41「ヒュミテの首都 ルオンヒュミテ」
ルオンヒュミテは、ティア大陸北端の港町ポーサから、内陸に約50キロの地点に位置する。
そこまで車で移動する間、俺はヒュミテの窮状をまざまざと見せつけられる形となった。
飢えと病に苦しむ者たちが、明らかに目に付くほど多かった。ギースナトゥラにも貧困に喘ぐ者がそれなりにいないわけではなかったが、あちらはまだ生活は成り立っている印象だったし、活気もあった。
こちらの方は、完全に賑わいというものが消え失せてしまっている。今日を生きるだけで精一杯という感じなのだ。
中には、すっかり髪が抜け落ちてしまっている者もいた。核被曝症だろうか。あまりに凄惨な現状を見るにつけ、心が痛んだ。
出来れば少しでも助けてあげたいところだが、俺のすべき仕事は、一人一人の窮状に手を差し伸べることではない。それをしても、自ずと助けられる人数には限界がある。原因そのものを何とかしなければ、新たな犠牲者が増えるだけで何も変わらない。心苦しいけれど、俺はあえて彼らには目を瞑ることにした。
やがて、ルオンヒュミテが見えた。ディースナトゥラほどのいかにもな未来っぽさは感じさせないが、こちらも中々の近未来都市と言った様相だった。
あちこちに高層ビルが立ち並び、一見して非常に高度な工業化をされているのが見て取れる。どちらかというと地球の人間のセンスに近い都市デザインなのか、白銀一色ばかりで気が滅入るということはなかった。代わりに、さほど東京辺りの街並みとも違いがなかったので、あまり新鮮味がないと言えばなかったけれど。よく見れば違いはいくらでもあるはずなのだが、初っ端に一番のカルチャーショックを受けてしまうと、それをずっと下回るインパクトではそんなに心が動かなくなってしまうものらしい。
車は滞りなく進み、中へと入っていく。特にこれと言った関所などはなく、素通りだった。
空を飛ぶ車はたくさん走っていたが、どうやらトライヴゲートはないようだった。代わりに、かつてエデルで見たような宙に浮かぶ透明なチューブの中を、同じく宙に浮かぶ列車が走っているのが見えた。トライヴというのは、あちらだけの技術らしい。
ここまでの移動中に眺めてきた惨状とは違って、この首都まではそこまで酷い状態にはなっていない様子だった。道行く人々からも、ある程度の活気が感じられる。
じきに、王宮殿へと辿り着いた。
意外にも――いや、彼の性格からすると全くそうでもないのだが――建物は一切何の飾り付けもない質素なものだった。真っ白な外観をした、単に大きいだけの家にしか見えない。むしろ、ここまで見てきた建物の中にも、これより立派なものはいくらでもあるように思えた。
「王と言っても、贅沢をするような余裕はないからね。特別な建物に住んでいるわけではないんだ。ただし、政務を行う上での機能面では一切の妥協はしていないけどね」
そう言って、テオは懐かしそうな目で我が城を眺めていた。
すると間もなく、立派なあごひげを蓄えた強面な男性が慌てた様子で飛び出してきた。年はかなりいっているように見える。
彼は、泣きそうな顔で俺たちの前に歩み出ると、テオの目の前で片膝を付き、恭しく頭を下げた。テオは、ぽんと彼の方に手を置いて労いの言葉をかける。
「バヌーダ。ぼくがいない間、よくぞヒュミテをもたせてくれた。心から礼を言う」
「いいえ。滅相もございません。テオ様が、生きて帰ってきて下さるなんて! ああ、こんなに嬉しい日はございません!」
「ありがとう。本当にご苦労だった。世話をかけたね。少しは休ませてやりたいところだが――悪いな。これからが忙しくなるぞ。皆に、直ちにぼくの帰還を知らせてくれ」
「ははっ! かしこまりました!」
テオ帰還の報は、瞬く間にルオンヒュミテ中を駆け巡った。首都を中心に大いに活気付き、正式なものと非正式なものを問わず、連日の祝いが催された。
