張り切った声を上げたのは屑ニート、じゃなかった屑拾いのレンクスだ。いつの間に起きたのか。さすが動きが速い。
対するユイの声は、やれやれと呆れ気味だった。
「あんたいっつも食ってるでしょうが」
レンクスはちっちと指を振る。
「わかってねえな。みんなに美味い美味いと言われながら、俺はいっつも食ってんだぜとささやかな優越感に浸りながら、出かけ先で食らうとっておきのユイ飯! 格別だろうが!」
何が彼をそこまで力説させるのか。まあ外で食べるとなぜか余計おいしく感じるという一点だけは同意するけどね。
すると、ユイが必殺の猫撫で声を発した。何か頼む気だな。
「ねーえ、レンクス。このお店はとっても大事なの。私たちがいない間お留守番してくれたら、とっても助かるんだけどな」
「むう。しかし手料理が」
ダメ押しとばかりに、彼女は指を一本立てた。
「もしちゃんとお留守番してくれたら、一回だけよしよししてあげる」
「うっひょおおおおおおおおおおおおおおっ!」
拳を突き上げて天井に突き刺さる。我が生涯に一片の悔いなし。
またか。こいつの人生悔いなさ過ぎだろ。一々直すの面倒なんだよ? 直すのはユイだけどさ。ほら面倒臭そうな顔してる。
「やるぜ! この俺にばっちり任せてくれよな!」
天井が喋った。
ユイの汚物を見るような顔が映らなくて、君は幸せ者だな。いや、そんな顔すらも君にはご褒美か。何でもご褒美だったな。どうしようもないな。
嵌っていたので足から引っこ抜いてあげると、彼の顔は鼻血塗れですっかり出来上がっていた。一応気で回復してやる。
「嬉しいのはわかるけど、はしゃぎ過ぎるのも大概にしようね」
「へーい。ふへへ」
とりあえず「やる気のある」レンクスに任せておけば、受注体制もセキュリティも万全だろう。むしろユイの部屋が危ないような気がするが。
ユイの方を見ると、俺の考えを読んでいたのか、彼女はウインクした。そうだよな。君が対策してないわけがないよな。
「「いってきます」」
「おう。気を付けて楽しんで来いよ」
留守の間は任せろと腕組みするレンクスに別れを告げて、軽装に身を包んだ俺とユイは、『アセッド』を出発した。
ものの一分もしないうちに、後方からあいつの悲鳴がかすかに聞こえたような気がしたが、気にするほどのことでもない。ユイも全く気に留めていないし。
レジンバークの門を出た俺たちは、どこまでも続くエディン大橋の手前で、しばし立ち止まって交通の様子を観察していた。
橋の向こうから、車やバイクがばらばらとやってくる。理想粒子「メセクター粒子」を動力源としたものだ。比率で言うと、バイクの割合の方がずっと多いようだ。
車道はないが、俺たちから向かって右側より走ってくる。へえ。左側通行なのか。
ここだけ見ていると、なんだかレジンバークとはすっかり時代が違うみたいだ。
ミッドオールでは、このようなメセクター粒子を動力とした乗り物は一切動かなくなってしまうので、適当な場所で停めて町まで押してくるのが普通だ。よって、押しやすいサイズのバイクが乗り物としては主流である。たまにマナーの悪い奴(特に二度とフロンタイムには戻らないと夢を賭けて来る冒険者志望の人に多い)は乗り捨ててしまうので、脇には朽ち果てた車やバイクがたくさん放置してあった。
魔法料理コンテストが開催されるのは一週間後である。まだ先のようにも思えるが、移動やナーベイを見て回ることを考えると、あまりのんびりとはしていられない。
