51「エルンティア独立戦争 1」
ルオンヒュミテの別荘に転移すると、そこには期待以上の光景があった。
「あ、ユウちゃん!」
「やっと来たか!」
「みんな!」
隊の最前列から、アスティとロレンツの声がかかる。対する私の声が弾んでいるのが自分でもわかった。
二人の横には、軍服を着た兵士たちがずらりと列を為して並んでいる。その後ろにも同じようにぞろぞろと列が続いていた。屈強な男が大半だが、中には気の強そうな女の兵士も混じっている。
ざっと見ただけでも、数百人じゃ下らなさそうな陣容だった。全体を見渡して、私は息を呑んだ。
「全体、整列!」
陣頭に立っていたラスラの号令で、隊列は一分の乱れもなく長方形に整った。
「敬礼!」
全員が一斉にザッと敬礼を私に向ける。私もつい改まってしまい、慌ててぴんと背筋を伸ばして敬礼を返した。そんな私を見たアスティとロレンツが、噴き出しそうになるのをどうにか堪えている。
敬礼を解いたところで、ラスラがちらりとこちらを振り向いて目配せした。
意図はすぐに察した。彼女の横には、正装をしたテオが立っていたのだ。近付くと、彼はやや声を潜めて話しかけてきた。
「申し訳ない。急だったので、千五百人ほどしか用意出来なかった」
「いや。まさかこの時間でこんなに集めてくれるとは思わなかったよ」
「君が何か思い付きで決断すると、何か重大なことが起こるというのが何となくわかってきたからね」
彼は呆れたように微笑んだ。
この行動の迅速さは、最初から私に相当の期待を賭けていたのでなければ到底実現出来ないものだった。そこまで私のことを信頼してくれていたというのは、ありがたいことだった。
「これまで何があったのだ」
ラスラが険しい顔を浮かべて寄ってきた。もちろんすぐに話すつもりだったけど、苦楽を共にしたアスティとロレンツを仲間外れにはしたくないので、ちょいちょいと手で招き寄せる。二人ともけろっとした表情で近付いてくる。
時間がないので、四人に事情を簡潔にまとめて話した。ついに明らかになった世界の真実に、さすがに四人とも大きなショックを隠し切れない様子だった。自分たちも元々は造られた存在だったと知れば、当然の反応だろう。しかし四人は、大勢の前で決して取り乱すことはなかった。自分たちの意気が全体に与える影響の大きさをよく知っているからだ。
話を聞き終わり、テオは暗い顔で言ってきた。
「そうだったのか……。実はね。ここルオンヒュミテにも、同時に数多のプレリオンが襲来しようとしているという情報が入ってきているんだ」
やっぱりこちらにも同時に刺客を差し向けてきたか。どうやら敵は、一思いに全滅させる気でいるらしい。こんなときに一人で二役をこなせればどんなにいいか。こちらにも残って剣を振るいたいとは思うけど、仕方がない。
「だから、兵力の大部分は残しておかなくてはならなくなった。こちらの指揮はぼくが執るつもりだ」
彼の目が、強く訴えかけている。
言われるまでもなく、私が何をすべきかは明白だった。バラギオンとかいうのだけは、必ず私やリルナのような兵器レベルの人物か、文字通りの大型兵器が中心になって相手をしなくてはならない。プレリオンは私たち以外でもどうにか相手が出来そうだけど、それよりも遥かに強大であろうバラギオンは、みんなで相手に出来るとは限らない。そしてすべきだとも思わない。
一個の圧倒的強者に対して単純な数の論理で押し通そうとすれば、待っているのは壊滅的な被害だ。
戦力には使い所がある。それを見誤ってはいけない。
私が前の異世界イスキラの戦争で、痛みと一緒に学んだことの一つだ。開けた荒野では歩兵をいくら集めても魔導戦車には決して勝てないが、市街地では有用性が逆転する。
ここはテオに任せるしかない。私はディースナトゥラでバラギオンの襲来に備える。それが打てる限りの最善。
「……わかった。よろしく頼むね」
「ああ」
そこで、ラスラが言った。
「数は少ないが、ここにいる皆は選りすぐりの精鋭だ。貴様のように一対一ではきつかろうが、複数で連携して戦えばプレリオンにも決して遅れを取るまい」
「もちろんあたしもばっちり力になっちゃいますからね! 主に後ろからばーん、と」
アスティが、ライフルを構えて撃つポーズを得意気にエアでやった。さすが本職だけあって、そこに本物の銃が見えるようだった。
そんな彼女を見て、ロレンツはやれやれと肩をすくめた。不敵な笑みを浮かべて。
「おいおい。俺のことも忘れてもらっちゃあ困るぜ。なんたって、俺にゃあ幸運の女神が付いてるからな」
