第二十一話:パーティと譲れないもの
カカオを手に入れた俺は厨房を借りて、急いでチョコレートへの加工を始めていた。
三時間後には、パーティに参加し有力な貴族たちに顔見せだが、のんびり休憩をしている時間なんてありはしない。
カカオからチョコレートを作るには乾燥・熟成期間を含めて最低二週間はかかる。
三十時間練り続けるなどの、重労働もその工程の中に含まれる。
もちろん、まともに作っている時間なんてありはしない。
しかし、魔法を使って短期間でできる。
俺の【回復】は癒しの力だ。自己治癒力の促進なんて芸当もできる。
つまりは、酵母や細菌の動きを活発にして発酵を促し、熟成の工程をかなり早めるなんて芸当も可能だ。
加減が難しく、味を落とさずに熟成工程の促進は、試行錯誤が必要で、前回は行わなかった。
だが、今回は前回と違って失敗が許されるだけのカカオがある。魔術を使って短期間でチョコレートを完成させるつもりだ。
今はカカオの実からカカオ豆と呼ばれる種子を取り出し、オーブンでローストさせたものを熟成させていた。
魔法での熟成促進の実験をしており、三回連続でカカオ豆を台無しにした。
そして、四回目……。
「やっと、コツをつかめたな」
魔力の光が立ち昇る。一週間はかかる熟成を、三十分で終わらせたカカオが手の中にある。
こうすることでようやくチョコレートらしい香りがでる。熟成しないとこの香りはでない。
生のカカオから種子を取り出し焙煎し、殻と胚芽を取り除いたものを本場ならバナナの葉。今回は代用品でララッタの葉に包んで酵母と細菌の力で発酵させることで熟成させた。
いい出来だ。これなら、王族に献上できるチョコレートを作れる。
チョコレートは発酵食品なのだ。それを認識している者は意外に少ない。
いくら、カカオを手に入れようが、レナリール公爵のシェフがカカオを使った美味しいお菓子を作れないのはこの工程を知らないからというのが大きい。熟成させないとカカオは味も香りもろくなものにならない。
地球でだって、わざわざ焙煎して殻と胚芽を取り除き、バナナの葉でくるんで一週間以上発酵なんて手間暇かける上に複雑な工程を確立させるまで何百年という月日と何万回もの試行錯誤が必要だった。この世界で、そんな手法を考え付くのはまだまだ先の話だろう。
チョコレートづくりは一種の芸術なのだ。
「クルト、お菓子じゃなくてお菓子の材料づくりからそんなに頑張るなんて大変だね」
厨房に呼んだエルフのクロエが呆れた声をあげる。
「よくあることだ。お菓子の材料づくりに必要な道具を作るための道具を作るところから始めるときもあるよ」
「うわあ、気が遠くなりそう」
クロエが嫌そうな顔をする。
俺にとっては当たり前のことでも彼女にとっては驚きのことらしい。
最高のお菓子作りには妥協は許されない。必要ならそれぐらいする。
「クロエ、これを頼むよ」
「この中にいる水に出てもらえばいいんだね」
熟成が終わったカカオの種子を本来なら三日ほど天日干しにして水分を飛ばす。
目安は水分量が六パーセントほどになるようにだ。
水分が多すぎると腐るし、少なすぎるとカカオの風味が飛ぶ。
水を操るエルフの魔法でカカオの中から水分が逃げていく。
クロエには、ゆっくり力を使うようにお願いしてある。
カカオの様子を注意深く見る。
「クロエ、もういいよ」
「わかった」
クロエの魔法が終わる。
熟成と乾燥の工程が終わったカカオの種子を口に含む。
「さすが、クロエだ。いい仕上がりだ」
「エルフの魔法は超一流だよ」
ぐっと親指を立ててくる。
これで三日かかるはずの乾燥の工程が終わった。
一週間の熟成と、三日の天日干し。合計、十日の作業が二時間ちょっとで終わった。魔法とは便利なものだ。
ここまで手を加えたカカオ種子を鉢に入れて棒で潰して粉にしていく。
油分をたっぷり含むカカオの種子を潰すとカカオの油……いわゆるカカオバターが出て固まるのでそれを取り除きながら、粉にしていく。ここでどれだけ細かな粉にできるかがチョコレートの完成度に響くので気を遣う。熱を与えると風味が飛ぶのですりつぶしながら、熱が出ないように気を使うので、力任せにやればいいわけでもない。
こういうときは魔力持ちでよかったと思う。
機械がない時代のチョコレートづくりはとてつもない力がいる。この粉にする作業も力自慢の大男でも根をあげると言われている。魔力で身体能力を強化することで、筋力をあげ、なおかつ持久力を得ていた。
よし、良質なカカオマスとカカオバターができた。
「クルト様、そろそろパーティの時間です。着替えを始めてください」
「わかった。そろそろ切り上げるよ」
ティナが俺を呼びに来た。
もう、そんな時間か。
