第十五話:弟子の成長と王都への旅立ち
ファルノから男爵の受勲式の日程を聞いた俺の胸には二つの感情が渦巻いていた。
一つは喜び。
準男爵というのは、真の意味での貴族ではない。なんちゃって貴族のようなものだ。
男爵となり本当の意味で貴族になるのはアルノルト家の悲願だった。
それが果たされるという喜びは非常に大きい。
もう一つの感情は憤り。
まず、二週間というのはあまりにも無茶な日程だ。
俺の領地はこの国の末端もいいところ。中央にある王都はレナリール公爵の領地よりさらに先にある。
移動だけでどう急いでも十日はかかる。明日にでも出ないと間に合わないような無茶な日程だ。
もちろん、王都に真っ直ぐ向かうわけにはいかない。貴族として受勲の前にさまざまなあいさつを行わないといけない。
最低でも寄子としてフェルナンデ辺境伯に挨拶。さらにその上のレナリール公爵にも挨拶は必要だろう。
俺自身の準備もある。
俺が不在時にエクラバの菓子の店をどうするか対策を決めないといけないし、領地の引き継ぎ業務。
……さらにすごくぶっちゃけた話をすると受勲式に着ていく服がない。
レナリール公爵領に向かったときに、フェルナンデ辺境伯に用意してもらった服がある。
あれはたしかに立派な服には違いないのだが、俺よりも身分が高い人間が多く集まる場であったため、身分の低い俺が貴人たちよりも目立たないように控えめなデザインにしている。
品が良く仕立てのいい服だが、ハレの舞台であり、自信が主役の舞台となると別の服を用意する必要がある。
そうなってくると問題になってくるのは時間だ。
受勲式に着ていくような服は確実にオーダーメイドになる。どう頑張っても間に合わない。
「ファルノ、明日の夕方にエクラバにつくように全力で今から仕事をこなす。そのつもりでおまえも動いてくれ」
「わかりましたわ。私に何か手伝えることがあれば言ってください」
「うん、考えとく。……それにしてもいったいなんで王家のかたが俺のお菓子なんて」
俺の問いにファルノは苦笑で応える。
その表情が余計に俺の不安をあおった。
「第三王子のグランタ王子が騒いでいるみたいです」
「だろうな。残りの王子も王女も人が出来てるらしい。そんな無茶言わないはずだ」
フェデラル王国には三人の王子と二人の王女がいる。
長男と次男はそれぞれ内政と武勲に優れ人格的な評判もいい。二人の王女のうち一人は嫁に行っているし、もう一人はたぐいまれなる美貌とセイレーンのような歌で聖女として愛されている。
しかも、この四人は仲が良くフェデラル王国の次代は盤石だと言われていた。
ただ、末っ子のグランタ王子だけは評判が悪い。とくになにかに秀でているわけではなく、横暴な態度を隠そうとしないうえ、王家の権威を笠に着てやりたい放題で悪評が立っている。
俺のような末端貴族にまで悪いうわさが知られるのだからよほどだ。
「たぶん、誰かに唆されたのだと思いますわ。この急な日程でただでさえクルト様が大変なところに王子のわがままで余計に負担をかけて、失敗させようとしているのかもしれません。クルト様に嫉妬している貴族は少なくありませんし」
その線は十分考えられる。
最近の俺はいろいろと目立っているのだ。
フェルナンデ辺境伯の娘と婚約し、四大公爵の一人であるレナリール公爵の企画した食事会を成功させて彼女に気に入られ、この若さで男爵に任命される。
面白くないと思う貴族たちがいてもおかしくない。
「嫉妬で足を引っ張るだけの、かわいい連中だけならいいけどな」
「クルト様、それはどう意味でしょうか?」
「いや、なんでもない」
俺は自分の考えていることをファルノに伝えようとしてやめる。
いくらなんでも、心配しすぎだろう。
俺が懸念しているのは、ただの嫉妬で足を引っ張ろうなんて可愛いものではなく、もっと計算高く深い闇が渦巻いていること。
レナリール公爵と同じく四大公爵の一人であるヘルトリング公爵を思い出していた。
生まれて初めて怖いと思った人間だ。あの人には関わりたくない、あの貴公子の中身はけっして見てはいけないおぞましいものが詰まっている。
