36「Decisive Battle on Fatal Express 1」
辛くも地下へと逃げ延びたラスラたちは、重傷のリュートをクディンの元に預けた。レミが顔を真っ青にしていたが、すぐに状態を診察した技師から、どうにか一命は取り留めそうだと聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。
それから、アジトよりヒュミテに詳しい医療スタッフを四名ほど引き連れて、テオとともに直ちにルオン地下鉄道へと向かったのだった。
そこには、隈なく整備された高速列車が一両のみ、いつでも発車出来る状態で待機していた。ルナトープは行きの際、今はゴーストタウンとなっているヒュミテの旧都市から、この列車に乗ってやってきたのである。
列車の終着点である旧都市から最も近いのは、ナトゥラ第二の都市メーヴァ。ティア大陸の対岸より数十キロに位置する、その名の通りナトゥラの数が首都に次いで二番目に多い大都市である。
ここはティア大陸の目と鼻の先ということもあって、非合法なヒュミテの勢力もそれなりに残存していた。また、ナトゥラの中にも、ヒュミテに好意的な者や憎悪を抱いていない者が多少は残っていた。首都のような徹底したセキュリティシステムの類いも存在しないし、巨大な外壁で仕切られた構造でもない。
どうにかしてそこまで辿り着くことが出来れば、ひとまずは身を隠すなり応援を呼ぶなりして、じっくりと体勢を立て直すことが出来る。
つまりは、ここが正念場だった。
全員を乗せた四列編成の列車は、ロレンツの運転により、持てる最高速度でレールの上を進んでいく。列車そのものは入念に整備したとは言え、道中のトンネルの電灯にまではさすがに手が回っていない。車両最前方に備わったライトのみが頼りだった。
乗り物が宙に浮くのが当たり前の時代では珍しい、ガタガタと揺れる車内の最前列で、テオ、ラスラ、アスティの三人は、重く気を張り詰めたまま、多くの仲間を失ってしまった悲しみに暮れていた。
無謀にも、敵の本丸である首都に入り込んだのだ。元より犠牲は覚悟の上だったが、それでも、あまりにも大き過ぎる犠牲だった。
それに、ユウがいなければ、王をここまで連れ出すことも出来ずに、全員やられていたのは間違いない。
そのユウは今、生死の境を彷徨っていた。すぐ後ろの第二車両に運び込まれて、医療スタッフらの手による懸命な治療を受けている。
やがて、治療の途中にも関わらず、真っ青な顔をしたスタッフが男女一名ずつ、ふらふらとした足取りで第一車両に入り込んできた。何事かと、ラスラが尋ねる。
「それが……! 輸血のために適合検査を行ったところ、血液中に、み、見たこともない成分が!」
「なんだと!?」
医療スタッフの男は、すっかりうろたえていた。
「微生物のような何かが、血液中に大量に含まれているんです。あり得ない。それが、ヒュミテの血液を異物とみなして、攻撃しています!」
もう一人の女性が、驚愕の色を顔に張り付けたままそう述べた。
彼らの言っていたそれとは、つまり白血球のことだった。ヒュミテの血液中には、そのようなものは存在しない。彼らの血液構成は、もっと単純なものだった。
「これでは、とても輸血など出来ません……! 我々には、せめて応急措置を施すことくらいしか……」
「彼は、本当にヒュミテなのですか!?」
妙な変身能力を持っていると聞いたときから、おかしいとは全員が思っていた。それでも助っ人になってくれるのだからと、あえて事情は深く問わないようにしていたのだが。
「ユウくん。あなた、何者なの……?」
アスティの双眸が、不安げに揺らめいた。
「う……酷い目に、あった……」
ユウの女性人格である「私」は、ボロボロに傷付きながら、やっとのことで平穏を取り戻した心の世界に、一人ぽつんと立っていた。
心の世界と現実世界の境目で、同じように満身創痍のユウが、気を失っている。彼の頬には、涙の痕が残っていた。
ふらふらの彼女は、根気で彼の元へ辿り着くと、その肩にそっと手を触れた。
「ユウ。今から少しだけ、あなたの身体を使うね。あなたを助けるために。そうすると、たぶんしばらくの間、私はあなたの役に立てなくなるけれど……」
主である「俺」が、「私」の身体を借りることは簡単だった。「私」が自分自身の女の身体を現実世界で操ることも、短時間ならさほど難しくはない。しかし完全な逆、「私」が主である男の身体を操ることは、従である「私」にとっては、相当に無理のあることだった。
