エピローグ:薔薇と王冠のチョコレート
パーティを抜け出して、用を足すために厠に向かう。
すると、先客の話が聞こえてきた。
「アルノルトのガキはうまくやったな」
「レナリール公爵をうまく誑かして男爵に大出世だもんな」
「やり手って言っても、しょせん男を知らないお嬢様だってことだ。俺も強引にせまって、あの女を手籠めにしとけば良かった」
「違いない。男娼まがいのガキが俺たちと同格とはやってられねえよ」
男たちは笑う。
俺は物陰に姿を隠した。
レナリール公爵を侮辱した二人の顔と名前は覚えている。さきほど、挨拶したばかりの子爵と準伯爵だ。
……そういう目でレナリール公爵は見られたのか。
レナリール公爵は有能で実績もある。だけど、美しい少女である以上、そういう中傷は避けられない。
そして、俺の容姿が優れているのも、そういう邪推の原因の一つになっている。
この場で、顔を出して訂正をもとめても意味はない。
こういう連中は言葉だけで謝り、内心では嘲笑ってくる。
俺にできることは、立派な男爵になりその実績でレナリール公爵の見る目があったと証明することだけ。
「王家での菓子作り、失敗できない理由が増えたな」
レナリール公爵は、こういう中傷を受けることはわかっていたはずだ。
それでも、俺を男爵に推した。
彼女の信頼に応えるためには失敗は許されない。
より、いっそう頑張ろう。
◇
パーティが終わる。
かなり、精神がすり減った。
なにせ、話す相手の立場が立場なだけあって下手なことは言えない。
そんな相手がかわるがわる話しかけてくる。
全員の名前と爵位を覚えないと失礼にあたるので名前と顔を覚えるのにも必死だった。このままベッドに突っ伏してしまいたいほどの疲れていた。
「貴族の洗礼は楽しんでもらえた?」
「ええ、一生忘れられない経験です」
「ふふ、これからはこういう機会も増えるわ。はやく慣れなさい。明日からは、私たちが挨拶する貴族のもとへ出向くわ。今日ほど、たくさんの人とは会わないから気は楽ね」
明日から王都へでるまでの一週間の間は、ひたすら挨拶回りだ。
どうしても領地を離れられない貴族や、レナリール公爵の派閥ではないが付き合いが深い貴族のところにはこちらから出向く必要がある。
面倒だが男爵になるためには必要なことだ。
「レナリール公爵、出発まえに三十分ほどお時間をいただけませんか?庭園を使わせていただきたい」
「それぐらいなら構わないけど、なぜかしら?」
「それは、明日になってからのお楽しみです」
レナリール公爵に恩を返したい。
彼女は俺を男爵にするため、多大な労力を払い、中傷を受け入れ、そして貴重な時間をさいて、こうしてパーティを開催し、俺を連れて飛び回ってくれる。
そんな彼女を少しでも喜ばせたい。
それも、菓子職人のやり方で。
◇
パーティが終わったあと、ベッドに突っ伏したい気持ちを抑えて、チョコレートづくりを始めた。
さきほど、熟成と乾燥を済ませたカカオ豆を潰して粉末状のカカオマスとカカオバターに分けたが、それを使っていよいよチョコレートを仕上げていくのだ。
カカオマスの粉を湯煎で温め、白砂糖、生クリーム、そしてカカオバターを少しずつ加えて練り上げていく。
滑らかな黒いクリーム状になっていく。
これが精錬。三十時間以上、高級チョコであれば七十時間以上、温度を一定に保ちながらかき混ぜ続ける。もっとも手のかかる工程。
この作業がチョコレートの滑らかさと風味を生む。
クロエにも手伝ってもらい、液体状になったカカオマスに力を加え圧力をかけてもらう。
思ったとおり、魔法のおかげでカカオの粒子が均一になるのがはやい。
これなら、十時間ほどまで時間を短縮できる。
「ありがとう。クロエ、もう戻って休んでいい。ティナもだ。ここからさきは俺の仕事だ」
二人も疲れている。無理に俺に付き合わせるのは悪い。
「うーん、面白そうだから見てる。ティナもそのつもりっぽいし」
「はい、クルト様、クルト様は温度管理を自分でやるといいましたが、私がいたほうが確実です!」
湯煎をする際にティナの火を借りている。
チョコの風味を飛ばさないために、45℃に温度を保つ必要があり、力を貸してもらっていた。
「助かるけど、いいのか? かまどでもできなくはないぞ」
「いいです。最高のお菓子を作るためには妥協しないのがクルト様です。そのために私を使い倒してください」
そう言われると菓子職人の俺はこれ以上強く言えない。
ティナがいるほうが絶対にいいものを作れる。
「二人とも悪いな。最高のチョコレートを作るために朝まで俺に付き合ってくれ」
「うん、いいよ!」
「がんばりましょう、クルト様!」
そうして、俺たちは朝までチョコの精錬を続けた。
一晩中、努力した甲斐があって最高のチョコレートができた。