俺の本能が近づくなと叫んでいるのだ。
そして、今回の件の裏に彼がいるのではないかという妄想が止まらない。
彼は俺を手に入れると、直接言った。その策略の一環だと深読みしてしまう。
「なにはともあれ、さっそく準備だ。どうせ、王家が言い出したことには逆らえないからな。全力でやれることをやるだけだよ」
今できる最善を。
それだけを考えよう。
「さすがですね、クルト様。私も頑張りますわ」
そうして、俺は可能な限りの準備を始めた。
留守にしている間のエクラバの店、俺の領地。どっちも今日と明日の午前中に手を打っておかないとだめだろう。
◇
ファルノに話を聞いた翌日、早朝から俺の不在時の村長代理となるソルトに毎度のことながら不在時の指示を出す。
ソルトにはいつも迷惑をかけっぱなしだ。もう、いい加減正式な村長に任命して、俺は父の後をついで領主になるべきかもしれない。
ソルトなら、この村を正しく運営してくれるだろう。
今回、受勲式を終えて帰ってきたときに村が問題なく運営できていれば、ソルトを村長にすることを本格的に考えよう。
そして、今日は本来なら菓子を作る日ではないが、菓子作りを担当する一人を呼び出していた。
「クルト兄様、来たよ! 今日はまた特訓? 嬉しいな」
「来てくれてありがとう。ミル」
彼女はミル。エクラバから移民してきた孤児の一人で、十三歳とまだ少女と言える年齢だがお菓子作りにおいては天才的なセンスをもっている。
時間を見ては彼女にいろいろとお菓子作りの手ほどきをしてきた。彼女なら俺の後を継げる。
それほどの器だ。
「ミル、今日から二週間ぐらいここを留守にすることになった」
「クルト兄様が!? どうしよう、その間、お菓子が作れないよ」
「そうなるな。だから、おまえに頼みたいことがある。今まで俺がやっていたベリークッキーとピナルの蜂蜜ケーキの材料の配合比率の決定と焼き時間の微調整。俺の不在時はミルがやれ」
お菓子作りでもっとも大事なのはレシピだ。
レシピ通りにお菓子を作ることは、この村でお菓子作りをしている面々ならできるようになっている。
とはいえ、そのレシピが厄介で、同じ材料を使ったとしても材料の品質にばらつきはあるし、その日の気温や湿度でも変化がでる。その日、その日で材料の質と環境の変化に合わせて材料の配分や焼き時間のわずかな調整が必要なのだ。
そこの部分だけはずっと俺がやってきた。
それをミルに頼む。
「むっ、無理だよ。あたしもだいぶうまくなってきたけど、クルト兄様に比べたらまだまだだもん」
ミルが首と手をぶんぶんと振って否定する。
「まだまだだって言えるミルだから信用できるんだ。ミルのお菓子は十分通用する。俺の店に出していいと太鼓判を押せるレベルだ」
そう、ミルはとんでもない勢いで上達している。
定番メニューのベリークッキーとピナルの蜂蜜ケーキであれば俺に近いレベルのものが作れる。
彼女のお菓子と俺のお菓子、その違いを食べてわかるのは本当に味がわかる人間だけだ。その違いをちゃんと認識できる時点でミルは天才だ。他のものなら劣っていることにすら気付けない。
「ほんとにいいの? あたしのお菓子はクルト兄様のより落ちるよ」
「うん、それでも頼む。落ちていると認識できているならいつか追いつくさ。ここから先はセンスの問題だ。自分の出すお菓子がそのまま店に並ぶ。その経験はミルの成長に絶対必要なものだから、ここで成長してほしい」
彼女に足りないのはあとは経験だ。
今回、踏ん張ればきっとそれは彼女の力になる。
「わかったよ。あたしがんばるね!」
「応援しているよ。がんばってくれるミルのために、最高のお土産を買ってくるから楽しみにしておいてくれ」
「わーい。お土産だ。ますます気合が入るよ」
これで、エクラバの店のほうはなんとかなるだろう。
ミルの舌と腕なら看板を汚すようなできのお菓子を作らない。
「それともう一つお願いがある。こっちは週替わりのほうだけど。これを食べてくれ」
俺が取り出したのは来週からの新メニュー。
