1「ユウ、人工生命の星に降り立つ」
俺は淡く白い光があちこちにふわふわと浮かぶ星の海のような場所、星脈を流されて次の世界に向かっていた。
サークリスを離れてから約四年。俺は二十一歳になっていた。あれから二つの世界、「ミシュラバム」と「イスキラ」という所で過ごした。
「ミシュラバム」では、サークリスでの戦いの日々が嘘であるかのように平和な毎日だった。最初は一体どんな事件が起こるのかと身構えていたけど、あまりに何も起こらないから、かえって拍子抜けしてしまうくらいだった。どうやらウィルがサークリスで、しばらくは自由の身だと言っていたらしいのは本当のことだったようだ。
最初は自給自足のサバイバルのような生活をしていたが、ずっとそれではいけないと思い直し、生活の糧を得るために職を探すことにした。女でいたときに、偶然縁があってとあるレストランで雇ってもらえることになり、雑用兼ウェイトレスの仕事を始めた。
そのレストランは個人経営でこじんまりとはしていたが、味もレシピも超一流の人気店だった。そこでオーナーシェフのディアさんに気に入られて、まあ色々あって、なぜか料理修行をすることになるのだが、それはまた別の話にしよう。
もちろん平和にかまけて腕が鈍らないようにと、時間を見つけては剣や魔法の訓練を欠かさずに行っていた。
一年間の修行の甲斐あって、料理の腕は、世界を離れる前日の「卒業試験」で、ディアさんがまずまずの合格点をくれるくらいには上達した。
別れのとき、ディアさんはずっとこらえてたのに、最後は泣いてしまって、私も別れは笑顔でと思っていたのに、ついもらい泣きしてしまった。
「イスキラ」は、魔獣という魔力を持つ動物が普通の動物の代わりの位置を占める世界であり、今までの三年間をそこで過ごした。
大型魔獣の一部は、時に人間の住む領域を脅かすこともある危険な存在だが、それ自身が貴重な素材の宝庫でもある。というわけで、そいつらを狩る魔獣ハンターという仕事が存在していて、俺は「ミシュラバム」で鈍った戦闘の勘を戻しつつ、それで生計を立てていた。
相手は魔獣ばかりではなかった。俺が主にいたのはダジンという小国で、この国は両脇にある二大国の戦争に挟まれる形で戦火に包まれ、大きな被害を被っていた。
ダジンの人たちには本当にお世話になっていたので、出来る限り何とかしたいと思った。大規模な戦闘がある度に、俺はダジンの人々を守るためにフリーの戦士として色々と立ち回った。そんなことをしていたから、この世界では対魔獣対人と、かなりの戦闘経験を積むことになった。
特に超大型一角獣ゼグゼムや、剣豪バドランとの死闘は、未だ記憶に新しい。これらの戦いを経て、俺はもう一回り成長出来たような気がする。
ダジンで特に仲良くなったのは、ミックという個人発明家で、彼はお茶目で本当に面白い人だった。「イスキラ」を離れるとき、お土産に持っていけってことで、ウェストポーチ一杯に色んなものを持たされたよ。きっと彼なりの照れ隠しだったんだと思う。
どちらの世界も、それ自身を脅かすような大きな脅威は何もなかった。こんなに何もなくていいのかと思ったけど、考えてみれば至極普通のことだった。当たり前の話なのだが、そもそも世界の存亡に関わるような事態に巻き込まれることの方が珍しい。第一、ウィルが何もしなければ、サークリスだってそこまで大変なことにはならなかったわけで。
さて、今から向かう世界が、俺にとっては四番目の異世界となる。果たしてどんな出会いが待っているのだろうか。期待と不安を折り混ぜて、俺はそこへ向かっていく。
目的地が近づくと、元の宇宙空間に出た。遥か彼方より、徐々に星が迫ってくる。宇宙から眺めたその星の大気は、地表の様子が全くわからないほどに鼠色に酷く濁っているのが一目でわかった。外から見る限り、どうもあまり綺麗な星ではなさそうだ。
やがて地表がぐんと近づいたかと思うと、間もなく俺は肉体を伴って地に降り立っていた。
すぐに辺りを見回したところ、どうやら都市の真ん中のようだった。
足元は金属プレートのようなもので覆われており、至る所に立派な高層ビルがあった。全体として白銀色を基調とした明るく華々しい雰囲気で、やたらメカメカしいところといった印象を受ける。上を見れば、車らしきものや一人乗りのバイクのようなものなど、たくさんの乗り物がなんと当然のように宙に浮いて走っていた。その光景に思わず目を見張ってしまう。
一目見ただけでも明らかだった。どうやらここは、非常に文明が進んでいるみたいだ。まるで未来の世界に来たかのような気分だった。
ただ、そんな風に暢気に考えている暇はないほど、深刻な問題に直面していた。 ここは大都市のど真ん中。当然辺りには、見渡す限りの人々がいたのだ。彼らは突然現れた俺という存在に、すっかり目を丸くしていた。
俺はかなり困ってしまった。どうしよう。今まで偶然誰もいない所ばかりに降りてきたけど、そうか。こんな風に、衆人の前に降り立ってしまうこともあるんだよな。
周りからは、何も無い所にいきなり俺が現れたようにしか見えないだろう。実際そうだし。どうやってこの場を切り抜けようか。
考えを巡らせていると、近くにいた女性が突然叫び出した。
「ヒュミテよ! ヒュミテが現れたわ!」
ヒュミテ?