ここで作業を切り上げよう。
ここから先の作業は砂糖と少量の生クリームを加えた後、練りの工程になるが、パーティが終わってから夜通しの作業が必要だ。
精錬と言われ、湯煎をしながらカカオバターを少量ずつ加えて練り上げる工程で、カカオの粒子を滑らかにしていく。
この作業によってチョコレートの風味と滑らかさに決定的な違いがでる。高級店では七十時間以上行うこともあるチョコレートづくりの肝だ。
ここも、魔法を使い省力化する。機械に任せて放置できないため、手作業で七十時間かかりきりになる余裕はない。魔法でちょっとしたずるをする。
それでも、魔法を使ったずるには限界があって朝まではかかるだろう。
「チョコレートはおいしいけど、手間がかかりすぎるのが問題かな」
魔法でずるをしていて、なおかつ骨が折れる作業だ。
いずれは、人にやり方を教えて大量生産したいが難しいだろう。
大変なだけでなく、すべての工程にコツがいる。熟成の見極め、適切な乾燥、粉末にするときにすら気配りがいるし、この先に待っている精錬やテンパリングなんて数年がかりの修行が必要になる。
少しの手抜きが、力加減の間違いが仕上がりに影響がでるのがチョコレートの怖さだ。
誰かに教えるにしても、アルノルトの店で出せるチョコレートを作れるようになるまで最低でも五年は修業が必要だ。
まずは、菓子作りにおいて俺の右腕であるミルに教えて見よう。
……その場合は魔法でずるができないから、チョコレート作りに二週間以上かかるが、それはそれでいい勉強になるだろう。
◇
着替えが終わった俺はパーティに向かう。
今、着ているのはフェルナンデ辺境伯にもらったばかりの服だ。
前に用意してもらった服は、あくまで準男爵家のものとして仕立てはいいが、男爵以上の地位にある本当の貴族たちよりも、なんちゃって貴族である準男爵の次期当主にすぎない俺は目立ってはいけないということに重点を置いた服だった。
だが、今日は違う。
男爵になる以上、本当の貴族として胸を張れる主役にふさわしい服でないといけない。
それを着た俺を見たティナとクロエは王子様みたいときゃあきゃあ言ってくれた。
実際、俺も自然と背筋が伸び貴族としての自覚が出てきた。いい服だ。
パーティ会場につくなり、レナリール公爵のもとに呼ばれ、今日はずっとそばにいるように命じられた。
彼女は俺の姿を見ると、口を開く。
「よく似合っているわね。整った容姿だから、気取った服を着こなせるのね」
「お褒めいただき光栄です。レナリール公爵こそ相変わらずお美しい」
レナリール公爵は苦笑する。
「そういうお世辞はいいわ。聞き飽きているの」
「お世辞ではありませんよ。心の底から言っています」
「お上手ね。お礼に忠告をしてあげるわ。あなたはこの場にいる貴族たち全員の注目の的よ。今日はそれを忘れないで」
そう言われた俺は周囲を見渡す。
レナリール公爵のいる場所は周囲から一段高いところにあり、パーティ会場の様子が見渡せる。
パーティ会場全体で三百人ほどおり、貴族だけでも百人ほどいる。
それらすべてが俺に注目していると思うと、面白くなってきた。
菓子職人である俺は、注目を浴びることで緊張しない。むしろ高ぶる。
「ええ、私という人間を知ってもらいたいと思います」
「意外ね、落ち着いているのね。こういう場で平然としている人は滅多にいないわ。フェルナンデ辺境伯が気に入るわけね。あの男がお菓子作りがうまいだけであれだけ執着するわけないもの」
「買いかぶりすぎですよ」
「そう言われると、私の見る目がないと言われているような気になるわ。謙遜は時と場所を選ぶことが必要よ」
どこか、からかうような口調でレナリール公爵は忠告してくれる。
たしかにその通りだ。
軽く礼をし、気を付けようと決めた。
「アルノルト次期準男爵。私はこういう場ではいつも聞いている質問があるの。あなたはどんな貴族になりたい?」
その問いは俺の核心に迫るものだ。
ゆえに、気に入られるための嘘も、この場を取り繕うごまかしもしたくない。
「俺はみんなが美味しいお菓子を食べられる豊かで幸せな領地を作りたい。そして、そんな幸せな場所と民を守るだけの力をもった領主でありたい」
幼いころからの夢。次期領主に選ばれた日、領民たちにお菓子を振る舞い、そう誓った。
俺の根っこだ。その願いだけは絶対に変えてはいけない。
そして、それ以上のものはいらないのだ。
「素敵ね。あなたらしいわ。本当にお菓子が好きで野心がない。そんなあなただから、素晴らしいお菓子が作れるのね。その夢を叶えるためにも気を引き締めなさい」
「もちろんです」
レナリール公爵は満足そうに頷く。
彼女はパーティを始める挨拶を行い、今日の主役が新たに男爵になる俺だと言うことを宣言し、パーティが始まった。