エディン大橋は驚くなかれ、長さ約6000kmとかというとんでもない長さの橋だ。二つの大陸を断絶する魔のガーム海域を一本で繋ぐ橋なのだから、当然の長さなのではあるが。信号などはないし、見晴らしは極めて良好で、なおかつ滅茶苦茶幅も広い。だから快適に飛ばせるのだが、時速120kmで飛ばしたとしても、渡り切るのに普通に行けば四日、休みなしで急いでも丸二日はかかるというところだった。
ちなみにワープクリスタルは使えない。ミッドオールとフロンタイムそれぞれの区域の中では問題なく使えるのだが、二つの区域を跨いで飛ぶことは出来ないようだ。そういう意味でも二つの区域は断絶されている。飛べないのは魔のガーム海域の影響とされているが、本当の原因は不明である。
そろそろ行くか。別にチート身体能力で走っていってもいいけど、この様子ならあれを使っても変に目立つことはないだろう。
俺は『心の世界』から、とある乗り物を取り出した。
「おっ。それで行くのね」
「たまにはドライブを楽しむのもありだろう」
取り出したるは、目の覚めるような青と渋い光を放つ白銀を基調とした、厳ついデザインの大きな二人乗りバイクだ。
その名もディース=クライツ。
エルンティアで活躍した報奨金の代わりとして、俺たち二人のために特別にデザインしてもらった世界最高峰のバイクである。ディースナトゥラで最も有名な自動車メーカー、クライツ社の名を冠する超一級ブランド品だ。
まず特徴として挙げられるのが、大きな車体を支える非摩耗性黒宝タイヤと、バックに備わった一際目に付く白銀の特製インパクトエンジンだ。電気で動くので、排気口はない。ボディにはリルナの手足に施されている金属コーディングと同じ素材、リルライトが惜しみなく使われている。これによって、銃撃や光線兵器にも容易に耐えられる極めてタフな車体が実現した。
ちなみに、元々彼女専用にルイスが開発した金属だからリルライトというのだが、この特殊合金の開発資料が彼の研究室から見つかったので、世間に提供したことによってにわかに広まったものだ。
リルナはというと、自分の名前を冠する金属が出回ってしまったわけで、物凄く恥ずかしがっていた。とても可愛かった。ごちそうさまでした。
さらにこれは俺たちの要望であるが、それぞれの異世界事情を考慮して(ということはリルナを除くみんなには何となく言うタイミングを逃してしまったので、あえて言わなかったが)、違和感のないように二つの走行モードを自由に選べるようになっている。車輪付きで陸路を走るドライブモードと、変形して車輪を収納し、空を飛ぶフライトモードだ。ボタン一つで簡単に切り替えることが出来る。
もちろん性能も非常に高い。高性能AIによる自動運転機能は当然のように搭載されており、雨や風から身を守るブロウシールドも完備。瞬間充電機構アミクション、それから静かに走りたいときと人工のエンジン音を楽しみたいとき、相反する要望に応えた静音式と旧来式の切り替え機能も搭載。そして、滅多に出すことはないだろうが、いざとなれば駆動リミッターを解除し、ドライブモードで最高時速950km、フライトモードでは衝撃波発生防止機構も備え、マッハ8という凄まじいスピードを誇る怪物マシンである。
全ては機能美のために。見た目のスマートさの一切を投げ捨てた潔いデザインに、製作者のセンスが光る。さすが一流メーカーだ。わかっている。
近未来科学の粋がここにある。ロマンがここにある。
こんなごっついのにお前みたいなのがちょこんと乗ってると全然似合わんとか、一同に爆笑されたが。
だってカッコいいじゃないか! わくわくするじゃないか! バイク好きの父さんもきっとこれ見たら興奮するよ!