「あなたの無念は、私が一番よくわかってるから。私も、悔しいよ」
現実世界に意識を移した「私」は、一言も喋らず目を瞑ったまま、男の肉体に気力を巡らせて、ただ回復することのみに専念した。ややあって、肺に空いた穴も含め、大方の傷は全て塞ぐことが出来た。失った片腕だけは、この世界ではどうにもならないけれど。
役目を終えた「私」は、男の身体から離れて、心の世界にある自分の肉体へと舞い戻る。
「あとは、任せたよ。私は、ごめん。ちょっとだけ、眠らせてもらうね。さすがに疲れ、ちゃった……」
心の世界の暴走を内側から必死に抑えて、ユウが完全に壊れないように頑張っていた「私」もまた、とっくに限界を迎えていた。とうとう力尽きて、ぱたりとその場に倒れ込んでしまった。
そして入れ替わるように、ユウが意識を取り戻した。
目を覚ました俺には、見知らぬ天井が映っていた。ガタガタと、背中に振動を感じる。
「……肝心なときに、俺は無力だな。いつも、助けられてばかりだ」
ゆっくりと身体を起こそうとしてみた。かなりふらつくが、「私」のおかげで、何とか立てないこともなさそうだ。
医療服を着た四人の男女が、ぎょっとした目で俺のことを見つめていた。見たところ、どうやら俺を助けようとしてくれていたらしい。お礼を言って、立ち上がり前へ歩いた。
どうやらここは列車の中のようだ。
一つ前の車両へ行ったところで、アスティたちが目に映った。彼女たちも、さっきの四人と同じようにぎょっとして、まるで幽霊でも見るかのような目で俺を見た。
「ユウくん……どうして。怪我はどうしたの!?」
「一応、もう大丈夫だよ。完璧ではないけど、簡単に治した。血が足りなくて、頭がくらくらするのはしょうがないけどね」
信じられないという顔で固まる三人に、俺は嘆息した。
「俺自身のことはいい。それより、今すぐ話したいことがあるんだ」
そこで、やや訳知り顔のテオが名乗りを上げた。
「ちょうどいい。ぼくも、少しでも状況が落ち着いたらすぐにでも話そうと思っていたことがある」
俺は、テオと手短に情報交換をした。どうやらテオも、薄々この世界のおかしさに感付いていたらしい。アスティとラスラは、ショックを受けたような顔で言葉を失ったまま、ずっと真剣に俺たちの話に耳を傾けていた。
「CPD……間違いない。きっとそれだよ。それが、ナトゥラのみんなをおかしくしているんだ」
「ぼくとしても、裏付けが取れたよ。何かあるとは思っていたんだ」
アスティが、ふるふると肩を震わせて、悲しげな声で呟いた。
「まさか、そうだったなんて……。あたしたちは、ナトゥラたちほとんどみんなが敵だと思って、ずっと戦ってきた。でも……。ここまで来るのに……マイナねえ、デビッド、ネルソン、それに、ウィリアム隊長まで……昔まで含めたら、もっとずっとよ。失った人が、多過ぎるわ……」
「……だが、それがわかったところでどうする? 一体ずつ律儀に外して回るのか? 姿を見ただけで、こちらを殺しにかかってくるような奴らから」
険しい顔で俯くラスラに、俺は目を向けて言った。
「それは、難しいかもしれない。だけど、中央区を叩いて、機体更新のシステムさえ変えることが出来たら。新たな憎しみの芽は、摘むことが出来るはずだよ」
でも、なぜこんなことを……。
言いながら、俺はそれが根本的な解決策にはならないだろうと感じていた。
ナトゥラが憎しみを強めた原因がわかっても、こんな恐ろしいことを一体誰が計画して、なぜやったのか。真相の方は霧隠れしていて、さっぱり見えてこない。
そっちの方を明らかにして解決しない限り、表面に見えている中枢部を叩いたところで、それは氷山の一角に過ぎないかもしれないのだ。
また俺がいなくなれば、第二第三の悲劇が繰り返されるんじゃないだろうか。そんな予感がしてならなかった。
「頭が痛いよ。ぼくたちは、見えない敵と戦わねばならなくなってしまったようだ」
テオも、俺と同じく事の本質に気付いているようだった。
「でも、まずは生き残らなくちゃ。それから、だよね」
アスティが、ぐっと握りこぶしを作って意気込んだ。
とそのとき、俺は「それ」をはっきりと感じた。急いでみんなに告げる。
「みんな、武器を構えて。そして、下がっていて欲しい」
「どうした?」
首を傾げたラスラに、俺はすかさず答える。
「彼女が来てる。わかるんだ」
