34「Escape to Underground 1」
リュートの元へ戻り、周りの様子を探りながら、ここから逃げる手段を考えた。しかし、中央処理場は、外部からの見た目通りにどこもしっかりと蓋をされていて、抜け道などどこにも見当たらなかった。出来ることと言えば、リュートを抱き抱えて誰かに見つからないように身を隠しているより他はなく、そうこうしている間にも、時間は容赦なく私から活動する力を奪っていく。
「はあ……はあ、はあ、はあ……」
心臓は足りない血を全身に送ろうと、極限にまで鼓動を早めていた。
寒い。手足の感覚が、もうほとんどない。それに、目まで、霞んできた……
やっと、この世界のおかしなところに気付けたっていうのに。これからだっていうのに。
何度も気が遠くなる。くらりと頭が下がりそうになる。意識が手放されようとするたびに、必死に気をもって持ちこたえていた。
まだ、死ぬわけにはいかないの。意識、もって……
いよいよ限界が近づいていた。
もうダメかもしれないと思った、そのとき――
彼方から、一台の車が猛スピードで空を飛んでやってくるのが見えた。
その後ろから、何台ものサイレン車が一台の後を追っている。ディークランの車だ。
なに?
車は迷うことなく真っ直ぐこちらへ向かってくる。
身構えたところで、先頭を走る車から誰かが身を乗り出して、元気良く手を振り始めた。その人物がアスティであるのを認めたとき、肩の力が抜けた。
助けに来て、くれたんだ……
本当に嬉しかった。リュートを連れて、車の停めやすい位置にまで這いずるようにしてどうにか移動し、右手を振り返す。アスティは、片腕のない私の姿を見つけたとき、ぎょっとして青ざめていた。
車が停まると、すぐさまラスラが飛び出した。彼女は、私とリュートを軽く持ち上げて、車内の後方座席へと入れてくれた。
私たちを乗せると、車は即座に折り返して急発進する。地面からぐんぐん離れて浮かび上がっていく。
「ユウ! よく生きていてくれた!」
ラスラが、息が苦しくなるほど強く抱き付いてきた。抱き返す力も押し返す力も残っていない私は、されるがまま身を任せた。
アスティは、サイドウィンドウからアサルトライフルを突き出して構え、追手の動きを入念に警戒している。彼女が警戒を怠らずにこちらをちらりと向いたとき、今にも泣きそうな顔をしていた。
「でも、腕が……! それに、ひどい顔よ!」
「いいの。命に、比べたら……はあ、はあ……安い、代償だよ」
この大怪我がなければ、わざと手を離して落ちるときに、リルナたちの目を欺けはしなかっただろう。
それに、世界を移動すれば――他のフェバルの言ってることが本当なら――たぶん腕は元通りになる。
ただ、この世界にいる限りは、大幅な戦闘力低下は否めないけれど。
でも、まずいな。一時的には助かったけど……
本当に死にそう。血を、流し過ぎてる。
「よく、私を助けに来て……くれたね」
「しゃべらないの! 安静にしてなさい!」
アスティがめっと叱ってきたので、私は口を噤むことにした。ラスラが怒り心頭の口調で経緯を説明してくれた。
「レミに貴様たちの居場所を教えてもらったのだ。まったく、貴様という奴は! 反応からして処理場に落ちたらしいと聞いたときは、さすがにもうダメかと思ったぞ! 管理塔に二人で挑むなど、やはり無茶だったではないか!」
私は素直に頷いた。でも、無茶とわかっていてもどうしてもやらなきゃならないことはある。
それはラスラも重々承知しているようで、それ以上は何も責めてこなかった。
と、そこで、前で車の運転を担当していたロレンツが、振り返らずに言った。表情は見えないが、口調からはこちらへの気遣いと安堵が伝わってくる。
「だが、その無茶が生きたな。お前さんがセキュリティを麻痺させてくれたおかげで、車両で処理場の内部まで侵入することが出来たのさ。でなけりゃ、侵入者を自動で迎撃するとかいうレーザーのせいで無理だった」
ハンドルを強く握り直し、彼は続ける。
「もっとも、どの道命懸けには変わりねえけどなっ!」
向こうから雨あられと飛んでくる銃撃や砲撃を、彼は巧みに車体を操ってかわしていく。動くたびに、車内は大きく揺れた。
こちらからも、幾度も銃声が鳴り響く。撃っているのはもちろん、アスティだ。
一発一発を確実にヒットさせ、当たるたびに、後方の車が炎上し墜落していく。
