第四話:貴族として必要なもの
エクラバの店を視察及び、内装工事の指示が終わったあと、フェルナンデの屋敷につき、湯あみをして身を清め正装に着替えていた。
今は今日止まる客室でティナやクロエと共に雑談していた。
これから食事会がある。貴族同士の席に使用人は同席できないのでティナとクロエとは別行動になる。
「クロエ、クルト様がいないところでもお行儀よくしてくださいね」
「わかってるよティナ。いいなー、クルトはわたしたちより美味しいもの食べるんでしょ」
クロエが若干不満そうにしている。
食いしん坊な彼女のことだ。ご馳走を食べてみたいのだろう。
「別に来てもいいが、死ぬほど息苦しいぞ。マナーにもめちゃくちゃうるさいしな。発言もいちいち政治的なものが絡む」
「うっ、そんなのでご飯が美味しいわけないじゃん。じゃあ、ティナと一緒でいいよ」
俺は苦笑する。
まあ、クロエのことはティナに任せればいいだろう。
フェルナンデ辺境伯とファルノの気づかいで、普通の使用人よりもずっといい歓待をしてくれるだろう。
「じゃあ、俺は行くよ。また、あとでね」
「あっ、そういえば、クルト様。湯あみのあと一時間ほど抜け出していましたが、何か用事があったんですか?」
「ちょっとしたいたずらをね」
実は、湯あみのあと一時間ほど抜けて、レナリール公爵家の一件で俺のサポートについた料理人を訪ねていた。
彼は俺の来訪を喜び、快く願いを聞き届けてくれたのだ。
調理場を貸してもらい、ちょっとしたいたずらを仕掛けたのだ。
やはり俺は菓子職人。言葉よりもお菓子のほうが的確に思いを伝えられる。
◇
食卓につく。冗談のように長い机に、品がいい調度品の数々。
そこにはすでにファルノがいた。フェルナンデ辺境伯はまだのようだ。
俺の村では、農作業などにも協力するために動きやすい服装をしているが、ここでは豪華でふわふわなドレスを身にまとっている。
「やっぱり、ファルノはそうやって着飾るほうが可愛いね。はじめてみるリップの色だ。新鮮で可愛いよ」
「ふふ、クルト様ったらお上手ですね。このリップ、この街の新作で、ぜひ試してくれと贈られてきたのですが、気に入ってもらえてうれしいですわ」
ファルノは頬を染める。
彼女の唇には淡いピンクのリップ。自然な感じで赤いものより俺は好きだ。
ファルノと談笑しているとフェルナンデ辺境伯が現れた。
「待たせてすまないね。クルトくん。中々時間が取れなくて」
「いえ、お気になさらないでください。フェルナンデ辺境伯がご多忙なのは理解しているつもりです」
「そう言ってもらえると助かるよ。では、早速食事にしよう。うちのシェフが、クルトくんに食べてもらえると張り切っていたよ。クルトくんにいい影響を受けていて。一段と腕があがった。最近では食事が楽しみになった」
フェルナンデ辺境伯は、にやりと笑う。
それに笑い返すと食事が運ばれてきた。
最初は空豆のスープ。鮮やかな緑色に、クリームの白が生える。
一口、食べて驚いた。
なるほど、そういうことか。
俺は感想を言う。
「バターを押さえて、空豆の清々しさを前面にだす。スープのベースは、牛の骨、それも赤みを限界まで削り落とした純粋な旨みだから、空豆の清々しさを邪魔しない。いい仕事です」
この世界にありがちな、バターをこれでもかと使い、ひたすら旨い部位をたっぷり使えば旨くなるという妄信。料理は足し算という発想からは絶対に生まれない一皿。
「クルトくんの料理を知る前の彼なら絶対に作れない料理だったよ。君が彼を育てたんだ」
俺は微笑み返す。
「あの短期間で、俺の料理の考え方に気付き自分で実現できるのは料理人の腕です。彼はすばらしい料理人ですよ」
ここからあとの料理も楽しめそうだ。
◇
そこからの料理も、シェフの創意工夫、熱意が伝わってくる素晴らしいものばかりだった。
俺はその料理の一つ一つを堪能させてもらった。
特に、子羊の肉を使ったメインディッシュのソテーはティナたちにも食べさせたいと思える出来だ。
メインディッシュを食べ終わったころ、俺は口を開く。
「フェルナンデ辺境伯、本日手配していただいた店を見せていただきました」
「ほう、どうだった。喜んでもらえたなら苦労した甲斐があるんだけどね」
「素晴らしい。その一言につきます」
「それは良かった」
「ただ、素晴らしすぎます」
俺がそう言った瞬間、フェルナンデ辺境伯の目が細くなる。
「それはどういう意味かな?」
「エクラバに店を用意するのは、私の領地での先端技術に対する礼、先日のあなたの使用人が盗賊と組んで私を襲ったことに対する謝罪。そして、今回のレナリール公爵の件に対する報酬、その三つに対するものだと考えております」
「その通りだね。君から受けた恩に報いるため。そして、多大な迷惑をかけてしまった謝罪として用意させてもらったものだよ」
そこの認識はあっている。
だとすれば……
「これは度が過ぎています。まるで施しです。働きに対する報酬ではなく、それを建前にした援助。そう私は感じました」
フェルナンデ辺境伯は、ついに声をあげて笑った。
「ふふ、さすがはクルトくんだね。舞い上がるだけでなくちゃんと気付いた。そして、それを僕の不興を買うのを承知で直接口に出すんだから。それで、君はどうしたい? せっかくの店を手放すのかい?」
「いえ、それはありません。もう、引き返せないところまで来ました」
「それなら、黙って、ありがとうとだけ言っておくべきだと思うけど」
