6「ギルドの宿に二人でお泊り」
一番安い料金の部屋を取った。備え付けの木製ベッドは粗末なもので部屋は狭かったが、小さいながらトイレもバスも付いている。十分過ぎるクオリティだ。ただし、部屋の鍵は壊れていた。
「一緒の部屋で良かったのか」
「一緒じゃないと私寂しいよ」
それに節約するに越したことはないしね、とユイはにこっと微笑む。ずっとこんな調子でべったりだし、ブラコンの自称姉から離れるのは不可能だろう。俺も別に悪い気はしない。……言っとくけど、シスコンじゃないからね。
とりあえず汗でべたべたするので、シャワーを使うことにした。身体を流してさっぱりしたい。
「どっちが先に使う?」
「んー。ユウが先でいいよ。私はちょっと時間がかかるから」
ユイはどこか含みのある笑みを浮かべて答えた。まあそうだよな。髪の手入れをしたり毛の処理したり色々と。俺が女のときには自分でやってたことだ。
「じゃあお言葉に甘えて」
バスルームに入り、最近お気に入りの黒ジャケットを脱ぐ。
洗面台には鏡が付いていた。鏡には自分の上半身が映っている。フェバルとして覚醒したときと同じ16歳の、目立った傷の一つもない綺麗な身体だ。
全身が傷だらけになったり腕が切り落とされたりしても、こうして世界を跨げば元通り。改めてとんでもない特性だよな。
だが、全く16歳のままというわけではない。いくつもの異世界の旅を経て、肉体は過酷な旅や戦闘にも耐え得る強さを得た。身軽さを一切殺さない細身のままで、全身が理想的なバランスで鍛え上げられている。長旅にも耐えられるよう脂肪も程良く残しつつ、強靭さと柔軟さを合わせ持つ筋肉を、日々の修行で徹底的に練り上げたのだ。これ以上純粋に肉体を強化するのは難しいだろう。
通常の人間として到達し得る究極の強さを、種族限界級または許容性限界級という。地球で言えば、各種競技の世界記録保持者のような状態だ。人間という種族としての頭打ち。俺もユイも、おそらくそのレベルにはとっくに達している。エルンティアから先、さらなる修行を積んだが、素の実力の成長はほとんど感じられなかった。
こうなってしまうと、フェバルの能力を鍛え上げることでしかさらなる高みは目指せない。そのことをはっきり自覚してから、俺は自分に備わる天与の能力を積極的に使用し、鍛えることを躊躇わなくなった。俺の能力は、使用が過ぎれば自制を失ってどうなるかわからないという計り知れないリスクがあるが、それに見合うほど強力無比な効用をもたらす。
能力を活用し始めてから、まるで枷が外れたかのように俺の力は飛躍的に伸び始めた。今現在もその最中にある。時々、自分で自分の成長力を恐ろしく感じてしまうこともある。
このまま力を付けていけば、いつかは他のフェバルにも追いつけるのではないかと期待したい。ただ、中々そうもいかなかった。
俺の力は、心の状態に強く依存する一方で、どうやら各世界の許容性にも著しく依存してしまう。他のフェバルが最初から世界という枠に囚われない超越者であるのに対して、俺は同じフェバルであるはずにも関わらず、あくまで世界の定める枠組みの中でしか能力を発揮出来ない。
なぜかはよくわからない。レンクスは、俺とユイの身体はあくまで普通の人間のものに過ぎないからと推測していたが。だとしたら、なぜ俺たちは完全なフェバルになり切れていないのだろうか。
とにかく、地球なら地球の、この世界ならこの世界の法則に従い、常識的な範囲でしかまともに能力を使えないということだ。それ以上のポテンシャルを無理に開放すれば、能力は途端に自分に牙を向くことになる。
このおかげで、俺は行く先々の現地人が畏怖するほどの化け物じみた強さを持たずに「済んでいた」。世界を丸ごと弄ったりぶっ壊したりとかいう滅茶苦茶なことは、たとえやりたくても出来ない。一方で、そんな真似すらやり方次第で可能なチート級のフェバルには、当然全く敵わない。
俺が気ままな旅を出来るのも、人々と気兼ねなく触れ合えるのも、俺が弱いままだからだろう。それは嬉しく思う一方で、フェバルにどう足掻いても太刀打ち出来ない現状を、やはりもどかしくも思うのだった。
まだまだ強くならなければならないな。いざというとき、守りたいものを守れるように。
と、そろそろシャワーを浴びようか。