「うん。期待してる。アスティ、何だかノリノリだね」
いつもマイペースな調子で場を和らげてくれる彼女だが、今回はこれまでにも勝る絶望的な戦いだと言うのに、やけに嬉しそうにしている。彼女はもちろんとばかりに、にこっと笑いかけてきた。
「だってね。嬉しいの。引き金を引くことに、やっと本当に前向きな意味が持てるから」
それはきっとみんな同じ気持ちなのだろう。全員でこくんと頷き合わせて、話を打ち切った。時間は限られている。
テオが前に進み出て、決起演説を始めた。彼はいつもの穏やかな物腰からは、人が変わったように毅然とした態度で話を進めていく。彼は、王として果たすべき役割を十全に果たしていた。
世界の真実をなるべくショックの少ないように上手いこと織り交ぜて語っていく。既に大半のナトゥラは操られているだけだったという情報は周知されていたため、さらなる真実には動揺こそ巻き起こったが、反発は起こらなかった。
最後の方、彼はボルテージを上げていき、声には燃え滾るような情熱がこもっていた。本心をそのまま押し出したような熱弁が、心に真っ直ぐ響いてくる。
「繰り返す。これより始まるは、ナトゥラによるヒュミテの殺戮でも、ヒュミテによるナトゥラへの報復でもない。ヒュミテとナトゥラ、本来同じ運命を分かつ共同体の全生存を賭けた決戦である。この戦いに勝利を収めずして、我々に未来はあり得ない。確かに情勢はかなり厳しいと言えよう。だが、これまで潰し合ってきた両者が、歴史上初めて手を取り合うのだ。希望はある」
彼は一段と声を張り上げて、締めくくった。
「真の敵に思い知らせてやれ。この戦いは、破滅への無駄な足掻きではないのだと! この戦いは、輝ける未来への第一歩である! 必ず勝て。勝って生き残れ! 以上だ」
一同から、割れんばかりの轟声が湧き起こる。相当に士気が上がっているようだった。
このカリスマが、本来はナトゥラと最期まで殺し合わせるために発揮されていたのだと思うと、ぞっとするような気分だった。そうならなくて本当に良かった。
「ディースナトゥラへ転移します! 三百人ずつ手を繋いで五つのグループを作って下さい! 移動後は決して無闇に動いたり音を立てたりしないようにして下さい!」
みんなに聞こえるように声を張り上げる。
人数があまりに多いので、一度に運ぶと転移が上手くいかない可能性が高かった。そこで、均等に五つグループを分けて往復で運ぶことにした。さらに敵に見つけられにくいように、認識阻害の光魔法《アールメリン》を一斉にかけてやる。
その分魔力の消費もかなり上がるけど、やむを得ない措置だね。
一グループ目の先頭は、アスティだった。そのすぐ後ろにはロレンツがいる。
「えへへ。よろしくね。ユウちゃん」
「うん。飛ぶよ」
地面を失ったような浮遊感と同時に、ディースナトゥラの大通りへの転移を果たした。ちょうどリルナとさっきまで一緒にいた所のすぐ近くだ。
「わーお」
アスティが小声で感嘆を漏らしつつ、目をぱちくりしている。彼女の隣で、ロレンツが軽く悪態を吐いた。
「こんな真似が出来るなら、最初からやれば良かったんじゃねえの?」
「ごめん。つい最近まで全く使えない状態だったの」
「まあそりゃそうだよな。悪かった」
幸いにして、認識阻害のおかげで敵には気付かれていないようだった。一方で、近くの物陰に隠れていたリルナは、こちらの様子にしっかり気付いて手招きしてきた。
私は彼女の所まで歩いて行き、軽く説明を添えつつ彼女にも《アールメリン》をかけてあげた。
「随分多いな。驚いたぞ」
「このくらいで驚いてるようじゃ。まだまだ来るよ」
言いながら、二回目の転移魔法を使った。
やっと全員を転移させ終わったところで、休む間もなく周囲一帯に魔法をかけた。
声よ。風に乗り望む者にだけ届け。
《ファルカウン》
この魔法には、イスキラでの戦争経験からサークリスのオリジナルより改良を加えてある。声を遠くに届かせるだけでなく、届かせたくない場所には届かないようにもした。これで敵に声で気付かれる心配が減る。と言っても、これだけの人数だ。そう長い時間誤魔化せるものでもないけど。
いつの間にか隣に来ていたリルナに告げた。
「魔法で一時的に声が無闇に広がらないようにした。みんなに作戦を告げるなら今しかないからね」
「それは助かるな」
そのとき、彼女のさらに隣にいるべき人物がいないことに気付いた。
「そう言えば、プラトーは?」
「あいつはここを離れた。どうしてもやるべきことがあるらしい」
「やることね」