ちょんちょんと、ユイに肩を叩かれた。振り向いたら、肩に指が置いてあってふにっと頬を突かれた。
「なにぽけーっと見つめてにやけてんの」
「いいだろ。別に」
「好きだよね。あなたも」
また優しく肩を叩かれて、彼女はさっさと後ろの座席に乗っかってしまった。俺も乗るか。
手動ドライブモードの駆動リミッター付き、旧来式でエンジン音を楽しみながらディース=クライツを走らせる。時速は300km程度を維持した。日本じゃ明らかに道路交通法違反だが、エディン大橋に速度制限はない。むしろこの世界だと足で走った方が速く走れそうな気もする。自分でも何を言っているのかよくわからないが。
あえてブロウシールドを展開せず、強く吹き付ける潮風を身体いっぱいに浴びた。
後ろでは、ユイがしっかり俺の背に抱き付いている。ユイはサラサラの黒髪を風になびかせて、青々とした海の眺めを楽しんでいた。エディン大橋には車線ラインやガードレールの類が一切なく、どこまでもシンプルな石の道路が伸びている。
「快適だね」
「ひたすら真っ直ぐってのは運転しやすくていいな。前方車両もほとんどいないし」
運転するのは久しぶりだが、実に快適なドライブだ。
久しぶりになってしまったのは、このバイクは電気が動力だから、ガソリンがないと動かないよりはマシとしても、電力供給施設かユイの雷魔法がないと動かせないんだよな。この世界には今のところ電力供給施設は見当たらないけれど、許容性は非常に高いのでユイの魔法が使える。名も無き世界やあの世界だと、使うほど充電するにはちょっと許容性が低かったからね。
やがて、魔の海域に突入すると、にわかに海が濁り始めた。ここは晴れているが、ずっと向こうの方では暗雲が立ち込めている。なぜこの橋だけが何ともないのか。不思議でならない。
海がひどく荒れ出したので、ユイは景色に興味を失い、顔までぴたりと俺の背中に預けた。
「ユウの背中、あったかいね」
「ユイもあったかいよ」
前方の風。後方のユイ。爽快感と温もりが合わさり最高に癒える。
しばらく無言でバイクを走らせ続けた。ユイは時折背中に顔や身体をすりすりするくらいで、大人しいものだった。
やがて沈み始めた夕日に、結構な時間走らせたことを悟る。
そう言えば。このバイクは速いから寄る必要もなかったけど、途中橋の上に建つ宿を見かけたな。何とも物珍しい光景だった。移動が何日にもなるので、こんなところでも営業が成り立つようだ。むしろ必須と言うべきか。
「どうする。ぼちぼち交代するか?」
「んー。もうちょっとこのままで」
ユイは甘えるように顔をくっつけてきた。
「わかった。気持ち良くても寝たらダメだよ」
「はーい」
日が沈んだ。町明かりも電灯もないので、ささやかな月の光だけが頼りだった。昼間は時々見られた他のバイクの姿ももうない。夜に走らせようなんて物好きは俺くらいなのかもしれない。もし誰かいたら迷惑になるかもしれないと静音式に切り替えて、俺とユイを乗せたバイクは星空の下、スピードを落としてゆっくり走り続ける。
「ユウ。上見てごらん。綺麗だよ」
「どれどれ」
前方にもしっかり気を配りつつ、少しだけ自動運転に切り替える。
空の方に目を向けた。
そこには、満天の星空が輝いていた。星屑を闇のキャンバスに散らして。手を伸ばせば掬えそうなほど、光の粒が溢れている。綺麗だった。
「なんだか……あの日の空を思い出すね」
「そうだね……」
ユイと一緒に、自然と湧き上がる感傷に浸った。
耳を澄ませると、橋に寄せては返す波の音ばかりが繰り返される。感じられるのは夜の冷たい空気と、ユイの温かみばかり。
……静かだな。何もない。こういうのも悪くないな。
「あ、流れ星!」
「え、マジで!?」
はっと我に返って見ると、一筋の光がっ! ああ! 早く何か言わないと!
