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フェバル保管庫2  作者: レスト
人工生命の星『エルンティア』
121/279

17「作戦までの一週間 3 ユウ、ギースナトゥラを歩く」

 一回目の合同演習の後、二日間は自由だった。俺はその間に一度、一人だけでディースナトゥラを散策してみようと思った。

 この世界に来た初日は、バタバタしてしまったせいで、結局ゆっくり街の様子を眺めることが出来なかったのが心残りだった。別に観光気分というわけではないが、このまま戦いに身を投じる前に、少しだけナトゥラの日常を肌で感じておきたいと思った。

 このところ、ヒュミテ派の環境に染まっていたので、情報がヒュミテ寄りなものに偏ってしまっている。改めて反対側を見つめてみることで、中立的な目でものを捉えられるような気がしたのだ。ついでに、第一刑務所がある第八街区の辺りも下見しておこうという考えもある。

 地上ではどこで感知システムに引っかかるかわからないルナトープの人たちや、見た目が子供ゆえにあまり変なところをうろちょろ出来ないアウサーチルオンたちと違って、俺は女になっておけばとりあえず安心して行動することが出来る。そのことも、とりあえず出かけようという気分を後押ししてくれた。

 携帯食料をウェストポーチに詰め、クディンに「上の下見をしに出かけてくる。二日以内には帰ってくるつもりだ」と告げて、アジトを出る。知らない人に見られると面倒だから、出る前に女に変身しておくことにした。アジトの出口は三つあるが、私は行きのときに通ったオイル屋ノボッツから出ることにした。


「嬢ちゃん。お出かけかい?」


 カウンターから、店番とアジトの門番を兼ねるノボッツに声をかけられた。振り向くと、彼はその威勢の良いガタイと強面な顔からは、一見想像もつかぬほどに気の良さそうな笑みを浮かべていた。


「うん。少し町の様子を見て回ろうと思っているんだ」

「気をつけてな。あまり変なところに行くんじゃないぞ」

「はい。行ってきます」


 巨大な地下街ギースナトゥラは、相変わらず泥臭い活気で賑わっていた。喧騒の中、人混みの間を縫うように歩いていく。

 向かっているのは、第八街区の地下に当たる場所だ。そこにもギースナトゥラからディースナトゥラに通ずる出口がある。そこまでは、下を歩きながらこっちの様子も眺めておこうと思った。

 ギースナトゥラとディースナトゥラは、恐ろしく長い階段か、あるいはエレベーターで繋がっている。各街区には、二、三か所くらい上下が繋がっている場所がある。

 技術的には、トライヴを上下におくことで空間を繋ぎ、ワープすることも出来るのだが、あえて不便にすることで上下間の流通を妨げていた。隔離政策の一環だ。

 そして有事の際には、全ての出入り口は封鎖することが出来るようになっているそうだ。そうなると、通常は、テオを助けたとしても地下に逃げられずお手上げなのだが、クディンたちはあらかじめ、中央政府にばれないよう秘密裏に小型のトライヴを複数設置していた。今回はそのうちのどれかを使って、上の連中を出し抜くつもりなのだ。


 彼方に見える、中央区全体を縦に貫く銀色の巨大な柱は、どの位置からでも大きな存在感を放っていた。傷一つなくつるつるしており、地下に備え付けられた照明の明かりを跳ね返して、ぼんやりと輝いている。

 見上げれば、遥か上の天井は、さすがにそこまでは光も届かず真っ暗で、まるで世界に蓋をされているかのような息苦しさを覚えた。再び空の下で暮らすことを望むアウサーチルオンたちの気持ちが、なんとなくわかるような気がした。

 その空も鼠色に濁っていて、あまり綺麗なものではないのが残念だ。この世界の人たちに、地球の澄み渡る青空や、エラネルの目が覚めるようなエメラルドグリーンの空を見せたら、一体どんな反応をするのだろうか。と、