「ヒュミテが出たぞー!」
さらに、一人の男の警戒を呼びかけるような声をきっかけに、彼らは蜘蛛の子を散らすように俺から離れていく。
えっ。なに。なんだ?
じきに俺を中心に大きな人の輪が出来て、俺はその真ん中に一人だけぽつんと取り残されてしまった。周りの人たちは、俺の動向を伺っているようだった。
まるで敵でも見るかのような目で俺のことを睨む者、恐れおののくようなそぶりを見せる者、野次馬気分で眺めているように思われる者。反応は実に様々だったが、好意的な感情は何一つ感じられなかった。もちろんそんな感情を向けられることに、全くもって心当たりはない。
何がどうなってる。俺が一体何をしたっていうんだ。
突然のことに困惑していたそのとき、あちこちでサイレンが鳴り響いた。明らかな警戒音が、辺り一帯に轟く。さらには女性の声で、音声までかかった。
『ヒュミテが第三街区五番地に現れました。近隣の住民は十分に警戒して下さい。繰り返します。ヒュミテが第三――』
嫌な予感がした。もしかして、相当厄介なことに巻き込まれてしまったんじゃないだろうか。
やがてこちらへ、サイレンを鳴らしながら数台の車が空を走ってきた。俺のほぼ真上のところで、そいつらはぴたりと止まった。その位置で、車は俺の前に急降下してくる。
地面に着くと、一斉にドアが開いて、何人もの黒い制服を着た人たちが降りてきた。合わせて二十人ほどだ。
「ディークランだ!」と、人々から歓迎の声が上がる。
彼らの中から一人だけ、身分の高そうな男が一歩進み出た。そして、俺に声をかけてきた。彼の表情は、明らかにこちらを歓迎してはいないものだった。重みのある声からも、非常に警戒していることが伝わってくる。
「ヒュミテだな。貴様、一体どうやってこんなところまで気付かれずに入り込んだ」
どうやら間違いない。さっきから言われているヒュミテとは、おそらく俺のことだろう。ヒュミテなんてものはもちろん知らないが、どうもそいつと勘違いされてしまっているようだ。
とりあえず事を荒立てないように、頭を下げておくか。正直に異世界から来ましたなんて事情を説明しても、到底信じてもらえそうにないから、そこは濁すことにしよう。
「すみません。悪いことをしたのなら謝ります。俺はどうすれば良いでしょうか」
すると、彼は鼻で笑ってきた。まるで俺のことを見下し、馬鹿にするかのように。
「どうすれば良いも何も。決まっているだろう。ヒュミテの不法侵入は、死罪だ」
全く予想もしなかったことを言われ、俺は動揺した。
死罪だと!? ちょっと待ってくれ。確かに不法侵入というのは、悪いことをしたのかもしれないけど、それって死ななければならないほどのことなのか?
しかも、わかってもらえないだろうけど、これは不可抗力なんだ。死罪なんて冗談じゃない。
彼が右手を上げると、他の人たちが一斉に銃のようなものを構えた。いや、銃のようなものではなくて、どう見ても絶対に銃だ。
おいおい。マジかよ。
俺は内心焦りを感じながらも、なるべく顔には出さないようにして彼を説得にかかった。
「あの。まずはもう少し穏便に話し合いませんか。きっと何か不幸な勘違いが――」
「問答無用。撃て!」
合図と同時に一斉に銃声が鳴り、いくつもの銃弾が発射された。
「うわっ!」
本当に撃ってきた!
