A-9「暗雲立ち込めるエルン大陸 3」
いつでも攻撃を避けられるように周囲を警戒しながら、落下していく最中、リルナは自動操縦で例のオープンカーを呼び寄せた。やって来た車は、数々の酷使により、表面は既に廃車と見紛うほどに傷だらけであるが、性能面にまだ陰りは見られない。
乗り込んで走り始めたところで、すぐにけたたましい警報が鳴り始めた。街の緊急レベルが一気に最大にまで跳ね上がる。
「まさか、自分が追われる日が来ようとな……」
ハンドルを握る彼女は、物悲しげな表情で独りごちた。
上空で狙い撃ちにされないように、高度を下げて建物を隠れ蓑にしつつ中央区を外側に向かって進んでいく。当然ながら、とっくの前に復旧を遂げたセキュリティシステムによって、各トライヴゲート及び地下への入り口は閉鎖されていることだろう。追う時は心強かったものだが、いざ追われる立場になってみると、厄介なことこの上なかった。
唯一の救いと言えば、ザックレイがいないことで、包囲網の指揮レベルが相当に下がっていることだった。おかげで、なんとかここまで車を撃ち落されることなく逃げられていた。
そうだ。ザックレイは、もういないのだ。生きていれば、敵に回っていたかもしれないが……彼が死んでしまったことが、皮肉にもこうして自分を逃げ長らえさせることになるとはな……。
そして、トラニティも……。彼女がいれば、長距離転移が使えた。こんなところから逃げることなど、造作もなかったに違いない。
二人のことがまた思い起こされて、リルナは胸が締め付けられるような思いだった。
飛び交う銃弾や砲弾を上手く避けつつ、彼女は外周ゲートを目的地としてひたすら車を飛ばす。かなり分の悪い賭けだが、一か八かそこから出ようと試みるしかない状況だった。
ついに外周の壁まであと一歩に迫ろうとしていたところで、《ファノン》の集中配備地帯に差し掛かった。警戒体勢のディースナトゥラを地上から脱出することなど、無謀だと言われるほど困難にしている理由の一つだった。
おびただしい数の砲口が、射程内に入ったリルナの車に対して一斉にロックオンされる。
直後、前方のあらゆる角度から、凄まじい集中砲撃が放たれた。目を見張るほど大量の赤いビームは、束となってリルナの車に収束していき――ついに彼女の愛車を、一瞬にして跡形もなく蒸発させてしまった。
もちろん、その程度で黙ってやられるリルナではない。ビームがぶつかる寸前のところで、彼女は《パストライヴ》で一足早く地上に降り立っていた。
息つく間もなく、彼女はゲートを目指して裏路地を駆け出した。だがその走りは、加速装置《スラプター》が壊れているために、いつもの如く滑るような加速を生じることはなかった。数で攻めれば、容易に包囲出来る程度にまで落ちてしまっていた。
とうとう、リルナの周りをディークランの隊員たちが取り囲んでいた。野次馬気分で見学する一般のナトゥラたちも、次第に彼らの奥に加わって輪を為していく。
「反逆者だ!」
「殺せ!」
「あんたを信じていたのに!」
「死ね! リルナ!」
民衆を中心に、殺せ、死ねの大合唱が巻き起こる。それが本心のものからではないことを頭ではわかっていても、リルナの心は辛かった。たまらず、苦虫を噛み潰したような顔で目を伏せる。
「総員! 撃て! 撃ち殺せ!」
顔見知りの号令を合図に、銃声が乱れ飛ぶ。
彼女は、キッと顔を上げた。澄んだ青の瞳で、正面をしかと睨み付けて。
ここで死んでしまっては、誰が仲間の無念を晴らすというのだ。この者たちを元に戻すというのだ。ユウたちだけに任せろと言うのか。
それだけは、無責任というものだ! わたしは、死ぬわけにはいかない!
