25「Prison Breakers 6」
「へっ……。やっと、きたか」
「ユウ!」
全身からおびただしい量の血を滴らせ、膝をついたままのデビッドが、安堵したように肩を落とした。ラスラが喜びの顔を見せる。
途中から、彼の気が急激に弱まっていたから、何かあったのではないかと思った。
そして実際、その通りだった。
あまりにも酷い状態の彼の姿が目に移ったとき、どうしようもなく悲しくなった。
間もなく彼は、死んでしまうだろう。あれほどの流血、内臓も完全にやられている。気力による治療でも、もう間に合わない……!
状況が許すなら。手遅れかもしれないけど、今からでも気を当ててあげたい。デビッドをこのまま死なせるなんて、嫌だ!
だけど、今は……一瞬の心の乱れが命取りとなる、戦いの場だ。戦いの中で人が死ぬときは、いつもこんな状況ばかりで。嫌になるよ。本当に。
俺は込み上げる衝動をどうにか抑えて、せめて彼に目を向けて強く頷き返すことで、彼の心に応えた。デビッドは俺の意を汲み取って、小さく頷き返してくれた。その頷きも、今にも命の灯が消えてしまいそうなほど弱々しくて、ますます辛くなる。
「トラニティを……!」
リルナはやられた仲間の心配をしつつも、激しい怒りに満ちた顔を向けた。デビッドを殺した彼女に、俺もまたどうしようもない怒りを覚えつつ、答えた。
「安心しろ。動けないようにはしたけど、命に別状はないはずだ。ジードもな」
リルナは、はっと驚きを示した。
「ジードもだと?」
「向こうでくたばってるよ。後で直してやるといい」
すると彼女は怒りから一転、意外だというような表情になった。己の理解出来ないものに対して向けるような、そんな怪訝な目を、こちらに遠慮なく向けた。
「わからない。なぜ殺さない?」
「ジードにも言ったけどさ。なぜ殺す必要がある?」
逆に問い返してやると、彼女は首を傾げた。
「お前は、何を言ってるんだ」
悲しいほどの価値観のすれ違いに、俺は嘆息した。
「この戦いに殺し合うほどの意義を見出せないことが、そんなにおかしいことか? ヒュミテだのナトゥラだの。そうやって互いに憎しみ合うしかないなんて、一体誰が決めたんだ」
「ヒュミテのお前が……ヒュミテの側に付き、王を助けんとするお前が、何を言う。お前のような奴が、知らぬ顔でどれほどのナトゥラを苦しめてきたと思っている」
「別にヒュミテだけにつくわけじゃない。俺はただ困っている奴を助ける。それだけだ」
「戯れ言を」
戯れ言なんかじゃないさ。俺をヒュミテだと思っている君には、きっと伝わらないだろうけど。
「一応聞こう。俺と話し合いをしてみる気はないか?」
リルナはやはり、首を縦には振らなかった。代わりに、睨みがますます強まった。
「わたしは、現実を見ない馬鹿が嫌いだ。ヒュミテとナトゥラがわかり合うことなど、永劫あり得ない。この沸き立つ憎しみが、ある限り――」
やっぱり無駄か。わからず屋め。
リルナだけじゃない。みんなそうだ。お前らがそんなだから、デビッドが死にそうになってるんだよ! こんな死ぬ意味もない戦いで!
昂ぶる憤りに応じて、自然と言葉が強くなっていく。
「確かにそうなのかもしれない。だけど。そんな現実を少しでも変えたいと、変えられるはずだって、俺はそう思ってる! だからここにいるんだ!」
気が付けば、俺は叫んでいた。全員の視線が、一斉に俺だけに集まる。
「本当は仲良くなれるかもしれないのに、現状を変えようともしない奴の方が馬鹿なんじゃないのか!?」
すると、リルナは強く眉をしかめた。歯をむき出しにして、声も荒げて言った。
「なんだと!? 馬鹿はお前の方だ。お前は何もわかっていない! 歴史も現状も、今に渦巻く感情も、何もかも!」
「へえ。だったらその事情とやらを話してくれないか? そこまで言う理由は何なのか、教えてもらおうじゃないか」
「それはだな――!」
そこで一瞬、彼女が茫然としたようになって、言葉を詰まらせた。
なんだ? 急に様子が……?