ラスラ、アスティ、ロレンツの三人は、テオより直々に一等勲章を授与された。惜しむらくも亡くなったウィリアム、ネルソン、デビッド、マイナの四人については、首都を挙げての葬儀が執り行われ、やはり一等勲章が追贈されることになった。
俺も大々的に表彰して何か褒美をという話になったが、どこの馬の骨とも知れない自分が表舞台で称えられても周りが困惑するだけだろうと思って、あえて辞退した。「誰かの協力を得なければ不可能だった」と思われるよりも、ルナトープ自身の力で救い出したという方が、みんなに与える希望は大きいはずだ。
リルナは、ヒュミテの間では史上最悪のナトゥラで通っているので、決して表には出さずに、秘密裏に客人として取り扱われることになった。
さて、ルオンヒュミテに滞在中は、ラスラ、アスティ、ロレンツはそれぞれ自分の居場所へと帰って行った。ずっと長いこと戦ってきたんだ。彼らも会いたい人はいるだろうし、少しは羽も伸ばしたいだろう。
テオは、帰ってきてからはずっと政務で忙しそうにしている。
俺とリルナには、テオの別荘が宛がわれることになった。たくさん部屋があるのに、リルナとは同じ部屋にされたけど、これは一応彼女を見張っていてくれということなのだろうか。
リルナは、移動中も含めて、今までずっとどこか落ち着かないような感じだった。周りに対しては常に「ナトゥラ兵器」さながらの毅然とした振舞いをしているが、時折少し不安げな顔で俺に視線を投げかけているのに気付くのに、さほど時間はかからなかった。
それでいざ俺が目を向けると、彼女は何でもないような振りをしてそっぽを向いてしまう。そんなことの繰り返しだった。
別荘では、いざ俺だけになって少しは気が緩んだのか、窓の外の自然に穏やかな目を向けながら、やっと俺に話しかけてくれた。
「どうも敵地というのは、落ち着かないな。ユウも、こんな気分だったのか」
「初めて来る場所というのは、どこも落ち着かないものだよ。そのうち慣れるさ」
「そういうものか。こうしてこんなところまで来ることになるとは、思わなかったからな。不思議な気分なんだ」
「俺もこうしてリルナと普通に話せているのが、ちょっと不思議な気分だよ」
「ふふ。確かにな。……どうだ。わたしと実際に話してみて。よほど話したがっていたじゃないか」
「嬉しいかな。リルナも、俺とそんなに変わらないんだってよくわかったから」
するとなぜか、リルナはやや狼狽えたようだった。
「ふん。そうか。一応言っておくがな、あくまで一時的な協力関係だ。わたしは、お前たちに気を許したつもりまではないのだからな」
「それで構わないよ。まずはお互い、万全な調子に戻すことからだ」
「ああ。望むところだ」
それから、リルナは手厚く修理を受け、俺は機械式の義手を取り付ける手術を受けることになった。リルナはダメージが大きかったし、俺の方は義手と神経を繋げる必要があるので、それなりの大修理と大手術になった。
麻酔をしてたから寝てる間は平気だったけど、意識を取り戻してしばらくしてからは、鈍い痛みが中々取れなくて困ったよ。
海の向こうから聞こえてくるエルン大陸のニュースは、何やら不穏なものばかりだ。地下で大粛清が始まったとか。ヒュミテの残党狩りが過激化したとか。アウサーチルオンのみんなは、無事だろうか。
そして一番の事件は、ディーレバッツに代わる新たな特務隊の誕生だった。何でも、全てがプレリオンとか言う特殊機体からなるらしい。発足式典の映像には、あのプラトーの姿もあった。
取り付けた義手もやっと馴染んできた俺は、いよいよ明日辺りにティア大陸の調査に向かうつもりでいた。あまり大人数で行っても仕方ないし、ラスラたちはしばらくゆっくり休ませてあげたいから、俺だけで発つ予定だった。俺は次の世界に行けば治るからいいけど、ラスラたちに被曝させたくないという気持ちもあった。
