エピローグ:アルノルト領へ
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ついに、レナリール公爵の領地から出発する日が来た。
昨日のうちに市場で珍しい食材を買い込んでおいた。とはいえ、財布は自分のものなので、予算の都合で泣く泣く諦めた食材も多い。いつか大金を得たらまた来ようと決めている。
そして、レナリール家の秘蔵のレシピをしっかりと読ませてもらった。
一睡もできなかったが、随分と勉強になった。特に海鮮料理に関しては面白い調理法がいくつもあった。
肝心のお菓子のほうも、参考になるものが多い。この地方の酒を使ったユニークなお菓子は是非試してみたい。
もらってばかりも悪いのでサプライズで薔薇のクッキーを作り、レナリール家の使用人に預けてある。俺が出発したあと、レナリール公爵に届けられる予定になっている。きっと喜んでくれるだろう。
俺はティナとクエロと共に出発の準備を整え郊外にある竜車の着陸ポイントに来ていた。
「クルト様、やっと帰れますね」
「そうだな。あっという間だったような、ずっといたような不思議な気持ちだ」
本当にここではいろいろあった。
最高の食材で存分に腕を振るう機会が得られたのは特に大きい。
下手をすれば、チョコレートなんてもう一生触る機会がないかもしれない。
高価すぎてアルノルトの財政ではとても手がでないのだ。
「クルト、帰ったらお店の準備だね。いろんなお菓子を作るんでしょ? 今から試食が楽しみ」
クロエが笑いかけてきた。
「大変だけど楽しみだ。レナリール家のお墨付きをもらえたから、すっごくたくさんのお客さんが来ると思うよ」
俺はにっこりと笑う。今から腕が鳴る。たくさんの人をお菓子で幸せにする。その未来はすぐそこまで来ていた。
ちょうど、竜車が来た。
俺の要望で風の魔石を使った気球ではなく、竜が後ろ脚でがっしりと天井のとってを掴んで飛び上がるタイプだ。
見るからに危険そうだが、竜の風の加護で守られており安全かつ快適な空の旅が楽しめる。
竜は力が強く、これでも二頭立ての馬車二台分の重量を運べるらしい。
立派な白い竜。綺麗な竜だ。これが俺のものになったと思うと、感動がこみあげてくる。
「大きな竜さんですね。きっとご飯もたくさん必要ですね。……うちの領地で養えるのか不安です」
「大丈夫だよティナ。竜のような幻想種は食べ物を必要としない。マナから力をもらって生きてるんだ。だから、排泄もしないし、お金はかからないよ」
「素敵です! アルノルト領にはぴったりの生き物です!」
ティナが目を輝かせる。遠回しにアルノルトが貧乏だと言っているが、否定できないのが悲しい。もし、この巨大生物が見た目どおりの食欲を発揮すれば、一瞬でアルノルトの財政はがたがたになるだろう。
そんなふうにティナと話していると、竜車から一人の男が現れた。
「アルノルト次期準男爵、準備が完了いたしました。いつでも飛べます」
彼はこの竜者の御者だ。
男爵家の三男で爵位が次げず平民に落ちた男だ。
俺に使える従者となり、主に竜の世話を主業務とする。
「わかった、すぐに行く」
ティナとクロエの手を引いて駆けだす。
そして竜車に乗り込んだ。レナリール家の使用人たちが、荷物などを積み込んでいく。
フェルナンデ辺境伯とファルノは、まだ仕事が残っておりまだ戻れないらしいので、俺たちだけでの帰還となる。
「こっちはいつでもいい、そちらのタイミングで出発してくれ」
「かしこまりました……、ではいきますよ」
竜が羽ばたいた。
竜は魔力で飛んでいるので風は起きない、重力がなくなったかのようにふわりと空に舞い上がっていく。
窓から地上を見るとレナリール公爵が外に出て手を振ってくれていた。
忙しいはずなのに、こんなところまで見送りに来てくれたのか。俺は手を振り返す。
そして空の旅が始まる。流れていく景色を窓越しに楽しんでいた。
しばらくして、飽きてきて窓から視線を外したクロエとティナが何かに気付き声をあげる。
「ねえ、クルト、これ何かな?」
「竜車に知らない荷物がたくさん積まれています」
そちらを見ると竜車のすみに、揺れないようにしっかりとネットで固定された麻袋がいくつかあった。目立つ位置に手紙が置かれているので中を開く。
『アルノルト次期準男爵。これはあなたのお店の開店祝いよ。大事に使いなさい』
そっけない一文。そのあとにこの麻袋の中身の一覧が書かれている。
この世界では貴重な砂糖。お菓子の材料としても使える上質な蒸留酒、最高級の小麦粉。貴重な調味料など、ひどく高価かつお菓子作りに必要なものばかりが大量にあった。
非常に助かる。
「ありがとう。レナリール公爵」
まったく薔薇のクッキーでサプライズを仕掛けたのに、逆にこちらが驚かされてしまった。
これは大事に使わせてもらおう。
とはいえ、店でそのまま出すわけにはいかない。最初にこれを使えば、すさまじい勢いで集客できるだろう。
