閑話2「ユウ、お風呂に連れて行かれる」
最初に言っておこう。この私は確かに女のようだ。
身体は完全に女のものだし、自分が女だって自覚もある。男のときと違って女を異性として見ることもないし、自分や他の女性の裸を見たってなんてことはない。なんか言い訳臭いけど、全部本当のことだ。
性格も口調も男の時とは変わらないし、変えようって気もあまり起きないけど、それは単に私が自分のままであるというだけのことだろうと思う。
ただ。これまでの十六年間は生粋の男として生きてきたし、その気になればいつでも男になれるということもまた事実だ。男の私は年頃ということもあり、華のような女子寮という場所でもし男でいたなら、全く興奮しないというのは間違いなく無理だろう。
性欲も湧くだろうし、いけない衝動を抑えるのが少し大変かもしれない。実に情けないけど、男ならきっと普通の感情だろうし、自分を冷静に分析してみてもそんな気がする。
だから、女子寮で暮らすにあたっては決して男にはならない。これが、私が課した最低限のルールであり、私はずっとそれを守り続けてきた。
それでも、最初のうちは女子寮にいるというだけで悪いことをしているような気がしていた。何かと遠慮してしまうし、罪悪感から色んなことでつい目を背けてしまう。内心は冷や汗だらだらの日々だった。
けどしばらくルールを守って暮らしていたら、段々と気にならなくなってきた。アリスが開けっ広げな恰好をしていても普通に話せるようになったし、ミリアが抱きついてきてもあまり動じなくなった。他の人でも問題はなくなった。こちらからスキンシップも出来るようになった。
少しずつだけど、何でも自然に、遠慮なく出来るようになってきた。慣れって素晴らしい。
だが、そんな今の私でも、未だにどうしても避けてしまうものがある。
それが、女子寮の大浴場だ。
私の能力なんて知らない人が、あまりにも無防備、あまりにも無頓着に素肌を晒す空間。
これだけはどうしてもダメだった。自分なりの良心が咎めてしまうのだ。
出来れば入りたくはなかったが、入らないというわけにもいかない。大浴場は真夜中までは開いているので、なるべく人の多い時間帯は避けるようにしていた。もっとも、イネア先生との修行がいつも夜遅くまであるので、大抵の日は自動的に避けられていたのだが。
そして入るときも、出来るだけ隅っこで誰とも目を合わせないように、目立たないように入っていた。
アリスやミリアが私を待ってくれて一緒に入ることもちょくちょくあったが、すっかり仲良くなった友達である二人だけはもう大丈夫だった。特に、アリスとは入学前にも一緒に入った経験があるしね。
そんな風にしてやり過ごしていた、ある日のことである。
イネア先生が、剣士隊のところへ気剣術の指導に行くということで、明日の修行はなしだと言い出した。久しぶりに私の予定が開いた。
折りしもその日は放課後から夜まで、先輩たちも加わっての女子寮生の催し物があった。アリスに連れられて、私とミリアも参加することになった。
催し物と言ってもこれまた非公式なもので、参加者は私たち三人を含めて十二人だった。中にはカルラ先輩もいた。まずはレクリエーションとしてスポーツをして、それからパーティーという流れである。
それで、スポーツは結構楽しかったのだが、ここで参加者数が中規模で融通が利いたことが災いしてしまう。その場の話で、パーティーの前にみんなで入浴して汗を流そうという流れになってしまったのだ。
こうなってしまうと、一人だけ断るというのはやりにくい。
それでも、こればかりは勘弁してくれと思った。
私は勇気を出して辞退をしようとした。場の空気を悪くすることは覚悟の上だけど、仕方ない。
「すみません。私は、遠慮しm……!」
そのとき、何者かにがしっと腕を掴まれた。振り向くと――
「みんなで、入った方が、楽しいですよ」
うっ、ミリア!
人見知りゆえに他人に対する警戒心から鍛えられた人物観察眼で、私が嫌がってることを察したのだろう。やたらと黒い笑顔を浮かべている。
このミリアの攻撃によって、まずは退路が断たれてしまった。そこにすかさず連続攻撃が畳み掛けられる。私キラーでおなじみのアリスだった。
「ユウ~。あなた、恥ずかしいんでしょ。あたしは知ってるよー。でも、そんなに恥ずかしがることないじゃないの! 綺麗な身体してるし、立派な胸だってあるのに!」
「私の方が、大きいですけどね」
ミリアが控え目かつ得意そうに胸を張った。地味に隠れ巨乳なんだよな、ミリア。って、そんなことはどうでもいい。
まずい。この流れは、色々とまずい。どうにか逃げられないか。
しかし、恥ずかしくて行けないということにされてしまった時点で、既に私の勝ちはなかった。
止めを刺したのは、横でふんふんと楽しそうに聞いていたカルラ先輩だった。
「ふっふっふ。そうだったの。ユウ、遠慮はいけないわ。来なさい。中でお姉ちゃんが優しく抱きしめながら、みっちりと、ロスト・マジック研究の素晴らしさについて話してあ・げ・る・か・ら!」
そう言うや否や、着ていたジャケットの襟を後ろから掴まれた。
「え、ちょっと。カルラ先輩!?」
「逃がさないわよ!」
ずるずると引きずられ始めた。力が強くて、もがいてもままならない。まずい! このままじゃ!
