第十七話:赤ワインとチョコレートのお菓子
エクラバの街で材料を買い込んで、俺はお菓子作りにいそしんでいた。
お菓子を作るのは、今回お世話になるフェルナンデ辺境伯とレナリール公爵へのお礼を兼ねている。
作るのは赤ワインとチョコレートを使ったお菓子ロートヴァインクーヘン。
ドイツ発祥のお菓子で見た目は地味だ。店で買うと言うより家庭で楽しまれることが多い。
だが、チョコレートの苦みと甘み、赤ワインの酸味。それにサワーチェリーのフルーティーな風味が口いっぱいに広がって素晴らしくうまい。
俺も好物でかつてはよく作っていた。
これは素材の味がストレートに出る。とくたっぷりと使う赤ワインはいいものを使わないと美味しくならない。
「やっぱり、あの工房はすごい。赤もいい出来だ」
俺はコップに三分の一ほど注いだ赤ワインを楽しむ。
グレープシードオイルを作るために種をもらっているワイン工房。
そこは白ワインがメインだが、赤のほうも作っている。
ぶどうの質がよく、職人の腕もいい。これほどの赤ワインはもとの世界でもなかなか手に入らないだろう。
これなら最高のロートヴァインクーヘンができる。
「クルト様、お酒のケーキなんてびっくりです」
銀色のキツネ耳美少女のティナが興味深そうに赤ワインを見つめていた。
反射的に赤ワインを隠す。
ティナにお酒を飲ませてはいけないと過去の経験から学んでいる。
「お菓子にお酒を使うことはそれなりに多いんだ。実際、俺はよくピナルやパプルのコンポートを使うとき、果実を煮込んだ酒を生地に入れているじゃないか」
「あっ、たしかに使っていました」
「お酒を使うと味に深みがでるんだ。小麦との相性もいいしね」
酒は万能の調味料だ。
とくに、こっちの世界では手に入る調味料が少ない。ついつい頼ってしまう。
エルフのクロエも面白そうに赤ワインを見ていた。
「へえ、真っ赤なお酒なんてあるんだ。飲んでみたいな」
「たぶん余るから、そしたら飲んでいいよ」
「やった!」
クロエは結構お酒が好きだ。
ピナルやパプルを定期的に精霊の里から届けてもらっているが、その際には必ず米に似た穀物で作った酒が彼女に届く。
「私も、飲みたいです!」
「「ティナは駄目」」
俺とクロエが同時に止める。
クロエも一度巻き込まれたことがあるから必死だ。
「ううう、ひどいです」
「お酒は駄目だけど、ケーキのほうはあとで食べさせてあげるから我慢してくれ」
ティナがふくらましたほほを引っ込め、目を輝かせる。
現金なものだ。
さあ、お菓子作りを始めよう。
ボウルにカカオの粉と小麦粉を混ぜ合わせてふるいにかける。
さらにシナモンを投入。今日、市場で購入したばかりのものだ。発見したのは本当に運が良かった。あるだけ購入してストックしている。
シナモンはお菓子作りにおいて使用頻度が高い。シナモンを使うと独特の甘みと魅惑的な香り、さらにアクセントとなるわずかな辛みがあり味に幅がでる。ただ、使いすぎると味と香りのバランスが崩れすべてをぶち壊しにするので注意が必要だ。
耐熱容器にバターを入れてティナに温めてもらう。
バターが溶け始めると、ハチミツ、少量の塩、そして卵黄を加えてかき混ぜる。
「クルト、バターが溶ける匂いっていいよね」
「だね、俺の領地でも牛を飼えるといいんだけどね」
貧乏領地のアルノルトでは牛ではなく山羊を飼っている。
牛は飼料の消費が激しいし病気にも弱く、何かとお金がかかる。そもそも大人になるまでの時間がかかり数も増やしにくい。
山羊の乳もお菓子に使えるが、あれは結構クセがあるし牛に比べると力強さがない。
使う際にはお菓子との相性を考えないといけない。
今回のように、赤ワインとチョコレートの香りを楽しんでもらうお菓子の場合は山羊のバターは香りが喧嘩するので使えない。なおかつ、ほかの油。とたえばグレープシードオイルやクルミバターでは、赤ワインの強さを受け止める強さがない。
だからこそ、アルノルトの素材を使わず牛の乳から作ったバターを購入した。
「ないものねだりをしても仕方ない。調理を続けようか」
卵黄とバターが混ざり合ったところに、さきほど小麦とカカオの粉を混ぜたものを少しずつ加えていく。
混ぜ合わせるときに、練らないのがコツだ。練ると食感が悪くなる。
「そろそろ本命の出番だね」
粉を入れ終わったら次は赤ワインの投入。
ここでちょっとした工夫を加える。ラム酒を少し混ぜるとより赤ワインの風味が引き立つ。
さらに、アーモンドを粉末にしたものをいれる。これも通常のロートヴァインクーヘンにはない手順だ。
これで赤ワインを受け入れるだけの強い生地になる。アーモンドの香りとコクは強い武器になる。
さらに刻んだチョコレートを加えた。
さて、秘密兵器を使うか。
「クルト、これだめだよ。腐ってる」
俺が取り出した瓶を見てクロエが慌てて調理を止めようとする。
