38「ナトゥラ第二の都市 メーヴァ」
ルオン地下鉄道での戦いから、一週間が過ぎようとしていた。
俺は今、ナトゥラ第二の都市と呼ばれるメーヴァという所にいる。ディースナトゥラから約1500キロ、ティア大陸とエルン大陸を隔たるミロウ海峡からは約40キロの所に位置する都市だ。
俺たちはしばらくの間、ここにある『アウサーチルオンの集い』メーヴァ支部の地下アジトに滞在することになった。
俺たちは戦いで、テオは拷問で傷付いた身体を癒しつつ、準備を整えてから、機を窺いミロウ海峡を海路で渡ってティア大陸の玄関口、港町ポーサに向かう予定だ。そこまで行ければ、やっとヒュミテ領に入るから一安心出来る。
とは言っても、首都ディースナトゥラから脱出出来た時点で、既に危険度は著しく下がっている。それに何より、あのリルナが敵に回らなくなったというだけで、俺自身はもう八割方勝ったようなものじゃないかと思っている。他の奴が相手なら、大体はどうとでもなる。
いつどこから狙ってくるかわからないプラトーだけは危ないけど、ザックレイが亡くなったことで脅威は半減している。あいつにしても、直接的な戦闘力では、さすがにリルナには及ばないだろう。
リルナとの戦いは、本当にギリギリだった。最後の攻撃にしても、とにかく先に当てるために気剣を引き伸ばしたから、人間と違って頭と心臓に当たる位置以外に明確な急所のないナトゥラへの殺傷力という点では、かなり下がってしまっている。まあやらないけど、頭や首を狙ったとしても、小さな動きでかわされていたかもしれないし、かといって動力炉を直接狙って動けなくしても、同時に向こうの刃もこちらの首に届いている。たぶん、CPDを狙い撃ちするのが戦略上もベストだったのだ。あれでリルナが止まってくれなかったら、おそらく生き残れなかっただろう。
精一杯気を張っていたが、彼女の姿が見えなくなったところで、肩の力が抜けた俺はそのままふらっと気を失ってしまった。
死にかけたほどの無理は相当祟ったみたいで、それから丸三日は目が覚めなかった。気が付いたら、先に「私」の方が目を覚ましている始末だった。
必要がないからということで、「私」は俺が寝ている間に勝手に身体を動かすようなことはしなかったみたいだ。俺の隣で、ずっと目が覚めるのを待っていてくれていた。
目覚めた後はおいしいものもたくさん食べたし(メーヴァはティア大陸から食料品を密輸入しているそうで、食べ物の種類もずっと豊富だった)、少しは血も戻ったと思う。
左腕がないのだけは、どうしても喪失感がやばいけど。CPDに半ば操られていたようなものとはいえ、リルナは本当にこっぴどくやってくれたよ。何度死ぬかと思ったことか。
どんなに逃げても、どこまでもどこまでも追いかけてくるし。しかも、いきなりワープで飛んでくるし。いざ向き合ってみれば、滅茶苦茶怖い顔して、殺す殺すって。ほんとに容赦なく全力で殺しにかかってきたからな。こっちは攻撃しようとしてもほとんどワープで避けられるし、ようやく当てたと思ったら壊れ性能のバリアのせいで全然効いてくれないし。
ああ。思い返してみたら、よく生き残れたなって思うよ。なにあの無理ゲー感。敗北確定イベントの敵キャラかっての。最強のナトゥラとかナトゥラ兵器だとか周りから言われてたけど、そう言われるのももっともだよ。一人だけ明らかにスペックがおかしいもん。ほんと誰が設計したんだろう。
やっとのことで一応攻略したにはしたけど、俺の能力だってまあ裏技みたいなものだからな。なんかまともに通用したって気がしない。
とにかく、もの凄く怖かった。笑えばあんなに素敵なのに。
あのしつこさは軽くトラウマになるレベルだったよ。しばらく夢に出てきそう。もう二度と戦いたくないね。
まあ腕については、くよくよしても仕方ない。命に比べたら安いものだと思うしかないか。それにルオンヒュミテまで着けば、最高の技師を用意して、高級戦闘仕様の義手を無償で取り付けてくれるとテオは約束してくれた。何でも神経を繋ぐ機械式のもので、本物の腕にはやや劣るもののきちんと触覚もあり、意のままに精密に動作してくれるそうだ。見た目も人間の腕と変わらないと。