爵位が高い貴族たちから順番にレナリール公爵に挨拶に来て、その場で俺を紹介してくれる。
高位の貴族ばかりで、その気になればアルノルトの領地を潰すことすらできる人たちばかりだ。油断は許されない。
レナリール公爵が隣にいるおかげで、友好的な態度の相手ばかりで助かる。
……その内心はやはり、嫉妬か嘲り、もしくは利用してやろうというのが透けて見えるが表だって何もしてこないだけでもありがたい。
高級レストランの菓子職人だった経験で、客の顔を見て欲しいものを作るクセが染みつき、人間観察を無意識にやってしまうのは俺の悪いくせだ。気付かないほうが幸せなことは世の中には少なくない。
今、挨拶をしているのは、クーカラ伯爵だ。恰幅のいい白髪が見え始める年代の紳士だ。
振る舞いは貴族らしく優雅だが、腹の中は相当黒いと俺の勘が言っている。
そんな彼がにこやかに口を開く。
「これで、アルノルトも真の貴族の仲間入りですね」
「はい、よりいっそう精進していきます」
「若いのに頼もしいですね。今度、娘の結婚式がありまして。式に出すケーキを作っていただけませんか? 謝礼はそれなりのものを用意しますよ。あの、アルノルトのウエディングケーキ。娘も喜びますよ」
一般的に、公爵、伯爵、侯爵、辺境伯を上級貴族といい。
準伯爵、子爵、男爵を下級貴族。
準男爵、帝国騎士を準貴族と呼ぶ。
下級貴族と上級貴族の間には大きな隔たりがある。つまり、俺は彼の願いを断れない。
「ええ、喜んで」
「ありがたい、楽しみにしておりますよ。では後ほど手紙で日取りと場所をお知らせします」
本当は断りたかった。
この伯爵は美味しいお菓子を食べたいわけではないし、娘が喜ぶからというのも嘘だ。
ただ、四大公爵を満足させたアルノルトのケーキを出すことで結婚式に箔をつけたい。それだけだ。
面と向かって話せば、そういったものは伝わってくる。
美味しいケーキを食べたいのなら喜んで作ろう。だが、ケーキを自分の見栄のために使う連中は昔から好きになれない。昔も、高級な店のケーキというブランド目当てに味もわからないのにお土産にケーキを買っていく客がいたが、それと同類だ。
……気を取り直して頑張ろう。
まだまだ、挨拶する貴族たちは多い。できれば、こういう貴族が現れないことを祈ろう。
その後は、無我夢中で挨拶と雑談を行い、ようやくレナリール公爵へ挨拶に来ていた貴族たちの列がはけた。
「アルノルト次期準男爵。私のメンツを気にする必要はないし、無粋な申し出は断って良かったのよ? こんな場で変なことを言うような人からは私が守ってあげるわ」
レナリール公爵が、優しい言葉をくれた。
さきほどの伯爵の話をしているのだろう。
俺が不快に思ったことを見抜かれてしまったらしい。
「たしかに不快に感じましたが、この場はアルノルトが男爵になるのを祝ってくれる場です。祝い事を持ち出されたら断れません。……それに、相手がどんなつもりであれ目を覚まさせるだけのお菓子を作りますよ。お菓子が美味しい。それ以外の考えが吹き飛ぶようなケーキを作ります。私のケーキはただの箔付けの道具では終わりません」
本当に美味しいものは人を感動させる。
たとえ、動機がただの箔付けでも食べたもの全員を感動させて、最高の祝福を送ろう。
そうすれば、俺の贈るケーキが本当の意味で祝福のケーキになる。
「ふふっ、面白いわね。私の結婚式のときもあなたに頼もうかしら」
「相手はいらっしゃるんですか?」
公爵となれば、その婚姻には深い意味がある。
レナリール公爵は十七と聞いている。家柄は最高、なによりとても美しい。この国は重要な切り札の一枚として彼女を見ているのは間違いない。
「いないわね。あなたが立候補する気はないかしら?」
「残念ながら、私にはすでに婚約者がいるので」
名をあげつつある今、今回の場に限らず、青田刈りを兼ねて婚約の申し出はいくつももらっていた。
だが、ファルノのおかげで相手の気分を害することなく穏便に断れていた。
フェルナンデ辺境伯の娘が予約済ならと、向こうもあきらめてくれるのだ。
「そう。売約済というわけね。あの人は相変わらずいい目をしているわ。あなたという才能を誰よりも早く見抜いたのだから。……音楽が変わったわ。一曲踊ってくださらない? この曲、私が一番好きな曲なの」
「ええ、喜んで」
彼女の差し出した手をとり、会場の中央で。
みんなの視線が集まる中、俺たちは踊った。
レナリール公爵の表情は本当に楽しそうで。はじめて彼女が年齢通りのかわいらしい少女に見えた。
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