15「作戦までの一週間 1 俺っ娘ユウとアスティ」
その後、ロレンツは事態に気付いたデビッドにずるずると引きずられていった。デビッドは「わりいな。こいつにはよく言い聞かせておくから」と申し訳なさそうに頭を下げた。よく出来た人だ。それに引き換えロレンツは……あんな奴殴られて当然だよ! これからあいつのことは要注意ね。
強引なラスラ、小悪魔なアスティと続き、変態男のロレンツで私はすっかり参ってしまった。ルナトープの連中って本当に濃くて疲れる。そのうち慣れるとは思うけど……
とにかく、もうこれ以上人と話す気分を削がれてしまった私は、交流するのはまた今度でいいかと思った。会議室を出て、人気のないところで男に変身する。それですっかり乱れた心を落ち着かせることにした。
まあよく考えたら、別に殴ることもなかったかもな。
ああいう軽薄な野郎はたまにいるし、あいつなりの親しみを込めたスキンシップだったのかもしれない。あまりに欲望に正直で、少々やり過ぎなのは否めないが。
「私」の影響が抜けた俺は、案外すぐにケロッとしていた。
『あいつ、次迫ってきたらタマ潰してやる』
『まあまあ。落ち着けって』
酔っ払いにしつこくナンパされてキレたときの母さんみたいになってる「私」を、俺は苦笑いしてなだめた。「私」は小さく頬を膨らませている。
我ながら「私」は可愛いと思う。自分同士だからか、特に変な気持ちは湧かないけど。
「あなたの大事な身体が、あんなケダモノにって思ったらね。それにあなただって、さっきまで私と同じ気持ちだったじゃん」
「だって女のときは、半分君みたいなものだし。なってるときはあまり感じないけど、小さいようで案外精神への影響って大きいんだな」
一応主人格は俺のはずなんだけど、女のときの俺は、事実上「私」にかなりコントロールされているのかもしれない。まあ「私」は俺のことを絶対に悪いようにはしないから、それでも別に構わないが。
「それはまあ完全にシンクロしてるもの。私が協力してあげないと、女になったら違和感だらけで仕方ないはずだよ」
「実際どれだけ違うんだろうな」
言われてふと思った。前に一回だけ俺のまま女になったことがあるけど、あのときは緊急時だったし、そんなこと気にする余裕はなかった。他のときはいつも私が一緒に入り込んでるから、あまりよくわからないというのが正直なところだ。
「なら一回試してみる?」
「え?」
「私」は面白そうににこっと笑うと、するりと身体から抜け出して身を明け渡した。『はいどうぞ』と、抜け殻になった女の肉体の横で淡く光る精神体になった「私」が言う。
「いいのか?」
意外な展開に、俺は少し戸惑っていた。いつもなら「私」と一緒だから特に何も思うことはないのだが、俺だけが「私」の身体を借りて動かすというのは、何だか倒錯的というか、背徳的でとてもいけないことのような気がする。
「いいよ。私の役割を知って欲しいし」
「私」は特に気にしていないようだった。まあ「私」がいいと言うのなら、試してみてもいいか。
俺は意を決めると、自分の身体から抜け出して精神体になり、自分だけで「私」の身体に入り込んだ。いつものような「私」との精神の融和がない分、ただ着ぐるみに入るような感じで、これと言って特に気持ち良さを感じることはなかった。
「いってらっしゃい。私は中でゆっくりあなたの様子を見守ってるからね」
「私」の楽しそうな言葉と一緒に、俺は女のまま現実世界へと送り出された。
「…………」
確かに違和感しかなかった。
なんだ。この胸にずっしりかかる重みは。股間がスカスカするような変な感じは。
身体中が居心地の悪さでぞわぞわした。
歩いてみると、華奢な手足が何とも頼りなく思えた。いつも女になってるときは全く気にならないのに。
