第十四話:二層の鮮やかなパプル・ババロア
店を開店してから一週間経った。
だいぶ、店も落ち着いてきている。
相変わらず転売は続いているが、そこは諦めた。
土産物であり、保存性の高いベリークッキーや、ピナルの蜂蜜ケーキを個数制限することで、はるばる遠くの村からエクラバに来て、故郷のみんなに美味しいものを食べてほしいと考える人たちに割を食わせるわけにはいかない。
たとえ転売されたとしても、パッケージでアルノルトのお菓子だとわかる。
いずれ、自分でお菓子を買いに来てくれると信じて今のまま売り続けることにした。
あまりにも度が過ぎるようなら、商業都市エクラバの支配者であるフェルナンデ辺境伯にも相談が必要だ。
そして……。
「ドルワートさんはすごいよ」
俺は珍しく、自分の村にいた。
厨房でティナと二人食材を見つめている。
ドルワートが有能すぎて、店の通常運営のほとんどを任せられていた。
俺はお菓子作りと、政治レベルや店の方針だけを決めればいいだけになったので、だいぶ楽になった。
毎日、商業都市エクラバまで行かずに済むのはありがたい。領地経営が滞りかけていたところだ。
……ただ、賃金や待遇以外に面倒な条件が一つ付けられている。週に一度は、店が終わったあとにドルワートの奢りで、彼女の選ぶ店で夕食をとる。なぜか、ドルワートは絶対に会計は譲らないし、俺におごることになんらかの意味を感じているようだ。さらに、食事中はずっと、お姉ちゃんと呼べと強要される。
まるで意味が分からない。
それを差し引いても、十分すぎるほど優秀なので彼女の要望に応えている現状だ。
「クルト様の言うとおりですね。あそこまで熱意があって面倒見がいい方はなかなかいません」
そう、有能なだけじゃなくて面倒見もいいのだ。
ドルワートは教育熱心で、人手が足りないと本村のほうから何人か追加で送った新人の教育をしながら、ベテランにはただの接客以上のことも教え、自分がいなくても店が回る体制を整えてくれている。
彼女いわく、誰が倒れても問題ない状態に仕上げていくということだ。非常にありがたい。
「さて、俺は俺でオーナーパティシエとして新メニューを作らないとね。来週のメニューを発表する時期だ」
彼女のおかげで、こうして新メニューの開発に専念できるのはありがたい。
「今回は何を作るつもりですか?」
「パプルが余っているから、パプルを使ったお菓子を作ろうかと思っているんだ」
看板メニューになっているピナルの蜂蜜ケーキでたっぷり使用する桃に似たピナルと違って、ぶどうに似たパプルは消費量が少なかった。
だから、この在庫を消費したい。
もともと、精霊の里から大量にもらっていて仕入れがただというのも大きい。
さらに欲を言うなら蜂蜜の使用量も減らせるお菓子を作り上げたいと思っている。
「いいですね。私もパプルは好きです。あの気品のある味がたまらなくて」
「うん、あの味はなかなかね。それを活かすためにはやっぱりあまり火を通さないほうがいいかな。火を通してもそれはそれで濃厚な旨みになるんだけど……よし、両方を活かそうか」
パプルに似たぶどうにも、高級感があるが。パプルはそれよりも洗練されている。そこを損ないたくない。
さらに、第一週はカスタード・プティング。第二週はフルーツ・タルトを用意した。
だから三週目はできるだけ軽いのがいい。
冷たいお菓子がいいだろう。
それでいて、第一週のプティングと差別化できるお菓子となると……。
「よし、決めた。ババロアを作ろうか」
俺の得意なお菓子の一つだ。
コースの最後のデザートにケーキでは重すぎると言うお客様に喜ばれた。
「ババロアですか? 初めて聞いたお菓子です」
「楽しみにしていてくれ。貴族のために作られたお菓子なんだ。パプルの気品のある味を素直に引きだせる」
ババロアの語源はバヴァロアというフランス語だ。
ドイツの王国である、バイエルン王国のという意味をさす。
バイエルン王国の貴族のためにフランスのシェフが知恵を凝らして作り上げたお菓子だ。
その作り方は単純だ。生クリームと卵黄を泡立て砂糖を加え、そこにゼラチンを加えて固める。
ゼリーとは違い生クリームを加えている分滑らかな舌触りになるし、口当たりもいいお菓子だ。