それにしてもこの身体、顔に似合わず結構ガチガチだよなあ。見た人にはちょくちょく驚かれたりするんだよね。でも、腕とか摘んでみると意外と柔らかかったりして。
何となく胸をぺたんぺたんと触ってみた。返ってくるのは胸筋の弾力ばかりだ。
ふと、酒場で目に留まったユイの胸が脳裏に浮かぶ。
……これが変身すると、あれに膨らむんだよな。
改めてそんなことを思うと、もやもやしてきた。首を振って、とりあえずジーンズに手をかけたところで、
「ユウ。背中流してあげよっか」
あれが入ってきた。
「うわあっ!」
思わずさっと身構えてしまった。ユイはそんな俺を見て、軽く吹き出している。
君も気配がないんだから、驚かせるなよ! ああ。まだ下脱いでなくて良かった。
「な、なんで堂々と入ってくるんだよ……」
「別にいいじゃん。私とあなたの仲でしょ?」
さすがに真っ裸ではないようだけど。わざわざ水着姿にまでなって。
俺と君ってそういう仲なのか? 強く疑問を呈したいのだが。
「いや、一回お姉ちゃんらしいことやってみたかったんだよね」
「だからってこんな歳でやらなくても」
「こんな歳までやりたくても出来なかった私に、それはひどいと思わない?」
うるうるした瞳で、なじられる。
そこを突かれると弱いというか。確かに今まで身体は一つだったからな。君が君のままで俺に何かをしてあげるというのは出来なかったよね。
「はあ……わかった。今日だけだよ」
「やった!」
するとユイは、寂しそうな表情などどこへやら。一転して、してやったりといたずらっ娘な笑みを見せたのだった。
「お前やっぱり楽しんでるだけだろ」
「別にー」
ユイはそっぽを向いて、舌を出して誤魔化した。
俺も全部は脱がずに、下だけは水着に変えて、一緒にシャワーへ入ることにした。
備え付けの石鹸はあったが、シャンプーの類いはなかったので、『心の世界』からボディソープを取り出した。リンスインシャンプーを取り出した。ストックは数年分はあるから、ちょっとくらい使っても全く困らない。
「ユウも大きくなったよね。昔は私とそっくり同じだったのに」
「いつの話をしてるのさ」
俺の姿ならいつも『心の世界』で見てるだろうに。
ユイはボディソープを泡立て、手で俺の全身に塗ったくっていく。すべすべでくすぐったい。
「こんなに逞しくなって。身体つきもすっかり変わっちゃったよね。私と」
「そうだね。すっかり男と女だ」
首に手を回して、そして頬に触れた。ユイはくすりと笑う。
「でも結局顔は可愛いままだったね」
「うるさい」
ユイが背伸びしようとしたので、俺は少し屈んだ。彼女が俺の髪をくしくしと泡立てる。優しい手の感触が心地良い。
シャワーを入れて、頭から全身を洗い流してくれた。さっぱりした。
「ありがとう」
「はい。今度はユウの番ね」
「え?」
ユイは狙い澄ましたような笑顔で、シャワーヘッドを手渡した。
「まさか、私だけにさせようっていうの?」
「いや、でもさ」
「ほら。スキンシップだよ。誰も見てないんだから大丈夫」
「……まあ、それもそうか」
まあ、相手は気心の知れたユイだし。気にするな。
あまり変なことは意識しないようにしながら、ボディソープを泡立てて塗り込めていく。俺の身体と違って、やっぱりユイの身体は柔らかいな。
「ユイも大きくなったよな」
ふと、彼女と同じ感想が漏れた。
「こことか?」
ユイは、ピンク色の水着ブラを寄せて上げた。俺はばっと目を背けた。
「うっ」
「ふふふ。このむっつりさん。自分の身体に欲情するなんていけない子だね」
「俺の性格全部知ってて遊ぶ君も、とんだ小悪魔だよ」
「ばれたか」
やっぱりわかって遊んでた! 彼女のいたずら好きは、実体化してますます本領を発揮されるようだ。
「えへへ。反応が可愛くてつい」
「ひどいなあ」
「ごめんね。いつもは無反応なあなたが、私を女の子として意識してくれるのが楽しかったの」
「そうだろうと思った。まあ、こっちの世界に出て来た影響だろうね」
彼女の髪も洗い、身体を流してあげた。つやつやの黒髪を嬉しそうに撫でた彼女は、さらっと言い放った。
「あ、毛の処理もよろしくね」
「はあ? 毛も?」
そこまでいったらもうプレイだよ。
「背中とか剃りにくいから。やってくれると助かるな」
ユイ。目が本気だ。
ああもう。こうなったらままだ。やけくそ気味に毛剃りを持つ。
彼女の肌に触れたとき、ぞわっと恐ろしい悪寒が走った。