だが、材料が切れたあと、これと同じ品質の材料を仕入れていては、一般市民に手が届かない金額になってしまう。それは本望ではない。かといって途中から質の低い材料に変えれば味が落ちたと悪評が立つ。
幸い、どの材料も長期保存が可能だ。貴族相手に菓子を振る舞うときと、少量生産の超高級菓子を作るときに使おうと決めた。
フェルナンデ辺境伯に出張パティシエの相談がいくつか来ている。そういった仕事を行う際には強い武器になるだろう。
「クルト様、レナリール公爵のことどう思っていますか?」
ティナが少し不安げに訪ねてくる。
「尊敬できる人だね。初めて同年代で俺よりもすごいって思える人に会ったよ。目指す先も一緒だし力になってあげたいと思っている」
貴族派の好きなようにされれば、戦争がはじまり、お菓子を作るどころではなくなってしまう。
それは可能な限り避けたい。それとは別に、彼女の力になりたい気持ちもあった。
「そうですか……、その、もし、レナリール公爵にずっと傍にいてくれって言われたらどうします?」
ティナが、よりいっそう不安そうになる。
「実はそれはもう言われたんだ。レナリール領の近くにアルノルトよりもずっと豊かな領地を与える代わりに補佐をしてくれってね。それに見合う地位もくれると言われたよ」
「クルト様、どんな返事をしたんですか!?」
「俺がこうして竜車に乗ってアルノルトに向かっている時点で答えはわかるだろう。断った。俺はアルノルトが好きだ。あそこはティナと二人で作り上げた土地だ。捨てるなんてできないよ」
そう、どん底からティナと二人で必死に築き上げた俺たちの夢の結晶。
あとから、どれだけ素晴らしい領地を差し出されようが目移りなんてするわけがない。
「よかったです。クルト様」
ティナがもたれかかってくる。
俺は彼女の頭を優しくなでる。
「まったく、いつも二人はあつあつだね」
クロエがどこかつまらなさそうに言った。
「俺とティナはパートナーだからな」
頬を膨らませたクロエの口に不意打ち気味に、キャラメルを放り込む。
クロエが驚いた顔をしてから、ほほを緩めた。
ティナにたまにする手が、クロエにも有効みたいだ。
どんどん、レナリール領が遠くなっていく。
そんなときだった。
御者の男が声を出した。
「アルノルト次期準男爵。実は一人の紳士から手紙を一通預かっているんです。手紙を私に渡すとすぐに去って行きまして名前を確認する暇もありませんでした。私のほうで処分しておきましょうか?」
「いや、いい。見るよ」
「かしこまりました」
御者の男から手紙を受け取る。ひどく質のいい紙だ。
それだけで相手が高い身分にあることの察しがつく。
「クルト様、怖い顔をしてどうなさったんですか?」
「いや、なんでもないよ」
手紙の差出人は、俺を随分と買ってくれた四大公爵の一人。ヘルトリング公爵のものだった。
名前は書いていないが、月の夜に出会ったことをほのめかした書き方をしてある。
内容は、槍をとれ。さもなくば全てを失う。お菓子では何も守れない。後悔をしたくなければ自分のもとに来いというものだった。
……お菓子では何も守れないか。
確かにそれは一つの真実だろう。略奪者を相手にしてお菓子は意味をもたない。
だけど、俺はお菓子で人を幸せにできると信じている。それは武力以上にこの国に必要なものだと。
後悔をするという書き方が気になる。
何かを仕掛けてくるつもりだろうが、何をして来ようと乗り越えてみせよう。
「なんでもないって顔じゃないです。クルト様、すごく怖い顔をしてます」
「本当になんでもないんだ」
この手紙をもらったからと言ってやることは変わらない。
ただ、あまりティナを不安にさせるわけにもいかない。話を変えよう。
「話は変わるけどね、ティナ、ティナのためだけに世界でたった一つのお菓子を作るって約束してたよね。そのアイディアがレナリール公爵の屋敷にあったレシピを見ていたら浮かんできたんだ。春にならないと材料はそろわないけど、春が来たら、最高のお菓子を作るから期待しておいてくれ」
ティナが目を丸くして驚く。
そして、満面の笑顔で頷いた。
もう、俺が手紙を見て怖い顔を浮かべたことなんて、記憶から吹き飛んだようだ。
「はい! 楽しみにしています」
ティナの笑顔は何度みても最高に可愛い。
この笑顔をもっと輝かせるお菓子を作らないといけない。
竜車はアルノルト領に向かい真っすぐに飛んでいく、全てのしがらみから解き放たれたかのように。
今は目の前の店づくりに集中しよう。
アルノルト領地の食材を高く大量に売れる拠点ができれば、いっきにアルノルトは豊かになっていくだろう。
三章が完結しました! ここまで読んでくれてありがとう!
四章からはアルノルト領でとれた材料を使ったお菓子を売るお店を街に作ります! 今までとはまた違った面白さになるので楽しみにしていてください
そして、書籍は10/28発売! ↓に表紙があります。加筆修正に書き下ろし、三弥先生の可愛らしいイラストがちりばめられた一冊、是非手にとってくださいな!