リルナは、かつての仲間に立ち向かう覚悟を決めた。頭を狙う銃弾に注意を払いながら、刃も抜かずにディークランの隊列へ突っ込んでいく。
《ディートレス》が使えない状態であるとは言え、特殊製である彼女の手足と装甲は非常に頑丈なものだった。頭さえやられなければ、多少のダメージはあっても決して致命傷にはならない。だが銃弾がその身を弾くたび、何よりも心が痛かった。
隊列の目の前まで迫ったところで、初めて《パストライヴ》を使用する。出来るだけ飛距離を稼ぐために。プラトーの攻撃のせいでバスタートライヴモードも使えなくなっていたため、間を置かず連続でのワープが出来なかった。それゆえのやむを得ない判断だった。
だが、そこまでしても焼け石に水だった。リルナはまた、あっという間に怒れる民衆と警察に周囲を埋め尽くされてしまう。
「寄るな!」
ついに、わっと押し寄せた暴徒による数の暴力で、その身を捕えられてしまった。腕を掴まれ、足にしがみつかれ。こうなればもう、《パストライヴ》を使っても意味がない。使用時に触れている者も一緒に飛ばしてしまうため、ほとんど何も状況が変わらないからだ。
すると、一体どこから持ってきたのか、民衆がスレイスを抜き出した。
リルナの目が、はっと見開かれる。
ほぼ同時に斬りかかってくる何人ものナトゥラたち。彼らの姿を認めたとき、彼女はもう決断せざるを得なかった。
「《インクリア》。戦闘モードに移行」
彼女の手甲から、すらりと抜き身の光刃が飛び出す。自分の口から発される定型メッセージが、嫌に冷酷な響きで耳にこびりついた。
「やめてくれ! 頼む……! かかって来るな!」
いくら彼女でも、バリアなしではあまりに多勢に無勢だった。
ユウが初めてこの世界に来たときも、同じように多勢が相手ではあったが、彼は上手く立ち回っていた。しかしそのときはまだ、ナトゥラの方も正常な状態であった。人数も攻撃の仕方も、そこまで苛烈ではなかった。
今はまるで状況が違う。緊急レベルは、最大限までに引き上げられている。ナトゥラは皆もはや、ほとんど自分の意志を持たないようだった。彼らはすべからく、己の命を投げ捨てるほどの勢いでたった一人の女性、リルナに向けて容赦なく襲いかかってくるのだ。
やらなければ、こちらがやられる。
機械の心が悲鳴を上げても、リルナはもう振り切ろうとする腕を止めるわけにはいかなかった。
とうとう、初めての犠牲者が現れる。
手首から先を取り落としたナトゥラの男性が、情けない悲鳴を上げた。
一気に周囲がどよめく。
「おい! この女、ナトゥラを攻撃したぞ!」
「やっぱりか! 裏切り者め!」
「殺せ! 絶対にだ!」
「決して許すな!」
リルナは、ますます苛烈な勢いをもって襲い掛かる民衆と警察の群れを掻き分けながら、刃を振るい続けなければならなかった。一瞬でも気を抜けば、その瞬間、斬り裂かれるのは我が身なのだから。
「離れろ! お願いだ……離れてくれ! わたしは、攻撃したくない!」
暴虐の徒と化した民衆は一切怯むことなく、次から次へと攻撃を仕掛けてくる。前に進むことなど到底敵わず、仕方なしにもう何人斬ってしまったかすらもわからない。
最悪《フレイザー》を使って全範囲攻撃をすれば、この場を切り抜けることは出来るだろう。でもそれをすれば、どれほどの犠牲者が出ることになるか。踏み切ることなどとても出来なかった。
「来るな……やめろ……! なぜ、こんな……やめてくれ……っ!」
一人斬り倒した確かな感触が伝わってくるたびに、彼女は自らの心に重い楔が打ち込まれていくような感覚を覚えた。あまりにも辛過ぎる戦いだった。
だが、このまま拷問のような時間が延々と続くかと思われたそのとき、民衆が一気に波を引いたように割れていった。
