第十八話:お菓子の材料は黒い宝石
赤ワインとチョコレートをたっぷり使用した新作のケーキ、ロートヴァインクーヘンを無事完成させた。
最近舌が肥えてきたティナとクロエも気に入ってくれたので一安心だ。
そのティナとクロエはこの屋敷の使用人たちに連れていかれてしまった。
俺の使用人として王都にいくので、俺に恥をかかせないようにいろいろと教えてくれるらしい。
一人になった俺は、余熱を冷ましたロートヴァインクーヘンの包もうとしていた。
赤ワインとチョコのいい香りが漂ってくる。
自分でも試食してみよう。ティナたちが試食したほうのケーキが一切れ残っていたので口に含む。
「うん、やっぱり酵母は必要だな。ケーキはふんわりしていないと」
この世界ではベーキングパウダーがないせいでふんわりしたパンやケーキはなかなか食べれなかった。
それでは菓子職人として物足りないので酵母を作り、今回は酵母を使って焼き上げた。おかげで生地に空気をたっぷり含んだ生地が出来上がっている。
このふんわりした食感は武器だ。この世界では俺以外に作れない。
ただ、酵母にも欠点がある。果実を水につけて発酵させることで作っている天然酵母なので、酵母液に使用した果実の味と香りがうつる。
今回のケーキは、クランベリーの風味と相性がいいケーキだから問題ないが、考えなしに酵母を使えば味と香りのバランスが崩れる。
酵母を作るのに使った果実によってはうまく生地が膨らまない。
いろんな果実で酵母液を作っておき、使い分けしようと考えているが、なかなか塩梅が難しいのだ。
それを考えるのも楽しくはある。菓子職人のだいご味というやつだろう。
「さて、包もうかな」
エクラバで開店した菓子店用に作ったパッケージにロートヴァインクーヘンを包む。
これから俺が作るお菓子は用途にかかわらずすべて店の名前が入ったパッケージに包んで相手に渡す。
それは、どんな宣伝にも有効な手段となるだろう。
貴族という人種は自慢が大好きだ。美味しいものを食べれば、頼まなくても勝手に広めてくれる。そのときに紹介された側の目に店の名前が入ったパッケージが入れば新しい客となってくれるのだ。
「クルト様、頼まれていたものを仕入れられましたわ!」
ケーキを包んでいると、息を切らせながらファルノが厨房に入ってきた。
「ファルノ、ありがとう。助かるよ。王都で作るケーキには絶対に必要なものだったんだ」
ファルノが大事そうに木箱を抱えている。
ここにいても上物だとわかる。
これは非常に香りが強い食材であり、本当にいいものは木箱に入っていてもその存在感を放つ。
お菓子ではなく料理で使われることが多い食材だが、デザートに使うこともできる。菓子の最先端であるフランスでは、最近になって本格的にデザートにも使われるようになった。
大人を酔わせる最上の香りは、コイツでしか出せない。
異世界にこの黒い宝石と呼ばれる超高級食材があるとは思ってはおらず見つけたときには驚いたものだ。
俺が市場に行ったときに並んでいたのは香りが弱く小さい二級品しかなく、それを購入して持ち帰り、ファルノに頼んでもっと香りが強く大きいものを入手するように頼んでいた。
「一級品は高かっただろう。あとで請求してくれ。四大公爵の食事会はフェルナンデ辺境伯経由の依頼だったけど、今回の王族相手のお菓子までは甘えられないからね」
今回の件はあくまで俺が抱え込んだ案件だ。
婚約者であるファルノの力を借りることはできても、フェルナンデの財力を借りることはできない。
……服や人脈、さまざまなものを借りてはいるが、こんなところまで甘えられない。
「気になさらないでください。すごく安かったですわ。そうですね。リンゴが五つ買えるぐらいのお金です」
「一級品のこれが!? こっちでは、あまり重要視されていないんだな」
木箱を開ける。
サイズも香りも一級品。
もし、日本でこれだけのものを手に入れようとすれば十万は必要だ。
「私はこれがそこまでいいものとは思えないですが。食べたことはありますけど。香りはいいですが、味はあまりしないし、歯応えもあまり好きじゃないですわ」
「調理の仕方の問題だね。扱いが難しい食材なんだ」
ファルノは食べたことがあるのか。