俺は慌ててそれを回避する。普通なら、銃弾なんてかわすどころか見えもしないが、今は男で良かった。気によって身体能力を強化した状態なら、銃弾の軌道を見切ることは可能だ。
だが、どうしてだろう。今までならこんなものなんて、余裕で回避出来ていたはずなのに。
俺は今かなりギリギリだった。
なぜか《身体能力強化》のかかりが悪く、動きのキレが非常に悪いのだ。普段の二割くらいしか、力を出せていないような気がする。下手するとこの銃弾程度でも、まともに当たれば身体を貫いて死んでしまうかもしれない。
「なぜだ! なぜ当たらない!」
指示をした男は、なぜ俺が銃弾を避けられるのか不思議でならないようだった。確かに、地球でこんな奴がいたら俺も驚くよ。彼にしてみれば、そんな感覚なのかもしれない。
「撃て! もっとだ!」
彼が周りの人たちに喝を入れると、ますます攻撃が激しくなった。俺は段々避けるだけで、手一杯になっていく。そしてついに、頬のすぐ横を銃弾が掠めていった。このままでは当たるのも時間の問題だ。
こんなわけもわからないまま殺されてたまるか。
別に死んでも次の世界に行くだけだが、死ぬときのあの力が抜けていくような感覚は、本当に嫌なものだ。
命を賭けるべき正当な理由があれば、俺は喜んでそれを賭けるさ。でも俺は、理由もわからずただで命をくれてやるほど酔狂じゃない。
そこで反撃に転ずるべく、左手に白く輝く気で出来た剣――気剣を作り出した。
俺の生命力を込めた強力な武器であるこれは、普通の剣よりもずっと強靭で切れ味もある。さらに意に応じて、ある程度は形状を変えることも出来る。
だが、ここでも妙な違和感を覚えた。
おかしい。いつもより、気剣に勢いがない。
本来なら、もっと力強い輝きを放つしっかりとしたものが出来るはずだった。なのに、今俺が作り出した気剣は、やや色が薄く、しかもその輝きは弱々しかった。
まさか、急に俺の腕が落ちたわけはないだろう。どういうわけか、《身体能力強化》のかかりも悪い。
ということは、まさか――この世界は、気力許容性が低いのだろうか。
だとするとまずいな。レンクスの【反逆】を使えば、一時的に許容性による限界を突破することは出来る。けど、あれは俺が使うにはあまりに負担が大きい力だ。 それに、元々の許容性が低ければ低いほど、限界を引き上げるには絶大な負荷がかかる。それだけ世界が厳しい制約を課しているものを、強引に解除しなければならないからだ。
無理に使えば、身も心も保たないどころか、下手すれば即死亡してしまうかもしれない。自分で自分の首を絞めるようなものだ。
大変だけど、このままで何とかしなければならない。
試しに気剣に銃弾を当ててみると、刀身の強度が弱っているとはいえ、なんとかこの程度なら危なげなく弾いてくれた。
よし。これなら気で盾を作れば、銃弾は防げるかな。
俺は気剣を形状変化させて、盾状にした。それを構えながら動けば、もう銃弾は危なげなく防ぐことが出来た。
少し余裕が出来た俺は、相手の状態を測るために、意識を集中して気を探ってみることにした。
そこで、衝撃の事実に気付く。あまりのことに、変な汗が噴き出してきた。
なんと、今銃を撃っている彼らから――一切の気が感じられなかったのだ。
そればかりではない。
恐るべきことに、遠くで見物している人たちも含め、この場にいる誰一人として、全く気というものを持っていないようなのだ。
こんなこと、本来なら絶対にあり得ないことだった。だって普通の生物ならば、必ず大なり小なり気は持っているはずなのに。
それが一切ないということは――もしや、このどう見たって人間にしか見えない人たちは、ただの人間ではないのか!?
