第十話:一番最初のお客様
大量に仕込んだお菓子を載せた竜車はフェルナンデ辺境伯の屋敷の中庭に着陸した。アルノルトを出てから一時間もかかっていない。
やはり竜車は便利だ。馬車なら半日かかってしまうだろう。
荷物を馬車に載せ換え俺の店につく。
店の前には、大輪の花が並べられていた。開店祝いのものが多数だ。フェルナンデ辺境伯とゆかりがあると思われているからだろう。
店の中に入ると、店員たちがこちらを向く。
全員、着替えを終えて開店準備を始めていた。
「みんな、ご苦労様。今日と明日がプレオープンだ。そして一日挟んで正式オープンとなる。この二日、精一杯がんばろう」
「「「はい」」」
全員が頷いた。表情がいい。やる気に満ち溢れている。
スキルは大事だが何より大事なのはやはり気持ちだ。
「まずは、届いたお菓子の陳列だ。配置は、ファルノの屋敷でやった通りに頼む」
せわしなく、女性たちが作業を始める。
ファルノの屋敷で、簡単にだがこの店を模したセットで練習を繰り返している。
箱入りの菓子がきれいに並べられ、ショーウィンドウの中にカットされたケーキたちが置かれる。
お菓子を包装するパッケージもみごとなものだ。ファルノに交渉を任せた業者がいい仕事をしてくれた。
アルノルトの紋章、そして流麗な文字でArnoldと書かれている。
この店の名前は、 Arnoldにした。それが一番シンプルかつふさわしい。
透明なショーウィンドウの中には、三種のケーキを並べていた。
お菓子の水分を飛ばさないためにも、そして目で楽しんでもらうためにもショーウィドウは必須だ。
かなり高い買い物だが躊躇わずに設置してある。
そのショーウィンドウに並んでいるのは、ピナルの蜂蜜ケーキ、ベリークッキー、カスタードプティングだ。
「うん、いい配置だ」
見た目だけではなく、このショーウィンドウはティナの魔法で氷が敷き詰められていて保冷性が高い。
カスタードプティングだけは日持ちがしないので、どうしても温度を下げる必要がある。
ショーウィンドウ以外の棚にはしっかりと包装されたピナルの蜂蜜ケーキとクッキーの箱がどんどん積み重ねられていく。
これができるのが保存の利く焼き菓子の強みだ。
生菓子は手間が非常にかかるうえ、腐りやすくロスがでるし、場所もとるので、それだけでは利益は得られない。焼き菓子こそが真に店を支えてくれる。
お菓子を並べ終わると、今回だけ特別に用意する飲食スペースのために机と椅子を並べていく。机と椅子以外にも飲食スペースに必要なものがある。
「ティナ、紅茶の準備はできているか?」
厨房のほうに声をかけると、ティナの声が響いてくる。
「はい、大丈夫です! クルト様、この紅茶本当にいい匂いですね」
「なにせ、ファルノがすすめてくれたお茶だからね。品質は折り紙付きだ」
紅茶も奮発した。上客を呼ぶので安物は出せない。
みんな舌はたっぷり肥えている。
その紅茶を台無しにしないように、ファルノの執事であるヴォルデに紅茶の淹れ方をティナは習っていた。
「クルト、厨房の水瓶にたっぷり水を入れといたよ」
厨房からひょっこりとエルフのクロエが顔を出した。
「ありがとう、クロエ」
クロエが魔法で作る水は、精霊の里のものと同じで柔らかくて清涼な水だ。紅茶には最適だし、お菓子作りにも使わせてもらっている。
いい茶葉にクロエの水。最高の紅茶ができるだろう
「みんな、あと少しだ。開店までに十分間に合うペースだ。この調子でいこう」
あっという間に準備が終わる。
初日だし、もっともたつくと思ったが、教育が行き届いているらしい。
教育がいいのだろう。さすがはプロだ。よくみんなを鍛えてくれた。
一通りの準備が終わると、特別メニューであるインペリアルトルテをショーウィンドウの近くに配置する。
専用の陳列台を作り、透明な箱を上からかぶせた。
さらに、それがレナリール公爵へ振る舞ったものだと書いた紙を隣に並べ、一カット金貨五枚だと書いておく。
この値段で売れるとは思っていないが、広すぎる店のスペースを有効活用した見世物にはなってくれるだろう。
そして、準備がすべて完了し全員が持ち場につく。あと十五分ほどでプレオープンだ。
緊張してきた。
時間が少しずつ過ぎていく。
そして、ついに開店の時間だ。
扉にかかっていたクローズの立て札をオープンに変える。
オープンして数分もしないうちに記念すべき最初のお客様が来てくれた。
「「「いらっしゃいませ」」」
全員、声を合わせて出迎える。
一番最初の客は、フェルナンデ辺境伯だった。忙しいのにわざわざ時間を作ってくれたようだ。
隣には、ファルノがいる。今日はドレスではないが上品でお嬢様らしいワンピースを身にまとっていた。
「ふむ、ここがクルトくんの店か、なかなかいいじゃないか」