奥から現れたのは、リルナのよく知る三人の姿だった。彼らは、揃いも揃って自分に戦う構えを向けている。
「ステアゴル……ジード……ブリンダまで……」
その口から出た声のあまりの弱々しさを気にする余裕も、既に彼女には残っていなかった。彼女の双眸が、ゆらゆらと沈痛な感情に揺らめく。
大男が、大袈裟な身振りでガシャンと丸太のような腕を鳴らして、やや改まった低いトーンで大声を上げた。
「まさか隊長に、この拳を向ける日が来るとは思わなかったぜ」
それに、古風な男と緑髪の女性が続ける。
「あれだけナトゥラのために戦っていたリルナが、まさかな……」
「裏切り者の隊長。何とも哀しい響きですね」
あくまで烏合の衆が相手ならば、戦い続けること自体は出来た。しかし、能力の低下してしまったこの状態で、さすがに特殊機体の同僚が三人同時に相手では、非常に厳しい戦いになることが予想された。
だがそんなことなどよりも、彼女は旧知の仲間が皆揃って自らを亡き者にしようとしているというその事実に、言いようもないショックを受けていた。
ここまで瀬戸際のところで気丈に振舞っていたリルナの口から、とうとう観念したように乾いた笑いが漏れる。
「ふ、は、は。そうか。お前たちも、か……」
それでも彼女は決して刃を下げることはなかったが、心はとっくに折れようとしていた。彼女を支えているのは、もはや悲愴な使命感のみだった。
ジードの口が、パカリと大きく開いた。
付き合いの長いリルナは、それをよく知っている。
熱線攻撃。
避けなければならない。そう、頭ではわかっているのに。
なのに、身体は鉛のように重かった。遅々として動こうとしてくれない。
次の瞬間、恐るべき熱量を誇る熱線が放たれた。
それは、固まったように動けないでいる彼女の立つ位置に向かって、瞬く間に届こうとしている。
そして――
彼女には、当たらなかった。
彼女のすぐ真後ろで、我を失い怒れる者どもの足元を、根こそぎ薙ぎ払っていた。ドロドロに溶けた金属の地面が流れ出して、彼らの足をぴたりと止める。
リルナの表情から絶望に染まった色が消え、一挙に驚愕へと転じた。
すっかりしてやられたと思ったときには、ジードが、にやりと意地悪な笑みを浮かべていた。
「行くがよい。リルナ隊長。ここは、わしらで食い止めさせてもらおう」
「ジードっ……! お前という奴は!」
リルナは、泣き叫びたい気分だった。もし自分に涙を流す機能が付いていたなら、らしくもなく泣いてしまっていたかもしれない。
もう周りを欺いてやる演技をしなくても良いと気付いたステアゴルは、すぐさま気持ち良く高笑いを上げた。パワーアームを地面に向けて豪快に振り下ろすと、破壊の衝撃が彼女のすぐ横の金属製の地面を一直線に捲っていく。一挙にして、数十人ものナトゥラが宙へと舞い上がった。
「オレたちはよお。別に政府や組織に心から忠誠を誓ってきたわけじゃねえ。みんな隊長が好きだから、あんたが好きだから、ずっとついてきたんだぜ!」
二人のすぐ隣に斜に構えて立っていたブリンダも、戦闘タイプの二人に比べるとかなり控えめな見た目ながら、特殊機能であるガス装置を発動させた。ナトゥラの関節部分をなす金属を瞬時に腐食してしまう特殊ガスが、仲間を除く全方位に向けて大量に噴射される。それを浴びた大勢のナトゥラたちが、次から次へと身体に変調をきたして、バタバタと倒れていった。
その効果範囲は、先の二人よりも遥かに広いものだった。見れば、あれほど周囲を覆い尽くしていた人だかりも、かなり後退している。
絡め手による拠点制圧を第一に得意とする彼女にとって、大勢を相手にするこの状況こそが、最も輝く場面だった。