確かめる必要があると思った。
俺は盾をしっかりと構え直すと、攻撃を続けていた男の一人に向かって駆け出した。彼らの目にも止まらない速さでさっと近づくと、一瞬で盾から剣に切り替えて気を込めた。
気剣は白を保ったまま輝きを増し、バチバチとスパークする。そして驚く彼に、そのまま一撃をお見舞いしてやる。攻撃自体が目的ではないから、剣を当てるのは軽くだ。
《スタンレイズ》
これは、純粋に気を込めて放つ必殺の一撃《センクレイズ》を応用して編み出した、人を殺さない剣技だ。切れ味をなくした気剣による打撃と同時に気を送り込み、相手の気を乱すことで電撃のようなショックを与える。
互角以上の相手に使う余裕はない代物だが、格下の相手ならば、これで十分に気絶させることが出来る。
《センクレイズ》と比べると殺傷力は全然ないから、気絶させられそうな相手かどうかを判断して慎重に使うことになるけど、なるべく無意味に人を殺したくない俺としては、重宝する技だった。
ところがこの《スタンレイズ》、今食らわせた男にはほとんど全く効いていなかった。彼は打撃の衝撃を受けて多少は吹っ飛ばされたが、まるで何もなかったかのようにぴんぴんして立ち上がった。
剣を当てるために距離を詰めすぎた俺は、銃による集中攻撃の餌食になる前に一旦下がることにした。彼らと距離を取りながら、冷静に得られたピースを繋げていく。
いや、あれは効かなかったどころの問題じゃない。そもそも乱せるような気が存在しなかった。女の俺のように内側から生命力を供給されているというわけでもなく、本当に何もない。
それに剣を当てたときの感触が、人に当てたときのそれとは全く違った。まるで金属か何かにでもぶち当たったかのような硬い感触。鎧を着ているわけでもないのにだ。少なくとも生身ではない。ここから判断出来ることは――
こいつら、人間じゃない! 信じられないが、余程よく出来たロボットか何かだ!
ようやく少し腑に落ちたような気がした。なぜ彼らが俺のことを警戒するのか。敵視するのか。もしかすると、俺が人間だからかもしれない。今のところ他に理由が思い当たらない。
そうでなかったとしても、俺が彼らと「違う」ということそのものがこうなってしまっている原因なのは、おそらく間違いないだろう。彼らは俺のことをヒュミテと呼んで区別していたから。
「違い」そのものが原因だとすると、この場を丸く収めるのは簡単にはいかないだろうな。もしかしたらまだ話し合いで何とかなるかもしれないという希望を持っていたけど、今は捨てるしかないか。
じゃあどうする。このままずっとこうしているわけにもいかないし。
今攻撃してきている彼らを全て倒してしまうというのは、一つの選択肢だろう。ただ、どうもそれをする気にはなれなかった。
彼らには明確な敵意があるが、俺には別にない。それにもし仮に一人でも殺してしまえば、対立は決定的になり、ますます取り返しの付かないことになってしまうことは容易に想像がつく。わざわざ敵は増やしたくないし、誰かに恨まれたくもない。
とりあえず適当にあしらって逃げるか。
それが最善のように思われた。俺は方針を固めると、威力の高い気剣はあえて盾としてのみ使うことにし、格闘中心で立ち回ることにした。
雨のように飛び交う銃弾を避けたり防いだりしながら、一人ずつ蹴りや手刀を浴びせて銃を弾いていく。それでも向かってくる奴は投げ飛ばしたり、直接拳を入れた。拳から返ってくる硬い感触からも、彼らがロボットらしいということはますます確信出来た。
幸いにというか、理由はよくわからないが、ロボットであるにも関わらず、強いショックを与えれば気絶というか、一時機能停止するらしいということがわかった。
「ええい! たった一人に何をやっておるのだ!」
怒声を上げて指示を出す男を尻目に、半数ほど無力化したところで逃げる。これくらいやっておけば、彼らは仲間の対応に手を取られて追う足も遅れるだろう。逃亡は楽勝のように思われた。
彼女が、現れるまでは――
俺の目の前を、影が通過していった。見上げると、水色の立派なオープンカーが飛来していた。
それに乗っていたのが彼女だった。彼女は立ち上がると、車を地面に下ろすまでもなく、その場からさっと飛び降りた。
「リルナさんだ!」「あのリルナさんが来た!」「ディーレバッツが来てくれた!」
口々にそんな歓声が上がる。よほど信頼されている奴のようだ。リルナと呼ばれた女性は、地面のごく近くでふわりと浮き上がるように減速し、危なげなく華麗に着地した。
「リルナさん、奴を殺して下さい!」
「罪深きヒュミテに死を!」
彼女は周りの期待する声に、軽く手を上げて応える。
「騒がしいことだ。今日は非番だったのだがな」
そう言って彼女は、俺の方を真っ直ぐ見つめてきた。
