第二話:新作ケーキのお披露目会
俺が作ったピナルの蜂蜜ケーキをティナとクロエは絶賛してくれた。
最近、舌が肥え始めた二人が満足したのだ。領民たちも、エクラバの人たちもきっと気に入ってくれることは間違いない。
「ティナ、大丈夫か。疲れているなら残りは明日に回すよ」
「大丈夫です。まだまだいけます!」
キツネ耳美少女のティナが銀色のキツネ尻尾をぴんと伸ばしながら気合の入った声をあげる。
俺たちが今何をやっているかというと、身内向けの試食が終わったので、今度は領民たちの分をつくっている。
あまり手間がかからないピナルの蜂蜜ケーキとはいえ量が増えると重労働になってくる。
とくに、焼成を担当するティナは負担が大きい。
何度も繰り返し焼きながら、一人で焼けるように練習をしていた。
「よし、頑張ってくれ。たぶん、店を開いたらこれぐらいの量は毎日作ると思うから」
「はい! 任せてください!」
いい返事だ。頼もしい。それからティナと二人で、次々にケーキを焼き上げていった。
エルフのクロエにも生地作りを教えている。彼女は水の魔術が得意なだけあって、最適な生地の状態を感覚で理解できるし、もともと勘がいい。お菓子作りの適性があった。
「クルト、案外、難しいね。でも、練習すればできるようになりそう」
「うん、作るだけならあと二、三回で作れるようになると思うよ。でも、美味しく作るならもっともっと練習が必要かな」
「先は長いんだね。でも、やってみせるよ。燃えてきた」
まだぎこちないが、一緒に百回も焼けば一流の腕前になるだろう。
「よーし、頑張るよ。精霊の里に戻ったら、みんなを驚かしてあげよ。わたしが美味しいお菓子を作ったら驚くぞ」
クロエが頬をたたく。
それを見て俺は苦笑する。
「どうしたの、クルト。なんか変な顔しているよ。ちょっと、寂しそうな、そんな顔」
「クロエが羨ましくてね。俺は家族のためにお菓子を作ろうってずっと思えなかった」
素直に、故郷の家族のためにお菓子を作りたいと言ったクロエがまぶしかった。
俺はつい最近まで、これだけ近くにいながら家族のためにお菓子を作る。その発想ができなかった。
そんな俺だからこそ、あそこまで弟のヨルグとすれ違ってしまったのかもしれない。
「羨ましいなら、家族のために今からでもケーキ作ればいいじゃん。クルトのお菓子なら絶対に喜んでくれるよ」
何気なくクロエがつぶやいた言葉。ずいぶんと簡単に言ってくれるものだ。
だが、それは真理だ。俺は悩んでいないでさっさと行動に移すべきだった。
「それもそうだな。うん、そうしよう。このケーキなら日持ちもするし、ヨルグとお世話になっている男爵に贈り物をしようか」
仮にも、今の俺にはレナリール公爵お墨付きの看板がある。
貴族へお菓子を贈っても失礼にならないだろう。
ティナのほうをみる。火と真剣ににらめっこしながら、ケーキを焼いている。
さすがはティナだ。彼女は火を扱うことに関するセンスは天才的。
もう、俺が教えたケーキの焼き方をマスターしつつある、このケーキならもうすぐ焼成の工程すべてを任せられるようになるだろう。
「よし、ラストスパートだ。ケーキを焼ききろう!」
「はい、クルト様!」
「おっけー。任せてクルト!」
そして、俺たちは大量のケーキを焼き上げた。
山のようにピナルの蜂蜜ケーキが積まれている。
当日の朝、二つに切ってピナルを挟みこめば完成だ。
◇
いよいよ、エクラバの店で売り出す商品のお披露目会の日になった。
村中の人たちが広場に集まっている。
昼下がりから試食会を始めると周知したはずなのに、もうほとんど全員が集まっていた。
よほど、楽しみにしてくれているらしい。
俺が、現れるとざわめきが聞こえた。
こうして、みんなが期待しているくれているのは、悪くない。
全員、皿をもってきてもらった。
俺の家に、ここにいる全員分の食器はないし、手渡しするのも気がひけるからだ。
俺は作業台を出し、台の上に長方形のケーキを並べていく。
みんなの目の前でカットして渡していくスタイルだ。
準備をしていると、作業台の前に小さな影が集まってきた。
「クルトの兄貴、すっげええ、いい匂い」
「ああ、匂いだけで、満足しちゃいそう」
「じゃあ、おまえの分も俺が食う」
「食べるよ!」
「まだかな、まだかな」
近くに来たのはヨハンをはじめとした、孤児の子供たちだ。
彼らは、村人たちの中でも一際ケーキを楽しみにしてくれているようだ。