そのチョコレートを大理石の上に広げて引き延ばしていく。
仕上げのテンパリングだ。チョコレートに含まれるカカオバターを分解し、安定した細かい粒子に結晶させて融点を同じにするための温度調整。
テンパリングを行うと、つややかで柔らかい口当たり、なめらか口溶けのチョコレートに仕上がり、きれいなツヤが出る。
全工程の中で、一番手間がかかるのが精錬なら、一番職人の腕が必要なのがテンパリング。
テンパリングが終わるとようやく、チョコレートの完成だ。
それをまず、お菓子の材料にするための板チョコにしてしまう分を型に流し込んでいく。
そして残った分は、今からお菓子作りに使う。
「やっと、チョコレートができたよ。ティナ、クロエ」
「ほんっとうに、チョコづくりは大変だよね」
「でも、それだけ頑張る価値はあります! チョコレートのおいしさはほかのお菓子だと絶対に味わえません」
「大変だけど、その労力以上の価値があるから、これだけのことをするんだ」
そう、だからこそカカオをチョコレートにする工程はこれだけ複雑かつ洗練されている。
先人たちの情熱を支えたのはチョコレートの美味しさだ。
「二人とも、出発までに少し時間がある。少し、仮眠するといい」
「クルト様はどうなされるんですか?」
「少し野暮用があるんだ」
このチョコレートを使ってレナリール公爵への恩返しをするんだ。
◇
ティナたちが去ったあと、簡単なチョコレート菓子を作り、ハーブティーを作る。
そして、お盆に載せ庭園に向かう。
そこにはレナリール公爵がいた。
「早いですね」
「あなたのお誘いが楽しみで、ついね」
彼女は微笑む。
いつも優雅で美しく己を見せる。
強い人だ。
「ここに呼んだのは、どうしてもお礼をしたいからです。あなたのためだけのチョコレートを作りました。二つの香りのチョコレートです。ハーブティと合わせて楽しんでください」
俺は一口サイズのチョコレートを盛りつけた皿とハーブティを彼女の前に差し出す。
まずは、ハーブティに彼女は手を付けた。
「いい香り、それに飲むと体がぽかぽかするわ。いいお茶ね」
「このお茶は疲れをとる効果と心を落ち着ける効果があります。薬膳というものです」
ただのハーブティではなく、薬膳の知識で調合した立派な漢方だ。
レナリール公爵はいつもより化粧が厚い。疲れを隠している証拠だ。
少しでも、彼女を癒すためにこのハーブティは用意していた。
「ふふ、本当に体が軽くなった気がする。毎日でも飲みたいわね」
「なら、これを。このハーブティの調合と茶葉に施す下処理を纏めたものです。気に入っていただけたのなら、毎日でも楽しんでください。習慣にしてもらえるのが一番望ましいですから」
劇的な効果はないが、続けることで体調をよくしていくのが薬膳だ。
彼女の体を考えると毎日飲むのが一番いい。
「そうさせてもらうわね。体が楽になったし、何より美味しいもの」
「俺は菓子職人です。体にいいからと言っても、まずいものは出しません」
そういうと、彼女は笑った。
これは菓子職人のプライドの問題だ。薬効だけを考えると必要のない手間をいくつか加えている。
「チョコレートを作ってくれたのね。ずっと恋い焦がれていたの。ケーキにしても素敵だけど、一度、そのまま食べて見たかったのよ」
「ええ、ケーキの材料にもなりますが、チョコレート自体が立派なお菓子です。是非、ご賞味を」
一口サイズかつ、美しく見えるように細工を施したチョコレートだ。
二種類あって、一つはアーモンド形。型を工夫して薔薇の絵が描かれるようにしている。
「薔薇のチョコレートからいただくわね……ああ、いいわね。大人な苦さと上品な甘さが口の中に広がるわ。それに口に入れた瞬間、薔薇の香りがするのがうれしい。心が安らぐわね」
「薔薇の香りのシロップをチョコレートで包んでいます。匂いが漏れないように細工をしているので、口に入れた瞬間、まるで薔薇が咲き、香りが弾ける。これは薔薇のチョコレートです」
今回のチョコはチョコレートの良さを味わってもらうために砂糖も生クリームも最小限にして苦みが強く甘さが足りない。だが、中に包まれた薔薇のシロップと混ざりあうことで、ちょうどいい塩梅になる。
「素敵、大好きな薔薇のチョコレートなんて。疲れが嘘のように吹き飛んだわ」
「チョコレートには疲労回復の効果もあります。今度、たくさん贈ります」
「遠慮はしないわ。こんな素敵なもの、がまんできないもの。もう一つは王冠が描かれたチョコレートね。二種の香りのチョコレートというぐらいだから、こっちは薔薇ではないのでしょう?」
期待を込めた目で俺とチョコレートを交互にレナリール公爵は見た。
答えを言うのは簡単だが、それでは感動が薄れる。
「それは食べてからのお楽しみです」
「そうね。そっちのほうが素敵だわ」
王冠のチョコレートをレナリール公爵は口に含む。