「へい。そこの姉ちゃん。うちでメンテナンスとか、メイクとかどうっすか? 料金はお安くしときやすぜ」


 前に立っていた客引きのお兄さんに、愛想笑いで声をかけられた。


「いえ。結構です」とやんわりと断ると、彼は残念そうな顔を見せた。


「不景気だなあ。今日はまだ誰一人来やしないんですよ」

「ふふ。ご苦労様です」


 彼は軽く肩を落とすと、何でもない顔で世間話を切り出してきた。


「そうそう。ヒュミテの王が近日中に処刑されるかもって話、聞きました?」

「話には聞いたことがあります」

「色々やってたようですけど、とうとう奴もおしまいっすね。噂によると、そいつを皮切りに、ヒュミテの大粛清を始めるんだとか。ひえー恐ろしい話です」


 恐ろしいと言う割には、口ぶりはどこか他人事だった。おそらく彼はナトゥラなのだろう。


「まあウチは、ナトゥラだけを相手に商売にしてるんであまり関係ないっすけどね。ただウチらもね、いつあいつらと同じように政府に粛清されるかって、みんなびくびくしてんですよ。今は見逃されて生きられるだけ、ありがたいと思うしかないっすかねえ」

「そうですねえ。命あっての物種ですから」

「そうっすね。まあとりあえずは今日のことだ。商売に精を出すとしやしょう! 姉ちゃんも気が向いたら、ウチを頼みますよ!」


 私は軽く愛想笑いを返してから、前へ進んだ。人間だから、残念ながら行くことはないと思うけど、頑張って。


 やがて、露店街に入った。ここを抜ければ、第八街区行きのエレベーターに辿り着く。

 各露店では、ナトゥラ用のオイルやパーツ、インテリア、書籍データなど、様々な物が売られていた。

 中には、ヒュミテの雑貨屋さんとい店もあった。看板には小さい字で、ヒュミテも働けますと書いてある。地下ではヒュミテも生活しているというのは、どうやら本当らしい。

 店の前で呼びかけているのも、子供の姿をした者(おそらくアウサーチルオンだろう)、片足がない店主、頭の一部が欠けている者など、色んなのがいた。いずれもどこかしら問題を抱えた、正規格ではないナトゥラたちである。

 みんなどう贔屓目に見ても、生活がいっぱいいっぱいという感じが伝わってきた。地上の華やかさは見る影もない。これがギースナトゥラの普通なのだ。

 ナトゥラは人間と違って、別に食わなくても生きてはいけるが、それでも身体に手入れをしなければ、あちこちが錆びつくし、調子も悪くなる。時には身体の一部を直したり、取り替えないといけない。それが、結構お金がかかるそうなのだ。そしてもちろん、娯楽にも金はかかる。そういうわけで、結局はみんな人間と同じように、「油を垂らして」働いていた。(汗を流すことを、ナトゥラたちはこう表現するらしい)


 しばらく歩いていくと、周りからちょっと浮いた、みすぼらしい感じの女の子を見かけた。お粗末な敷物を敷いて、その上にちょこんと正座している。

 少女は口を懸命に開けて何やら呼びかけていたが、周囲の雑踏が生み出す音には勝てず、そこへ吸い込まれるように、声は掻き消えてしまっていた。近づいていくと、やっとか細い声が聞こえてきた。


「香水……要りませんか……」


 見下ろすと、これまたお粗末な小瓶がいくつか並んでおり、中には透き通るような紫色の液体が入っていた。

 確かナトゥラも、ヒュミテよりは鈍いけど匂いはわかるんだったっけ。

 中身こそ綺麗だが、小瓶はどこかから拾ってきたようなものであり、とても売り物にはなりそうにない。私はこんなところで健気に商売をする彼女の事情が少し気になって、話しかけてみることにした。