「腐っているんじゃなくて発酵だね。クランベリーの酵母だ」
俺が取り出した瓶は、クランベリーを水に浸して発酵を進めたものだ。水面にカビの様な白い塊が浮いていた。
「これ、本当に食べて大丈夫なの」
「うん、こいつを入れると生地がふっくらとするんだ」
こっちの世界で俺が不便に感じているのは、ベーキングパウダー、いわゆるふくらまし粉がないということだ。
あれがないとケーキがうまく膨らまない。
今まではしっとりとしたケーキを作ってきた。それならばふっくらとしていなくても問題ない。
だが、そればかりでは飽きる。
だからこその酵母だ。
酵母もベーキングパウダーも、その効果は生地に混ぜ込んで焼くときに炭酸ガスが発生し生地をふくらませるという点で一緒なのだ。
だからこそ、俺はさまざまな酵母を作って実験をしており、成功例がいくつかできた。
今回使うのはクランベリーを使って作ったクランベリー酵母だ。
「うわあ、本当にこのカビみたいなの入れちゃった」
瓶に入っていたクランベリーの色に染まった液を入れる。
クロエが驚いた顔をしていた。
「まあ、焼くときになったらこれの効果がわかるから」
この世界では、まだ酵母というものの存在が発見されていない。
ふっくらとしたパンやケーキを誰も知らないのだ。
そんななか、酵母を使ったお菓子はそれだけで圧倒的なアドバンテージをもつ。
生地を発酵させるため、少し休ませる。
休ませている間はティナやクロエと雑談で時間をつぶす。生地が膨らんできた。発酵は十分だろう。
最後に生のクランベリーをたっぷりと加えた。
本来、ロートバインクーヘンはサワーチェリーを使うが、フレッシュなクランベリーを今回は使う。
その意図は二つ。
一つは、酵母液との相性の良さ。酵母液はベーキングパウダーとして素材に使った果実の香りと味がつく。一体感を出すためにチェリーではなくクランベリーを使った。
もう一つは、見た目をよくするため。サワーチェリーみたいな大粒の赤い実を生地に入れて焼き込むとあまり見た目が美味しそうにならないのだ。大きな穴に黒ずんで赤色でしわだらけのチェリーは食欲を減退させる。味は良くても贈り物のお菓子には致命的だ。この辺りがロートヴァインクーヘンが店に並ばず家庭でのみ愛される理由だろう。
「生地の仕上げだ」
生地を混ぜながら、白身を泡立て作ったメレンゲを少しずつ加えていく。
メレンゲを全部入れ終えて完成。
今回のために作った専用の型に注ぎ込む。
「ティナ。焼成していく。手を貸してくれ」
「はい、クルト様!」
型をオーブンに入れ、ティナの力を借りて、生地を焼き上げていく。
ティナの炎は火力の調整が楽で非常に助かる
「ティナ、クロエ、釜の中を見てくれ。酵母を入れたケーキ特有の魔法が見られるから」
さあ、今から酵母の力が発揮される。
「うわぁ、クルト様、生地がふくらんでます」
「まるで魔法だね。驚いたよ!」
二人が大きく膨らむロートヴァインクーヘンを見て驚きの声をあげる。
「あれは生地の中に空気が入って膨らんでいるんだ。生地に空気が入ることでふんわりした食感になる。ふんわりしたケーキは、まだ誰も食べたことがないはずだよ」
「楽しみです! 早く食べたい。それにすごくいい匂い。チョコレートの焦げる匂いに、ぶどうの素敵な香りがします」
「この香りは暴力だよ。クルト、もう待ちきれない」
赤ワインとチョコレート。
ともに焼き上げることで香りが強く魅力的なる。そこにクラベンリーとシナモンの香りも混ざり合ってより昇華した。
香りの多重奏。
このケーキは味も抜群だが、何より香りに特化したケーキだ。
ティナとクロエはケーキに夢中で目が釘付けになっている。
よし、完成だ。
「ティナ、オーブンから取り出して」
「はい、クルト様」
オーブンからロートヴァインクーヘンが取り出される。
それを型から外す。
今回は見た目をよくするために特殊な型を作った。
巨大なドーナッツを横から真っ二つに切ったような、中心に空洞がある半円。
さらにババロアのような波打つ表現をしている。
最後に、ココアパウダーで黒い化粧をして完成だ。
「さあ、できた。これが赤ワインとチョコレートのケーキ、ロートヴァインクーヘンだ」
本来はただの家庭菓子。
だが、ラム酒を加え、シナモン、アーモンドパウダー。クランベリー酵母にメレンゲの工夫で味の品の底上げを行い。
見た目にも気を配ることで進化させた。
このロートヴァインクーヘンなら宮廷菓子としても通用する自信作だ。
「さあ、味見だ。俺の大好物のケーキ、味わってくれ」
ケーキをカットし、生クリームを添えて二人の前に出す。
すると、もう我慢できないとばかりに二人はケーキに手を伸ばした。
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