何か様子が変だった。
次の瞬間、それまで彼女に見られた動揺の色が、嘘のように消えていた。まるで初対面のときのような、まさに機械そのものの冷たい表情に戻っている。その声まで、感情のこもらないすっかり無機質な調子に戻っていた。
「よそ者のお前に話すことなど、何もない」
よくわからないけど、話を引き出すのは失敗に終わったらしい。
「残念だ」
リルナは強く拳を握った。
「お前を殺し損ねたことが、気がかりだった。そのまま逃げていれば良かったものを」
「そうかもな」
ジード、それから不意打ちで倒したトラニティという相手と戦ってみて、よくわかった。リルナは二人と比べても、明らかに格が違う。
ジードは、伸縮・硬度自在の機体こそ厄介だったが、まだ色々とやりようがあった。悪いが、あれより強い奴となんていくらでも戦ったことがある。
トラニティの方は、「私」の接近に気付くことも出来なかった。
だが、同じディーレバッツの中にあって、リルナだけは――本気で死を覚悟しなきゃならない相手だ。
「次はない。確実に――殺す」
おぞましいほどの殺気が放たれて、俺の全身をビリビリと突き抜けていく。本当に残念だが、結局戦わなければならないようだ。
「気を付けろ! 奴は全身から光線を発射するぞ!」
ラスラのありがたい警告に、小さく頷き返す。
知らなかった機能か。注意しておこう。
リルナが消える。またあれか。
瞬間、目前にまで迫っていた彼女から繰り出される刃を、俺は辛うじて気剣で受け止めた。
どうなってるんだ、本当に。
俺は心の世界にいる「私」に呼びかけた。
『前の分の記憶と合わせて、あの技の解析を頼む』
『もうやってる!』
「お前の剣――折れないな」
「鍛え上げてあるからね」
どうやら刃同士のぶつかり合いでは、気剣は砕かれないようだ。
そのまま剣での斬り合いになる。リルナの二刀、その手数は相変わらず圧倒的で、一瞬でも気を抜けばたちまち斬られてしまいそうなほどだった。防戦一方で、攻撃する隙なんて全くない。
二刀をほぼ同時に叩き込まれたところで、パワー負けしてよろめいてしまう。
その瞬間、またリルナが消える。背後から死の予感がした。
咄嗟に深くしゃがむと、俺のすぐ真上を刃が横に通過していった。
かわすと同時に、前方に手をついて右で後ろ蹴りを放つ。
本当ならば、相手の芯を捉えているはずのこの攻撃も、しかしバチッという音がして、容易くバリアに弾かれてしまった。
そのままついた手を軸に、左足を蹴り出してくるりと身体を前に宙返りさせ、両足が地についたところでステップして距離を取った。
危なかった。死ぬところだった。
そこで、「私」から声がかかる。
『性質がわかったよ。細部を拡大して調べたら、彼女の周りにトライヴゲートのような空間の歪みが、わずかだけど発生してた』
『そうか。ありがとう』
なるほど。原理はトライヴと同じだったのか。つまり彼女は、本当に消えていたと。
超スピードを超える、瞬間移動。それが彼女の技の正体らしい。
時間停止ほどではないけど、厄介だな。それに何より、彼女がそれだけに頼り切っていない。ワープもバリアも、あくまで機能の一つとして完璧に使いこなしている。
――強い。隙がない。総合力でも、俺を完全に上回っている。
「やっと、その消える技の正体がわかった。トライヴを利用したショートワープか」
「……《パストライヴ》。タネがわかったところで、何も変わりはしない」
普通ならそうだろう。だがタネさえ割れてしまえば、俺の場合、ちょっと話は別だ。
こっちも使えるかもしれない。
彼女が再び、猛然と迫る。
やってみるか。
応じる構えを見せつつ、トライヴゲートを通った時の体感と、リルナの技を見た経験をプラスして。さあ飛べ!