「ロレンツ、上手く避け続けて。ほっとくと危なそうなのは、あたしがばっちり仕留めていくから!」
「おう!」
緊迫した状況は続く。大都市上空を縫うように最高速で飛び回り、景色は目まぐるしく移り変わっていく。時折ビルや他の車にぶつかりそうになるシーンもあり、冷や汗をかいた。
ラスラも狙撃に加わって、激しい銃撃戦の様相を呈していく。
そんな中、何も出来ない自分がもどかしかった。
「私も何か、したいけど……」
「いい。死にそうなんだから、今は休め。逃走ルートは考えてあると言っただろう? 我々に任せておけ」
そして、ラスラは改まった調子で言った。
「それと、感謝する。貴様のおかげで、テオは無事地下へと逃げられた。貴様が中央管理塔で何とかしてくれなければ、遅かれ早かれ全員やられていただろう。一度は死ぬはずだった命だ。今一度貴様のために賭けてやることに、何の躊躇いもない。だから我々は、こうして貴様を助けに来たのだ」
ラスラが頷くのと同時に、ロレンツとアスティもこくんと頷いた。
私は胸が熱くなった。
「もちろんリュートもね」
アスティはしっかりと付け加える。
「ふふ。じゃあ、たの、む、ね……」
仲間がいることが、こんなにも心強くて。安心した瞬間、私は今度こそ全身の力が抜けてしまった。くたーっと背が座席にもたれかかる。
ラスラはそんな私を見て目元を緩めると、無線で連絡をかけた。
『こちらラスラ。ユウとリュートを救出した。現在我々が用意したトライヴゲート2番に向けて逃走中だ。係の者はゲート前にて待機。我々が飛び込んでそちらへ達した瞬間に、ゲートを破壊してくれ』
『了解。とにかく無事を祈るよ』
クディンの声が返ってきたところで、通信を切った。
再びビルが目前に迫っていた。このまま直進すればぶつかってしまう。
「あらよっと」
ロレンツがギアを引くと、車はビルの壁にそって急上昇した。追う車のうち二、三台が、動きの変化に対応し切れずに仕方なくビルから逸れていく。
「ふう。少しばかり振り切っても、後から後からやってきてきりがねえや」
車がビルを登り切って、また水平移動へと移行する。
そのとき、再び意識がぐらついた。目が、霞む。
でも、今ここで気を失いたくなかった。
危険な状態が続いている。気絶して完全なお荷物になるようなことはしたくない。
必死に逃げ回り続けた。目的地であるトライヴゲート2番までは、かなりのところまで近づいてきているはずだ。
ところがそこで、後方から、特徴的な水色のオープンカーが風を切ってこちらへ突っ込んできたのだった。
リルナ! またか――!
彼女の持つ車の性能は、他よりも一段抜けて高いようだった。
声が辛うじて聞こえる距離にまでは、すぐに追いすがってきた。このままでは、間もなく追いつかれてしまう。
「ヒュミテ。殺しにきたぞ」
「おいおい。勘弁してくれよっ! しつこい女は嫌われるんだぜ!」
ロレンツが喚く。
全くその通り。彼女ほどしつこい人を、私は知らない。
でも裏に感付いた今は、思ってしまうの。その執念とも言うべき憎悪が、もし何者かに組み込まれたものだとしたら――
彼女の穏やかな一面も、私は知っている。だから、もしかしたら、本当の彼女は……
だけど少なくとも今は、私たちに刃を向ける敵なわけで。それは現状、どうしようもなくて……
車の運転は自動操縦に任せたのか、リルナ自身はすっと立ち上がった。
そして、右腕を構えると――なんと手が変形して、大きな砲口に変化したの!
例のバリア、《インクリア》、《パストライヴ》、《フレイザー》――ううん。どれとも違う。まだ何かあるっていうの!?
そして彼女は、何かの機能を使うとき特有の、機械的な音声を発し始めた。
「ターゲットロックオン。エネルギー充填開始。10、20%」
恐ろしいまでの寒気がした。それは、血を失っていることから来たものではない。
魔素にも似た、強力なエネルギーの波動を感じる……!? これは、まずい!
「みんな! この車から、逃げ――」
言いかけたときには、もう遅かった。彼女は、エネルギーが20%のままで――
「《セルファノン》――発射」
強烈なる光を伴って、水色の光線が迫る。それは車体など優に超える大きさと、当たったもの全てを貫くであろう、恐ろしいまでのエネルギーを伴って――
間に合わない!
私は、咄嗟のことで再び能力を使わざるを得なかった。既に何度も連続使用することで、とっくに達していたはずの限界を超えて――
【反逆】《反重力作用》!