「そのためには、ちょっと葛粉の在庫が心もとない。ティナ、悪いけどクロエを呼んできてくれないか。倉庫に精霊の里からもってきたくずの根があったはず。ちょうどいいし、たっぷりと葛粉を作っておきたい。それにはエルフのクロエの力を借りたい」
「はい、クルト様。すぐにクロエを呼んできますね!」
ティナが、もふもふの尻尾を揺らしながら去っていく。
通常の手順では、葛ではなくゼラチンを使う。
だけど、パプルの風味を考えたら、ゼラチンよりも葛のほうがあっているだろう。ゼラチンは動物性ゆらいだけあって、わずかだが獣臭さがでる。
葛自体は精霊の里から大量に、根っこごともってきて倉庫にあるが、あれから葛粉を作るとなると、普通なら一週間かかってしまう。だけど、クロエの水魔術があれば半日で出来てしまうのだ。
◇
クロエ来てもらい、なんとか葛作りが終わった。
今後のことも考えて可能な限り作っている。
葛は、使い勝手がいい。いろいろと応用が利く。
和菓子の材料だが、その優秀さが洋菓子職人たちにも認められはじめ、積極的に取り入れられている材料だ。
「それで、クロエ。どうして葛作りが終わったのに、まだいるんだ」
「そんな決まっているよ。クルトのお菓子をつまみ食いしたいじゃん!」
クロエがまったく悪びれずに笑顔でいいきる。
「まあ、いいけど。クロエには世話になっているから」
「私の水魔術はすごいからね。ほら、遠慮なく褒めていいよ」
その言いっぷりに苦笑する。
俺の村には水路なんて便利なものはない。
そして井戸は村に二つだけで畑から離れていた。
農作業をする際にどうしても不便だから、最近俺の土魔術でため池を作った。
定期的に雨が降ってくれればいいが、そう都合よくはいかない。
そこでクロエがたまにため池に水魔術で水を注いでくれている。
農作業が楽になっただけではなく、その水で育てると作物が病気になりにくく、生育が良くなるという効果が目に見えて出てきて、今では雨が降ろうが、降らなかろうが、彼女には空いた時間に水を作ってもらっていた。
「はいはい、えらいえらい」
「ああ、なんか適当だね。この功労者にご褒美をあげてもいいと思うんだ」
「まあ、それもそうだな。どっちみち誰かに味見をしてもらう必要があったし、ティナとクロエに頼もうか」
俺がそう言うと、ティナとクロエが目を輝かせる。
新作のお菓子をこの二人はいつも楽しみにしてくれている。
菓子職人として嬉しい限りだ。
早速調理を始めよう。
まずは材料を並べる。
牛乳と生クリーム、自家製のヨーグルトに本葛。
それに生のパプルとパプルのコンポート。
非常にシンプルだがこれだけで十分だ。
お金に余裕ができたので、服の材料にもなり、乳がとれ、餌代もほとんどかからず、病気に強い家畜ということで、山羊をかなり買い足していた。
だから、だいぶ乳が余るようになっていた。そのままにしておくと腐らせるので、腐らないように余った分はヨーグルトにしていた。
氷水につけたボウルに生クリームを入れて、七分立てまで手際よく泡立てる。
そこに自家製ヨーグルトを加える。
ヨーグルトのまろやかさと酸味はパプルとの相性がいいし、口当たりが柔らかくなる。さらに生クリームとパプルはそのままでは一体感が足りない。ヨーグルトがその繋ぎになってくれる。
ここに通常なら砂糖を加えるのだが、コンポート漬け汁を煮詰めたシロップを付け加えた。
コンポートは、果物を酒で煮て旨みを増すと共に、保存性を高める料理技法だ。
パプル自体も素晴らしいが、パプルを漬けこんだ酒にはパプルの風味と甘味が大量に含まれ、それを煮詰めることで最高のシロップを作ることができる。
さらにお湯で溶かしたくず粉を入れて混ぜ合わせる。
くず粉の濃さでババロアの滑らかさが決まる。ここは菓子職人の腕の見せ所だ。
ババロアには卵黄を加えることが多いが、パプルという果実の素晴らしさを最大限に引き出すには邪魔になってしまうので今回は加えない。
出来上がった液体を、カスタードプティング用に作った型に流し込む。
「あとは余熱をとって冷やして固めれば、ババロアの部分は完成だね」
「あれ、クルトにしては随分と簡単なレシピだね」
「工夫はするけど、手を加えるだけがお菓子作りじゃないんだ」
最高のピナルと、本葛があるんだ。
その美味しさを素直に味わってもらいたい。