「わたくしには、詳しい経緯はわかりません。でもきっとあなたのことだから、何か事情があるのだと思うの。きっと、トラニティのこともね……。ゲートを一つ開けて、すぐには閉まらないようにしておいたわ。邪魔者はきっちり倒したし、車もある。あなたは、逃げて」
リルナの瞳が、切なげに揺れた。
その言葉で、はっきりとわかってしまったからだ。
三人は、わたし「だけを」逃がす気でいるのだと。それで限界なのだと。
当然、何としても共に逃げたいに決まっている。だが、自分がこんな状態でそれをすれば勝算のないことは、頭では十分過ぎるほどわかっていた。
プラトーに撃たれる前の万全な状態なら、《ディートレス》で守ってやれた。全員で逃げるなど、造作もないことだったはずなのだ。それが、何よりも悔やまれた。
ディースナトゥラの外は、ずっと死角のない広陵地帯が続いている。大規模な追手を一度に差し向けることが不可能なニレイ森林地帯まで逃げ切るには、ここで敵の主力を削ぐ役がどうしても必要だった。特に、障害物のない広陵地帯では脅威の狙撃手であるプラトーを抑える役が。彼を含めた首都総力を相手にして食い止める役を張るのは、生半可なメンツではもたない。
彼女は目を瞑り、小さく二度三度首を振った。本当に言いたいことはぐっと胸の奥に抑え込んで、再び目を開ける。力強い決意を込めた目だった。
「ステアゴル、ジード、ブリンダ。感謝する。そして、隊長として命ずる」
リルナは、精一杯の気持ちをその命令に込めて、伝えた。
「死ぬな。わたしを逃がしたら、その後で必ず自分も逃げるのだ。いいな……絶対に、死ぬんじゃないぞ……」
「「了解!」」
三人から威勢の良い返事を受け取ったリルナは、外周ゲートの方角を見据えて脇目も振らず駆け出した。
当然、逃がしはしないと敵は追い縋ってくる。だが、一度にかかってくる数は、三人の援護によって問題にならない程度にまで抑えられていた。
《パストライヴ》を駆使しつつ、彼女はゲートへと消えて行った。
やがて、彼女の姿がすっかり見えなくなったところで、ステアゴルがもう笑うしかないといった調子で笑った。周囲を完全に覆い尽くす、万を超える暴徒を見渡して、やれやれと肩を鳴らしながら。
「さあて。ああは言ったけどよ。ぶっちゃけ、かなり厳しいよなあ。中々無茶なことを言ってくれるぜ、隊長さんはよお」
「くっくっく。違いない。まあリルナの無茶ぶりは、今に始まったことではないさ」
「がっはっは! それこそ違いねえや! ……プラトーの野郎も、じきに来ることだしな」
「そうだな……始末しろだと。あんなに悲しい顔のリルナを、見たくはなかったぞ」
「ようし。一発思いっ切りぶん殴ってやろうぜ。きっと嫌でも目が覚めるだろうよ!」
「いつも乱暴なぬしの意見には辟易するが……今回ばかりは、全面的に賛成だ」
三人の攻撃に虚を突かれ、最初はペースを飲まれていた軍勢も、そろそろ立て直してきていた。敵はもういつでも襲い掛かって来る準備がある。
「ま、もう少し食い止めておかねえと安心出来んわな。どこまでもつかわからねえけどよお、いっちょド派手にかますとすっかあ!」
「一人では背中が寂しかろう。付き合うぞ。ステアゴル」
二人で背中合わせになって、同時に不敵な笑みを浮かべた。
その横から、ちょんちょんと二人の肩をつついて、ブリンダが軽く突っ込みを入れる。
「あのねえ。男の友情に浸るのも悪くないですが、わたくしのことも忘れないで下さるかしらね」
「おっと! わりい! ブリンダ。お前っていつも存在が控えめだからよ」
「おしとやかだと言ってもらいたいものね」
「どちらにせよ、同じようなものだろう」
「微妙に大違いですわよ」