全身フル機械のナトゥラが普通にいるくらいだから、さすがにそんなものはヒュミテ側でも簡単に作れますって口ぶりだったけど、改めてこの世界の技術水準の高さを感じたよ。しかし左腕が機械って、なんか改造人間みたいで妙な気持ちになるなあ。
あと結局、義手は義手だからね。本物と違って、左手から気剣を出せるようになるわけじゃない。精々が気を纏わせる程度のことくらいしか出来ない。《マインドバースト》を編み出したことで、この世界に来たときと同等以上の実力まで戻したとは言え、やはり一つ前の世界イスキラにいたときの万全な状態の自分に比べると相応の弱体化は否めないところがある。
ところで、俺が気を失っている間にちゃんと預けてくれたみたいだけど、リュートの方も無事に修理が済んだ。通信機ごしに彼の元気そうな声が聞こえてきて、心からほっとしたよ。何とか彼だけでも助けられて、本当に良かった。
捜査の目が厳しくなっているから、クディンたちは別のアジトに移動して、しばらく何もせずに身を隠すつもりのようだ。今もお世話になっているけど、彼らのサポートなしでここまで逃げるなんてことはとても不可能だっただろう。こちらからは何もしてやれないが、上手く捕まらずにいてくれることを祈ろう。
さて、まともに動けるまで回復した私は、今やっとベッドから抜け出して、街の方へ散策に出かけようとしていた。私でいるのは、「俺」が顔写真付きで思いっ切り指名手配されているからだ。私の方はまだ出回っていないみたいだが、時間の問題かもしれない。
懸賞金百万ガル。知らないうちに懸賞金が十倍にも跳ね上がっていた手配書を見つめて、私は頬が引きつるのを感じながら苦笑いした。
メーヴァの街並みは、ディースナトゥラと比べるとやや落ち着いた雰囲気だ。相変わらず空を当たり前のように車が飛んでいる光景に変わりはないが、首都に比べればその数は一段と少ない。
高層ビルが所狭しと立ち並んでいるわけでもないし、周りにやたら高い外壁があるわけでもなければ、どの建物も目に毒な銀色のポラミットで覆われているわけでもない。むしろ、カラフルな色合いだった。
道は相変わらず、歩行者の利便を中心に据えて設計されている。広めの道の真ん中には、時折、街路樹が植えられた休憩スペースがあったりするのも、私的にはポイントが高かった。
統一感のない街並みで、何か一見して目に付くような建物があるわけでもない。首都のように入念な都市計画の下に作られたというよりは、住宅街として自然に大きくなっていったという性格が強そうだった。実際、住むには向こうよりずっと良さそうなところだ。お店もニーズを踏まえてなのか、高級品よりかは生活に身近なものを揃えているところが多い。
首都を歩いていると息が詰まるような気分を覚えたものだけど、この街にはそれがなかった。久しぶりに清々しい解放感を味わった。
あ、そうだ。服買わないといけない。プラトーの奴が大事なウェストポーチをダメにしてくれたときに、中身も一緒になくなってしまったんだった。
そのことを思い出して、軽く落ち込む。また一つものが消えて、思い出だけになってしまった。
そう言えば、あの中に世界計も入ってたんだったな。でもあれは……。
レンクスがどんな魔法やら技やらをかけたのか知らないけど、本当に頭おかしいくらい頑丈なんだよね。だから、あれだけはあのくらいの攻撃じゃびくともせずに残っているんじゃないかな。ってことは、今頃はディークランに押収されちゃってるかもしれない。取り戻しに行くのは無理っぽいか。
どうもあの変態は、プレゼントした世界計を目安にして私の居場所を把握してるみたいだから(ストーカーかっての)、今度私のところに来るときには、ちょっと苦労するかもしれない。しょうがないね。
というか、いっつも肝心なときにいないんだから。今回だって、レンクスがいたらきっと誰も死なずに済んだのに。
だけど、いつも遠く離れた世界から渡って来るのは本当に大変そうだから、文句を言うべきじゃないのもわかってる。私がもっとしっかりしなくちゃいけなかった。もっと強くなっていかないと。
