第十二話:”アルノルト”開店
明け方、竜車がエクラバに向かって飛び立った。
ティナと一緒に竜車を見送る。
プレオープンの反省を生かしてお菓子を大量に作ったのだが、一度の輸送では運びきれない量になっている。。
二回に分けて運ばないといけないので、竜車は荷物を降ろしたらすぐにまた戻ってくる予定だ。
それに乗って俺たちもエクラバに向かう。
それまでの間の休憩というわけにはいかない。
俺にはカスタード・プティングを仕上げる仕事がある。
一度目はドライフルーツをたっぷり使ったケーキと、クッキーしか運んでいないが、二度目の輸送には、今週の週替わりメニューのカスタードプティングも一緒に運んでいく。
これは作り立てが一番美味しいので、運ぶぎりぎりに完成させるのだ。
「そういえば、クルト様。週替わりのスペシャルメニューのほかに、予算度外視で貴族用の超高級メニューを作るって昔言っていたのを思い出しました。今回は用意しないんですか?」
よく、覚えていたな。
もともと、それも用意するつもりだったものだ。
「うん、それもちゃんと考えているよ。今はチョコレートのお菓子、インペリアル・トルテがあるから見送っているけど。今回用意したインペリアル・トルテで、使っていい分のカカオは使い切っちゃったから、それがなくなったら別のお菓子を作るさ。もちろん、インペリアル・トルテに負けないお菓子を作るつもりだよ」
カカオはこれ以上使えない。また、この前の四大公爵の食事会のようなイベントのときのために最低限手元に置いておく必要がある。
エクラバに開いた店は、アルノルトの発展のため。
そして、お菓子の素晴らしさを一人でも多くの人に味わってもらうというものだ。
だから、高価な砂糖は使わずにアルノルト領で成功した近代養蜂によって大量に確保したハチミツを使っているし、手軽な値段に抑えるために他の材料も安価なものしか使用しない。
とはいえ、金に糸目をつけずに最高のお菓子を食べたい。そういう客のニーズにも応えたい。
だから、週替わりとはさらに別に、そのときそのときで最高のお菓子。金に糸目をつけず、俺の技量をすべて注ぎ込んだ選ばれたものだけが食べられるお菓子を、ほんの少しだけ用意するつもりだ。
それは俺の腕を磨くためでもある。
今は、その枠でインペリアル・トルテを置いているが、俺にはそれに匹敵するお菓子を作る計画がある。
「インペリアル・トルテに負けないお菓子ですか。どんな、お菓子だろう。楽しみです!」
ティナが銀色のキツネ耳をピンと立てながらうっとりした表情を作る。
よだれが垂れている。どんなお菓子を想像しているのだろうか。
「楽しみにしてくれ。ティナには一番最初に食べてもらうよ。まずは今日のカスタードプティングだ。ティナ、力を貸してくれ」
「はい、クルト様! 今日も、素敵なお菓子を作りましょう!」
ティナと共に大厨房に向かう。
さて、ここからは時間との戦いだ。
この村でとれた卵と蜂蜜をたっぷり使った特製のカスタード・プティング。
けっして高価なお菓子ではないが、自信をもって提供できる自慢の逸品だ。
今日、店に来た客を全員虜にしてやろう。
◇
竜車が戻ってくるまでに、なんとかカスタード・プティングの準備が終わった。
第二陣の竜車に乗って、ティナ、クロエと共にエクラバに開いた、俺たちの店、”アルノルト”の開店準備を行った。
「みんな、もうすぐ開店だ。あらかじめ言っておく。プレオープンの倍以上、忙しくなる。覚悟をしておけ」
大量に運び込んだお菓子を限界まで陳列し終わり、いつでも店を開ける状態だ。
あと数分もしないうちに店を開く。
店員たちを全員集めて、朝礼を行う。
店員たちはみな、期待と不安が入り混じった顔だ。
全員、客が入らないのではないか? なんて不安はない。大量に来た客を捌けるかという不安があるのだ。
プレオープンでは、権力者は当然として、影響力が多い人間を中心に声をかけた。
一日休みを挟んだ間に、俺たちの店の評判は爆発的に広がっている。
お菓子は高価な貴族の食べ物。
そんな常識を壊す価格、なによりもこの世界の水準を圧倒的に超える質。
客が来ないわけがない。
俺は咳払いをして、みんなに話かける。
「さて、いいよオープンだ。オープンする前に一つ言っておこう。どんな、すばらしい商品があっても。それはあくまで道具にすぎない。その道具をどう使うかは、君たちにかかっている」
そのことは痛いほど知っている。
チーフパティシエとして店舗の営業にも拘わっていた俺は、間違っても素晴らしいお菓子さえあれば成功するなんてふざけた幻想は持たない。
最高のお菓子を、最高の形で届ける環境とスタッフ。それがあってはじめて、店舗は成立する。