唯一ナトゥラであるリルナがいれば心強かったけど、完全な修理にはまだもう少し時間がかかるらしい。何でも、一部のパーツに見たこともないような技術が使われていて、その修理に時間がかかっているとかで。
と、そんなことを、外で気剣の訓練をしながら考えていたときのことだった。
「ほらよ。落し物だぜ」
背後から、随分聞き慣れた男の声がして――
放り投げられてきたものを振り返らずに義手でぱしっと受け取ると、世界計だった。
俺は、小さく溜め息を吐いた。
「タイミングが良いのか悪いのか。もう少し早く来てくれれば、とても助かったのに」
「まあそう言うなって。俺だって毎度苦労してんだ」
振り向いて、俺は彼の名を呼んだ。
「わかってる。よく来てくれたよ。レンクス」
金髪の青年。昔は保護者のような存在で、今は親友の一人。レンクス・スタンフィールドは、いつもながらの陽気な笑顔をこちらに向けていた。
「これ、取って来るの大変だったんじゃないか?」
掌に収まった銀時計にちらりと目を向けて聞いてみると、レンクスは、待ってましたとばかりに鼻息を荒くして、調子良く答えた。
「そう! そうなんだよ! あいつら、俺に何の恨みがあるのか知らないけどよ。ヒュミテだのなんだの抜かして、死ぬ物狂いで追い回して来やがってさ。いやあ、まいったまいった」
「それで。結局どうしたんだ」
「もちろん適当にあしらって、ノリと気合いで逃げたぜ。変に能力使うと目立つから、車とかかっぱらってよ。中々楽しかったな」
あっけらかんとした回答に、感心を通り越して俺は呆れてしまった。
さすがチート能力者。俺には出来ないことを平然とやってのける。もう笑うしかない。
「あれがノリと気合いで何とかなるのは、レンクスくらいのものだと思うよ。こっちは命懸けだったのに」
「まあ実力と年季が違うからな。お前もそのうち強くなるって」
「そんなもんかな」
「そんなもんさ。今はあまり気にしないことだ」
軽い調子でそう言った彼は、何かを懐かしむように目を細めた。
「しかし、何の因果かねえ。まさかお前まで、エストティアに流されて来るなんてよ」
その口ぶりだと、まるで――
まさかと思って、俺は尋ねてみた。
「もしかして、レンクスもこの世界に来たことがあるのか?」
「ああ。まあ昔、ちょっとした事件があってな。そのときは――」
まさか、レンクスがこの星に来たことがあるとは思わなかった。だったら、本当の歴史についても知っているかもしれない。思わぬところから糸口が見えたことに、否応なしに期待が高まっていた。
でも、あれ? 少し変だな。
「って、ちょっと待ってくれ。エストティア? この星は、エルンティアって言うんだけど」
すると、レンクスの方もはてと首を傾げた。
「あれ。いつの間にか微妙に名前変わっちまったのか? そういや、随分時間も経ってるみたいだからなあ。昔は、もっと綺麗な星のはずだったんだが……」
ここまで来るのに惨状を目にしてきたのだろう。彼は、どこか残念そうな顔をしていた。
その顔を視界に入れながらも、俺はすっかり別のことに気を囚われていた。
エストティア。その名前には、妙に心当たりがあった。
どこかで。
昔どこかで、聞いたことがあるような――
心の世界で記憶を探ってみたとき、間もなくそれが何であるのかを唐突に理解した。
そうか。そうだった――! なんてことだ! どうして今まで気付けなかったんだ!
「エストティア! ここは、エストティアなのか!?」
「俺の記憶違いじゃなければ、そのはずなんだけどな。って、どうしたんだよ。いきなりそんな剣幕になって。確かにすごい偶然には違いないけどよ」
「これが落ち着いていられるかよ!」
エストティア。
――かつて母さんの、旅した世界の名前だ。