パプルのババロアだ。
「クルト兄様の新メニュー、本当にたべていいの!?」
「そうしてもらわないと困る」
「じゃあ、さっそく」
ミルは、目をきらきらさせながらパプルのババロアを味わう。見た目と香り、舌触りと味。
そのすべてを堪能し、検証する。
この子は初めてのお菓子を食べて感動しながら同時に作り方を想像しているのだ。
それを無意識に行う。こういうところも才能だろう。
「パプルの酸味と高貴さを出しながら、豊かで優しい味。この二層の食感が違う層の相乗効果がすごい。さすがはクルト兄様、とっても素敵なお菓子だよ!」
「口に合ってよかった。このお菓子のレシピがこれだ」
俺はそう言って昨日作って置いたレシピを渡す。
ミルは文字は最低限しか読めないが、レシピに出てくる単語は経験則で読み解ける。
「簡単そうに見えて、すごく難しいお菓子。上の柔らかいのと下の固いの、単体だけじゃなくてコントラストを考えてぎりぎりで水分量を見切るのは大変そう」
「うん、それがそのお菓子のポイントだね。それをミルに作ってほしい」
「むっ、無理だって、カスタード・プティングもまだぜんぜんだし、こんな新メニューなんて」
「カスタード・プティングよりは難易度が低いよ。実はね、昨日のうちにものすごい数を作ってティナが凍らせたのを保冷庫に保存しているんだ。五日はそれでしのげるだろうけど、そこから先は在庫ぎれ。エクラバの店の週替わりメニューがなくなってしまう」
そこが最大の問題だ。
週替わりのメニューは、実は一番売れる。熱心なファンが多く品切れは避けたい。
ちなみに保冷庫は土魔術で作ったもので、完全な密閉空間。パプルのババロア自体を凍らせているし大量の氷を一緒に入れているので商品を完全な状態で保存できる。
とはいえ、昨日徹夜でパプルのババロアを作り続けたとはいえ、所詮一晩の仕事だ。作れる数に限りがあり俺の不在時の期間すべてをまかなえるものではない。
「ミル、凍らせている在庫がなくなるまでの間に、そのレシピとミルの舌で俺の作ったものに迫った品質のパプルのババロアを作ってほしい。そして、もしできるなら。本来の週替わりのタイミングでミルなりのアレンジをして新たなメニューに生まれ変わらせてくれ。それが、ミルへのお願いであり、師匠から与える課題だ」
完全な新作ではなく、マイナーチェンジ。
とはいえ、パプルのババロアはかなり完成度が高いお菓子だ。これを劣化させずにアレンジを加えるのは並みのセンスではできない。
だが、ミルならあるいはと期待してしまう。
というより、相手がミルでなければこんなことは頼まない。”アルノルト”の名を冠する店に俺以外のメニューが並ぶ。そのことは重い意味を持つ。ミルだからこそ、こんなことを頼める。
ミルは真剣な表情になって口をぱくぱくさせる。即答できないのは、俺が言ったことがどれだけ難しいことかわかっているからだ。
彼女は俺のお菓子の最大の理解者である。だからこそ、メニューを任されることの意味が伝わる。
一分ほどまった。ミルが決意を込めた表情で口を開いた。
「やってみる。全力で取り組んで、五日でクルト兄様のパプルのババロアを再現して、一週間であたしなりのババロアを作ってみせる!」
俺は微笑む。よく言った。それでこそ俺の一番弟子だ。
この課題を乗り切るかどうかで、殻を破れるかどうかが決まる。
ミルのこの姿は勇気をくれた。こんなに小さな弟子が、無理難題に前向きに取り組んでいるのだ。俺が多少の無茶ぶりをこなせないでどうする。
「じゃあ、ミル。今から三十分質問タイムだ。俺に聞きたいことは全部聞いておけ」
俺がそう言うとミルはパプルのババロアを一口食べ、考え込む。
そして、マシンガンのように勢いよく、次々にお菓子作りに必要な情報を手に入れようと質問をしてきた。
頼もしい。
そう感じながら、俺はできるだけ優しく彼女の質問に答えていった。
弟子の成長が楽しい。
俺も彼女に負けないようにがんばろう。受勲式も無事乗り切って見せるし、過去に作ったインペリアル・トルテ。それを超えるメニューぐらい作って見せよう。