「「良い旅が出来ますように良い旅が出来ますように良い旅が出来ますように!」」
気が付くと、それを叫び終わっていた。二人とも同時に。
目と目が合って。
「「……ぷっ」」
もうたまらなかった。
「「あははははは!」」
二人で腹を抱えて笑った。バイクから落ちないように姿勢を保つのが辛い。
「願いごとまでいっしょ!」「俺たち、どんだけ息ぴったりなんだよ!」
「良い旅が出来ますようにって!」「もうしてるじゃん!」
「「……あははははは!」」
なぜだか無性におかしくなって、とにかく笑い疲れるまで笑った。
ひとしきり笑った後、ユイが目の端に浮かんだ笑い涙を袖で拭いながら言った。
「楽しいねえ」
「うん。楽しい」
ああ。楽しい。
――みんな。俺、とても楽しんでるよ。
ユイは、しょうがないなと言いたげにこちらの瞳を覗き込んでいた。
「もう。すぐ寂しがるんだから」
「悪い。ほんと悪い癖だな」
「だよ。ちゃんと私がいるんだからね」
「そうだな。本当に、そうだ」
フェバルは孤独の流浪者だ。普通はそうなのだ。そうなってしまう。
でも、俺にはいつもユイがいる。
どんな時だって、君が隣に居てくれるから。
独りぼっちじゃない。寂しくてどうしようもないなんてことはなかった。
それがどれほど大きなことか。
こんな甘えん坊で寂しがり屋の俺が独りでいたら……きっとすぐダメになってしまうよ。
もしかしたら寂しさのあまり絶望拗らせて、危ない奴になってたかもしれない。そんなフェバル、何人か見てきたしな。
「ユイ」
「はい」
「ありがとうな。君がいるから楽しいんだ」
ユイはうん、と優しく頷いた。
「私もだよ。ありがとうね。あなたがいるから楽しいの」
「……ちょっと、恥ずかしいね」「はは。そうだね」
二人きりの夜空だから、こんなことを言ってしまうのだろうか。
「……で、どうする? もういい時間だし……そろそろ止まって寝る?」
「んー。もうちょっとこのままで!」
ユイは、にこにこしながら言った。幸せそうに。
「オーケー。しっかりつかまってろよ」
「はーい」
やれやれ。夜のドライブは、まだまだ続きそうだ。
22裏「おぱんちゅクエスト」
ユウとユイが何でも屋『アセッド』を出発してから、レンクスはすぐさま行動に移った。もちろん目的はアレである。
「ああ。待ってろよ。ユイのおぱんちゅ。頭から被りたいぜ……ぐへへ」
さぞかし良い匂いがするだろうなと、期待に鼻の穴を膨らませる。
あの二人は少なくとも一週間は帰って来ない。二人がいないのは死ぬほど寂しいが、しかし願ってもないチャンスでもある。
勇者という名の変態は、問題なく二階へ到達した。目的地は奥から三番目の部屋だ。慎重にドアノブに触れて回す。
しかし、ドアは開かなかった。
「ちっ。やはり鍵がかかってるか。ふっ。だがかつて仕事人レンクスと呼び恐れられた俺の前では、こんなもの無意味だぜ」
レンクスはぶつぶつ気色悪い独り言を言いながら、どこから取り出したのか、針金を器用に使って、いとも簡単に錠を開けてしまう。チートパワーでぶっ壊さないのは、後で部屋に入ったのがばれて怒られたくないからである。いや、怒られても嬉しいのであるが。どうせなら一枚くらいこっそりもらっておきたいじゃないか。
「よっしゃ! ユイの部屋に、ごたいめーん!」
バァン、と勢いよくドアを開け放つ。
瞬間、彼はこの上ない命の危機を感じた。
なぜなら、彼の目の前に飛び込んできたのは――
光の超上位魔法! 時をも貫く光の矢! ユイ最強魔法の一つ!
《アールリバイン》だ!
それもラナソールチート仕様! 贅沢に五本同時、正確に人体の急所を狙っている!