「綺麗だね。ちょっとだけ試してみてもいい?」

「あ、どうぞ」


 話しかけられたのが嬉しかったのか、彼女の顔が少し明るくなった。私は小瓶のうち一つを取ると、さっと首に吹きかけてみる。

 うん。ほんのり甘ったるい花のような匂いが広がって、いい香り。思った以上の質に、私は内心驚いていた。


「君、アウサーチルオン……じゃないよね?」


 あどけない様子から、本当に子供のチルオンだろうと思って言ったら、彼女はこくんと首を縦に振った。


「どうしてこんなところで商売なんかしてるの?」

「お母さんの調子がおかしいの。でも、修理に行くお金がなくて……」

「そっか。いくらかかりそうなの?」

「あ、一本五ガルです」

「あ、いや、修理にはいくらかかるのかなって」

「あっ……すみません。詳しくは見てもらわないとわからないですけど、二千ガルはするかもしれないって……」


 少女は泣きそうな顔でそう言った。確かにこれを四百本も売るのは絶望的だろう。値段の割に実は中身は良い香水だけど、肝心の外観がその辺で拾ってきたような小瓶では、誰も振り向いてはくれない。ましてやそれを売っているのが、ただのみすぼらしい子供ならなおさらだ。

 私はウェストポーチを開いて、そこに入っている札束を見つめた。千ガル札が百枚。危険な任務の報酬の一部としてクディンから前払いでもらったものだが、特にこれと言って使い道はなかった。ならこの子のために使ってあげたら、良い使い方になるだろう。私は札を五枚だけ抜き出して、ひらひらさせながら言った。


「この香水、気に入った。五千ガルで買うよ」

「そんな! そんなにもらえません!」


 目を丸くしてあわあわした彼女をかわいいなと思いながら、私は口にしーっと指を当てて、微笑みながら言った。


「いいの。これはちゃんと良いものを売っている君への、正当な対価だよ。それと、良かったら君のお母さんのところに案内してくれないかな。このお金で、一緒に修理に連れて行こう」

「あ……ありがとうございます!」


 彼女は感極まったのか、もし人間のように涙を流せたなら、ぽろぽろと流しそうなほどに顔をくしゃくしゃにして、本当に嬉しそうな顔をした。その素敵な「泣き顔」に、私もほっこりと幸せな気分になった。


 その後、寝たきりになっていた彼女の母親を背負って、さっきの客引きをしていたお兄さんの前まで連れて行った。メンテナンスがどうとか言っていたから、きっと直してくれるだろうと思ったのだ。


「どう? 直せそうですか」

「ちょっと危ないところでしたね。胸部の動力炉がいかれてて――ほら、ヒュミテで言ったら心臓とか言うところにあたる部分です。ここをやられると、ナトゥラは動けなくなるんですよ。あと――頭もちょっとまずいな。もうしばらくほっといたら、完全に亡くなってしまっていたところでしたね。でもウチなら大丈夫。本来なら二千二百ガルはするんですが、おまけして千九百八十ガルにしときやしょう」

「じゃあ、このお金で頼みます。また様子を見に来るので、しっかり頼みますね」

「まかしといて下さい! ピッカピカにして差し上げるっすよ!」


 どうやらきちんと直るようだ。ほっとして、手を繋いでいた少女に話しかけた。


「よかったね」

「はい! なんてお礼を言ったらいいか……あの。これ、よかったらもう一本持って行って下さい!」

「うん。ありがたくもらっておくよ」


 私は差し出されたもう一本の香水を受け取った。紫色の液体は、宝物のようにキラキラと輝いていた。

 去り際に、いつまでも手を振ってくれる少女を微笑ましく思いながら、私はまた前を向いて歩き始めた。


 そのうち、ギースナトゥラとディースナトゥラを繋ぐ大きなエレベーターに到着した。

 金属製の支柱の中に、プラスチックのような見た目をした透明なチューブで出来たシャフトが縦に伸びていて、その中に人や物を乗せるかごがあった。

 他に同乗者はいなかった。乗り込むと、音もなく静かにすーっとチューブの中を登っていく。少しずつ小さくなっていく統一感のない街並みを、ぼんやりと見下ろした。やがて地中に入ったのか、何も見えなくなった。

 ちょっと寄り道しちゃったけど、まあ悪くない寄り道だった。ディースナトゥラはすぐそこだ。

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