「とはいえ、今回はもう少し頑張ってみよう」
俺は微笑んで、生のピナルの皮を剥いていく。
そして、ピナルをカットし、さきほどのとは別のボウルに入れた。
カットしなかったピナルは絞ってその果汁をボウルに入れる。
さらに、本葛を加えた。かなり固めになるような調整。
果汁と実だけで固めてできるのはパプルのゼリーだ。
さきほど、ババロアを流し込んだ型にゼリーを流し込む。
「こんどこそ、出来上がりだね。俺のパプルのババロア、二時間後には食べれるようになるかな」
「クルト、二時間もお預けなんてひどいよ」
「待つだけの価値はあるよ。夕食後のデザートにしよう」
さて、待っている時間を無為に過ごすのももったいない。
別の仕事を片付けようか。
◇
そして、夕食が終わりついにデザートの時間がきた。
しっかり冷やしたババロアの型を、ティナとクロエの目の前でひっくり返す。
皿に、ババロアがもられる。
カスタードプティングの型を使っているので当然形は同じだ。
しかし、下がカットされたパプルが散りばめられたゼリーの層になり鮮やかなエメラルドグリーン。皮からの色素をとらなければこんな色になる。
そして、その上に乗るのはババロアの層。生クリームとヨーグルトが加えられたことに加え、コンポートは皮の渋みも生かすためにパプルの皮も煮込んであるので紫の色素が出ており、優しい薄紫色。
その、二層の対比が美しい。
「ねえ、クルト、これ食べていいの」
「柔らかくて滑らかなところと、きれいで透き通ったところがあって、わくわくします。すごくきれいなお菓子」
二人とも、初めてみたお菓子に夢中になっている。
「いいよ。是非、感想を聞かせてくれ」
俺がそう言うと、二人はスプーンでババロアをすくう。
まず、上の部分のババロアの層は滑らかに吸い込まれるようにしてスプーンが沈んでいく。
そして、下のゼリーの層は固めに受け付とめた。
それを口に運ぶと。
ティナは頬っぺたを押さえる。
「うわあああ、上のほうはプリンと同じぐらいに滑らかで、優しい甘さです」
「これ、いいね。上も美味しいけどゼリー部分はパプルのさわやかさが良く出てる」
「そのために二層構成にしたんだ。上の層は生クリームとヨーグルト、それに煮詰めて濃厚にした優しいけど力強い味下の方は逆にピナルの酸味と高貴さをそのまま残したゼリー。味も食感も違って飽きさせないんだ」
どちらもパプルの魅力だ。
それを一皿で味わえるデザート。
別々に食べてもいいし、一度に口に含むと新しい魅力に気付ける。
見た目にも美しくなるいいことづくめだ。
「クルト様、このお菓子も絶対売れると思います!」
「だね、カスタード・プティングのとき、これ以上のお菓子はないって思ったけど、これも同じぐらい美味しいよ」
喜んでもらえてよかった。
二人が、太鼓判を押してくれるなら大丈夫だろう。
さて、俺の食べようか。
そう思っていると、扉が乱暴にたたかれた。
「こんな時間に来客か」
珍しい。誰だろう。
そんなことを考えながら扉をあける。
そこには、ファルノがいた。
「ファルノ、そんなに慌ててどうした」
「その、決まりましたわ!」
「落ち着いてくれファルノ。何が決まったかがわからない」
「クルト様に爵位を与える日が決まりましたわ。二週間後、王都で行われます、時間がないです。すぐにエクラバに来てください! ……それと、あの、聞いて驚かないでくださいませ。王家の方々が、クルト様のお菓子を食べてみたいと。四大公爵の方々が絶賛するものだから、そういう話になってしまって」
「……またか」
「しかも、その、あれな方が王家に一人いらっしゃいまして。四大公爵が自分より美味しいお菓子を食べたなんて許せない。それ以上のものを出さないと、王家への侮辱とか、それはそれは愉快なことを」
「気軽に言ってくれる。……全力投入した。インペリアル・トルテ以上のものだと」
俺は一瞬あっけにとられる。
あまりにも、急なスケジュールだ。
準備が間に合うか怪しい。
いや、もう慌てる時間すらない。
「わかった。すぐに準備しよう」
俺はそう短くつげて、せわしなく動き始めた。
王家にお菓子を振る舞う。
それは菓子職人にとって、最大の名誉であり。
同時に、破滅と隣り合わせの危険な行為だった。