「それも、俺のプライドが許せません。俺は俺の力で上に行くつもりです。今回かかった費用を教えてください。今すぐには返せませんか。時間をかけて返します」
ファルノが、俺とフェルナンデ辺境伯の顔を交互に見て、あたふたとし始める。
「なるほど、君の考えはよくわかったよ。君は施しを受けたのが気に入らない。とはいえ、僕のメンツをつぶすわけにはいかないから、過ぎた施しは時間をかけて返すというわけかな?」
「ええ、その通りです」
フェルナンデ辺境伯はやれやれと首を振る。
そして深く息を吐いた。
「君は大きな勘違いをしている。まず、第一にこれは施しではない」
「こんな過度な、報酬が施し以外のなんだと」
「投資だよ。我がフェルナンデがより発展していくためのね。君は自分のことを過小評価しすぎだ。君のお菓子は、素晴らしく美味しい。レナリール公爵の食事会で披露したインペリアル・トルテ。あれを食べた貴族たちは、もうそれだけしか考えられなくなっている」
フェルナンデ辺境伯が指を鳴らす。
すると、使用人が現れ、大きな箱をもってきて、机の上にひっくりがえす。
無数の手紙が机の上にあふれる。
「さて、この手紙の山はなんだと思う?」
「わかりかねます」
「嘆願書だよ。大の大人が、それも名だたる貴族たち、大貴族も含めて、君のお菓子をまた食べたいと、辺境伯たる私にこれだけの手紙を送ってきている。私に直接手紙を送れる立場にないものは、私の寄子の低位の貴族に手紙を送っている。それを合わせると、もっとになるかな。喜べ、クルトくん、この国の貴族はみんな君のお菓子に夢中だ」
フェルナンデ辺境伯は大げさな口ぶりで、俺のお菓子を褒める。
「だからと言って」
「だからと言ってなんだね? 君のお菓子の価値は証明された。そして、レナリール公爵公認という最高の看板がある。君がエクラバに店を開けば、エクラバの中だけじゃない、この国中から、貴族や大商人、山ほど人が来るだろう。間違いない。いや、他国からだって押し寄せる。それがどれだけの経済効果を生むかが想像ができるかね? その金の卵を生む鶏をせまい犬小屋を与えろと? もう一度言おう、君に最高の環境を与えるのはエクラバのための投資だ。すぐに回収できる」
まったく反論ができない。
そういう視点がまったく持てなかった。
「まだある。君にはもっと、はやく上にあがってもらいたい。それは、私の貴族としての立場だ。寄子の活躍は私の権力の向上に繋がる、ましてや君はファルノの婚約者。君の成功は私の成功なのだよ。君は自分の力で上にあがると言った。その気概は実にあっぱれだ。だがね、私は私のためにそれを後押しする必要がある」
「そんな、勝手な」
「貴族とは勝手なものだよ。フェルナンデの発展のために行うことを、君にとやかく言われる筋合いはない。たとえ、君の行動にかかわることでもね。それが嫌なのであれば、一切のフェルナンデの支援を打ち切ればいい。僕は平然とこう言える。今後エクラバでの商業活動の一切を禁止する。そして、君の街に生活必需品を売りに行っている行商人に対する妨害もね」
「……それは脅しですか?」
「やるつもりはないよ。そういうことができるとだけ認識してほしい。クルトくんは活躍しすぎた。もう君だけの意志では動けない。僕がこうして君の背中を押しているが、君の足を必死に引っ張ろうとしている連中もうようよしている。彼らは最悪だね。損得じゃなくて、僻み……感情で動く。そういう彼らから僕は君を守っている。そのことを君は気付いてすらいない」
「そんなことまで」
「ないとでも思ったかい? クルト・アルノルト男爵」
俺は完全に言葉を失った。
今、フェルナンデ辺境伯はなんて呼んだ?
「クルト・アルノルト男爵?」
「そう呼んだ。君は、前回の功績があって、レナリール公爵が強く推薦した。つい先日、男爵の爵位が与えられることが決まった。来月には式がある。準備しておいてくれ」
男爵になる。それはアルノルトの悲願だった。
準男爵と男爵の間には、深い隔たりがある。
準男爵は、いわばなんちゃって貴族にすぎず、男爵からが本当の貴族と呼べる。
「レナリール公爵が」
「十分ありえたことだ。……クルトくん、僕は一つ勘違いしていた。君の領地を治める手腕は一流だ。料理、菓子作りの腕は超一流、槍の腕も超一流。加えて深く専門的な農業知識を持ち、さまざまな分野に対する誰にもない発想がある。商才もある。理想的な領主だよ。そこは間違いない」
続く言葉が予測できた。
「だけどね、貴族としてはまだまだ半人前だ。自分の領地しか見えていない。大局観がまるでないんだ。それは、仕方がないことかもしれない。なにせ、今までほとんど貴族社会とかかわりなく暮らしてきたのだから。とはいえ、男爵に任命された以上、自分の領地の外にも目を向けないといけない。ではないと、食い物にされて破滅するよ?」
それと似た言葉は、レナルール公爵家でも四大公爵の一人、いかめしい顔をした老人、オルトレップ公爵に忠告されている。
気を付けていたつもりでまだまだ甘かったらしい。
「たしかに、その視点はたりませんでした。ですが、私にも私の考えがあります。言葉だけでは足りえませんので、私のお菓子を食べながら、話を聞いてもらえないでしょうか?」
フェルナンデ辺境伯の言葉は正しい。
だが、別の正しさも存在する。
湯あみのあと部屋を抜け出した一時間で、シェフに相談してデザートを作らせてもらった。
そのデザートが運ばれてくる。
俺の考えを、一皿に込めた。
俺の信念をこのお菓子と共に味わってもらおう。
フェルナンデとアルノルト、ともにより発展していくために。