それに、ノーブラの胸が小刻みにぷるんぷるんと揺れて……
意識したら、くすぐったいようなムラムラするような変な気分になってきた。つい好奇心から、シャツを引っ張って服の中を見下ろしてしまう。汗で蒸れたおっぱいが、谷間から甘い匂いと色気を発していた。
俺はいけない胸の高鳴りを感じた。
おかしい。「私」の身体だぞ。心の世界じゃ平気なのに、どうしてこっちだと……
やばい。これ以上見ちゃダメだ。
顔を上げて心を静めようとしたとき、後ろから聞き覚えのある快活な女の子の声がかかった。
アスティだった。彼女は二枚のタオルをその手に持っていた。
「あ、ユウちゃん。やっと見つけたよー」
「俺に何か用か?」
「俺?」
彼女が怪訝そうに首を傾げた。俺は慌てて言い直す。
「あ、いや、私に何か用か?」
すると彼女は俺の顔をきょとんと見て、それから合点がいったように頷いた。
「ふーん。そっかなるほど。今はユウくんなんだねー」
俺は驚いた。
「どうしてわかった、あ、わかったの?」
「言葉遣い無理しなくていいよー。どうしても何も、明らかに中身が男の子だよね」
そう言った彼女は、なぜか少し残念そうな顔をした。
「これはどういうことなのかな? てっきりあたしは、身体と心の性別が一致してるものだと思ってたんだけど」
俺はまたまた驚いた。何も言ってないのに、どうしてそこまで見抜いているんだ!?
だが、少し考えてみれば心当たりがあった。そう言えば、この前身体を弄ってきたとき、この子は反応を探るように俺のことをじっと見ていた。さては、そのときの反応で俺のことを見極めていたのか。
動揺のあまり単なるいたずら心でしてきたのだと思ってしまっていたけど、その実は人間観察のためだったのだろうか。とするとこの子、とぼけているようで実はかなり鋭いのかもしれない。
事情を説明するのも面倒なので、俺は心の中で「私」に話しかけた。というか、「私」抜きで女になるのは色々とやばそうだってことは、もうよくわかったから懲りていた。
『なあ。もう戻っていいよ』
『えー。せっかくだから、このまま話し合ってみれば?』
「私」はすっかり面白がっていた。こいつ。
なんで自分の半身にまでからかわれないといけないのかと思いながらも、「私」の援助が望めない俺は、仕方なく男口調のまま事情をかいつまんで説明することにした。
本当は人格が二つあって、女のときは女として振舞えるように、もう一つの人格に協力してもらってるといった辺りのことで十分だろう。
「というわけで、これはちょっとしたお試し期間中というか何というか。普段はちゃんと女やってるんだよ」
あまり変な話をするとおかしいと思われるかなと思ったが、アスティは割とすんなり信じてくれたようだ。
「へえ。そんな面白い遊びをこっそりしているなんて、ユウくんって意外と大胆なんだね♪」
「どちらかというと、思い付いたのはあっちの方なんだけどな。まあ乗ったのは俺だけど」
よく考えたら、このソプラノの声で完全な男口調でべらべら喋るのって、サークリスのとき以来だな。あのときは違和感なかったけど、女としての立ち振る舞いに慣れてしまった今は、逆になんか変な感じがする。
「ところで、何か用があるんじゃないのか?」
問いかけると、アスティは二枚のタオルをひらひらさせながらてへ、と笑った。
「いやー、スキンシップも兼ねて、ユウちゃんと一緒に身体拭こうかなって思ったんだけどね。さすがにユウくんとは、まだちょっと恥ずかしいかも」
身体を拭く。
ディースナトゥラ及びギースナトゥラでは、水は貴重品なのだ。ナトゥラが工業用以外で水を一切必要としないことも、水不足に拍車をかけている。需要がないから供給もないという単純な話である。もちろん豪快に水を使うお風呂やシャワーなんてあるはずもなく(そもそもナトゥラはそんなもの使わない)、節約のためにタオルに水を染み込ませて拭くというのが、ヒュミテの身嗜みの常識だそうだ。