透き通るように青い瞳と、滑らかに流れる水色のロングヘアがまず印象的だった。まるで人形のように整った、清楚で綺麗な顔をしている。
所々黒や赤の入った、白銀色の金属製コスチュームを身に着けていた。腰から胸にかけてはしっかりと金属で覆われているが、肩や太腿は白い肌が露出している。 肘から先と膝から先は、見た目からして生身ではなく、やはり白銀色が主体の金属製だった。足の先は少し膨らんでおり、まるで靴を履いているように見える。
膝のところには水色の膝当てのようなパーツを付けており、手甲のところには金色のパーツと、そこから何かが飛び出しそうな平たい穴があった。
この人、ただ者じゃない。
やはり気は感じられないが、彼女が纏う力強さや隙のない身構えから、それだけはよくわかった。
俺は警戒レベルを一気に引き上げた。これはそう簡単にはいかなさそうだ。
「お前が例のヒュミテか」
「お前はリルナっていうのか」
すると彼女は、顔をしかめた。その表情は、本当の人間のように自然なものだった。
「ヒュミテが気安くわたしの名を呼ぶな」
「俺はそのヒュミテとかいうやつじゃないんだけど」
俺にとっては紛れもない真実を言ったのだが、彼女は怪訝そうに眉をひそめた。
「戯言を。わたしにはわかる。お前の生命反応がはっきりと。それこそが、お前がヒュミテである何よりの証」
なるほど。さりげなく重要な情報がわかった。
ヒュミテは俺のように気力を持っているのか。それで判別していたと。
彼女はその透き通るような氷の眼で、俺を射抜くように睨みつけてきた。
「ナトゥラを脅かすヒュミテは――殺す」
その言葉を言い終わったとき、彼女は目の前から忽然と姿を消した。
消えた!?
気が感じられないから、彼女の動きが全くわからない。
どこだ。どこから来る。
後ろか。
俺は本能と経験則から、何となく背後が危ないと感じ、気剣を取り出して振り返りざまに振り抜いた。
直後、ガキンッ! という音と共に彼女の攻撃が止まった。
あと一瞬でも反応が遅れていたら、やられていた。
彼女の右手甲からは、水色に輝く光の刃が飛び出しており、それが俺の気剣とぶつかって激しく火花を散らせていた。
彼女は驚いたような顔をしていたが、あくまで口調は冷静だった。
「これを止められたのは……初めてだ」
「俺には戦う気も、何かするつもりもないんだ。頼むから話を聞いてくれないか」
どうにか説得出来ないかと試みてみたが、彼女の反応は冷たいものだった。
「ヒュミテの話に傾ける耳などない」
彼女は左手甲からも、同じ水色の刃を出した。
「《インクリア》。攻撃モードに移行」
左右の刃を器用に使いこなし、彼女は畳み掛けるような二刀流で俺に斬りかかる。俺はその刃をいなし、かわすだけで精一杯だった。
一瞬でも気を抜けば、やられてしまう。それほどの圧倒的な手数に、一刀では為すすべがなかった。
二刀流は俺も使えないことはないが、一刀よりも精度が落ちる。片手ずつではあまり力も込められないから、特殊な状況以外では一刀流の方が安定して強い。
彼女は手甲に刃を固定することで、二刀流を無理なく実現している。しかも二刀での動きに相当慣れている。付け焼刃の二刀流では、まず対抗出来ない。
強い。
俺もかなりの戦闘経験を積んできたはずなのに、完全に押されてしまっている。いきなりこんな奴とぶつかるなんて。
もう出し惜しみをしている場合ではなかった。倒すつもりで攻撃しなければ、隙は作れない。
俺は気剣に思い切り気力を込めた。気の密度が高まった刀身は、白から目の覚めるような青白色に変わる。それをもって、彼女に斬りかかる。
《センクレイズ》
「さっきから妙な剣技を使うな。だが――」
気剣が当たるかと思われた刹那、彼女の周囲を鮮やかな青色透明のバリアが覆った。それに気剣がぶつかったとき――
気剣が、粉々に霧散した。
「わたしには通用しない」
な――――
絶対の信頼を寄せる、俺が持つ最強の一撃。
弾かれたことはある。効かなかったこともある。
でも、気剣ごと砕かれるなんて。そんなこと、今までなかった。
「死ね」
「わっ!」
突き出された刃を辛うじてかわす。だが動揺からか、一瞬反応が遅れ、頬に少し掠めてしまった。そこからたらりと血が流れ出す。
俺は背筋が凍った。
やばい。やばすぎる。何だよあのバリア。
くそ。剣がダメなら拳ならどうか。
今度は拳に気力を込めてみる。そして攻撃を何とかかわしながら、わずかな隙を見つけて左ストレートを叩き込んだ。
だが、バチッ! と音がしたと同時に、拳は一瞬で生成されたバリアの表面に当たり、完全に弾かれてしまった。
弾かれただけじゃない。気力強化の効果まで消え失せている。
このバリア、自動で展開されるのか! しかも気力まで……!