もう何度も感じたことのある、身が竦みそうになるほどの強烈な殺気。それが、こちらへ段々と距離を詰めてくるのが。
その一言で、みんなの顔色が変わった。俺の真剣な目を見たみんなは、すぐに言った通りにしてくれた。
車両の横から窓を開けて、そこから上へと乗り出す。後方に目を向けると、彼女は例のオープンカーで、もうすぐそこまで迫ってきていた。
「逃がさない!」
そのまま、走る列車に並行してほぼ真横につけると、彼女は車両の上に華麗に着地した。
車の方は、コントロールを失わずに列車の後ろへゆっくりと流れていく。どうやら自動操縦に切り替えたようだ。
今、あの《セルファノン》を使ってこなかった。それは、こんな狭く老朽化した場所で使えば、たちまち崩落を引き起こして、下手をすれば取り逃がしてしまう危険があるからだろう、と俺は踏んだ。
それにあの技は、威力こそ恐ろしく高いが、比例して溜め時間も長い。近距離戦では、あまり役には立たないだろう。
完全に逃げ場はないが、そういう意味では、まだ俺に運が向いているらしい。
俺は、何も言わず気剣を右手に作り出し、油断なく構えた。
戦いは避けられない。もうそれはわかっていた。
「リルナ」
「ユウか。やはり最後も、お前が立ち塞がるだろうと思っていた」
「それはこっちの台詞だ。最後の最後まで、お前がしつこく追いかけてくるだろうと思っていた」
互いに無言のまま、じっと睨み合う。息が詰まる緊張と、殺気際立つ静寂の中、一定の間隔で列車が揺れる音だけが、耳に強くこびり付いてくる。
これで、もう何度目になるだろうか。
ここまで、お世辞にも長い付き合いとは言えないけれど、長い間ずっと相対してきたのではないかと錯覚を覚えてしまう。奇妙な縁すら感じていた。もしかすると、向こうも同じように思っているのかもしれない。
やがて、彼女は静かな口調で俺に問いかけた。
「わたしに届く刃を持たぬお前に、何が出来る」
「そうだな。これまでなら、確かに無理だったさ」
俺は、かすかに興味の色を示した彼女の瞳を真っ直ぐ見据えながら、続けた。
「答えは案外、すぐそこにあった。気付いてみれば、簡単な答えだったんだ。お前が散々追い詰めてくれたおかげで、やっと気付けたよ」
お前の《ディートレス》を、打ち破る方法を。
気力とは、自己の内部要素を外界に取り出して利用する力のことを指す。
そう。利用出来るものは、「あらゆる」自己の内部要素だ。俺の場合、何もあえて、生命エネルギー「だけに」限る必要はなかったんだ。
お前のバリアは、生命エネルギーを弾く。単純な物理攻撃も弾く。一見すると、無敵ではないかとすら思えるほどの防御性能だ。
だが、想定外の「ある力」だけは、さすがに弾くことが出来なかった。
俺は、あえてまたそれを使う決意を固めた。そうしなければ、この相手には絶対に届かない。
《マインドバースト》
俺の全身を包み込んでいた気の質が、すうっと変化する。ゆらゆらと、薄く白い光が立ち上り始めた。
同時に、薄く頼りない色だった気剣が、見るも鮮やかな白に色付いていく。本来持つべき色に。
心の世界の力。
イネア先生の奥義《バースト》。身に纏う気力を爆発的に増加させて、一時的に限界を超える凄まじい力を得る技だ。
あれを自在に使いこなすレベルには、俺はまだ達せていない。けれど、疑似的に再現することくらいなら、今の俺にだって出来る。
この力は、言うまでもなく諸刃の刃だ。使い過ぎれば、簡単に暴走を引き起こす。
だが、この技に限って言えば。使った瞬間に心の世界を一気に活性化してしまう他の能力と違って、出力を自在にコントロール出来る。危なくなる前に、自分で解除することも可能だ。
毒をもって、力となす。
許容性限界を一切弄らずに、人間としての限界を超えた強さを得る。俺なりに考えて辿り着いた、精一杯のやり方だ。
「全力でかかってこい。リルナ。これまでの俺とは、一味違うぞ」
ようやく、これまでの世界で培ってきた全ての力を、如何なく発揮することが出来る。
これでやっと、まともな勝負が出来る。
そして今度こそ、お前に負けるわけにはいかない。
身に纏う雰囲気の変わった俺を見て、リルナは、何を思ったのだろうか。一瞬だけ、だが確かに、ふっと表情を緩めた。それからはもう、元の氷のような表情に戻って、こちらをいつもの殺意に満ちた目で睨み付けている。
そして、両手甲から水色の光刃をすっと放出して、俺に向かって突きつけた。
「《インクリア》。バスタートライヴモードに移行――ユウ。これで最後だ。お前を殺す」