ちなみにナトゥラは、エアシャワーというものを使って身体を綺麗にするらしい。
「普通半分男だってわかったら、裸の付き合いは避けるもんじゃないか? そっちこそ結構大胆なんだな……」
アリスやミリアのように、正体がわかっても全く変わらず付き合ってくれる人はいないわけではないが、どちらかと言えば少数派だ。
「あたしは人の中身を見てるからねー。それに戦士は大胆じゃなきゃやっていけないんですよ?」
首をちょこっと傾げてぱちりとウインクした彼女に、俺はついドキッとしてしまった。
この子、どこかあざとい。あざといけどかわいい。
そんな俺の心の揺れを知ってか知らずか、彼女はけろっとした顔で俺に迫ってくる。腕を握られて、ぽんとタオルを手に乗せられた。
「はい。とりあえず持ってきちゃったし、ユウくんのタオルね」
「あ、ありがとう」
「まあついでだし、あたしの部屋来る? 水もあるから」
さらっと言った彼女の微笑みから色っぽい彩が感じられて、俺はますますドキリとしてしまう。
別の意味で誘われてるのか? と一瞬勘違いしてしまいそうになるほどに。
「その……」
「ほら。遠慮せずにおいでよ」
腕をぐいっと引っ張られて、俺はなすがままに連行されてしまった。
彼女の部屋と言っても、アジトの一室を貸し与えられただけのものである。彼女の所有物である銃器類を除けば、ベッドや机の他には何もない質素なところだった。
俺たちは、ベッドに隣り合って座っていた。
なし崩し的について来てしまったけど、なんだこの状況は……
既に彼女からは、水を受け取っていた。
「いいよ。ユウくんだけで拭き始めて」
「いや、でも……」
俺は恥ずかしさから顔を背けた。身体を拭くのを女にじーっと見られるって、なんのプレイだよ。それにこっちは「私」の身体だし、脱いだら――
また変な想像が頭を突いて出てくる。いけないと思い、必死に別のことを考えようとしたところで、アスティがクスクスと笑い出した。
「あ、もしかしてあたしに見られるのが恥ずかしいのかなー? やっぱりウブなんだね」
「うるさいな」
反発心からカチンと吹っ切れた俺は、勢いよく服に手をかけた。ジャケットを脱ぎ、シャツをめくり上げたところで、アスティの視線が胸にいった。そこで最大の失態を犯してしまったことに気付く。
「うひょー。ノーブラですか。大胆~♪」
「あ……!」
そうだった!
かーっと顔が熱くなる俺。もうアスティの顔がまともに見られない。
『はい。その辺でストップ』
心の世界で、後ろから「私」の精神体に抱き付かれる感覚があった。そのまま意識を中に引きずり込まれて、気が付けば俺は精神体として、自分の身体に戻った「私」の目の前にいた。
「どうだった?」
「君の手助けがないと、色々と大変だってことがよくわかった」
まさに「私」様々だ。
「ふふ。そうでしょ」
「いつもサンキューな」
「どういたしまして」
「私」はにやにやして言った。
「それにしても、ユウって結構むっつりだよね」
「うっ……」
「あはは。あんなに私やアスティでドキドキしちゃってさ。まあ男だもんね。仕方ない仕方ない。どっかの誰かみたいに、人前で欲望丸出しにしないだけまだいいよ」
図星を突かれて、俺は恥ずかしくなった。でも「「私」はわかってるんだよ」とでも言いたげなお姉さん的な態度が気に入らなかったので、俺は反撃の材料をもって「私」に言い返してやった。
「でも君だって、人のこと言えるのかな? この前はレンクスで――」
今度は、動揺したのは「私」の方だった。
「なっ! いや、それはね! どうしても浮かばなくて……って、実際に身体を動かしたのはあなたでしょ!?」