「みんなの働きに期待する。もちろん、その働きには相応の対価を用意しよう。とくに忙しくなる開店一週間、そこを無事乗り切れば、ボーナスをみんなに支給しよう。ボーナスの額は、満足させたお客様の数で決める。総員、奮闘するように」
俺の言葉に、店員たちの顔がぱーっと明るくなる。
この店の給料は、エクラバの相場よりも少し高めに設定してある。
とはいえ、大半の店員はアルノルト領からはじめてこの街に来たほしいもの、村に残した大事な人たちに贈りたいものは無数にある。
お金はいくらあっても足りないだろう。
普通の店の何倍も忙しいんだ。ちょっとぐらいサービスしても問題ないだろう。
「では、各員持ち場についてくれ。店を開く! 甘いお菓子の魅力を伝えるために、アルノルト領の発展のため、そして自分と大事な人のため、最高のお菓子を最高の笑顔で届けてくれ!」
「「「はい!!」」」
元気のいい声が返ってきた。
そして、店員たちが配置に向かう。
いい、動きだ。
「アルノルト次期準男爵、素晴らしい挨拶でした」
「ありがとう。ドルワートさん。ドルワートさんにそう言ってもらえると安心だ」
ドルワートは固い印象を与える背が高い二十後半の女性だ。
彼女はアルノルトの女性たちに一流の接客を叩き込んでくれた人だ。
彼女がいなければ、店員すべてが俺が要求する水準での接客技術を身に着けるなんて不可能だった。
「ドルワートさん、追加の人員の件、ありがとう。助かったよ」
「いえ、しっかり仲介料をもらっていますので礼には及びません」
プレオープンの状況を見て、正式なオープン時には人手が足りないことに気付いた。
今から、素人を教育しても足を引っ張るだけなので、彼女に頼み伝手で他の店から一流のスタッフを数人貸してもらっている。
期間限定なので、賃金は少し色を付けた。
人件費をけちるとろくなことにならないのも、経験で知っている。
「ドルワートさん。もし、ドルワートさんが良ければ、ずっとこの店にいてほしい。あなたの能力は素晴らしい、この店に必要な存在だ」
もともと、村人の教育のために雇った人だ。
だが、超一流の接客術、教育の手腕、店員たちに慕われる人望と、手足のように部下を動かす統率力。さらにトラブル対応の柔軟性。
一緒に働けば働くほど、彼女のことを手放すのが惜しくなる。
「それは、私を口説いておりますの」
「ええ、あなたの能力を。今の給料で不満なら交渉に応じますよ?」
ドルワートは少しだけ逡巡して、口を開く。
「ありがたい申し出だけど、断らせていただくわね。私がここにいたんじゃ、いつまで立ってもここにいる子たちが成長できないもの。でも、期間の延長ぐらいは考えておきます。あなたの店、とてもユニークで、私の知らない工夫があるもの。たっぷりノウハウを盗ませてもらうわ」
「そうしてくれ、俺も、店員たちもあなたの技術を盗むからお互い様だ。あと、一応伝えておこう。ボーナスは、あなたも、あなたが連れてきてくれたヘルプにも渡す」
村人たちとは別の契約で、本来なら払わないでいい金だ。
とはいえ、気持ちよく働いてもらうことで得られる店の利益のほうが払う金額より大きい。だからこそ、払う。
「ずいぶん、気前がいいのね。ありがたくいただくわ。あの子たちにも伝えておく。さて、無駄話はここまでにしておきましょう」
「そうだな。客を待たせるのも悪い」
壁に立てかけている時計の針が開店時間を示した。
そしてからくりが起動し、鐘の音が鳴り響く。
これはからくり細工時計。超一流の職人による芸術品。
時計は、普通のものですら高価だ。芸術品じみた細工時計なんて、貧乏貴族のアルノルトではとても買えない。
なら、なんで用意されているかと言えば、開店祝いに四大貴族の一人、レナリール公爵が贈ってくれたのだ。
一緒に添えられた手紙には、プレオープンにはこれなかったが、いずれ時間を作って遊びにいくと書いてあった。
もし、彼女が来てくれたなら、この時計のお礼に最高のお菓子を振る舞おう。
俺は扉に手をかける。
いよいよ開店だ。
「ようこそ、アルノルトへ!」
目前には、いっぱいのお客様。
背中には頼れる店員たちと、たくさんのお菓子。
お菓子を求めてたくさんの客が流れ込んでくる。
さあ、たくさんの人に甘いお菓子を届けよう。
ずっと夢見た普通の人に甘いお菓子を食べてもらうという目標。それはいま、ここでかなう。
ストックが溜まったので再開です。次回更新は、2/5(日)。三月ぐらいまでは週一で更新します
1/30。明後日に二巻が発売です! 二巻はエクラバで大活躍したり、精霊の里を救ったりするお話です!
是非、ご購入を。
書き下ろしは、クロエとティナと三人でお祭りで屋台を開きます! 甘いお菓子と、二人の絆を楽しめる書き下ろし、是非読んでくださいね