彼女の感想を聞いて、これの評価が低い理由がわかった。
ようするに、この世界の人々はコイツを使いこなせていない。
日本でもそうだった。海外では宝石のように扱われているこいつの評価が低い。その理由は二級品しか手に入らないことと調理法及び、保存法のまずさ。
だが、そんな連中でも本物を食べさせれば、なぜ海外で愛されているのかを理解する。
この世界の人々も同じだろう。
「クルト様がそこまで言うのなら、楽しみになってきましたわ。お菓子が完成したら是非、食べさせてください」
「俺からも頼むよ。ファルノの舌は頼りになるから」
幼いころから美食をたしなみ、なにより貴族の舌を持っている。
彼女が味見してくれるのはなかなか、心強い。とくに相手が名だたる貴族や王族であった場合、俺では気づけないところにも気づけるだろう。
「ところで、クルト様。今包んでいるお菓子、そちらはいただけないでしょうか?」
「実は、これは駄目なんだよ」
俺がそう言うと、ファルノが露骨にがっかりした顔をする。
「クルト様は意地悪ですわ」
「俺はかまわないんだけど、フェルナンデ辺境伯がレナリール公爵に抜け駆けで俺の新作お菓子を食べるのはずるいと言われていてね。フェルナンデ辺境伯は、ならファルノにも食べさせないと言い出したんだ。だから、レナリール公爵家につくとお茶会を開くって聞いてるから、そのときまで待ってほしい」
そういうと、ファルノが頬を膨らませる。
フェルナンデ辺境伯の子供っぽいいたずらに巻き込まれたのだから怒りもする。
「わかりましたわ。それまでの楽しみにしておきます。クルト様、お茶会では大き目にカットしてくださいね」
ファルノのささやかなお願いが面白くて俺は苦笑してしまった。
「ああ、任せておけ。たしか、レナリール公爵家への出発は明日の昼だったよね」
「そうですわ」
「なら、今日は今から市場にでるか。ファルノ、付き合ってもらえるかな?」
「はい、よろこんで!」
ファルノが腕を組んでくる。
特訓中のティナとクロエを置いていくのは気が引けるが、少しでもいいお菓子を王家の方に食べていただけるように今できることをしよう。
◇
~二週間前、王城の一室にて~
「今日のコースはすごい! これがレナリール公爵の食事会で出された料理か! 美味しいし新しいし楽しい。これほどのコースは余ですら食べたことがない」
十代半ばの黒ずんだ金髪の少年が、恐ろしい勢いで料理をかきこんでいた。
本来コース料理は順番に一品ずつ出していくのだが、この少年は煩わしいからと一度に出させている。
それも、大皿にいれて大量にだ。
「とくに、このウナギのパイ包みと、翡翠鴨の丸焼きはいいな! こんなうまいものを余に黙って食べたなんて生意気だぞ」
「グランタ王子、申し訳ございません。私もまさか、あの田舎貴族の食事会でこれほどのものが出されるとは思っておりませんでした」
この場にいるのは、フェデラル帝国の第三王子であるグランタと、四大公爵の一人、西を司るヘルトリング公爵。ヘルトリング公爵は野心家の美しい青年であり、貴族派の中でもひと際強い力を持っていた。
今日提供されている料理は、レナリール公爵がアルノルト次期準男爵に用意させたものを再現した料理だ。
「うまい、うまい! おかわりだ。おかわりをもて!」
それを豚のようにグランタ王子は食い漁っていた。
その様子をヘルトリング公爵はただ眺めている。
彼は内心で、グランタ王子をあざ笑っていた。
グランタ王子は、王位継承権であれば長男、次男、長女に次いでの第四位。
高くはあるが、彼が実権を握ることは考えにくい。
なぜなら、他の王子や王女は優秀かつ欲に溺れることなく国のために行動できるが、グランタ王子だけは無能で自分の欲に忠実だ。悪いうわさのかなり広まっており、民や家臣、王や兄弟からも嫌われている。
だからこそ、ヘルトリング公爵は彼に取り入っていた。
他の王子や王女たちなら、彼の下心など簡単に見抜くだろうし、操ることが難しい。
ヘルトリング公爵はこう考えている。バカな豚に取り入りつつうまく操る。王位継承権が豚より上の有能で扱いづらい兄と姉には消えてもらおう。
そんなヘリトリング公爵の考えを知る由もなく、料理に夢中なグランタ王子は、なんどかお代わりをしてようやく満足し、デザートをもてと使用人たちに告げる。