三人とも、言ってみれば悪くない気分だった。たった一人で死んでいった可哀想なザックレイやトラニティに比べれば、戦場と仲間と共に戦って死ねるというのは、幸せなことだった。
ふと、ステアゴルは思った。
「……ユウだったら。隊長さんのこと、ちったあ任せられるだろうか」
「さあな。ただまあ、あんな感じの奴だからな。おそらく悪いようにはせんだろう」
「わたくしはあの人のこと、地味に恨んでるのよ。容赦なく撃ってきたんですから……まあ、お互い様ですし、結局殺されはしませんでしたけどね」
そのとき、ついに堰を切ったように暴徒は攻撃を開始したのだった。目の前が敵一色で埋め尽くされる。
「どうやら無駄口は、ここまでのようだな……」
「わたくしのガスを、たっぷり食らいたいようね」
「さあ、始めるか! ディーレバッツ最後の戦いを!」
ステアゴルの叫びを合図に、三人はそれぞれの想いを胸に、絶望的な戦いへと身を投じて行った。
アクセルを全開に踏み込んで、車を走らせていく。
遥か後方で、数十メートルもある外周ゲートの高さを超えてなお目に映るほどの、激しい火の手が上がっていた。
それはややあって、次第に沈静化していった。
戦いの終わりを告げていた。おそらく、最悪の結末で。
リルナは、力任せにハンドルを叩き付けた。クラクションが、虚しく鳴り響く。
わかっていた。わかっていたのだ。
あんな状況では、ステアゴルも、ジードも、ブリンダも。助かる見込みは、限りなく薄いことなど。
わかっていたのに……! わたしは、斬り捨てる選択をしてしまった……。するしかなかった。
彼女の脳裏には、後悔ばかりが浮かんでいた。
わたしのせいだ。全部、わたしのせいだ。
わたしが、もっとしっかりしていれば。もっと早く、真実の一端にでも気付けていれば!
「みんな……すまない……。すまない……!」
深夜のことだった。ひどく身に覚えのある殺気を感じた私は、すぐに飛び起きた。念のため男に変身して、その場所へと向かった。
人気のない裏路地に、彼女は一人でぽつんと立っていた。見るからにひどい姿で。立っているのもやっとという状態で。ここまで、命からがらやって来たに違いなかった。
「リルナ……ひどい……! ぼろぼろじゃないか!」
「ふ、お前なら……こうすれば……わたしに気付いてくれると、思っていた……」
傷だらけのリルナは、自嘲気味にうっすらと笑みを浮かべた。その瞳からは、これまで対峙するたびに竦み上がりそうになるほど感じてきた力強さが、まるで消え失せてしまったかのようだった。生きる気力を失くしてしまった者が浮かべるような、そんな儚なさと暗さを湛えている。
俺は、心配で仕方がなかった。
「しっかりしろ。何があった?」
「……とんだ、下手を打ってしまったよ。仲間たちは、みんな……もう……」
彼女は気が抜けたのか、その場でふらついた。俺は慌てて駆け寄り、彼女をしっかりと片腕と肩で支えた。だらしなく垂れ下がった彼女の長髪が、そっと鼻孔をくすぐる。
彼女は俺に力なくもたれかかったまま、無念さを噛み締めて絞り出すように呟いた。
「は、は……肝心なときに、無力だな……わたしは……助けられるばかりで、何も出来なかった……」
はっと、させられるようだった。
これじゃまるっきり、俺と同じじゃないか……。
「なあ。ユウ……死んでいった者たちは……残された者たちは、やはり……こんなにも、辛かったのだろうか……」
「リルナ……」
彼女は、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。
自分に言い聞かせるように。ひたすら自分を責めるように。