そういや私って、能力の特性から、際限なく成長していける素質があるんだっけ。確かに少しずつ成長してるのはしてるみたいなんだけど、他のフェバルとの距離があまりに遠過ぎてね。うん。
リルナ相手で手一杯の私に、世界をどうこうする力なんて、やっぱりないよ。どうこう出来そうな方の心の世界の力は、もれなく制御が効かなくて暴走のおまけ付きだし。本当に自分は彼らの仲間なのかなって思ってしまう。
でもいつかレンクスみたいに、色んなものを余裕で守ってやれるような力を身に付けたいな。本当にそうなりたい。
頑張ったら頑張っただけ着実に成長していける能力なんだから、まだ十分過ぎるほど恵まれてる方だよ。これ以上を望んだら、きっと罰が当たる。世の中には、いくら努力したって才能の限界で届かないことなんて、数え切れないほどあるもの。それに比べたら、天と地ほどの差だって、少しずつ埋めていけるだけ遥かにましってものよ。
よし。頑張ろう。動けるようになったし、今日からまた修行を再開しよう。
てことで、まずは動きやすい服選びからかな。
久々のショッピングが楽しみで、気分が弾んできた。
「このスカート、かわいい。あ、でもこっちもおしゃれな感じで捨てがたい」
私はぶつぶつ独り言を呟きながら、かれこれ二時間は買い物を続けていた。ショッピングってついつい時間を忘れて楽しんでしまうよね。
お金はクディンからもらったのがたくさんあるし、奮発しても全く問題ない。ただ、あまり多く買っても荷物になってしまうから、買う服は選ばないといけなかった。しかも、大体はユニセックスなもので揃えないといけない。ユニセックスなものってデザインが限られてるから、どうもおしゃれに欠けるというか。そこが残念なところ。
男女それぞれ専用のものは、せいぜい一、二着ずつが限度だろう。男物はすぐに決まったけど、私は女性用の服をどれにするかで迷っているのだった。
選ばないといけないとなると、あれこれと目移りしてしまう。見ているだけでも楽しいしね。
「へえ、こういうのもあるのか。この世界の流行なのかな。ん、これもかわいい」
その辺りで、たまらず「俺」は一旦「私」と分かれた。心の世界で、女の身体から一つ分くらい距離を取る。一々男の身体に戻るのも煩わしいので、精神体のままで不平を言った。
「ちょっと待った。そろそろいい加減選びたいんだけど」
女の身体に残っていた「私」は、少し口を尖らせて反論してくる。
「せっかく久々にゆっくり出来るんだよ。一緒に楽しもうよ。私とくっついてるんだから、つまらないってことはないはずだけど」
「君の買い物好きには困ったよ。さっきまで本当に楽しいと思わされてしまっていた自分が怖い。もしかしなくても、君ってその気になったら、俺のことどうにでも出来たりしない?」
「さあどうかしら。これだけ付き合い長いと、段々裏からの操り方も心得てはきたけどね」
「さらっと怖いこと言わないでくれよ……」
「あはは。冗談だって。私がユウのこと悪くするつもりがないのは、よく知ってるでしょ。あ、でもショッピングはまだまだ楽しむつもりだからよろしく。ほら、お・い・で」
にこやかな笑顔で手招きする「私」に、さっきの言葉も相まって何か怖いものを感じてしまった俺は、また融和することに躊躇いがあった。
動けないでいる俺を見つめた「私」は、まるで母さんがそうしていたように、指先を唇に当てて、からかうような表情を浮かべた。
「なに今さらびびってんの。じゃあ言うけど。誰が身を挺して瀕死のあなたを助けてあげたと思ってるのかな? それと、私に許可取らないで、刑務所でリルナと戦ったときと、中央管理塔でセキュリティ管理室に飛び込もうとしたとき、勝手に二回も思い付きで《パストライヴ》を使ったせいで、後々の暴走に繋がってしまったわけだけど。それをやったのは一体誰なのかしらね。ええ。いいのよ。私の役目はあくまでサポートなんだから、別にいいんだけどね」
「わかりました! 言う通りにします! ごめんなさい!」
「私」はうんうんと満足そうに頷いた。
「たまにはご褒美くれたっていいよね。あなたがメインで動いてくれないと、私だけじゃ数分ともたないんだから。お願いね」