「ふう、満足だ。これを作ったアルノルト次期準男爵、彼の料理をもっと食べたい、他に奴がつくったレシピはないのか?」
ヘルトリング公爵は申し訳なさそうな顔で首を振る。
「申し訳ございません、そういったものはございません」
「そうか、残念だ」
「もう一点謝らないといけないことがございます。実をいうと、この料理はアルノルト次期準男爵が作ったものより、一つか二つ、味が落ちるのです。どうしても彼の作ったものと同等のものは作れませんでした。食事会の際にアルノルト次期準男爵を手伝った料理人たち複数人に金を握らせてレシピを聞き出し、我がヘルトリング自慢の料理人たちが完璧な再現を目指し、さらに改良をしようと研究しても、劣ってしまうのです」
その言葉を聞いた、グランタ王子が目を見開く。
「なっ、なんと、これ以上があるのか」
「ええ、悔しいですがアルノルト次期準男爵の料理はもっと美味しいですし。おそらく調理技術そのものが優れているのでしょう。それに今回の料理は彼の力の一部に過ぎません。彼の引き出しには我々が知らない美食がたくさん詰まっている」
グランタ王子は美食家だ。まだ見ぬ料理への期待に胸を膨らませていた。
そこにデザートが到着する。
「最後に、このコースの締めのデザートです。名をインペリアル・トルテと言います。アルノルト次期準男爵がエクラバで開いた店で購入しました。料理も負けましたが、こちらはもう勝負にすらならない。まがい物すら作れませんでした……これを食べるには彼の店で買うしか」
ヘルトリング公爵の説明が終わるまえに、すでにグランタ王子はケーキを素手で掴み頬張っていた。
口に入れた瞬間、頬を紅潮させ、体を震わせる。
ただ無心で食べる。今、この瞬間はケーキ以外のすべてを忘れた。
食べ終わると、息を荒くしている。
呼吸をすることすら忘れたのだ。
「これは、これはなんだ。これが、ケーキと言うなら、いままで余が食べていたものはなんだ」
「私も同じ感想を持ちました。あの男の本業は料理ではなくお菓子作りらしいのです」
「いったいアルノルト次期準男爵とはなんなのだ。なぜ、帝国の最果ての貧乏貴族の息子がこれほどまでに洗練されたものを作れる?」
「それはわかりません。いくら調べても、彼は今年になるまで一度たりとも、開拓中の貧乏で何もない村から出たことがないということしかわからないのです。本来なら、その日暮らしで学もなく、字を書けるかも怪しいはず。なのに、彼の作るものは、我らの文化の最先端すら凌駕する」
ヘルトリング公爵は手を尽くして、彼のすべてを調査した。
調べれば調べるほど、わからなくなった。
彼の存在はありえないのだ。
料理や菓子作りだけではなく領主としても先進的かつ優秀。人格的にもすぐれて民に慕われる。アルノルトの代名詞である槍の能力にも優れ、貴重な魔法持ち。そんな人間がアルノルトの環境で生まれるはずがない。
「ヘルトリング公爵、余は、余はアルノルト次期準男爵がほしいぞ。これほどの腕をもった男が最果てで森を切り拓くなどあってはならん。なんとかしろ」
ヘルトリング公爵はにやりと笑う。
予想通りに動いてくれた。
豚の鼻先に餌を垂らしたら喰いつくに決まっている。
アルノルトがほしいのはヘルトリング公爵も同じだ。あれは使える。料理やお菓子は使いようによっては、外交のカードにすらなりえる。
そして、それ以外の能力にも期待していた。
だが、あれは同じ四大公爵の一人であるレナリール公爵のお手付きだ。奪うとするならそれ以上の力がいる。目の前の豚のような。
「かしこまりました。ではお知恵を。……このようにすれば彼は、グランタ王子のものになるでしょう」
グランタ王子は笑う。
彼の頭の中には今よりもっとうまい料理とお菓子を食えるようになる。
それしか入っていない。
なぜ、ヘルトリング公爵がそんなことを言い出したのか、何を目的にしているのか。自分を利用しているのではないか? 他の王子たちなら当然警戒するが、彼にはそれができない。
それこそが、グランタ王子が無能と陰で嘲られる理由だった。
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