「もう少し待ってくれ。約束の時間になったら始めるから」
「クルトの兄貴、楽しみにしてるぜ」
「期待を裏切らないお菓子であることは約束するよ」
俺がそう言うと、子供たちはやったーと叫んで、散っていった。
心の中で、あの子たちには、少しだけケーキを厚めに切ってあげようと心に決める。
それぐらいのひいきは許されるだろう。
準備がすべて終わったころ、ちょうどいい時間になり、ついに、エクラバで売るピナルの蜂蜜ケーキのお披露目会が始まった。
◇
「はい、どうぞ」
「ありがとうごぜえます。長」
甘いものが似合わなさそうな、大男のソルト……俺の不在時にこの村を取り仕切ってくれる俺の右腕である彼が男臭い笑みを浮かべる。
「甘いものを食べるんだな」
「甘いものが嫌いな奴なんているんですかい?」
それもそうだ。
人間は本能的に甘味を求める。甘い物が苦手な人なんて、甘いものがあふれた世の中だからこそ現れる。
貴重な甘味を楽しめる機会を逃すようなものはそうそういないだろう。
次々にケーキをカットしていき、カットする端からケーキが消えていく。
この村の人口は孤児たちを含めても百人に届かない。
わりとすぐに列がはける。
みんな手にはケーキの乗った皿があった。
「さあ、試食の始まりだ。遠慮なく食べてくれ」
俺がそう言うと、みんなが目を輝かせる。
そして、試食が始まった。
◇
「あまーい」
「この生地素敵、優しい甘さでふんわり、しっとりで」
「中にはさんでる瑞々しい果実がいいな」
「焦げた、ハチミツの香りもいいよ」
みんな、うっとりとした顔でケーキを楽しんでいる。
俺も自分の分を食べる。
ピナルを漬けていた蜂蜜を甘味付けに使っているおかげで、生地がしっとりとしているし、挟んだピナルとの相性が抜群だ。
ジャムと、散らしたクランベリーもいいアクセントになって食べるものを飽きさせない。
これなら、売れる。
ただ、問題点がないわけではない。
ハチミツ、ピナル、小麦は十分な量があるが、クルミ油の原料のクルミの在庫が少ない。
去年の秋にため込んだクルミだけだと、早晩なくなる。
代用品としては、オリーブオイルあたりが望ましい。バターだと重くなりすぎる。
レナリール領ではオリーブの生産が盛んで、かなり割安で市場に並んでいた。だが、エクラバで手に入るかどうか。手に入ったとしても値段が気になる。
そして、もっと大きな問題が一つあった。
「ねえ、ねえ、クルトの兄貴、まだケーキ余ってるよね」
考え事をしているとヨハンがやってきた。
彼は目ざとく、切り分けに使った台の上に残っている切り分けていないピナルの蜂蜜ケーキを見つけたようだ。
一つだけ、余ったのだ。
実はこのケーキは、何かあったときのための予備に作っていたものだ。余って当然だと言える。
「余ってるね。どうしようか。たぶん、お代わりできるなんていったら、喧嘩になるからな」
そう、一つのパウンドケーキは八つに切り分ける。
八人しかお代わりできない。
貴重な甘味を巡って大人も子供関係ない血みどろの争いが始まるのは目に見えている。
「だったら、カンパラで決めるから! 希望者を集めるさ。俺が音頭をとるよ」
「それならいいか」
カンパラはこの世界におけるじゃんけんみたいなものだ。
道具を使わずに、勝敗が決まる。わりと便利な風習だ。
「よし、じゃあヨハン、希望者を……」
そこまで言ったときだった。
すごい勢いで馬車がやってきた。急ブレーキして扉がひらく。
「待ってくださいませ。まだ、私が食べておりません」
中から現れたのは、ピンク色のふわふわの髪をした美少女……フェルナンデ辺境伯の娘にして俺の婚約者であるファルノだ。
「クルト様ったら、意地悪ですわ。私の帰還を待たずにこんな面白そうなこと始めるなんて」
そして、ほほを膨らませながら、こちらに肩をいからせて歩いてくる。
この光景を見て動じないということは、なんらかの方法で試食会が開かれていることは知っているようだ。
「悪いとは思ったんだけど、話の流れでお菓子を振る舞わないといけなくなったんだ」
ファルノをないがしろにしたわけじゃない。小麦をエクラバで開く店で使わせて欲しいと領民たちに説明したのだが、あの場ではすぐに試食会を開いてみんなを楽しませると言わざるを得ない状況だった。
「お嬢様、息を切らせて大声なんてはしたないですよ」
「ヴォルグはどっちの味方なんですよ」