「フェルナンデ辺境伯のお力添えと、私を支えてくれたみんなのおかげです」
フェルナンデ辺境伯は店の隅々まで見渡す。
そしてまっすぐ進み、ケーキの並んだショーウインドウを見つめる。
「ほう、こうしてお菓子を見て選べるのはいいね。今日は三種類かね?」
フェルナンデ辺境伯は、ショーウィンドウに並んだ、ピナルの蜂蜜ケーキ、特製のベリークッキー、カスタードプティングを興味深そうに見ていた。
「いいえ、四種類です」
俺は、インペリアル・トルテの専用台のほうに手のひらを向けた。
「あちらにあるのは、フェルナンデ辺境伯にも楽しんでいただいた。インペリアル・トルテです。値段は金貨五枚。値段が値段ですので、いわゆる客寄せ、もしくは飾りとして置いている意味合いが強いです」
「なるほど」
「インペリアル・トルテ以外の三種のお菓子は、本日のお客様には無料で提供させていただきます。気に入っていただければ、お土産にご購入ください。そちらは有料です」
お土産はクランベリークッキーと、ピナルの蜂蜜ケーキだけ。
カスタードプティングは、食中毒が怖くてお土産にはできない。すぐに食べてもらえる店内だけの販売だ。
本番では、店員に三時間以内に食べるように厳しく言ってもらう予定だ。
「ほう、土産用のクッキーの詰め合わせが銀貨一枚、ケーキがホール一つで銀貨二枚か。甘いお菓子がこの値段とは恐れ入るね」
「それがこの店の方針ですから」
砂糖が非常に高価な時代でこの値段は破格だ。
倍の値段でも売れるが、あえてそうした。たくさんの人に甘いお菓子を楽しんでもらうために値段を抑えた。
フェルナンデ辺境伯は、ショーウィンドウのお菓子を見つめ、しばらくしてから口を開いた。
「では、クッキーとピナルの蜂蜜ケーキ、それにプティング、すべて一つずつもらおうか」
「お父様、食べすぎじゃないですか」
「なら、ファルノはどれか一つにするかね?」
「もちろん、私も全部食べますわ」
俺とフェルナンデ辺境伯は苦笑する。ファルノはこう見えて食いしん坊だ。
「お二人に、すべてのお菓子を召し上がっていただき光栄です。ではこちらに」
彼らを飲食スペースに案内する。
店員が注文された品を皿に盛り付けやってきた。
ティナがティーポットをもって現れ、紅茶を提供する。
机の上に三種のお菓子と、紅茶が並ぶ。
「ほう、いい香りの紅茶だ。これはうれしい気遣いだね」
「私、このお店通いたくなりますわ」
ファルノがうっとりとした声でつぶやいた。
ありがたい話だが、そうはいかない。
「申し訳ございません。通常営業を開始すれば、お菓子は持ち帰りのみとなります」
「それは残念ですわ。店内で食べられるほうが人気があがりますわよ」
「人手が必要ですし、回転率が落ちるので厳しいのです。たくさんの方にお菓子を楽しんでもらうために諦めました」
利益のことを考えるなら、原価率が低いドリンクを売ることができる飲食スペースは悪くない。
だが、開店してしばらくの間は店内がひどく混雑すると予測される。慣れない店員にさらに負担をかけることはしたくない。
それに飲食店の接客は鬼門だ。値段を安く抑えれば抑えるほど、逆にわがままな客の割合は増える。
そんな客を長時間居座らせて、店の評判が落ちてしまえば元も子もない。
「それは残念ですわね。では、さっそくいただきましょう」
「そうだね、僕もそろそろ我慢できない。このプティングは前回も楽しんだが、ケーキが気になってしょうがないんだ」
フェルナンデ辺境伯は、おどけて見せてフォークを持ち上げる。
そして、言葉のとおり、ピナルの蜂蜜ケーキに口を付けた。
「ほう、このしっとりとした食感。上品な甘味。生地が前よりも美味しくなっている。油が違うのかな。仄かに心地よい香りが漂っている」
「お目が高いですね。このケーキは特別な油を使っております。バターで作ったケーキよりもきめ細かく、軽い仕上がりになります」
さすがはフェルナンデ辺境伯だ。
今回のケーキに使った最高級の油、ぶどうの種を使ったグレープシードオイルの存在に気付いたようだ。
「ふむ、それにこの果実がいいね。むっちりとした食感に、あふれるみずみずしさ。体の中から洗われる気がするよ。これは手が止まらない」
フェルナンデ辺境伯は、目を見開き手を動かす。心なしか急ぎ目に。
そして、ペロリと一カットのケーキを食べ終えた。
夢中になるのも無理はない、精霊の里のピナルは最高峰の果実の一つだ。ぶどうの香りが漂う生地との相性も抜群。
なんどか試作して、グレープシードオイルは、このケーキを作る際においてはクルミ油を上回るという結論が出た。
「素晴らしい、堪能したよ。これは素晴らしいケーキだ。これが一ホール、銀貨二枚とは信じられない。この店は絶対に流行るよ」
「ありがとうございます」
彼のお墨付きが出たのなら安心だ。彼ほどの舌の肥えた人はなかなかいない。