《パストライヴ》
「なに?」
リルナが動揺の声を上げる。俺が、彼女の目前からいきなり消えたからだ。
どうやら成功したらしい。一瞬で、俺は念じた場所――彼女のすぐ背後に位置付けていた。
だが、代償はそれなりにあった。全身が痛みで悲鳴を上げている。激しい頭痛がして、一瞬意識がふらついてしまう。
くっ。ここまで負荷が大きいとは!
それでも不意を突いて彼女の背後を取った俺は、チャンスとばかりに、空いている右手を彼女の背中に押し当てようとした。
《気断しょ――う!?》
突き出した掌は、しかし得意のバリアに弾かれてしまった。もれなく、気力まで完全に奪われてしまっている。
不意を突いてもダメだっていうのか!?
「お前、《パストライヴ》を――」
「なるほど。生身には負担のかかり過ぎる技だ」
結構なダメージがきてる。そうそう使える代物じゃないな。
やっぱり時空系の技は、この常人の身体には負担があまりにも大きいようだ。時間停止魔法も、結局覚えたはいいけど使えなかったし。
「私」から、お叱りの声がかかる。
『バカ。急に使うな!』
『悪い。試してみたくなった。もしかしたらチャンスかと思ったんだけどな』
くそったれ。ダメージが通らない。
出来れば勝ちたかったが、やはり今倒すのは不可能だ。
あのバリアをなんとかしない限り、有効な攻撃手段を見つけない限り、彼女は実質無敵。万に一つも勝ち目はない。
戦いを続けながら、心の内で「私」と対策を話し合う。
『あのバリア、性質を解析出来そうか?』
『無理。全然情報が足りない。ユウ自身がくらえば、一発でいけるんだけど』
『困ったな。バリアなんて、直接くらえるようなタイプの技じゃないぞ』
『てことは、私たち……』
『ああ』
『『勝てない』』
結局のところ、いくら考えても結論は変わらなかった。どうにかして彼女から逃げないことには、ダメージの蓄積が動きの差に繋がって、そのうちやられてしまう。
だが、どうやって逃げる。みんなを連れて、どうやって。
とそのとき、彼女が一旦戦いの手を止めて、口を開いた。
「これほど長く戦い合った相手は、お前が初めてだ。ヒュミテに、これほどの者がいようとはな」
「それは光栄だね」
リルナは、少し考えを巡らせている様子だった。間もなく、決意を込めた目をこちらに向ける。
「仕方ない。それなりに負荷はかかるが――」
そこで俺は、実力差の認識が甘かったことを思い知ることになった。
「戦闘レベル上昇。バスタートライヴモードに移行」
リルナが、消える。
そこか!
しかし、狙い放った一撃は、全くかすりもしなかった。
「お前には、もう」
背後から、恐ろしい声とともに殺気が迫る。ぞくりとして、振り返りざまに剣を振るう。
だが、これもまた虚しく空を切ってしまう。
瞬間、死角だった場所から、もうすぐそこに刃が迫っていた。
「わたしを」
やばい!
「うっ!」
必死にかわそうとしたが、脇腹を斬られた。パックリと服が裂けて、そこから真っ赤な血が滲み出していく。運良く内臓までは達していないが、かなり深い傷だ。
「捉えられない」
また、消えた!?
間違いなかった。《パストライヴ》の連続使用。
ワープを利用して、人間には到底不可能なトリッキーな動きを、彼女は実現していた。あらゆる角度から、瞬時に攻撃を仕掛けてくる。
俺は、いつどこから仕掛けてくるか予想もつかない彼女の動きに、ただただ翻弄されるがままだった。
速過ぎる! とても身体の動きが追いつかない!