「そう思わせてるのは君じゃないか! 思い出すだけで気持ち悪い」
「へえ。じゃあ言うけど! あなただって困ったとき、ごくたまにアリスやミリアで――」
「あー聞こえない! 聞こえないな!」
「私も聞こえない!」
顔が熱くなった俺と、真っ赤に赤面した「私」は、顔を背け合った。
ところが心の世界では、少し気にしただけで相手の心が簡単にわかってしまう。同じ経験を共有する似た者同士だからこそ、下らないことで反発してしまう部分もあるわけで。心が通じ合ってしまえば、この言い合いもすぐに馬鹿らしくなった。
「……同じ人間同士で罵り合っても仕方ないよな。お互い何もかも全部知ってるわけだし」
「……ええ。秘密は私たちの心の中にしまっておこうか」
俺たちはがっちりと握手を交わした。秘密保護条約締結だ。
「急に黙り込んで、なに考えてるのかな?」
「何でもないよ」
澄ました顔でそう答えると、アスティがぱっと笑みを見せた。
「あ、ユウちゃんに戻ったっぽいね」
「そんなすぐにわかるものなの?」
「えっへん。このアスティちゃんを舐めてはいけませんよ」
すごいなこの子。私はすっかり感心していた。
「さ、拭き合いっこしよっか」
「え」
「言ったじゃん。元々そのつもりだったって。これで心置きなく出来るねー」
そう言うと、彼女は事もなげに服に手をかけた。軍服のような制服の上着をするりと脱ぐと、目に付いたのは、ほぼ全身をぴったり張り付くように覆う真っ黒な伸縮素材のスーツだった。
「それはなに?」
気になって尋ねると、彼女は丁寧に教えてくれた。
「セフィックだよ。そっか。ユウちゃんには必要ないから、あまりよく知らないんだよね。これは、生命反応を抑えてくれる特別なスーツなの。一人一人の生命反応に合わせた特注品で、結構値が張る貴重なものなんだよー」
「へえ」
「とっても便利だけど、ほぼ全身ぴったり覆わなくちゃいけないから、窮屈なのが玉に瑕かな。ただこれでも完璧に生命反応を隠せるわけじゃないから、ディースナトゥラでも特に感知システムが厳重なところだと、どうしても反応しちゃうんだよ。困ったね」
なるほど。ルナトープの人たちの気が随分読みにくかったのは、そういうことだったのか。でも完璧じゃないと。
ディースナトゥラでヒュミテが活動することは自殺行為とクディンは言っていたけれど、セフィックが効力を発揮しない場所がいくつかあるというのが大きいのかなと思った。
と、そんなことを考えているうちに、彼女はもう素肌を晒していた。
私は思わずはっと目を見張った。
全身が至る所古傷だらけで、見ていて痛々しいほどだったのだ。それは戦いの日々の凄惨さを、十二分に物語るものだった。
「その身体……」
同情の目を向けると、アスティは平気な顔をしてからからと笑った。
「いいの。気にしないで。この傷はあたしの勲章だよ。ラスラねえもマイナねえも、おんなじようなもんだしねー。どう? あたしの身体、醜いかな?」
「――ううん。綺麗だよ。すっごく綺麗」
戦うために無駄なく鍛え上げられた身体は、健康的な色気と肉体美を誇っていて、本当に綺麗だった。アスティは得意気な顔で言った。
「そうでしょ。自慢の身体だもん。どんな男だってイチコロよ♪」
私は心を込めて、長旅の疲れを労わるように、丁寧に彼女の身体を拭いてあげた。ついでに肩も揉んであげると、彼女は心地良さそうにしていた。
確かに裸の付き合いは、効果的だったようだ。随分親しくなれたような気がする。
部屋を出るとき、彼女はピストルを構えるようなポーズを取ってニカッと言った。
「あ、そうだ。今度銃の訓練するんだけどさ、良かったら付き合ってみない?」
「いいよ。楽しみにしてる」
私は嬉しい気分で自分の部屋に戻った。もうすっかり彼女への苦手意識はなくなっていた。