ユウが実行したのは、中の人ごと反重力で車体を急上昇させるというものであった。これにより、全体への直撃をどうにか避けることは出来た。しかしあまりに時間がなかったため、完璧にとはいかなかった。
《セルファノン》は車体の一部を削り、そこから激しく炎上。落下し始めた車体から、後方座席にいたアスティはリュート、ラスラはユウをそれぞれ抱え、運転席にいたロレンツは一人で脱出した。
近場の建物にワイヤー装置を引っ掛けることによって、落下の衝撃を和らげ、辛うじて全員無事で着地することは出来た。しかし――
五人の前には、彼らとほぼ同時に車から地に降り立った、万全な状態のリルナが立ちはだかっていた。
絶体絶命の状況である。
リルナは、ルナトープの連中を冷徹な瞳で一瞥した。その中に片腕を失ったユウの姿を認めた彼女は、内心大きく動揺した。
「ユウ。お前――あの状態からどうやって生き延びた?」
「はあ……はあっ、はあっ……!」
しかし、ユウは答えない。なぜなら――
彼女は今、全く口がきける状態ではなかった。
彼女の全身から、淡白い光のようなものがゆらゆらと立ち登っている。
「う……う、ううう……!」
ユウは呻き声を上げ、激しく息を切らしていた。
すると、彼女の身体に急激な変化が起こり始めた。背や髪が伸び縮みし、胸が膨らんだり引っ込んだりといった変化が、短時間で幾度も繰り返される。手持ちの能力の中で、最も安全に使用出来るはずの変身能力でさえ制御が効いていない。明らかに異常な状態だった。
突如苦しみ出したユウに、彼女を背負っていたラスラは、心配になって声をかけた。
「おい、どうした? しっかりしろ!」
しかし、ユウにはもう返事をする余裕などなかった。
「……なんだ。どうした?」
一目でわかるあまりの様子のおかしさに、さしものリルナも固まっていた。
「お、おい。どうしたっていうんだよ。急に」
「ユウちゃん。しっかりして!」
ユウを包む白い光が徐々に強まっていく。ユウの内部で制御し切れなくなった「心の世界」のエネルギーが、外界に溢れ出していた。溢れ出たエネルギーが、近くにいたラスラを弾き飛ばす。
「うわっ!」
「う……ううう……ううううううう……!」
誰も近寄れなくなってしまった状態のユウは、頭を抱え、苦しそうに顔を歪める。狂ったように肉体変化を繰り返し、声の高さも一定しない。そして――
「あああ゛ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
堰を切ったように叫び声が溢れた。それはまるで、理性を失った獣のような叫び声だった。やがてその声が止んだとき――
淡白い光に全身を包まれた少年が、瞳を闇で塗りつぶしたような虚ろな目で立っていた。姿は完全な男の状態である。
「ふ……あ、はは……」
彼の口から、乾いた笑みが漏れる。目の焦点が定まっていない。一見して正気の状態ではないことは、誰の目からも明らかだった。
このとき初めて、リルナは、ただの理想が高い甘ったれだと思っていたこの少年に対して、得体の知れない恐怖を覚えた。
自身の持つ強烈な殺気から生じるものとは全く違う、異質の恐怖。それは気味の悪さと言っても良いのかもしれないし、あるいは底の知れなさと言っても良いのかもしれない。とにかく彼女は、言葉では言い表し難い恐怖を覚えた。
ラスラ、アスティ、ロレンツも同じように異質の恐怖を感じていた。先ほどまであれほど親しみやすかった人物が、今は別人かと思うほどにすっかり豹変してしまっている。
それもあまりに突然のことで、全く理解が追いついていなかった。ゆえに彼女らは、その場に固まったように佇んで、変貌した少年とリルナを交互に見つめるという以外の選択を取ることが出来なかった。
リルナは内心の動揺を抑え込んで、ユウに尋ねる。
「急に、どうしたのだ。答えろ」
「……違う……じゃない……」
だがユウはうわの空で、独り言をぶつぶつと呟いていた。彼の耳には、もはや何も入ってこないようだった。
「……そんなに死にたいなら、望み通り今度こそ始末してやる」
始めからバスタートライヴモードになっていた彼女は、容赦なく《パストライヴ》を使って一気に彼のすぐ背後にまで迫った。そのまま《インクリア》で彼の背中を刺し貫こうとする。しかし――
パシ。
その全力の攻撃は、この擬音がしっくり似合うほど、何事もなかったかのように、ごく当然のように彼に受け止められてしまった。
それも、振り返りもせずに片手だけで。
リルナは激しく動揺し、目を見開いた。
なぜなら、物理攻撃と生命エネルギーに対しては無敵であるはずのバリア《ディートレス》を――まるで何もなかったかのように貫通して、手首を直接押さえられてしまったからだ。
しかも、あまりに握る力が強いので、彼女は腕をぴくりともさえ動かすことが出来なかった。
「……ちへ……な……!」
金属が凹むような衝撃音と同時に、気が付けばリルナは、遥か後方へと目にも留まらぬ勢いで弾き飛ばされていた。彼女が背後のビルに叩き付けられても、その勢いはなお留まることを知らず、数枚の壁を貫通したところでようやく止まった。
リルナは、痛みに顔を歪めてよろよろと立ち上がった。行動に支障こそないものの、腹部に無視出来ないほどの大きなダメージを受けている。
これまで戦闘では傷一つ負ったことのなかった彼女は、初めて受けた明確なダメージに驚愕を隠すことが出来なかった。
ふらふらと前に歩を進め、再びユウの元へ辿り着いた彼女は、彼に問いかける。
「バカな……なぜ、死にかけのはずのお前に、これほどの力が……? なぜ、《ディートレス》が効力を発揮しない!?」
その問いに答える者は、誰一人としていなかった。彼女の目の前に映るのは、戸惑うヒュミテたちと、ただただ虚ろな視線を自分へ向ける少年の姿だけであった。