「クルトくん、このお菓子は気に入った。土産に買いたいのだけど、このクッキーやケーキはどれほどもつ?」
「一月ほどなら問題なく」
「では、クッキーとケーキを十個ずつ包んでくれ。寄子たちに贈ろう。彼らをたまには労わらないとね。それに、こんな素晴らしいお菓子をだす店、紹介してあげたくなるじゃないですか」
俺は頭を下げる。
きっと、これは店の宣伝の協力でもあるだろう。
「お父様、どうしてインペリアル・トルテを注文しなかったのですか? あんなにまた食べたいと言っておりましたのに」
「ファルノ、あれはあまり数を作っていない。あの感動を是非、ほかの人にも味わってほしいんだ。一度経験した僕が食べるべきじゃないよ」
「そうですね。さすがはお父様。私も我慢しますわ」
俺は苦笑する。
「あの値段なので、そうそう売れると思えませんがね」
俺の言葉に、フェルナンデ辺境伯とファルノは首を傾げる。
「何を言っているんだ?」
「たったの金貨五枚ですわよね? すぐに売れると思いますわ」
大富豪の二人はあっさりとそんなことを言う。
俺の想像以上に、大貴族の金銭感覚は壊れているようだ。
「クルトくん、ありがとう。堪能したよ。これで、クルトくんのお菓子が気軽に食べられるようになるのは嬉しいね」
「もう、お父様ったら」
二人は、たっぷりとケーキと紅茶を楽しみ、去っていった。
彼らのあとは、すぐに次の客が現れた。
今日は、全員招待客とはいえ、それなりな人数に声をかけている休んでいる暇はない。さあ、てきぱき手を動かそう。
◇
なんとか、今日一日を乗り切った。
幸い、大きなトラブルもなく無事に閉店時間を迎えることができた。
とはいえ、一つ、予想外なことが起きてしまった。
「クルト様、全部、売れちゃいましたね」
「俺も、ちょっと驚いているんだ」
今日は、万が一の品切れに備えて明日の分のお菓子もあらかじめこちらにもってきていた。
だというのに、すべて売り切ってしまった。
正確に言うと、途中で在庫切れを起こすと確信し、慌てて店においてあった備蓄の材料を使い、この店の厨房で慌てて俺が作り足しており、その分すらも売り切っている。
そして、なにより……。
「インペリアル・トルテなくなっちゃいましたね」
「まさか、開店二時間でなくなるとはな。なくなるにしても保存期限ぎりぎりの二週間はかかると思っていたんだ」
大商人や貴族が中心とはいえ、まさか一カット金貨五枚のケーキが瞬殺されるとは。
売り切れにしたことで、かなりお叱りを受けた。
あれだけは、作り足すことができなかった。今回のインペリアル・トルテを作る際に、多めにカカオを熟成させてチョコレートを作っているので、作り足すことはできるのだが、チョコレートは非常に高価なため俺の家に厳重に保管されている。
俺が、プレオープン中に店を離れるわけにもいかず、結局今日は追加で作ることはできなかった。
予約という形で、明日提供することになった。その予約が六件もある。
レナリール公爵をうならせたお菓子には、それほどの威力があったらしい。
どうも、四大公爵の食事会に参加した貴族たちが自慢しまくっているらしい。それが口伝に広まっていた。
いわゆる貴族の意地だ。あいつが世界で一番うまいケーキを食べたのに自分が食べていないのは許せない。そのプライドを満たすためなら、金貨五枚ぐらい安いもの。そう考えているようだ。
今日の売り上げは合計すると、金貨にして六十五枚ほどある。そのほとんどをインペリアル・トルテが稼いでしまった。
一ホール、十二カットで金貨六十枚(七百二十万円相当)。ボッタくりもいいところである
とはいえ、この旨みに慣れてはだめだ。これを当たり前だと思うと菓子職人として道を踏み外す。そういった同業者は今まで何度も見てきた。あくまで特需だと思わないと。
「みんな、今日はよく頑張ってくれた。おかげで、お客様を満足させられることができたよ。明日もがんばろう」
明るいが、すこし疲れが混じった声が返ってくる。
はじめてということもあり、体よりもむしろ精神的にみんな疲れている。
今日はゆっくり休んでもらい、明日に備えてもらおう。
だが、まずはご褒美だ。
俺が手をたたくと、扉が開かれ、ごちそうが並ぶ。
「今日は、みんなのためにごちそうを用意した。はやく休みたいものは、包んでもたせるから、言ってくれ。酒はほどほどにしろよ」
歓声があがる。
がんばってくれたみんなに、これぐらいのご褒美はいいだろう。
俺は少しだけ、食事に付き合い竜車に乗る。
明日の仕込みがある。今日の売り上げを考えるともっと仕込まないといけない。
しんどいが、充実した疲れが体を包んでいた。
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