「離してください! 私には行かなくちゃならない場所が!」
「あら。今日は何も予定がないって聞いたわよ」
しまった! そういう風に話してたんだった!
「助けて! アリス! ミリア! とにかく入ったらやばいんだって!」
「うふふ。何がやばいのよ。いっつもあたしたちとは普通に入ってるじゃないの」
「皆さんとの、裸の付き合いも、大事だと、思いますよ」
ああもう! ダメだ! 味方がいない!
「心配しなくても、お姉ちゃんがたっぷり可愛がってあげるわよ。ね、ユウちゃん」
「うわああああああん!」
そのままカルラ先輩に引っ張られて、強引に浴場まで連れて行かれてしまったのだった。
「しにたい……」
脱衣所で、私はかつてない罪悪感を抱えていた。みんなを決して見ないように、隅っこで壁だけを見つめていた。お節介焼きのアリスが、ちょんちょんとほっぺをつついて話しかけてくる。
「ほら。ユウも服脱ごう?」
「まだ心の準備が……先に入っててよ」
「ふふ。ほんと恥ずかしがり屋さんねえ。ちゃんと後で来るのよ」
「待ってますから」
後ろから、ミリアがそう言うのが聞こえた。
みんな着替えて入っていったのを音で確認してから、私は壁から目を離した。
ここまで来てしまった以上は、もう入る覚悟を決めるしかない。服を勢いよく脱ぎ捨てると、ぎゅっと目を瞑って、浴場入り口のドアに手をかけた。
見るな見るな見るな絶対見るな――
中ではずっと目を瞑っていよう。そうすれば問題ないよ。うん。
しかし、この一見完璧に思えた作戦も、あっけなく崩れ去ってしまうことになる。
浴場に入って歩き始めたときだった。
「あ、ユウ。危ない」
「え――」
アリスの声が呼びかけてきた瞬間。何かにぶつかった。身体がふらついて、そのままドタッと倒れ込む。
全身を柔らかい肌の感触が包んだ。特に胸のところにむにゅっとした感覚がある。
「ユウ……」
声がして目を開けると、すぐ目と鼻の先に、耳まで真っ赤に赤面したミリアの顔があった。私は彼女を上から押し倒すような形で、しっかりと全身で覆いかぶさっていた。胸の柔らかい感触は、私の中くらいの大きさの胸と彼女の巨乳が、その頂きから互いに潰れ合って生じたものだった。私は恥ずかしさを感じながらも、まず彼女に怪我がないか心配になった。
「ごめん。大丈夫? 痛くなかった?」
「はい。大丈夫、ですが……」
彼女がなぜか少し嬉しそうに微笑んだのと同時に、周りが騒ぎ出した。
「キャー!」
「やっぱりあの噂は本当だったのね!」
「目の保養♪ 目の保養♪」
そうだった! 歓迎会でやらかしたせいで、私とミリアが愛し合っているとかいう変な噂が立っているんだった。このままじゃまた誤解が広がってしまう。まずいよ。
違うと言おうとして、立ち上がったとき。私は言い訳を考えるのに夢中で、ここが浴場であるということをすっかり失念していた。ダイナマイト級の衝撃が私を襲った。
あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ。
元々入っていた人たちと合わせて、ざっと十五人もの女子たちが私を見つめていた。
見渡す限り一面の、裸。裸。裸。
みんな当たり前のように、胸も、おしりも、股も晒して――
ぐっ……
私は、打ちひしがれた。
終わった……完全に終わった……
もう自分に言い逃れは出来ない。後戻りの出来ない一線を越えてしまったんだ。私は――
「ふふふ。はは、ははは……」
自分の中で決定的な何かが切れた。
そうだよ。
女でいたら、いずれこんな日が来るなんて、わかってたことじゃないか。
自分勝手な線引きなんて、誰が得をする。結局、真実を隠していることに変わりはないんだ。
そんな線引きなんて、するだけ無駄だったんだ。
そうだ。楽になれよ。吹っ切れてやろうじゃないか。
私は女だ。何も問題はない。うん。ないよ。絶対きっとない!
よーし! 来るならもう何でも来い! 私は今から怖いものなしだ!
「あいむあうーまん!」
「何それ?」
近くにいたカルラ先輩が、怪訝な顔をしていた。
やばい。勢いで変なこと口走っちゃったよ。どうせ英語なんて知らないだろうから、適当に誤魔化しておこう。
「お風呂入るときの、特別なおまじないみたいなもんですよ! 先輩も一緒に言ってみます?」
「そんなものがあるのね。いいわよ!」
さすがカルラ先輩。普段からノリがきついけど、こういうよくわからないことに対してもノリが良いね。
「せーの」
「「あいむあうーまん!」」
「「いぇーい!」」
そのまま勢いでハイタッチを決めた。
「カルラ先輩! ゆっくりお話を伺いましょう!」
「おっ、話がわかるじゃない! いくらでもしてあげるわよ!」
「望むところですよ!」
ミリアとアリスがこんな風に言ってるのが、かすかに聞こえたような気がした。
「ユウ、ついに壊れちゃいました、ね」
「今日に限ってどうしたのかしら。あんなユウ、初めて見た」