「死ね」
がら空きになった首筋に、水色の刃が迫る。
避けられない。死――
『ユウ! 危ない!』
間一髪、「私」の協力によって女になり、身長を下げた私は、小さな動きで頭を狙いから外した。
突然姿が変わった相手に、さすがのリルナも驚いて手が止まる。彼女は一瞬、まさかという顔をした。
そうだろう。何しろ私は、彼女が見知っている相手なのだから。
「お前は――!」
「……言ったよね。こんな形でなんて、会いたくなかったって。香水は使ってくれた?」
「ユウ。そうか――お前は、そうやって逃げていたのか」
リルナが私を鋭い目で睨み付ける。理解が早かった。私に生命反応がないことから、瞬時に逃走のシナリオを見抜いたのだろう。
「香水は、ありがたく使わせてもらった。だが――」
突然、腹部に重い衝撃が加わった。
そのまま後ろに吹っ飛んで、背中から思い切り壁に叩き付けられた。
視界がぐらりと揺れる。息が、出来ない。
なに、を? そうか。しまった。
女のままじゃ、彼女の速い動きを全く捉えられなかったのか――!
「敵である以上は、誰であろうとも殺すのみ」
くそっ! たった一撃で、このざまか!
身体が思うように、言うことを聞かない――!
必死に身をよじって逃げようとする私の目の前に、すぐにリルナは立ちはだかった。少し物悲しげな表情で、刃を突き立てる。
殺される!
死を覚悟した、そのときだった。
彼女の背後から、ぬっと人の影が迫っていた。
いつの間にか立ち上がっていた、デビッドだった。彼は、リルナの両腕を抱え込むようにがっちりと押さえた。
突然のことに、リルナは一瞬パニックになったようだった。それまでの冷静さが嘘のように、慌てた顔をしている。
助かったと思いながら、不思議だった。彼女はなぜか、彼の接近には気付けなかったらしい。
「お前は! なぜ!?」
動きを封じられたリルナは、かつてないほどに激しく動揺していた。どういうわけか、得意のバリアを張ることもせずに、彼の腕の中で必死にもがいている。
「こいつは……ゴフッ……俺が、抑える! この死にぞこないが、最後くらいはよ、役に立たせてくれ」
「デビッド……! あなた……!」
まだ身体がふらつくが、どうにか立ち上がる。
どうして君だけを置いていかないといけないんだ!
私だって、まだ一緒に!
ここまで隙を伺いながら戦況を見守っていたラスラと、彼女に背負われているテオと思われる人物も、はっと目を見開いていた。
「デビッド、貴様という奴は……!」
「何も、君だけが!」
「いいから、逃げろよ……! どうせ、もう死ぬんだ。この命、無駄にさせるな……! 王を連れて、早く! 行ってくれええええええええええええええええええーーーーーーーーーーーー!」
悲痛な叫びだった。瞬間、彼の言葉が脳裏に蘇る。
『悲しいだと? 誤解してもらっちゃ困るな。駒に喜んでなるのが兵隊ってもんなんだ。役に立つ駒になれるなら、これ以上の誉れはないさ。それに、オレたち一人一人の血と汗が未来への懸け橋となるんだ。こんなに素晴らしいことはないぞ』
彼は、駒としての役割を果たそうとしているんだ。命を賭して、王を逃がすために。未来へと希望を繋ぐために!
彼が本懐を遂げられるかは、今ここで王を逃がせるかどうかに懸かっている。
なら、その気持ちを汲んでやるのが、きっとすべきことなんだ。
そう、すべきことなんだ……!
私は、歯を食いしばった。
「くそ! 感謝、する」
ラスラはやり切れない顔をしつつも、すぐにリルナの脇を通り抜けて駆け出した。再度男に変身して、俺もすぐ後を追うように走り出す。
「逃がすか! お前! くっ! 離せ!」
リルナは必死にもがくが、最後の執念だろうか。デビッドの力が思いの外強く、容易には振りほどけないようだった。
「離すものか! 死んでも離さねえ!」
口元から血をこぼしながら、彼は必死に叫んだ。
もう振り返ることはなかった。足を止めることもしなかった。
俺は、いつの間にか、次から次へと零れる涙を抑えることが出来なかった。ラスラもテオも、決して目立たないように、けれど泣いていた。
「みんなによ、あとロレンツに、よろしく、頼むぜ」
それが、俺たちが彼の声を聞いた、最後の瞬間だった――