あの様子なら、もう敵対するってことはなさそうだけど。何をする気かは知らないけど、たぶん信用しても良いだろう。まあいざとなればまた見失わないようにと、ちょっとした保険もかけてあるし。
実は地下から脱出する際に手を繋いだときに、こっそり「俺」の気を纏わせておいてあったのだった。ナトゥラは物質的には機械だから、物に気を纏わせるのは容易に出来る。
ディースナトゥラの付近はヒュミテが極端に少ないから、あまり気が強くなくても感知しやすい。位置を見失うことはおそらくないだろう。
そのとき、懐の通信機が鳴った。すぐに取り出して出る。
「もしもし。こちらユウ」
『もしもーし。さて、オイラは誰でしょう?』
からっとした少年の声。自分のことをオイラと呼ぶ知り合いは、この世界では一人しかいなかった。
「リュート! 生きてたんだね!」
『正解。久しぶりだな~ユウ。元気にしてた?』
「うん。まあね」
『オイラのところはねえ、まあ本当に大変だったんだよ。まずはね――あっ!』
そこで、「なに呑気に話してるの?」と怒る少女の声が受信機の奥から聞こえた。そこで軽く一悶着あって、その少女に通信が代わった。
『代わりました。レミです』
「あはは。ユウです」
『地上にあなたの反応がいきなり現れたので驚きました。どうせまた何かやらかしたのでしょう?』
かなりきつめの声だったので、つい気圧されてしまった。
「あー……うん。やらかしたね」
世界の真実を暴いてしまったりとか。というか、私ってそんなにやらかすタイプに見えるかな。母さんじゃあるまいし。少し心外なんだけど。
「やっぱり。そんなことだろうと思って、こちらでもすぐに動きました。そしたら、いきなり一部のナトゥラが止まるわ、プレリオンは大量に攻め込んでくるわ。もう大騒ぎですよ』
「止まったのは一部? 全部じゃないの?」
『地上はほぼ全てと聞いておりますが、地下は一部でした。おそらくCPDが正常かどうかが境目でしょうね。チルオンには付いてませんから、私たちはみんな無事でしたよ』
「それは良かった」
『不幸中の幸いですね。では、そろそろクディンに代わります』
間もなく、落ち着いた少年の声が聞こえてきた。
『僕だ。クディンだ』
「こちらユウ。無事で何よりだよ」
『そちらこそな。大体の状況については、既にテオから聞かせてもらっている。地上には助っ人を遣わしておいた。そのうち合流出来るだろう』
「ありがとう。助かるよ」
『へへん。オイラも結構頑張ったんだぜ!』
通信口の向こうから、リュートの得意気な声が小さく聞こえてきた。とほぼ同時に、レミが彼をどつく音もかすかに聞こえた。クディンが溜め息を吐くのは、もう少しはっきり聞こえた。
『……まあとにかく、我々地下勢力もこの戦いには全面的に協力させてもらう』
「よろしく頼むね」
『うむ。……いよいよ始まったんだな。運命を決する戦いが』
彼の声には、しみじみとした重みがあった。状況は苦しいまま何も良くなっていないのだが、ヒュミテもナトゥラが力を合わせて戦える日がやっと来たことは心から嬉しく思っている。そんな印象を受けた。
「通信はどうする?」
『このまま繋いでおいてくれ』
「じゃあリルナに回すよ。彼女がこれからの作戦を指揮してくれるから」
『ああ。頼む』
通信機を耳から遠ざけて、リルナに手渡した。
「はいリルナ。ちょうど地下の顔役に繋がってるから、これをかけたままみんなに指示を出してあげて」
「了解した。だが、その前に――」
リルナは、仁王立ちの恰好でヒュミテ軍を待機させている彼女に声をかけた。
「ラスラ・エイトホーク!」
呼ばれた彼女は、リルナが柔らかく差し出した手を見て、すぐに意図を察したようだった。
二人は、全員に対してはっきりと目立つ位置まで移動し、そして――
がっちりと握手を交わした。今度はプライベートでギリギリと力を込めてかわしたものとは違う。公的に重大な意義をもった握手だった。
リルナは、高らかに宣言する。誰にとっても誤解のないように。
「今ここに、ナトゥラとヒュミテは停戦し、共闘することを誓う!」
そして二人は横並びになって、繋いだ手を天高く頭上に掲げたのだった。
リルナとラスラ。ナトゥラとヒュミテ両軍の象徴的人物が公然と握手を交わしたことは、両者の和解を強く印象付けた。新しい時代の到来を予感させるものとして、みんなの心に刻まれたことだろう。
その新しい時代を本当に始められるどうかは、これからの戦いにかかっている。
時刻は午後二時を回るところだった。濁った雲に包まれた恒星が、空を気怠く曇らせる中。
エストティア星間戦争以来最大規模の死闘が、幕を開けようとしていた。