「効かないと言ってるだろう」
顔色一つ変えずに、冷たい声でそう告げてきた彼女が、まるで悪魔か何かのように思えた。
俺は湧き上がる動揺をなんとか抑えながら、勝算を割り出した。このまま戦いを続けていて、こいつをどうにか出来るのか。
答えは、否だった。
勝ち目が見えない。何しろ攻撃が全く通らないのだから。
女に変身すれば、あるいは魔法で何とかなるのかもしれない。だが、この衆人環視の中変身するのは気がはばかられた。それにだ。
率直な気持ちを言おう。
やってられるか。
いきなり因縁付けられて、何が何だかわからない。それに、別に逃げたところで困る奴もいない。こんなの、真面目に戦うだけ損だ。
逃げなければ。このまま戦っていてはじり貧だ。
だが、どうやって逃げる。
今のところ、彼女は俺とスピードは互角だ。土地勘がある分、地の利も向こうにある。そう簡単に逃がしてもらえるとは思えない。
――そうだ。思い付いた。
確かミックにもらったものの中に、非常に強力な電磁波を発生させる使い捨ての道具があったはずだ。なんでそんなものを作ったのは知らないけど。
とにかく、それで機械であるこいつらの動きを少しでも狂わせることが出来れば。やってみよう。
使い込んでボロボロになったウェストポーチから、ミックの発明品|《電磁ボール》を取り出す。そいつのスイッチを入れると、リルナの前に向かって投げつけた。ボールは、ジジジと音を鳴らし始める。
もちろん電磁波だから目には見えないが、どうやら効果はてきめんだったようだ。彼女の足がぴたりと止まり、明らかに動揺していた。
「なに……? システムエラーだと!」
よし。今だ!
使い捨てだし、おそらくあまり長くは効果が保たないだろう。俺は彼女に背を向けると、驚く群衆をかきわけて一目散に逃げ出した。
どこでもいい。身を隠せそうな場所へ!
なるべく人がいなさそうな小道へ向かって走っていく。機械都市は、小道に至るまで整備されていて綺麗だった。
『ヒュミテが逃走中。現在第三街区六番地。ヒュミテが逃走中。七番地へ向かっています』
しきりに音声放送がかかる。一体どうやって俺の居場所を突き止めているのか。
「逃がさない!」
背後から、リルナの鬼気迫る声が聞こえた。彼女は俺から離れず追ってきているようだ。このままではいずれ追いつかれてしまう。
まだ姿は見えていないはずなのに、一体どうやってついてきてるんだ。
改めて考えを巡らせたとき、ようやく答えがわかった。
そうか。わかったぞ。生命反応がどうとか言ってたな。もしかして気を読み取っているんじゃないか。だったら。
変身!
俺は女に変身した。一切の気力を持たない女に。背が少し縮み、髪がふわりと伸びて、胸にずしりと重みがかかった。
「どこだ。どこへ行った!」
急に反応が消えたのだろう。やがて、彼女の声が遠ざかっていく。どうやら撒くことに成功したようだ。
ふう。助かった。
ほっと一息吐いたとき、胸が窮屈であることに気付いた。
あれ? 服が変わっていない。
見下ろすと、服は男物のままだった。ブラジャーもないから、開いた胸元からは谷間がしっかりと見えている。
この服は、私の魔力に反応して女物に変化する。一定の魔力があれば、必ず変化するはずなのに。
まさか。
私は試しに魔法を唱えてみた。周りに影響がないように、自分を対象とする風の加速魔法を。
《ファルスピード》
すると風はしゅん、と一瞬だけ起こったが、間もなく消えてしまった。
なっ!?
《ラファルス》《ボルケット》《アールカンバー》
慌てて次々と魔法を試していく。
何でもいい。何か使えるものはないの!?
だが、それらはことごとく発動しなかった。
そんな――
私は、目の前が真っ暗になりそうだった。
魔法が、使えない。