うっ。今何かとてつもない寒気が。
脳裏に浮かんだのは、『彼女』が冷たく蔑むような目をこちらへ向ける姿だった。
俺は一気に青冷めた。毛剃りを取り落としてしまう。
「どうしたの?」
「こんなところリルナに見られたら、殺される……」
「大丈夫。私はノーカンだから。だって私はあなただもの」
落ちた毛剃りを拾って俺に手渡し、人懐っこく頬をすり寄せるユイ。
寒気が止まらない。
だからっていいのかそれは。なんか君はさっきからそれを免罪符にぐいぐい押して来てないか。
そう言えば、リルナと付き合ってたとき、やけに対抗してたような。あれは気のせいじゃなかったのか……。
さすが日頃使い慣れている身体だからか、手に取るようにわかってしまう。ここはちょっと濃いから念入りにとか、ここは肌が弱いから慎重にとか。作業は職人ばりにスムーズに進んだ。ご注文の背中も綺麗に剃り上げる。
最後は投げやりな感じで、毛剃りを返した。
「はい。あとはもう自分でやって」
「ありがと」
さすがにデリケートゾーンの処理は自分でやってくれ。死ぬ。色んな意味で。
一足先に上がった俺は、パジャマに着替えてぐったりと座っていた。
疲れた。本当に疲れた。ユイがこんなに積極的に絡んでくるとは。
ややあって、薄手の白いキャミソールに着替えたユイが上がってくる。表情はさっぱりとして晴れやかだった。髪もしっかり乾いている。
ユイはベッドに腰かけて、とんと膝の上を叩いた。
「魔法で乾かしてあげるよ」
「いいよ。ほっとけば乾くし」
「ダメだって。風邪ひくよ。恥ずかしがらないの」
強く促されたので、仕方なく俺は背中を預けた。
彼女の温風魔法がかかる。温かい。時折彼女の胸が当たる。柔らかい。
今日は本当に変な感じだ。一体化してるときよりも、ユイとの密着度が濃い気がする。生身の触れ合いってこうも違うのか。
髪が渇いた。それからしばらく話し合っていると、夜も更けてきた。
「「ふああ……」」
二人で見つめ合って軽く笑う。あくびのタイミングまで一緒か。
「そろそろ寝よっか」
「そうだね。じゃあ俺は床で」
立ち上がろうとした俺の袖を、ユイがぐいっと引っ張る。
「一緒に寝ようよ」
「……この狭いベッドに、二人で寝るって?」
「うん。私は平気だよ」
「……念のため聞くけど。まさかしようとか言い出さないよね?」
「大丈夫。そんな風には思ってないから」
ああよかった。ほっとする。いやなんでほっとしているんだ。当たり前じゃないか。
「ユウもくっついてた方が、好きでしょ?」
「そりゃまあ、そうだけどさ」
相手がユイだから、正直に言う。人肌の温かさがあった方が、安心してぐっすり寝られるんだよな。
こんなの恥ずかしいから、他の人には言えないんだけどさ。
「ふふ。小さいときから甘えん坊だもんね」
「そうだね」
ユイは寝転がって、脇を空けた。
「ほら。おいで」
姉ちゃんというより、まるで母さんみたいな、包み込むような微笑みだった。
まあ、何の計らいか、せっかくこうして二人で夜を過ごせるんだ。一緒に寝るのも悪くないか。
俺は眠い目をこすって、布団に滑り込む。
狭いベッドでは、ほとんど身体は密着してしまった。
最初はドキドキしたが、そのうち慣れてきて、段々温かくて心地良い気分になってきた。
うとうとしかけていると、脇にユイの手が触れた。
「こちょこちょ」
「あはは! やめっ! やめろって!」
たまらず突き放す。びっくりする俺に、ユイは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「これに弱いのは昔から変わってないね」
「何を。君だって同じだろう!」
仕返しとばかり、全力で脇をくすぐりにかかる。
「あはは! いやっ! やめてってば!」
ユイも突き放す。そこから先はくすぐり合戦だった。
なんだか二人して馬鹿みたいだが、童心に返ってふざけるのは本当に楽しかった。
何度か体位を変え、俺が下で、ユイが上になって戦っているときだった。
コンコン。ガチャン。ドアが開いた。
……あ。
シルヴィアだった。
彼女は下着姿で折り重なってもぞもぞしている俺とユイを目にして、引きつった笑いを浮かべた。
「……ごゆっくり」
ガチャン。ドアが閉まった。
「「…………」」
「死にたい……」
疲れていた俺は、今度こそがっくりと力尽きた。