「殺すべきでなかったたくさんの者たちを、わたしはこの手で殺めてしまった……。ヒュミテは、間違いなくわたしを恨んでいるだろう。誰よりも信じていた者には……あっけなく、裏切られたよ。そして、守りたかったはずのナトゥラも……わたしは、殺してしまったんだ……。大切な仲間たちは……次から次へと、この手をすり抜けていく……」
リルナは、今にも壊れてしまいそうなほど弱っていた。手を離せば、そのまま二度と立ち上がれなくなってしまいそうで、怖かった。
こんなにも辛そうな彼女を見たのは、初めてだった。
「なあ、ユウ。なぜ、こんなことになってしまったのかな。わたしは、どうしたらよかったのかな……。これから、どうしたらいい? わからない……わからないんだ……」
気が付けば、俺はもう自分を抑えることが出来なかった。
何も考えず、彼女を精一杯強く抱き締めていた。
どうしても、そうしてあげたくなったんだ。
「いいんだ! いいんだ……。何も君一人だけが、責任を感じる必要はない。一人だけで、全てを背負うことはない……!」
身体の震えが、肌を通じてひしひしと伝わってくる。
俺は少しでもそれを受け止めようとして、さらにぎゅっと彼女を抱き留めた。
込み上げる想いが、そのまま言葉となって溢れてくる。
「俺だって。いっぱいあったさ! 思うようにいかなかったことなんて……数え切れないほど、あった。選択を間違えたことも……助けたかったのに、手が届かなかったことも……たくさんあった」
同じだ。同じなんだ。よくわかった。
君は俺と、同じだ。何も、違わないじゃないか……!
自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったかもしれないって、ずっと思ってる。
きっとみんなそうなんだ。何かを後悔して生きている。
君だけじゃない。君だけが、特別に自分を責めなきゃいけないわけじゃない! だから……!
「だから……いいんだ。自分ではどうにもならないことだってあるよ。もっと肩の力を抜いていいんだ。頼っていいんだ。辛いことも、罪に感じていることがあるならそれも、分かち合ってくれていい。苦しいときは、弱さを見せたって、いいんだよ」
「……誰に、頼ればいいのだ。わたしには……もう……」
「仲間の代わりには、とてもなれない。けど……俺じゃ、ダメかな? 俺でも少しくらいなら、君の力になれるかもしれない」
そこでリルナは突然、はっとしたように俺を押し返した。俺を見つめる顔は、信じられないものでも見るかのようだった。
「お前は……お前は、どこまで甘い奴なんだ。その腕を斬り落としてやったのは誰なのか、わかって言ってるのだろうな。お前は、わたしを恨んでいないのか……?」
俺は、肩より先が丸ごと綺麗になくなった左腕に目を向けて、事もなげに返した。
「別にいいよ。こんなもの。たぶんそのうち生えてくるし」
正確にはたぶん次の世界に行けば、だけど。
その言葉をタチの悪い冗談と受け取ったのか、リルナは盛大に溜め息を吐いた。
「はあ……。お前といると、本当に調子が狂いそうだ」
「そんな君らしくない調子なら、狂ってくれた方が大助かりってものだよ」
どうやらリルナは、ほんの少しだけ元気を取り戻してくれたみたいだった。
「ふっ。違いない。だったら……今からわたしがすることは、忘れろ。いいな」
「わかった。また一つ貸しでいいか」
「……いいだろう」
そう言ってあげた方が、彼女も気兼ねしないで済むだろう。そう思った。
ずっと気を張って、強くあらねばと、我慢していたのだろう。
リルナは、俺の胸に顔を埋めて、激しく嗚咽を上げた。涙こそ出ては来なかったけど、彼女はいつまでも泣き続けた。声にならない声で、何度も懺悔をして、何度も仲間の名前を呼んで。
彼女が全てを吐き出し終わるまで、俺は彼女の頭をそっと撫で続けた。