「うおぁっ!」
レンクスは情けない声を上げて、咄嗟に飛び退いた。腐ってもフェバル。戦闘経験は豊富なのである。あっちの経験はもしかするとユウよりないが。
その瞬間、光の矢は家の壁をいとも容易く刺し貫いて、天空の彼方へと飛び去っていった。
レンクスは、ひどい冷や汗を掻きながら、大きく肩で息をした。
「ふう。今のは危なかった……。あいつ、容赦ねえな。俺じゃなかったら死んでるぜ」
もちろんレンクスだからやったのである。そこのところは妙な信頼関係があった。
ちなみに彼の独り言が妙に多いのは、フェバルだとあまりに独りでいる時間が長いため、よくこうなってしまうのだ。
「さて。次は何が来る。慎重に行かないと、やばいぜ」
レンクスはキリッと真面目顔になった。その目的はあくまでパンツである。
だがここで下手に慎重になる彼の性格など、ユイにはお見通しだった。既に次の手は発動している。
音もなく。少しずつ歩を進める彼に、それは迫る。
そして――
こちょこちょ。
「あっはっはははは! しまっ! うはは! やめろ! これ弱いんだって! くっそ! ちっくしょう! わっははははははははははは!」
ユイのくすぐり魔法《ファルチックル》が炸裂した。レンクスはたまらず、笑い転げた。
いかん。このままでは、負ける!
「だあああっ!」
レンクスは自らのチート気力を、爆発的に高めた。魔法の解き方がわからないので、力づくで魔力を散らしにかかったのだ。
今ここに、天をも揺るがす世界最強の力が、最も下らない理由で解き放たれた。
さすがのくすぐり魔法も、これにはたまらず退散したのだった。
第二の魔の手を破ったレンクスは、しかし今のでかなり疲労してしまった。主に精神的にだ。
「ぜえ……ぜえ……。死ぬかと、思った。あいつ、やるじゃないか」
俺をここまで追い詰めるとは。
レンクスは、ユイの成長を我が娘のことのように喜んだ。むしろ恋人にしたい。娘で恋人、それも悪くないぜ。へっへっへ。
謎に結論付けたところで、今度こそマジになる。
「今度は何が来る。何が来るんだ……?」
すっかり疑心暗鬼になっていたが、さすがにもう何もないようだった。
そして、ついに――
「おお。おお……!」
レンクスは、感動していた。
彼は今、タンスの引き出しの前にいる。
短いが長い、長く苦しい闘いだった。この引き出しを開ければ、ようやく旅が終わる。目的のブツがある。頭に被れる。
さあ、新たなる世界よ! その姿を俺の前に晒すがいい!
オープン・ザ・ゲート! オープン・ザ・ユイズホー○!
「は……?」
レンクスは、あんぐりと口を開けた。
『はずれ』
とだけ可愛らしい字で書かれた紙が、一枚だけ入っていた。パンツどころか、靴下も、ストッキングも、ブラジャーも、服も一枚たりともない。
「なんだと……!?」
とりあえず『はずれ』の紙を愛おしく頬ずりして、しっかりポケットにしまった後、レンクスは血眼になって別の場所を探し始めた。
「ない! どこだ!? どこが当たりなんだあっ!?」
あからさまに整理された部屋には、置物の一つもない。ベッドには髪の毛一本も、彼女の残り香すらもなかった。とことんまで、綺麗に掃除されている。
神よ。こんなことがあっていいというのか!
「はっ!」
ベッドの下に潜り込んだとき、その手に何かが触れた。
「こいつだああああっ!」
レンクスはそれを勢い良く掴み取ろうとして――土壇場で思い直し、紳士が女性に触れるように、そっとつまんだ。
またしても、紙だった。何か書いてある。
レンクスは、目を皿のようにして読んだ。
そこには、こう書かれてあった。
「全て『心の世界』にしまっておきました。あんたの考えることなんて全部お見通しだから。残念。お留守番よろしく 追伸:ご飯はキッチンに作り置きしてあるから、ちゃんと計算して食べてね」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーー!」
レンクスの悲喜こもごもの悲鳴が、アホらしくこだました。