「私は、お嬢様の教育係としてお嬢様を導く。それだけです」
彼女の背後から、ファルノの執事にして、俺の武の師匠であるヴォルグが現れた。
筋肉質で細見な体を執事服にまとった青年だ。
「ううう、ヴォルグ。でも、私の気持ちもわかりますわよね」
「ええ、私もクルト様の新作のお菓子を楽しみたいですからね。とはいえ、お嬢様、間にあったのですし、おとなしく楽しみましょう。そして、そこの少年、ヨハンといいましたね。勝者を六人としてカンパラを始めてください」
「おっ、おう」
さすが、ヴォルグ。まったく物おじせずに話を進めていく。
ヨハンが彼に促され、お代わり争奪戦を始めた。
「では、お嬢様、ご相伴にあずかりましょう」
「ええ、そうね。お願いしますクルト様」
「ああ、是非、味わってくれ」
俺は気を取り直して、二人にケーキを切り分ける。
「ああ、いい香り、たしか、このまえのインペリアル・タルトでも同じ香りがしていましたわ」
「よくわかったね。精霊の里の果実、ピナルを使っているんだ。美味しいし、いい香りがする素敵な果物だよ」
「それはすごいですわね。クルト様のお店でしか食べられないお菓子です! では!」
ファルノがケーキをフォークで一口サイズにして口に運ぶ。
そして、幸せそうに両頬を押さえた。
「香りも素敵ですが、味も素敵です。しっとりして気品がある甘さ。この酸味もいいですわね」
「ええ、お嬢様。是非、フェルナンデのお茶会に出したいですね。お客様もきっと喜ばれますよ。果実を使ってここまで気品のあるケーキは、他では食べられませんからね」
「クルト様、これを大衆相手に売るんですか、お値段は?」
俺は、ワンカットの値段と、丸々一本の値段をつげる。
「そのお値段ですか!? 貴族相手なら、その十倍でもたくさん買い手を見つけられますわよ」
「たくさんの人に甘いものを楽しんでほしいんだ。だから、そういう高級菓子にはしない。そのために材料費も抑えているしね」
これは、そのためのお菓子だ。
欲を言えば、このケーキにナッツを混ぜこむだけで、さらに美味しくなる。
だけど、そうするとどうしても値段があがる。ナッツの相場は高い。
あくまで、一般市民向けを目指したからこそ味よりもコストパフォーマンスを優先した。
「立派な志です。ただ、気になるのがどうやって売るかですね。お土産にするならラッピングが必要になりますが、この村にそんな洒落たものを作れるお店があるとは思えませんわ」
「そこは悩んでいるんだ。甘いお土産として売り出すなら、それなりに小奇麗なパッケージで売り出したい。街で外注するけど、伝手がないしね」
「……それでしたら私が手配しますわ。格安で作らせますわよ」
その言葉に飛びつきたい。
だが、あえて首を振る。
「フェルナンデ辺境伯の力で無理に安く品物を卸させるなんてことはしたくないんだ。そういうのは好きじゃない」
「違いますわよ?」
「えっ?」
俺は思わず聞き返した。
「このケーキは絶対にヒットします。間違いないですわ。それも、家で楽しむわけではなく、大事な人たちへのお土産として商人たちや富豪たちの注文が殺到するでしょう。それは、クルト様の意図しないところでしょうが、避けられません。つまりは、最高のお土産としてそれなりな人たちに贈られる。これは、パッケージを作る業者としては最高の宣伝の機会ですわ。それに、数がでる分、一つ当たりの儲けは少なくてもいい。それなりの規模の業者なら、飛びつきますし、交渉次第で喜んで安くしますわよ?」
目から鱗が落ちた。
俺にはまったくない発想だ。
ファルノのことを過小評価していた。
さすがは商業都市エクラバで育っただけはある。経済感覚なら俺よりずっと上だろう。
「ファルノ、来週、店の視察に行く。そのときに業者の選定を任せたいが、いいか?」
「もちろんですわ。夫のためですからね。内助の功です」
「頼りにしているよ。ファルノ」
これで最大の懸念が解決した。
あとは、クルミ油の代わりになるものを、クルミ油の在庫がつきる前に見つけることだ。
エクラバの市場を覗きながら考えよう。
品物はできた。さあ、どんどん準備を進めていこう。
エクラバの店が大成功すれば、いっきにアルノルトの領地は豊かになるし、お菓子の材料を買い集める余裕もできる。これからが楽しみだ。
着実に進んでいく、お店の準備! ブクマや評価を頂けるとすごく嬉しいです。