よほど、驚いたのかフォークを取り落とした。
そして、うっとりした顔で、王冠のチョコレートの余韻に浸っている。
「すごい、なんて高貴な香りなの。鮮烈で豊かで、頭のてっぺんから指の先まで痺れる香り。こんなの初めてだわ」
俺の予想以上に喜んでくれたようだ。
ネタ晴らしをしよう。
「これは、王家でささげるケーキの材料と同じものを使っています。王家に捧げるケーキをほかのかたに食べさせるわけにはいきませんが、別のお菓子を食べさせることは禁止されていません。あなたに食べてほしくて作りました」
そして、これは実験でもある。
黒い宝石の良さをこの世界の人間が理解できるかどうか不安だった。
「味はもちろん最高だったけど、香りでとろけてしまいそうになったのは初めてだわ。いったい、これは何を使ったお菓子なの?」
興味津々といった様子で彼女は問いかけてくる。
俺はポケットから、あるものを取り出した。
「それは、黒い岩かしら?」
「いいえ、岩のように見えますがキノコです。名前をトリュフと呼びます」
王家で振る舞うケーキの主役はこの黒トリュフだ。
地球では世界最大美食の一つに数えられるキノコの王様。
最上のものは、一つ数万円もする金より高いキノコ。
だが、この世界では大した評価を受けておらず、安価で良質なものが手に入る。
「そんなキノコが、こんな高貴なお菓子になるなんて……夢にも思わないわね。これだから、面白いわ」
レナリール公爵はもう一つ、王冠のチョコレートを手にした。
大好きな薔薇ではなく王冠を選んでしまうほどの魅惑の香り。それこそがトリュフの強さだ。
王冠のチョコレートの正体は砂糖を加えたトリュフバターを包んだチョコレート。
トリュフの香りを引きだすために苦心した自信作。
トリュフの香りとチョコレートの香りの相性は最高だ。
そのことに洋菓子界が気づいたのは最近の話で、今までトリュフは料理に使用されるばかりで、デザートに使われることはなかった。だが、その価値が見直され、今では超高級レストランの一部で、トリュフを使ったチョコレート菓子が出されている。
「キノコの王様を王族に提供するのは洒落ているとは思いませんか?」
「ふふっ、確かにそのとおりね。一つ忠告よ。そのキノコの存在は限界まで隠しなさい。王族は誰も食べたことがないお菓子と条件を付けたのね。……悪意のある貴族が、あなたが振る舞う前に、あなたが出すものを調べて先に出すなんてことも考えられるわ。できれば、当日までは別のお菓子を作る振りをしたほうがいいぐらいよ」
なるほど、そこまで考えていなかった。
完璧なチョコレートは俺にしか作れない以上、トリュフとチョコレートをふんだんに使った特製ケーキは再現できないだろうが、用心はしたほうがいいだろう。
「わかりました。ちょうど、伯爵から結婚式のケーキを頼まれたので、それの試作を王都ではこれ見よがしにやりましょう。かってに、王族に出すケーキと思ってくれますよ」
「いい考えね。それにしても、んー、このチョコレートは本当においしいわね。見た目も、香りも、味も最高。あなたの店で出してくれないかしら。カカオが安く手に入ったのだから出せるはずよ」
たしかに材料費だけなら、なんとかなるのだが……。
「難しいですね。鍋にいっぱいのチョコレートを作るのに、まる一日時間を取られるので、店で売るだけの量は作れません。……月に一度、チョコレートフェアをする。それぐらいならできるかもしれません」
「それはいいわね。どっちみち、カカオを仕入れる条件が、新作のチョコレート菓子なのだから、そのタイミングで一緒に店で売るお菓子を仕込めばいいんじゃないかしら?」
「同じことを考えていました」
俺とレナリール公爵は笑いあう。
「ありがとう。アルノルト次期準男爵。疲れがとれて元気が出たわ。あなたのお菓子は幸せ、そのものね」
「最高の誉め言葉です」
それこそが、俺のお菓子が目指す先なのだから。
食べた人を幸せにするお菓子を作ることこそが菓子職人の本懐だ。
「では、そろそろ出発しましょう。タイトなスケジュールだけどがんばりなさい」
「もちろんです」
俺の何倍も忙しい人が、俺のために時間を作ってくれている。
ここで頑張らないと男じゃない。
さあ、気合を入れてがんばろう。
◇
それから一週間、挨拶をして回った。
男爵になる。その意味をしっかりと噛みしめるいい機会だ。
王族に出すケーキのレシピもだいぶ固まってきたし、試作もできてきた。
そして、竜車に乗って王都を目指して旅立った。
王都。本来なら死ぬまでに一度も踏み入れることがなかった場所だ。
そこに踏み入れる。若干の不安と、何よりも期待が胸にあった。
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