「うん……」
俺はなるべく余計なことを考えないで、心の赴くままに任せることにした。そうしていると、私の行動は大体「私」がやったようになるので。
私は、すぐに店員に声をかけた。自分でもわかるくらい声が弾んでいる。
「これ、試着させて下さい。あと、これとこれもいいですか?」
色々迷った末、下はショートパンツ、上はキャミソールにジャケットを重ねるという組み合わせに決まった。全部それっぽいもので名称は違ったけど。一、二着しか買えないとなると、結局いつものセンスに落ち着いてしまうのはあるあるかな。
せっかくなので、すぐに着ていくことにした。どうせしばらくは女のままだしね。
うん。いい買い物した。リフレッシュ出来た。
アジトに戻ると、別々に外出していたアスティも帰ってきていた。
「あ、ユウちゃん。おかえり~」
「ただいま」
私が目を覚ましたときは、まだ仲間を失った辛さで顔を伏せがちだったけど、今はもうほとんど元の通り元気になっているように見える。さすが戦士だけあって、心も強いというか。立ち直りも早いのかもしれない。
彼女は私の服装が変わっていることにすぐ気付いて、ぱっと顔を明るくした。
「お、新しい服買ったんだね~。いつも男女兼用のものばっかり着てたから、なんか新鮮」
「たまにはらしい格好をしようかなって」
「似合ってるよー」
「ありがと」
とそこで、彼女は何か含みのある笑顔を浮かべた。
「それよりね。ユウちゃん。見せたいものがあるのよ」
「なに?」
「じゃーん。題して、戦場の乙女」
アスティの手招きに従って現れたラスラの姿を見た瞬間、思わず吹き出してしまった。
「ぷっ。あはははは!」
彼女は、いかにも女の子らしいフリフリしたドレスで全身を固めていた。あまりにらしくない恰好だった。
いつも後ろで束ねていた黒髪が下ろされて、肩のところまでさらさらと流れている。それだけなら美人で済む話なのだが。
ただ、目つきがものすごく悪い。戦闘服との相性は抜群だけど、上品なドレスの中に入れてみると、柄の悪さばかりが浮き立つ。なんていうか、絶望的に似合わないの。
さらに、そんな恰好でいるくせに、腰にはきっちりスレイスを付けていた。それがあまりにも無骨で浮いている。
何より、当人が恥ずかしさからか顔が真っ赤になっているのが、余計に笑いを誘った。
「きゃははは! あー傑作!」
アスティも、改めて腹を抱えて大笑いしている。
「おい! 貴様ら、笑うな!」
「あはは! だって、ラスラねえ! 目つきが怖いよ。嫁入り前の乙女なんだから、もっとおしとやかにしなきゃ」
「誰が嫁になど行くかっ! くそっ、気まぐれでアスティにそそのかされて、こんな服など着なければよかった……」
「ふふ。ロレンツも見たら絶対笑うと思うよ」
タイミングというのは重なるもので、そこにちょうどロレンツがやって来たのだった。
「帰ったぜ――ぶっ! はっははははは! なんだそれ! 新手のギャグか!」
「やかましい! 斬り殺すぞ!」
腰にかけたスレイスを引き抜いてキレるが、可愛いらしい服装のせいか真っ赤になった顔のせいなのか、いまいち迫力がなかった。
みんなでひとしきり笑った後、ロレンツが言った。
「そうそう。後一時間くらいしたら、みんな客間の方に向かってくれないか」
「何かやるの?」
「ああ。まだ完全に逃げ切れたわけじゃないけどよ。とりあえず首都は抜け出せたし、ディーレバッツはもう本気で追ってこないみたいだし、最大の危機は脱したってことでな。前祝いにはなるが、みんなの快方祝いも兼ねてちょっとした宴でもやろうかって話になったのさ。それに、いつまでも悲しんでても仕方ねえからよ」
そう言った彼は、デビッドたちのことを思い出したのか、一瞬だけ顔を暗くしたが、すぐに元に戻った。
「もちろん、酒も料理もたっぷりあるぜ」
「その言葉、待ってました♪」
「そうだな。たまには羽目を外すのもいいだろう」
アスティがうきうきした顔になり、ラスラもまんざらでもなさそうに頷いている。
「当然、ユウも来るだろ?」
「うん。もちろん行くよ」
宴か。楽しみだな。